24話 大人げない人達。 家族としての最後の情。 決別するは、過去の自分。 そして、向かうは、未来への道。 前を向いて、私は私の道を行くのだ。
――― 慶びの告知に沸くカメリアの大広間。
リリーア殿下とちい兄様の御婚約発表は、大変好意的に受け入れられたわ。 大いなる災いを回避出来、気持ちが高揚した『選別された貴種』の方々にとっては、シェス王国の未来に『明るい兆し』が訪れた様に見えたようね。
舞踏会の音楽が流れる。 幾つものワルツが奏でられるわ。 ちい兄様と、リリーア殿下のスタートダンスに続き、国王陛下と王妃殿下のダンスが始まる。 王太子殿下も王太子妃殿下の手を取り、大広間に降りられる。 各辺境伯当主の方々も奥方様の手を、そして、三夫人様方も彼女達の『配』の手を、取られるわ。
そして、大広間は幾つもの花が咲いたように、上位も下位も無く集う貴族の方々で埋まって行ったの。 私は…… まぁね。 この姿でしょ。 誰の手を取る訳も無く、玉座の横の一段低い位置に、突っ立ってたのよ。 ぼんやりと、賑やかな大広間を眺めていたわ。 頬には、例の壮絶な笑みでは無い、ほんのりとした笑みが浮かんでいる。
――― 心穏やかに成ったの。
こんな気持ちに成ったのは、本当に久しぶり。 お母様が亡くなる以前に出来た、微笑みだったのかもしれないわ。 多くの方々の、『視界』に入らない場所から、貴人の女性が近寄ってこられたの。 当然、気配は察知済み。 前触れも無く、突然のお声掛けでも、驚かない。 その御声にちょっぴり懐かしい気がしただけだったわ。
「マロンッ! お兄様の『通達』はどういう意味なのッ! それに、『御父様の ”籍 ”が、生家に戻される』ってどういうことなのよッ! その上、わたくしには、モルガンルースの家名を使うな、ですって!! あれじゃぁ、まるで、絶縁じゃ無いの! それに、お母様までっ! お父様、お母様のお二人の血族も同様にって! 一体、何が起こったのよ、説明なさいッ!」
お姉様だったわ。 目を怒らせて、扇で口元を覆う事も無く、私に猛然と問いかけていらしたの。 『どういう意味』と、問われても私には何も答える事は出来ないわ。 それは、西部辺境伯様の御意思であり、決定。 お父様が辺境伯家より離縁されたのは、御自身の振る舞いが原因。 正統なる西部辺境伯の『 配 』 として、婿に入られたお父様が、いつの間にか西部辺境伯と成っていたのは、それが、辺境領にとって最善と考えられたため。
『 絶縁 』されたのも、それもまた、辺境領にとって最善と考えられたのよ。 そう、正当な西部辺境伯様によってね。 其処に、私の意思など微塵も含まれない。 穿ってみれば、その意思決定に於いて、私は敢えて隔離されていたとも言える。 私が介在していれば、きっと……
――― こんな苛烈な判断を下させはしなかったもの。
だって、曲りなりも家族でしょ? たとえ嫌われていたとしても、弟妹にも、キチンと幸せになって欲しかったしね。 同じ、モルガンルース家の家名を名乗る人達だったから。
でも、もう手遅れなの。 あの子達は、もう、モルガンルースの名を名乗る事は出来なくなった。 西部辺境伯様の御意思で、御父様と御継母様の関係者は全てモルガンルース家から切り離されてしまったの。
「バレンティーノ侯爵夫人。 言葉の意味が判らぬのですか? 西部辺境伯様の御決断と、王国法により、御父様と御継母様は、モルガンルース家から切り離されました。 お二人の間に授かった者達も一緒に。 わたくしは一切関与しておりません。 疑義あらば、直接、西部辺境伯様にお尋ねするが良いかと?」
「な、何よ! それって、どういう事なのッ! 貴方が『龍爵』? どういう事よ。 それに何なのよっ! 『龍爵』って…… 貴族の序列、第三位って…… たかが、辺境伯家の従爵じゃ無かったのッ」
「三年前の悲劇をご存知ないのですか? あぁ、そうでしたね。 バレンティーノ侯爵夫人は、先の側妻様の御葬儀にもご出席に成られていない。 彼の地で何が有ったかも、知ろうとなさいませんでしたものね。 残念です。 お姉様は、『辺境の子』では無かったのです。 それ故、西部辺境領に於ける『龍爵』が意味も、その重要性もご理解頂けていないのでしょう」
「なんなのよ、その物言いはッ! 不遜よ、姉に向かって!! それに、マロンの宰相家との婚約が『白紙』とされるって、どういう事よ。 王命だったはずよ。 なぜ、陛下がそれを白紙にされたのよッ! 御相手は宰相家なのよッ!! 宰相家の御子息なのよッ! マロンにとっては雲上人なのよッ! こんな善き縁談なんて、無いのにっ! バレンティーノ侯爵家にとっても、この上なく善き『縁』なのにッ! それなのに…… マロンッ!! 陛下におすがりして、『婚約の白紙化』の勅、御撤回を願い出なさい! お父様もお母様も、お兄様の御通達に御心を痛め、心労あまりの事に、お倒れになっていらっしゃるのよ!! マロン! なんとかおっしゃい!!」
困惑したわ。 バレンティーノ侯爵夫人の金切り声は、周囲の目を集めているわ。 きっとお父様もお連れになり、私に王命で撤回された婚約を元に戻す様に強要するつもりだったのね。 まぁ、心労と云うか、小胆さ故に、衝撃に心が耐えられなかったのかもね。 お姉様のこの取り乱し様も、王都での『バレンティーノ侯爵夫人』としても地位を護る為の御言葉なんでしょうね。
―――― ハッキリ言えば迷惑そのもの。
私が声を荒立てては、バレンティーノ侯爵家そのものに、御迷惑が掛かる。 既に公示されているから、爵位は私の方が上であり、権能もお姉様を凌駕するわ。 でも、それを前面に押し出すのは、ちょっとね。 爵位を以てお話してしまうと、お姉様の体面は無くなる。 こんな公の場所で、面目を潰す事は、すなわち、バレンティーノ侯爵家の未来に関わる。
本当に困っていると、静々とバレンティーノ翁侯爵夫人、グリモアール様がやってこられた。
そして、私の前で優雅に淑女の礼をされたの。 普通なら驚愕ものよ? 権威あるバレンティーノ翁侯爵夫人が、首を垂れられたんですものね。
「アグリカル龍爵様の御足下にて、拝謁の機会を賜る事、そして、騒がせたる事、感謝と陳謝申し上げます。 願わくば、御言上の御許可を戴きたく存じ上げます」
「龍爵の名に於いて、バレンティーノ翁侯爵夫人に於かれては、御顔を上げて頂きたく、また、直言の御許可を差し上げたく存じます」
「格別のご配慮いただきありがとうございます」
龍爵が正爵となってから、初めてお会いできたのよね、グリモアール夫人とは。 ちゃんと、私の爵位に対して、尊崇の念を以て、相対して下さるの。 敢えて、そんな回りくどいご挨拶を交わしたのは、きっと、お姉様に見せ付ける為。 「龍爵」が、何者かを見せつける為。 少し寂しいけれど、これもまた、王国貴族の常識となっているので、キチンと受け入れなければ成らないわ。
わたし自身、大恩あるグリモアール翁侯爵夫人に対して、こんな言葉を紡がなくては成らない事に、余りにも不遜だとは思ったけれど、シェス王国の貴族秩序を『護る為』の仕儀なんだと云う事が、翁侯爵夫人からヒシヒシと伝わって来るわ。
だから、実直に、矜持ある上位爵位を保持する者として、キチンとお答えしたの。
お姉様が、目を真ん丸にして、私とグリモアール夫人を交互に見詰めていたわ。 私の事をまるで、魔物かなんかを見る、恐怖に彩られた視線でね。 姑であるグリモアール夫人からは、あまり良い評価を受けていないのが、原因なのかしらね。 素敵な方なのに、どうも、距離を置かれていたようね、お姉様は。
「バレンティーノ侯爵家が正夫人の声が高く、この場では人目を引いてしまいました。 ご配慮を頂きたく存じます」
「勿論に御座います。 控えの間に…… 宜しくて、女官様」
近くにいらした、上級王宮女官様に告げる。 静かに、素早く、了承の合図をされ、その場の私達を、控えの小部屋に通して下さったわ。 チラリ視線の端に、幾人かの侍従の方々が走られるのも見えた。 関係各所にご報告かな? お部屋に入ると直ぐに、グリモアール夫人が真摯に頭を下げられ、謝罪の文言を連ねられるの。
グリモアール夫人は、何も悪い事ないのにね。
「バレンティーノ侯爵家の翁侯爵夫人として、アグリカル龍爵様に対し、我が家の正夫人が行った余りにも不敬不遜な態度に謝罪申し上げます。 この不敬に対し、バレンティーノ侯爵家として、どの様な罰をも受け入れる所存に御座います」
「グリモアール夫人…… この場は魔法的に閉鎖された空間と致しました。 他の方々には、この小部屋での会話を伺い知る事は有りません。 それに、先程の事は『姉妹の間』での軽口ですわ。 わたくしは、そう認識しております。 不敬に相当する事は、何も有りませんでした。 妹としては、そう受け止めるべきですし…… 大恩あるグリモアール夫人。 どうぞ、お席に御着きになって」
「マロン嬢…… 有難う…… 貴女の配慮に何と感謝して良いか」
「わたくしが『親愛の念』を抱いている グリモアール夫人が、苦悩される御姿なんて、私にとっては許しがたい事。 グリモアール夫人には、常の通り慈愛深い笑みを浮かべて頂きたく存じます」
「マロン…… そうね…… この場でだけは、以前のままで、居させてくれると云うのね」
「はい、グリモアール夫人。 この場に於いては、マロン=モルガンルースのわたくしで居たいのです」
「…………有難う」
私に促されるまま、夫人は応接のソファに腰を落とされる。 そして、その対面のソファに私が座る。 この部屋付きの王宮女官様が、お茶の用意を始めるの。 お姉様も、お座りに成ろうとした時に、グリモアール夫人の叱責が飛ぶ。
「マルガレート! 貴女に着席の許可は出ていません。 御立ちなさい。 そして、控えなさい。 西部辺境伯家が、『お嬢様』、そして、” アグリカル龍爵様 ”の御前です。 既に御生家との『縁』を切られた貴女は、高々バレンティーノ侯爵家が『妻女』でしか無いのです。 無位無官の貴女の言動は、甚だ無礼です。 騒ぎを起こした事を自覚なさい。 『龍爵』様の権能を振るわば、貴女は、不敬により 『その首を落とされた』 としても、しかたなかった程の事なのです。 この方の御恩情により、貴女が『生きながらえている事』を、理解しなさい」
跳び上がる様に立ち上がり、顔色を真っ青にして、震える足取りでグリモアール夫人の後ろに控えるのよ。 目は怒りに満ちてはいるけれど、流石に翁侯爵夫人の言葉には逆らえない。 翁侯爵夫人が示した、貴族の序列に関しての振舞いも、お姉様の心を深く抉っているのよ。 多分ね。 そうでないと、オトナシク控える訳無いもの。
私は、他家の事だから、何も言えないし、云わない。
盛大な溜息を落とされるグリモアール夫人。 憂慮の色が濃く、そして、幾許かの安堵の色も見える。 仰られる通りなのよ。 既に『龍爵』の爵位が、シェス王国の正爵となる事は公示済み。 そして、その階位もね。 さらに、私は陛下より『アグリカル』公爵家の名跡を継げと、そう申し渡されても居る。
私に視線を合わせられたまま グリモアール夫人は、背後に侍るお姉様に言葉を紡がれるの。 静かに威厳たっぷりにね。 それは、それは、恐ろし気な御声でね。
「西部辺境伯様の御判断により、アルフレード=ベンハム卿は、西部辺境伯家より絶縁されました。 その妻、及び、間に成した『子と共に』です。 そして、マルガレートの生家は西部辺境伯家の御連枝から外されました。 貴女の生家が西部辺境伯家である事実により、わたくしは貴方に対し、今まで『何も』言わなかった。 家格が遥か上位の御家柄でしたからね。 しかし、今は違う。 これまでの通り、バレンティーノ侯爵家の妻女として、傍若無人に振舞う事は許しません。 貴女にはバレンティーノ侯爵家の妻女としての才覚も、覚悟も、矜持も何もありません。 よって、前侯爵夫人である わたくしが、これから貴女を再教育せねば成らなくなりました。 貴族が矜持が何を意味するか、侯爵が妻が何を成さねば成らないか、貴方には身を以て理解してもらわねば成らないでしょう。 さしあたり、王国史を精読し王国の成り立ちをしっかりと理解する事から始めねばなりません。 もう、夜会も茶会も頻繁には行う事は許しません。 領民から預かる金穀を、無駄にするわけには行かないのです。 基本的な再教育が終わらば、領地に於いてバレンティーノ侯爵の側で、領民領地の安寧に尽くす事とあい成りましょう。 王都にも、住まう事は、今後、叶わぬと思いなさい」
うわぁ…… キツイね、うん、相当にキツイと思う。 だって、お姉様は王都に住む事を何よりも大切に思われているもの。 憧れの王都暮らしが、グリモアール夫人の言葉によって、粉々になってしまったわ。 青い顔色が、さらに青くなっていくのが見えたの。 倒れるかな?
「この様な事で、気を失う様な軟弱な者に、バレンティーノ侯爵家を託すことはできませんよ、マルガレート。 貴女の肩に、幾千、幾万の領民の命が掛かっている事を理解なさい。 その一つ一つの命の重さは、貴女の命の重さと同等なのだと、理解なさい。 他の者の命を預かる重さを、理解なさい。 その重圧に比べれば、わたくしの言葉などで、倒れるような無様は出来ぬ筈。 また、倒れる様な愚かな者に、建国以来の連綿と継承されしバレンティーノ侯爵家の妻女の『役割』は出来はしません。 良いですね」
退路を断ったわ、グリモアール夫人。 矜持高き方だな。 領地を愛し、領民を慈しむ、そんな為人が、垣間見えるもの。 フラフラになりながらも、なんとか立っているマルガレート姉様。 私を見詰めながら、淡々と言葉を紡がれたグリモアール夫人。 微かに頷かれるの見て、一つ理解できたことが有った。
なぜ、お姉様の行動や言行を今まで、容認されてこられたのか。 何故、バレンティーノ侯爵家で逼迫されているように、奥の間でしか生活されてこなかったのか。 何故、アントン君に対して、グリモアール夫人が自ら御教育されていたか。 ……合点が行ったの。
お姉様が西部辺境伯家から嫁いだからだったのね。
グリモアール夫人からしたら、侯爵家よりも上位…… それも、王家に並ぶ家格の家からの御輿入れ。 成程、何も言えないわよね。 だけど、マルガレート姉様は、辺境伯家の長女であるにも関わらず、領民や領政に無関心。 内心、忸怩たる思いを抱えてらしたのね。 ……なるほどね。 それで、『再教育』と云う訳ね。 私も小さく頷いたわ。 そんな私を、慈愛深く微笑んで見詰められているの。
名残惜しそうに、この時間を『誰にも』邪魔されたく無さそうに……
外周の通路に面した扉にノックの音が響く。 侍従様のお声が扉の向こう側から、届けられる。
「アグリカル龍爵様。 バレンティーノ侯爵、及び 随伴者三名。 入室を願われております」
「入室を許可します。 お入り戴いて結構です」
「御意」
扉が開くと、飛び込む様に四人の人影。 バレンティーノ侯爵様、後ろにフリオと、エステーナ。 何故か、フレデリック=テュル=ガスビル子爵様まで居られたの。 私が何も言えない…… いえ、関わってはいけない人達が、団体で訪れたの。 随伴者って、あやふやな事を言った、侍従様を一睨みして置いたわ。
”ヒゥ ”
情けない声を上げる侍従様。 バレンティーノ侯爵様に脅されたの? それとも、ガスビル子爵様? まぁ、王城の中での力関係だから、とやかくは言えないけれどもね。
「あぁ、マロン殿。 話は聞かせて貰っている。 ガスビル卿の御子息との、婚約を陛下に破棄されたとは、なんとも悲しい事では無いですか。 バレンティーノ侯爵家の当主たるわたくしが、陛下に言上申し上げ、あのような無体な宣下を撤回して頂ける様、申し上げましょう」
「バレンティーノ侯爵。 必要御座いません。 どう誤解されておられるのかは、判りませんが、婚約の白紙化はわたくしが望んだ事。 陛下に於かれては、条件を提示され、その条件が満たされた場合にのみ、婚約の白紙化をお認め頂けるとの事でした。 そして、婚約は白紙化された。 つまり、陛下の御出しに成られた条件は満たされたと云う事です。 このお話は、もう終わった事。 陛下の御決断を蔑ろにする言上はすべきでは御座いません」
「な、なにを仰られる。 西部辺境伯家に於いても、これ程のお話は……」
黙って聞いておられたグリモアール翁侯爵夫人が、強い声色で侯爵閣下の話を遮られるの。 断固とした冷たい声でね。
「不敬です。 控えなさい。 アグリカル龍爵様の御前に於いて、挨拶も無くひたすら無様な言葉を吐く。 バレンティーノ侯爵家の当主ともあろう者が、その様な愚かな真似をするとは、先祖の御霊になんとお詫びしてよいやら。 礼を尽くし、控えなさい」
グリモアール夫人の言葉に鼻白み、一旦は口を閉じられたバレンティーノ侯爵様。 でもね、弁えない人っているのよ。 そう、背後の三人。 私の弟妹とガスビル子爵ね。 後の無い彼等にとっては、私が『上位者に願う』と云う形で、どうにかその地位を護りたいと云う思いが、ありありと伺える『言い訳』の数々を口にされる。
謝罪の言葉は一言たりも無かったのが…… 悲しかった。
でもね、私の耳には届いたと、認識されてはいけない。 聴いてもいけない。 反応する事さえ、許されない。 まるっきり、無視するような形になっているの。 だってねぇ…… 私は『誓約』を結んだ身なのよ。 王太子殿下の御言葉で、今年の『全過程学生』の卒業者の卒業は白紙となり、その方は『留年』が決定しているの。
つまり、この方々は皆さん『全過程学生』。
私が関わると、私の命が失われるのよ。 フェベルナの地に戻る直前にね。 あり得ないわ。 だから、聞こえない事にしていたの。 関わる気は無いと、無言の意思表示なのよ。 グリモアール夫人は、その事を良く理解されているわ。 だから当然の如く、出されたお茶を飲みつつ、彼等を居ないモノとして扱ってらっしゃる。
そんな私達の態度を見て、何を思ったのか、声を上げるのは バレンティーノ侯爵とお姉様。
「マロンッ! 非礼でしょう! このように話をされようとしているガスビル子爵、そして、貴女の弟妹に対し、その態度は何なのです!」
「許しがたく、度し難い。 西部辺境伯が妹と今までは優しく接していたが、これ程、驕慢な娘なのか! 蛮地が主は、やはり、野蛮な為人 なのだなッ!」
激昂するお二人。 流石にグリモアール夫人も、顔色を無くしたの。 これは、どういい繕っても不敬ね。 私の方を見つつ、困惑と悔恨の表情を浮かべられているわ。 私が何を口にするか…… 私の口元に意識を集中されている。
はぁ…… コレだから、王都の貴族様は面倒なのよ。
己が信念や正義が正当なモノであると、疑いもしない。 感情が揺れる。 私の内なる『鬼気』がゆらりと蠢いたの。 言葉にすれば簡単な事なんだけど、それを云うには、余りにも、余りにもグリモアール夫人が不憫。 どうしようかと思いあぐねていると、私にとっては優し気な気配が、するりとこの小部屋に入って来た。
「卿は、何を言っている? 我が妹の命を狙うか? そこに居る愚物三人、早々に立ち去れ。 お前たちがこの部屋にいる限り、アグリカル龍爵の『命の危機』は去らぬ。 それすら判らぬのか? 愚か者どもめ、去れ。 バレンティーノ侯爵。 先程からの不敬の言。 アグリカル龍爵が口を開かば、貴方の立場など、風の前の塵芥と同じであるのが、理解出来ぬのか? 古き血の一族の矜持と誇りは、それ程、劣化していたのか?」
重く、冷たいゴブリット兄様の声が控えの小部屋に広がる。 それまで姦しく囀っていた三人の『全過程学生』達は言葉を失い、硬く硬く固まる。 小部屋の中に入ってこられた気配は二つ。 兄様の御側にリリーア殿下の御姿もあったわ。 そして、ちい兄様の言葉に続き、リリーア殿下も言葉を紡ぐ。
「建国以来の御家柄のバレンティーノ侯爵家も落ちたモノ…… グリモアール賢夫人の心労、思い遣られます。 これは、幾つかの処断が必要でしょう。 陛下、王太子殿下に、ご相談申し上げねば」
軽やかな声で、断罪の言葉を紡がれるリリーア殿下。 グリモアール夫人の苦悩や悔恨まで、キチンと汲み取られている言葉に、私はとても心が温かくなった。 私は、ソファから立ち上がり、淑女の礼を取る。 対面に座られていたグリモアール夫人も又 同じような所作で、お二人を迎える。
言葉の意味に気が付いたバレンティーノ侯爵様とお姉様の顔色は、それこそ青から白に、そして土気色にまで変わる。 そうね、当主の地位を剥奪するぞって、脅されたのも同義なんだものね。 ガクガクと震えて、崩れ落ちた。 まぁ…… 仕方ないか。 弟妹や、元婚約者様は、お部屋に居た侍従により、廊下に放り出されて行ったわ。 極めてぞんざいにね。 ああいった扱いは受けてこなかったから、放心状態だったのは、ちょっと可哀想だった。
せめて…… 真摯に謝罪を口にすれば、ゴブリット兄様も、あれ程苛烈には対処されなかった筈よ。 だって、あの子達だって、可愛い弟妹なんだもの……
「マロン。 一人にして済まなかった。 グリモアール夫人、マロンが側に立って貰い、恐悦至極。 ……今後も、マロンにとって、良き話し相手となって貰いたい。 宜しいかな?」
「御意に」
「そこな、有象無象に関しては、我らが何とかしよう。 マロン、お前は特別室に戻るがいい。 このままでは、おかしな奴らが押し寄せんでもない。 王宮侍従は、高位の者達には逆らえないからな。 特別室は別だ。 あそこならば、此方が許可せぬ者は回廊にすら入れぬし、部屋付きの者達も王家近くの者達であるから、問題は無かろう。 さぁ、お帰り。 フェベルナに帰郷するのは明日であろう? その前に、会わせておきたい者もいる。 今時分ならば、既に招き入れられて居る筈だ。 バレンティーノ翁侯爵夫人、お名前を呼ぶ礼を失した事、お詫び申し上げる。 これの兄として、親愛の証だと思って頂ければ、幸いである」
「勿体なく。 どうぞ、グリモアールと御呼び下さい。 地に落ちたバレンティーノ侯爵家の家名より、誇りあるグリモアールの名で呼ばれる事を誇りと感じます故」
「有難く。 我が妹、マロンに対する、グリモアール夫人が鞭撻と真心はしかと届いているので、バレンティーノ侯爵家の事については安堵めされ。 そして、なによりも、マロンと友誼を結んで頂いた事、感謝に堪えない。 誠、有難く思う。 私が言葉は、西部辺境伯が言葉、さらに、西部辺境域に於ける全ての者達が想い。 受け取って頂けるか?」
「有難く。 有難く…… 存じます」
「さぁ、マロン。 行くがいい。 『西方飛龍』には、棲まうべき場所が有るのだからな」
「ちい兄様…… 有難う」
淑女の礼を解いて、その小部屋を去るの。 ええ、大広間に続く扉が開かれているわ。 陛下、そして、王太子殿下に退出の御許可を戴かねば成らないしね。 扉の近くまで行って、小さく振り返る。 優し気な目をして送り出して下さるのは、ちい兄様、リリーア殿下、そして、グリモアール夫人。
あの人達は…… 床に膝を付かされ、首を深く垂れ『臣下の礼』を、『リリーア殿下』と『ちい兄様』に捧げていたわ。
あぁ、その程度は節度を持っていたのか。 よかった…… じゃぁね。 もう二度と、あなた方とは会わないだろうけど、此れからも幸あらん事を。
小さく胸の前に祝福の印紋を切り、控えの部屋を後にしたの。
:シェス王国 王国学院大学 史学研究室 コーデリア=M=モルガンアレント、研究の為の覚書
「王国秘宝展。 『西部辺境伯かく戦えり』」に、出向く。
通常の入り口から入り、教授から頂いたチケットを見せると、係員がちょっと戸惑われた。 会場には入れたけれど、何だったのだろうと、そう不審に思っていた。
歴代の西部辺境伯の事績を評する数々の展示物。 辺境領の御領に伝えれれる宝物の数々は、とても興味深く、それら宝物が実際に人の手によって扱われていた時の事を思うと、歴史家としては、なんとも言えない心躍る思いが浮かび上がる。
会場には、相当量の展示物も有り、それを観覧する人々も又多い。 一所で時間を費やしても、全てを見回れなく可能性もあり、私の後ろに居た方に席を譲り、次々と展示物を観覧して行った。 その豪華絢爛たる展示物に圧倒されかかり、途中の休憩施設で一息をいれた。
カフェの紙コップからは、芳醇な香りのする薬草茶。 これもまた、西部辺境伯領の特産品だった。 ただし、とても苦い。 身体にも良く、覚醒効果もあるこの薬草茶は、子供の頃は苦手だった。 そんな事を考え乍ら、熱気に包まれている会場の雰囲気にかなり消耗していたのだと思う。
学芸員の方が一人、こちらに来られた。 私の名を家名を口にされ、チケットが特別なモノであったと、そうお知らせくださった。 なんでも、特別な方々にのみ、解放される、閲覧制限の会場の入場券にも成っていたと云う。
流石は教授だなと、嬉しく思った。
学芸員の先導で、メインの順路から離れ、立哨が立っている扉を抜ける。 細い廊下に魔法灯の青白い光が続き、その雰囲気に異様なモノを感じてしまった。 学芸員の方は迷いなく幾つかも角を曲がり、やがて、小展示室とも云える場所に到着した。
立ち並ぶのは、甲冑の数々。 西部辺境伯家の『三つ首龍』の紋章が刻み込まれたモノや、歴代の御当主様方の甲冑も並んでいた。 目を引いたのは、年代順に並んだその甲冑群の、ごく初期の頃の物。 三つの甲冑が立ち並んでいた。
そのうち二つは大きく煌びやかな「儀礼装甲」 胸の追加装甲に紋章が刻まれているけれど、それも、今とは違う物。 何処にも『三つ首龍』の紋章は無く。 他の辺境伯家と同じ『一つ首龍』の紋章。 そして、『伏す龍の紋章』 まさしく、これは私の調べていた時代の西部辺境伯ハロルド卿の物と、龍爵ヘーゲン卿であるゴブリット卿の物だった。
では、この小さな騎馬猟兵の指揮官の鎧は? この紋章は…… 知らない。 空を飛ぶ龍の紋章。 その口に麦の穂を咥えている…… じっくりとその甲冑を見る。 厚手のスカートアーマー。 肩布も付随している。 指揮官職の鎧と呼ばれている『形』ではあったけれど、なにか違う。
余りにも、その佇まい、その小ささに違和感を覚え…… そして天啓を得る。
「これは、マロン=モルガンルース様の甲冑? なぜ? あの方は猟兵団に所属なんてしてなかった筈よ? それに、この紋章…… 西方飛龍……なの? やはり……」
私は、傍らに佇む学芸員の方に声をかけた。 確かめねば成らない。 今、この日、この場しか、その機会は無い。 天啓を得、高速で組み上がる仮説。 その証拠となるべきモノが存在するならば、この展示会に於いて、何処かに展示してある筈。
その根拠は目の前にある、三つの鎧。 西部辺境伯様の儀礼装甲を中心に、左右に存在するこの儀礼装甲の存在が、わたしに囁くの。 隠された真実は、もう私の手の中にあるのだと。 意を決し、問いかける。
「……あの、すみません」
「はい、何で御座いましょうか?」
「この甲冑以外にも、もしや、正龍爵様の儀礼甲冑がございますか? ええ、この指揮官職の甲冑を着用された方の別の鎧。 本来、正式な場所で着用されたであろう、『龍爵様の儀礼甲冑』が…… 言い換えるならば、”アグリカル龍爵様 ”の、『儀礼甲冑』が、存在するのではないのでしょうか?」
学芸員の方は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべられ、そして、言葉を紡がれる。
「断片的な情報を組上げ、アグリカル龍爵に辿り着きましたか。 十年に一度は出て来るのですよ、貴女の様な方が。 史学科の助教であり、モルガンアレント家のお嬢様に御座いましたね。 さもありなんと云うべきか、アグリカル龍爵様の御血筋なので御座いましょうな。
ええ、御座います。 アグリカル龍爵様の御着用になられた、儀礼装甲は、確かに御座います。
今、それを展示している小展示室には、やんごとなき身分の方が居られます。 貴女が、御自身の意思で『その部屋』に入られ、御自身の眼で『真実』を欲せらるならば、貴女の積み上げた全てのキャリアを投げうたねばなりません。 それでも尚、真実を見たいと欲せられますか?」
えっ? い、いや、今なんて? キャリアと引き換えに? つまり、見たり聞いたりした事は、発表できないって事? 歴史を学ぶ者として、全てを投げうたねばならないの?
沈黙の中、様々な思いが駆け巡る。 でも…… でも…… 私は知りたい。 マロン=モルガンルースが何者で、何を成したかと云う「真実」を知りたい。
「お願い、申し上げます」
「よろしい。 ならば、貴女は、我らが仲間になるでしょう。 暗闇の御年間を読み解ける者は、情報戦に於いて王国に献身を捧げねばならぬのです。 男女の区別は其処には有りません。 さらに、爵位も必要とはしません。 ようこそ、王立諜報局 戦略情報分析室へ。 王立学園大学、史学科の教授より推薦が御座いました。 その推薦を受け、王太子殿下がお待ちです。 『暗闇の五年間』の真実は、貴女にとっての褒賞となり、対価となり、貴女の献身の糧となるでしょうね」
不穏な言葉の数々。 でも、それでも、私は、突き動かされる様に、学芸員の方の後に続き、その展示室の更に奥にある、小さな展示室に足を向ける事になった。
わたしに許された『覚書』は、ここまでしか書けない。
これ以上の記録は、私の心臓を掴み破る。 何があの『暗闇の五年間』にあったのか。 そして、マロン=モルガンルースが何者で何を成したか。 その手掛かりのみを残しておく。 また、いつか…… 私のたどった道を辿り、真実を手にする者が現れる事を願いつつ、この覚書を終える。




