4話 『龍爵』としての責務。 時は経ち、『単年度学生』として王都へ。 そして、唐突に知らされた『婚約』に困惑する私
「龍爵」に任じられた私が、最初に手を付けたのは、自身の足場固め。 ゴブリット兄様に託された、私が指揮する辺境伯猟兵団、特任遊撃部隊の設立……
『決意』の証として、私が決めたのは、『あの悲劇の地』を、私は「辺境伯猟兵団、特任遊撃部隊」の駐留地と定めたの。
森への主要経路と近く、森の向こうの国境にも直ぐに駆けつける事が出来る場所。 そして何より、決して忘れる事が出来ない、”誓いの地”として、定めたのよ。
魔物暴走は、簡単に起こる事象では無いけれど、それが始まる『形跡』を追う事は、可能なの。 辺境伯猟兵団にとってとても重要な仕事でもあるの。 ただ、不断の努力を必要とし、なかなか、その計画が立て辛い事もまた事実なの。
必要なのは、常に森を監視、警邏し、小型の魔物の分布と個体数を把握する事。 大型の魔物を適宜間引く必要もあるのよ。
森の奥深くの幾つかの洞穴迷宮の入口には、監視所を設け、内部に定期的に進入し間引きする事も必須なの。 勿論、傭兵や冒険者の協力も仰ぐことにしたわ。 とても、とても、私達だけでは賄いきれないから。
猟兵団の猟兵については、広くフェベルナの民を募る事にしたの。 本来ならば、貴族家の次男、三男、及び その係累の方々が担うはずだったのだけど、無理なの。 この度の災厄で、多くの貴族家が人的に大きな痛手を負ったのは周知の事実。
だから、フェベルナの民にお願いするの。 故郷を護る為、手を貸してほしいと、広報したわ。 そして、多くの民が手を上げてくれた。 貴族の義務として、この地を護った方々の崇高さに触れ、自身もフェベルナの地の安寧に手を貸そうとしてくれたから。
募集は成功した。 皆のやる気のある顔が嬉しかった。 でも、そのままでは簡単に死んでしまう。 だから、鍛え上げるの。 各領の領兵の方々も、ご協力して頂けた。 あの災厄の時に何らかの手傷を負った方々は、領兵としてこれまで通り領の鎮守に当たられた。 御継嗣以外の連枝の子弟の方々が、男女の区別なく猟兵団に合力して下さった。
日々の巡邏に於いて遭遇する魔物達を屠る。 残存していた貴族家出身の猟兵の方々は、募った方々を鍛え、護りながら、困難な巡邏を遂行して行ったの。 勿論、私だって巡邏に参加していたわ。 平民出身だから、貴族家出身だから、なんて区別は無くなっていったの。
力あるもの、統率力あるもの、作戦を練れる者、その能力に応じ、集団としての戦力は徐々に力を付けて行ったわ。 その結果、彼等の実力はメキメキと上達して行ったの。 同時に、ゴブリット兄様にお教えを受けた私だから、今までの訓練要綱をすべて見直し、徒に人員を消耗する事無く脅威に対して立ち向かえる組織を編み上げて行ったの。
勿論、一人の力ではどうしようもないわ。 だから、フェベルナの方々、そして、ゴブリット兄様がお付けに成って下さった猟兵団の方々と、一緒に汗と知恵を出し合ってね。
――――――
一年目の冬が終わる頃、あの災厄の地には立派な屯所が完成したの。 石と土と丸太で組上げただけの簡素な本部ではあったけれど、雨露は凌げるし、暖かい食事も、柔らかな寝床も用意できた。 ボコボコに成っていた周囲は、防御猟兵である「土属性魔法」の保持者の方々によって均され、広大とも云える訓練施設も作り上げられた。
攻撃編成にしても、『魔法猟兵』、『機動猟兵』、そして『結界猟兵』の役割分担を明確にしたの。
特任遊撃猟兵団は徐々にその真価を発揮し始めたわ。 街道に出てくる魔物は、それこそ減少の一途を辿り、夜盗や物取りの集団は姿を消したの。 だって、街道沿いに簡素ではあるけれど、信号灯を立てて、なにか有ればすぐに近くの猟兵が駆けつけるんだものね。
街道の安全が保障されれば、其処を通行する商人さん達も増大するわ。 辺境の何もない場所とは言え、それなりに物成りも有るし…… あとは、特産品が出来れば申し分なく商人さん達は金品を落として行ってくれる。
目を付けたのは、魔物達の遺骸。 特に羽根を持つ者、肉質が家畜に近いモノ、そして、体内に凝縮した魔力の塊…… 『 魔石 』 ね。 『龍爵』として、『軍執政官』としても、背負う『役割』も、そこなのよ。 どうやって、このフェベルナの地を豊かにするか。
誰も見向きもしなかった場所に、何かしらの特産品を見出すか…… が、鍵だと思ったの。 まずは安全が第一なんだけれどもね。 元々、その萌芽はあったのよ。 災厄の原因でもある『モノ』が、豊かさの元にも成るのよ。 だから、その小さな芽を摘まぬ様に、大きく力強くするのが私の責務。
地元の猟師さんや、古老の話を伺い、どうやったら魔物を家畜化するかも、皆で討論したわ。 最初は懐疑的な貴族家の者達も、実験的に『施設』まで作る私を面白そうに見て、やがて、支援して下さるまでになったの。
勿論、お金は出せないわよ? 人的資源ってことでね。 ほら、昔っから、森の端で暮して、猟で食べていた方々のお知恵を拝借する事に御許可頂けたって事ね。
広大な訓練所の一角に、魔物の牧場とも云える場所も作った。 家畜化ね。 「梟熊」は、羽根も、その肉も使える上、たまにだけど「魔石」すら体内に生成するのよ。 気性はとても荒いんだけど、十分な見返りとも云えるわ。 すり鉢状に大地を削り、その底部に「梟熊」の巣を置いたの。
領の皆さんの知恵を努力の結果、実験牧場からは定期的に肉と羽と魔石を手に入れる事が出来る様になったわ。 領の有力者の皆さんに、その事をお知らせした結果、余裕が僅かでもある御家の方々が事業に乗り出したの。 私が得た『全ての既知の技術』は、開示したわよ。 ええ、全てね。
” 殖産興業 ”って、誰かがやらなくては成らないんだし、初期投資や技術開発にお金が掛かるのは当たり前なんだものね。 それを、「龍爵」の私と、辺境伯猟兵団、『特任遊撃部隊』が主導するのは、此れもまた必然。 だって、辺境伯猟兵団、特任遊撃部隊に掛かる費用は、領都のお財布から捻出されているんだし、それは、「龍爵」の職務に必要な費用とも云えたんだからね。
この辺の知恵を付けて下さったのは、ゴブリット兄様。 経理原則や、領の経営に関して言えば、ハロルド大兄様が、『執事』格として、領都の文官のお一人を付けて下さった。 壮年の目付きの鋭い方なんだけれども、私を見詰める眼は、殊の外 優しいの。
そんなこんなで、フェベルナの各家の財政は持ち直し始めたのよ。 ええ、確実に一歩一歩積み重ねる様にね。 でも、ちょっと問題も有ったの。 国外の商会の方が、無茶ばかり要求してくるのよ。 協商連合国の大商会の方なんだけれどもね。 フェベルナ商工ギルドも、かなり迷惑をかけられていたわ。
物凄く強硬な姿勢で、手に侯爵位第三位の御家の認可状なんかを振り回してね。 だけど、西部辺境伯領は、シェス王国から自治権を認めらている御領なの。 だから、この地で何かをしようとしても、許認可権は大兄様がお持ちなのよ。
フェベルナは、弱小貴族家が集まった様な場所でしょ? あの方々は、篭絡するのが容易だと思われた訳よ。 残念でした。 モルガンアレント子爵の老獪な後ろ盾を持つ私は、お爺様の思惑で彼等の要求に対峙したの。
ええ、裁定も私の職務。 そして、必死に王国法を学んで行ったわ。 大事なのは、不磨の大典の精神。 この御領だけでなく、シェス王国全土で通用するような裁定を下さないといけないわ。 彼等の勝手な言い分は、この国に住まう限り、絶対に従わなくては成らない『法』に依って、キッチリ粉砕してあげた。
表立っては、彼等の前に姿を現さないように、慎重にね。 貴族議会を通じて、裁定の結果だけを通達するの。
―― 要求は却下。 出店は不許可。 フェベルナ商工ギルドに対しての、妨害に対して、罰金を科す。
とね。 物凄く怒られて居たけど、そんな事、別段気にしない。 彼等はこちらを利用し、営利のみを貪ろうとしたんだもの。 咎は咎よ。 要は、フェベルナの地から叩き出してあげたの。 そりゃ、大商会で王都での勢力は強いわ。 物品の売買においても、相応の影響力を持っている。 そんなのを相手どれば、王都との交易にトンデモなく不利に成るのは判っていたの。
でもね、隠し玉はいくつかあるの。 それが、南部辺境伯様との交易。 南部辺境伯様の御領地は、肥沃な農地と、豊かな森林、盛んな養殖で、王国の穀倉庫と呼ばれているの。 西部辺境伯家の領地で生産されているモノも、彼の地で必要なモノも沢山あるわ。
だから、パスタイ南部辺境伯家との交易に力を入れたの。 窓口は、アストリッド=ガンム=パスタイ伯爵
王都でも有名な、大商会 パスタイ商会の母体となる貴族家なの。 アストリッド様は、南部辺境伯家の御息女にして、パスタイ伯爵。 ええ、女性の御当主様なのよ。 それに、バスタイ商会の会頭でも有れせられるわ。 私と同い年なのよ…… 居るのよね、トンデモナク有能な人って。
そんな彼女とは、交易の件で色々と遣り合った仲なの。 こちらが貧乏なのは、先刻ご承知。 あちらは、交易の達人。 色んな案件で、散々に遣り合ったの。 まぁ、此方から差し出せる有用な条件といったら、『交易路の安全に関するモノ』 と、『魔物由来のモノ』しか無かったけれどね。 いずれ、見返してやりたいなぁ……
その為には、農地の拡大が望まれていたわ。 肥沃な大地。 実り豊かな農地……
でも、それは一朝一夕には行えないの。 何しろ、土地が痩せていてね。 この西方辺境域、その南西部であるフェベルナの地は顕著なの。 小麦や大麦はおろか、野菜の収穫量ですら他の領の八割ほどしか出来ないの。
そして、農地の開墾には途轍もなく労力を必要とするわ。 今でさえ『農』を支える家の人達はカツカツなのよ。 例え、猟兵団を投入して開墾を進めたとしても、それを維持する人員が足りないの。 もっと、人を呼び込むか、新たに誕生する命が増えるかしないと……
それに、作物の品種改良も大切な事柄。 この地に合う作物を見出す事も、とても大切なのよ。 でも、フェベルナには、農事に関しての専門家は居ない。 高名な方を招聘しても、成果が期待できない土地には来てくださらないの。 残念な事にね。 でも、私は、諦めない。
荒野とも、ガレ場とも言えない、広大な土地を望むとき、”いずれは此処に、金色の丘を ”と思うのは、私がフェベルナの地に根差す「龍爵」だったからかもしれない。 皆が笑い、命を謳歌する為に、産れて来たんだって、そう…… 思えたんだもの。
ゆっくりと、でも着実に積み重ねられる喜ばしい事実。 生活は徐々に潤いを見せ、領兵と猟兵団は実力を付けた。 安寧が人々の心に与える余裕が、如何に大切なのかを辺境領各家の御当主様方にはご理解頂けた。
家畜化された魔物により、より多くのお金がこの地に落とされ、更に街道の整備に『その利益として得た金穀』を ” 注ぎ込んだ結果 " 、南方辺境領との連絡街道は、王都への街道並みに整備出来たのが何よりも嬉しい事。
一段落した街道整備を受け、フェベルナの地の各家が抱える様々な問題とも立ち向かう土壌が確立したのもこの頃。 モルガンアレント子爵様を筆頭に、広域の問題を解決する為の地方貴族議会も制定されたわ。
勿論、私も其処に名を連ねるのよ。 ええ、「龍爵」の爵位を保持する者としてね。
そして、フェベルナだけの特殊な集まりも、開催する事が出来るようになったの。 ええ、民衆会と云う集まりね。 民が何を欲するのかを、民自身が考える場所としてね。 いままでは、云われるがままに従っていたけれど、自分達で考え、自分達で貴族議会に出す要望をまとめて貰う、そんな場所。
識字率が、他の領と比べて、比較的高かったから、試してみたの。 ほら、フェベルナの人達って、独立独歩の気性があるでしょ? 平民でも読み書きできなければ、いいようにされてしまうって、彼等は考えていたみたい。
小さな教会の片隅で…… 商店の裏側で…… 鍛冶屋の店先で…… 人々は少しづつ学んでいたそうね。 それを、私は「軍執政官」権限で、拡大したわ。 小さくてもいいから、『学問所』と云う、学校を、領の貴族の皆さんに作って貰ったの。 先生は、御領主の身内の方が当たる様にも、お願いしたわ。
そう、彼等にも、もっと民達と接して欲しかったから。
もっと、民衆会が活発に意見を出してもらえるように、なって欲しかったから。
民衆からの言葉を聞いて欲しかったから。 支配者階級と、被支配者階級の間隙は厳然と存在するわ。 でも、歩み寄りフェベルナ未来の為に、協力し合う事は出来ると思うの。
皆で作り上げる、皆の御領。 強靭な意思が、何よりも大事だと思ったからだったわ。
『人は石垣、人は砦』
遅々とした歩みではあるけれど、前へ前へと突き進む私。 理想は、現実に対して無力な事が多い。 でも、徐々に私の周りに多くの『友人』が出来たわ。 貴種、民衆を問わずね。 遊撃猟兵団の人達、領都から見えられた文官の人達、フェベルナの多くの貴族達、そして、なにより、この地に住む多くの民。
愛しく、何よりも大切な人々。 わたしは、大いなる辺境フェベルナの大地に抱かれて、為すべきを為す者と成ったの。
何よりも嬉しい事は、皆さんも、それをお認め下さった事だったわ。
フェベルナの地に豊かさが、実りが、ゆっくりと結実し始めて居たのよ。 誰の手柄でも無い。 そう、皆で掴み取った、麗しの果実なのよ。 悲劇と哀しみを乗り越え、気を抜くと直ぐにも失われしまう、大切なモノ。 『フェベルナに生まれし者達』が手にした……
――――― 「宝玉」の様な事柄だったの ―――――
§ ――― § ――― §
月日は巡り、そして、二回目の春を迎えた。
私はフェベルナの地で十七歳になった。
二年の間に出来るだけの事、やるだけの事は遣ったの。 淑女教育なんてどっかに吹っ飛んだ。
夏には王都の王立学園の単年度学生に向かわねば いけない頃だったわ。 何とか一年間は皆で、この地の護りを固められる目途は…… どうにかしたわ。 力を合わせて、何とかして行かなくては成らないって、皆も判っていたから。
フェベルナの地を離れる前、モルガンアレント子爵様を筆頭に、地方貴族議会の皆様に、フェベルナの事をお願いしたの。 猟兵団はゴブリット兄様の副官様。 領の治世に関しては、ハロルド大兄様から付けて頂いた『執事長』様に。 三つの力を合わせ、領の平穏と安寧をお願いしたの。
快く受けて下さったわ。 ええ、とても。
「お帰りに成る時には、灌漑用水路も整備完了している事でしょうな」 と、執事長様
「森はお任せあれ。 ご卒業式には、特任遊撃猟兵団が儀仗兵として参加いたしましょう」 と、猟兵軍監殿。
「貴族の勤めとは言え、マロンが離れねば成らぬは、ちと不安でも有るな。 しっかり勤めて参れ」
と、モルガンアレント子爵様。
卒業と同時にフェベルナの地に帰る事は、皆の中では決定事項。 やるべき事柄を胸に、一年間の学院生活を恙なく収める事をお約束したの。 ええ、必ず帰って来るわ。 そうね、せっかく中央の貴族様や高位の方々ともお会いする機会を戴いたのですから……
誰か、そう何方か、農政や農事に見識の深き方を、この恵少ないフェベルナの地に、お誘い出来ればいいなぁ って、心の中で思った事は、皆には内緒。
春の樹華が咲き乱れる事、領都の御邸に向かう。 準備期間も必要だったからね。 そして、領都の御邸に戻った私に、トンデモないお話が来ていたのは…… 予想も予測も出来なかった事だったわ。
領都の御邸に着いて早々、辺境伯様の執務室に呼ばれたの。 御義姉様も同席されていたわ。 旅装…… と云うよりも、何時もの私の姿のまま、執務室に伺候したの。
いつもの姿…… そう、年頃の令嬢とかけ離れた、特任遊撃猟兵団の指揮官、そして、「龍爵」である為に必要な、軽装甲猟兵の増加強化甲冑に、符呪付きの白い腰部布鎧を腰から降ろし、マント代わりの肩部布鎧を着用していたのよ。
いつも通り、御義姉様は息を飲み、大兄様は苦笑と共に私を迎え入れてくれたの。 其処は、武人と淑女を重ねて纏め上げた私だったからね。 少しでもお母様に近寄りたくて、装備装具を真似してみたの。 御領の皆もそれが良いって、そう仰って下さったしね。
……そして始まる、予期せぬ言葉。 紡がれる言葉に理解が追い付かず、暫し呆然とした後、絞り出すかの様に私は言葉を紡ぐ。
「は? 今なんと?」
物凄く渋い表情の大兄様が、嫌々 口にされた言葉は信じられなくて…… 思わず聞き返してしまったの。 混乱と衝撃が大きかったのね。 突然、魔鬼の集団に出くわしたようなモノよ。
「『マロンに縁談が来た』と言った。 王都、王家の重鎮。 宰相家の三男坊が御相手だそうだ」
「えっ? な、なに故で御座いましょうか? 私はフェベルナの地に『棲まう者』なのですよ?」
「あぁ、判っている。 俺からもそのように伝えはした。 しかし、宰相閣下は西部辺境伯家と縁を結びたい……との事らしい。 父上がそんな阿呆な事を手紙で知らせて来た」
「…………父が …………ですか?」
「あぁ、そうだ。 あの方は、こちらの事情も斟酌せぬ愚か者だが、あちらにも事情があるらしい。 まぁ、何時もの事だ。 嫌ならば、卒業を待って、王都より遁走すれいい。 お前がそう成すなら、俺はそれを支持するよ。 マロン、お前の逃げ足ならば、王都の誰も追い付けんしな。 マロンの馬は王宮の厩舎に送り届ける算段は付いている。 ゴブリットに感謝だな。 アレはその辺に顔が効く」
冗句とは思えない、真っ直ぐな目をこちらに向けられた大兄様。 御義姉様、諫めなくては、本気にしますよ、と目でそう問えば、御義姉様は何も言わずに首を横に振るだけ…… あぁ…… そう云う事か。 これは、お父様の肝煎では無く、もっと高位の方々の思惑であるという事ね。
「大兄様…… しかし、わたくしが選ばれた理由が判りかねます」
「…………此処だけの話、末の妹エステーナと、第三王子の縁が結ばれそうなのだと…… それを聞きつけた宰相閣下が、王家との繋がりを欲したらしい…… だ、そうだ…… 全く、王都の連中は何を考えているのやら…… 「フェベルナの戦乙女」を、なんだと思っているのか…… あの父上でも、判らぬ訳はあるまいに…………」
「いくらお父様や、宰相閣下がそう望まれても…… この縁は、難しくは御座いませんか? 次女のわたくしとは言え、大兄様に『 龍爵 』の階位を戴いております。 権能的に云えば、辺境各家御領主様の直下……と同じかと? わたくしの『 配 』にと思召されても、必要な知識や能力は特殊ですわよ?」
「それも伝えた。 父は意に介していなかったようだ。 と云うよりも、その『龍爵』と云う” 階位 ”について、ご存知なかったと云うべきか…… 思うに、あの方は辺境伯宗家の生まれでもない。 奥方もそうだ。 長老達の話も聞かぬしな。 こちらの事情については、いささか疎く在られる。 それにだ……」
「はい」
「この縁については、王家もご承認されたと書状にあった。 王家と云うよりも、国王陛下が…… だ、そうだ。 陛下、及び王太子殿下に於かれては、此方の状況は特によくご存知であらせられる。 なにも西方辺境伯だけに限った事では無い。 王家にとって、四方を囲む辺境伯四家は殊の外重要視されておられるのでな。 父上には、その辺りの事がお判りに成っておらぬようだが…… 弟のメイビンを王立学園卒業を以て、近衛兵団に入団させたのも、聞くに…… 陛下の思召しとな。 父上は「西方辺境伯家」に対する首輪だと、そう申されたが、俺の見立ては違う。 西部辺境伯家の者達の忠誠心をメイビンを取り立てる事によって繋ぐ事…… それが、理由と推測される。 陛下は慎重な方なのだろう。 メイビンの後に王立学園に向かったゴブリットにも同じような勧誘があったそうだ。 まぁ、理由は別だがな」
知らなかったわ。 そうなのですか。 ゴブリット兄様はなぜそれをお受けに成らなかったのかしら? 私の眉が寄るのを、目ざとく見つけた大兄様は、苦笑と共に言葉を紡がれたの。
「”王都は気に喰わない” たった一言そう言い残して、王城『謁見の間』を去ったと。 まぁ、主だった貴族家の者達には、不評の嵐だったらしいな。 アレの口下手は、昔からだ。 ちゃんと説明をしない。 それでも王都にて、ゴブリットの見せ付けた能力は、そんな戯言や陰口を叩く者の口を縫い付けて居たそうだがな」
「そうでしたの…… あの……ちい兄様は別として、メイビン兄様はそれで宜しかったのでしょうか?」
「あれは、『辺境の子』では無かったと云う事だ。 王都の生活に強く憧れを持っていた。 王城にて、駈足に上がる階位に気を良くして、自身の力を見誤っているとしか言いようがない。 それにだ」
一旦、言葉を区切られて、強い視線を私に投掛けて来られる大兄様。 其処には強い蔑みと不満の色が見て取れる。
「あいつは辺境を嫌っている。 ” 辺境には何も無い、こんな所に居ても仕方がない ”と…… そう、口にしていたのだ。 西部辺境伯家の人間が、決して口にしては成らぬ、言葉をだッ」
ダンッ と執務机を叩かれる。 年の近しい弟で、小さなころは仲良く遊んでいたと、そう聞いては居たけれど…… ちょっと不思議な感じがするわ。
「マロンには染まって欲しくは無い。 貴族籍の取得と、その他の貴族と交流を通して、横の繋がりを保つため、王立学園には行って貰わねば成らないが、マロンはマロンなのだ。 ゴブリットと同じく、『辺境の子』なのだ」
「それは、勿論に御座いますわ、大兄様。 貴族の娘にしては ”凡庸 ”なわたくしですから、相手の方もきっと気にも留めぬでしょう。 静かに、強かに…… 、で御座いましょうか?」
表情も変えず、特段の感情も顕わさない私に、大兄様は苦笑と共に言葉を下さったの。
「これを使え。 本来ならば継嗣しか使えぬ割符ではあるが、お前ならば上手く使う事が出来よう。 まして、今の俺には女児しか居らぬ。 まぁ、この先『継嗣』が生まれようが、現時点では居ない。 よって、マロンを『仮の継嗣』として、王城に申し上げ、『登録』しておいた。 ゴブリットに、その旨を伝えた時にな…… 物凄い顔で睨まれたが、俺の真意はなんとか伝えられたよ。 お前が王都で困らんようにする為だとな」
差し出される一枚の割符。 黒曜石の細長い板。 王家の『五龍の紋章』の半分が刻み込まれているの。 なんだろう? 見た事も無いその割符を手に、困惑の視線を大兄様に送る。
「王城内、辺境伯家の部屋の鍵とも云うべきモノだ。 その割符を見せれば、王城立ち入りは無制限に許可される。 この割符は、王国の内に八枚ある。 東西南北の各辺境伯家に二枚づつだ。 当主と継嗣に対し、王家より贈られている。 使い処を考えて使うように」
「…………御意に」
大変な物を贈って下さったわねぇ。 王城の立ち入り無制限? とんでも無い『宝物』よね、これ…… 薄っすらと魔力も感知できるしね。 うん、王家の宝物の一つだ、コレ…… 押し頂く様に額に当てる。 何となくだけど、割符から要求されて…… そうした方が良いって感じたから。
何時もは細い目の大兄様の瞼が上がる。
「知っていたのか?」
「何の事にございましょうか?」
「割符への登録の方法だ。 額に押し当て、その当人しか使用できない様に設定される。 辺境伯位に任じられた時に、その事を古老の執事に伝えられたのだが……」
「魔力を帯びておりました故…… そして、その魔力が、” そうする様 ”にと、促していたと…… その様に感じました故に御座います」
「…………マロンは、辺境伯の血脈に他ならぬと云う事か。 資質は俺よりも上と…… 成程な。 ゴブリットが執心するわけだ。 いや、いい。 マロンは、マロンらしくあれば良いと思う、そうであろう」
振り返る先には御義姉様。 そして、少し驚いた表情ではあったものの、鈴を転がす様な声で、御言葉を下さったの。
「マロン。 先の側妻様の大切な愛し子。 その身に強く辺境の者の血を引継ぐ貴女だから、きっと、それは、”当たり前 ”の事なのだと思いますわ。 一年限りとは言え、王都に身を置く貴女に贈る言葉は必要です。 でも、本来ならば、色々とご注意してあげるべきなのかと思うのだけれど、貴女にはきっと、そんな事は無用だと思うのよ。 マロンは、マロンらしくあれば良いと思う旦那様と想いは同じです。 我慢ならない事があったならば、何をおいてもこの御領にお戻りなさい。 王都の者達には指一本、触れさせませんから」
いやいやいや…… おかしいでしょ? それは。 いくら何でも、それは…… まるで、わたしが王都に於いて、余程の状況に追い込まれるって事と同じじゃない? ”追い詰められたら逃げよ” って? もう、訳が判らないわ。
「貴女は御自身について、余りに無頓着だから、この際 お伝えする事が必要だと思います。 旦那様、お気を悪くしないでね」
「…………あぁ」
「マロン。 貴女…… 表情が無いのよ。 嬉しくても、哀しくても、何時も同じなの。 貴方が表情を浮かべるのは、唯一、魔物を屠る時。 それも、淑女とは言えない ” 鬼気 ” を纏って、ゴブリットと同じ凶悪な笑みを浮かべるのよ…… 私が知るのは、魔物討伐の後、この領都に来てその報告をする時の貴女。 戦場の情景を思い浮かべながら、『壮絶な笑み』を浮かべながら、旦那様にご報告する時の貴女なの。 その時以外は、まるで凍り付いたかの様に、表情を変えないの。 これでは、あの学園での時間は辛い物になるわ。 だから……ね」
「御義姉様。 そうですね。 あの日、あの時から私は屈託なく、笑う事が出来なくなりました……。 でも、そんなに表情が無いのですか?」
「ええ、そうよ。 全くね。 周囲の者達が何も言わないのに怒りを覚える程にね。 貴女は、西部辺境伯家の姫様よ? それなのに…… 年相応に笑う事すら出来ない。 ……フェベルナの地の者達には、それが力強く思えるのでしょう。 どんな困難に当たっても、表情を変える事無く、淡々と状況を捌く貴女に、「先の側妻様」の幻影を見ているのかもしれません。 しかし、王都ではそうは行きません。 まして、あの残忍とも捉えられる『笑顔』を浮かべられたらと思うと、心配で心配で……」
「王都には魔物は出ないと、そう、お聞きします。 ならば、その『笑顔』は、出ないのでは?」
「…………そうだと良いのですが。 マロンが時折みせる、茫洋と遠くを見詰め浮かべる笑顔は、貴女を美しく儚く見せます。 何を考えているのかは想像も出来ませんが、出来れば、その表情で過ごすのが良いでしょう」
「御忠告、痛み入ります」
ぼんやりしている時に出る笑顔かぁ…… 思い当る節があるのよね。 民を思い、荒野が金色の野に代わる姿を思い浮かべて居る時の私。 護衛職の猟兵達が、ホッとした感じで ” 良い笑顔ですね ” なんて、言ってたなぁ。 あの表情かぁ…… まぁ、そう仰られるなら、そうなんだろうなぁ……
でも、御義姉様ッ! 表情が無いってッ! 言い方! 内容!
そっかぁ…… ” 思い当たる節 ” ね。 もう、大丈夫だと思っていたけれど…… 案外…… お母様を失った『心の傷』は、癒えては いないって事なんだろうね。
御義姉様には、言い辛い事を云わせてしまった。 御領主様も憮然とされているわ。 ゴブリット兄様も、同じなんだろうなぁ…… はぁ…… 何だろうなぁ、この虚無感。 でも、まぁ、猫かぶりに徹底していれば良いらしいのは理解した。 まして、一年限りだもんね。
あっ、婚約者ッ! アレの対処どうしよう…… 私の表情で、私の思いを察せられた大兄様が言葉を紡がれたの。
「乗り気なのは宰相家の御当主だそうだ。 お忙しい中、色々と陛下に吹き込んだらしい。 国王陛下の御認可もある、つまりは『王命』と取れる。 拒否は出来ない。 御三男の気持ちは、まだ判らない。 しかしまぁ、お前が嫌だと思ったら、直ぐに此方に伝えろ。 いや、相手がどんな対応をするか、逐一報告しろ。 隠すなよ。 情報が遅れれば、対応の時間が狭まる。 魔物戦と同じだ」
「大兄様ったら…… 相手は魔物なんですの?」
「王都の貴族なんぞ、魔物と同じと思っていても差し支えないぞ? 子供でさえ、”貴族的思考”を身に付けている。 悪い意味でだ。 本来の『貴種の義務』を、とうの昔に無くした思考だ。 気を付けろよ。 良いか」
「御忠告、痛み入ります。 心して掛かります」
「うむ…… あちらでは、王立学園の寮に住まう事になる。 マロンは『単年度学生』となるから、必然、『全課程学生』とは違う場所、違う教師、違う校舎にて学ぶ事になる。 弟妹達とは王立学園では会う事も無いだろうな」
「そうなのですか?」
「あぁ、六年学ぶ『全過程学生』と、『単年度学生』とは学舎でさえも違うからな。 なに、其処は心配せずとも良い。 『単年度学生』は、すでに正式に爵位を得た者も多数いる。 さらに、三男以下の者達がその大多数だ。 既に何らかの形で国や家に貢献している者達が、貴族の礼節を学ぶ為という『お題目』で集まり、情報の交換をする場…… それが、王立学園の『単年度学生』と呼ばれる者達の実態だ。 他領の実情を知る良い機会となる。 願わくば、マロンが『友人』と呼べる者を得られれば…… と思う。 マロン。 良いか。 王立学園の『学び舎』は、魑魅魍魎の巣ぞ。 上手く泳げ。 既に「龍爵」としての実績を積んだ、お前ならば、出来ようがな。 まぁ、他にも…… 色々と有るが、マロンがマロンらしくしていれば良いのだ」
「ご期待に添うように努力いたします」
なにやらトンデモない事ばかり仰られる御領主様夫妻に、機動猟兵式の礼を捧げ、執務室を出る事になった。 その時の大兄様のニヤリとした顔といったらもう…… 御義姉様は、手を額に当て、首を横に振っておいでに成ったわ。
まだ、王都に向かうには早い頃だったから、領都の御邸で、令嬢(仮)の欺瞞を纏う練習もしたのよ。
―――― ええ、練習をね。
遠くに紅い陽が落ちつつある金色の野を幻視する。 茫洋とした表情を常とする為にね。 久しく着ていなかった、ドレスを纏い、ゆっくりと優雅そうに動くのにも、練習が必要だったのよ。 投げ捨てていた淑女教育を 最短 且つ 色々と重点的 に、習得しなきゃ、王都での生活に困るって云われたからねぇ……
大急ぎで準備を整え、大兄様ご夫妻に見送られつつ、領都の御邸を出たのは、最後の春の花が散り始めた頃。
もうすぐ初夏を迎え、大地が緑に覆われる頃。
西部辺境伯家の馬車に揺られ、私は一路、王都を目指す二週間の旅に出たのよ。
シェス王国史 : 九〇〇年 西方辺境域報告書より抜粋。 §250 118-120
西部辺境伯家 次女 マロン=モルガンルース、シェス王国 王都、王立学園に単年度学生として入学。 王命により、宰相ガスビル侯爵が三男 フレデリック=テュル=ガスビル従子爵との婚約成立。
―――参考、考察文献より
西部辺境伯家の次女 マロン=モルガンルース について、この頃の参考文献は僅少。 西方辺境域報告書に記載される、マロン=モルガンルースの名は、§250 118-120にのみに存在する。 貴族の子女であり、次女と云う事で、王国学園の『単年度学生』として、王都に向かったものと思われる。
この時期の西方辺境域報告書の記載事項に於いて、西方辺境伯領、南西部『フェベルナ』の記載事項に比べ、彼女についての記載の少なさから、西部辺境伯家に於いても重要視されていなかった家人と推察される。
この頃の貴族家に於いて、長女以外の女児の生活は、大家であっても不遇であったとしか表現できない。 彼女も又、西部辺境伯家に於いて、婚姻要員、政略要員としての役割を与えられていた者であると推測される。
宰相職を代々受け継いでいた、ガスビル侯爵家との婚姻であり、シェス王国の当時の国王、グルムト=ファス=ドラゴニアス=デ=フラーシェスが、勅命を発している事実を以て、王家の思惑が有ったと、そう結論付けられる。
余談では有るが、当時の国王と辺境伯家の関係性については、様々な考察が成されており、一説には王家に於いて辺境伯家間のバランスを取る為に、勅命を発したとある。
マロン=モルガンルースとフレデリック=テュル=ガスビル従子爵との婚約は、高度に政治的なモノであったと、諸説ある考察の中で『唯一』一致した意見であることを、ここに明記して置く。