1話 なんの覚悟も出来ていなかった頃の私
産れたのは辺境の地。 西部辺境伯爵家 モルガンルース辺境伯の次女として生を受けたの。
両親はこの地を納める貴族で、御家は代々、国王陛下より辺境伯の爵位を賜っていたの。
両親が治める御領は…… 西部辺境の特殊事情に晒されていてね、常にシェス王国西部に広がる『西の魔物の森』からの強い脅威を受けているのよ。 この領を治める者はすべからく、命を賭して王国の安全を守る要とも云える土地柄なの。
万が一、『西の魔物の森』が溢れ、魔物達が狂暴化したまま東進してしまえば、シェス王国に甚大な被害が出るの。 王国建立の昔から、私達モルガンルース家の『使命』は、この『西の魔物の森』の脅威からシェス王国を護る事に有ったの。
だから、この領を護り、以て王国を護る人材を得る事は何よりも重要視されていたわ。 強烈にその『使命』とも云える ”モノ” を、受け継ぐ意思を持つ者を…… 切望されるのよ。 特に、この領の殿方はね。 領民達も皆、早くから家庭を持ち、次代を産み育て、堅固な人の砦と成るのよ。
昔から御領の多くの人が云うわ、『人は石垣、人は砦』 ってね。
この辺境を治める西部辺境伯宗家は、その意思が特に強く継承されているの。 現在の御当主である大兄様は、正にそんな感じ。 大兄様が、『娘達』に恵まれたのは、愛情深いだけでは無いって事なのよね。 でも、他家の御当主様方のように ”妻以外の人 ”に愛情を移したりはしないのが、大兄様の美点であり、欠点なのかもしれないわ。 御領の皆様は、御嫡子の誕生を待ち望んでいるんですもの。
側妻を娶らない大兄様。 貴族社会では、当主としては、それもどうかと言われているけれど、女の私からしたらとても、嬉しい事なのよね。 当然、御義姉様も大兄様のお気持ちを嬉しく思っておられるご様子だから、なにもいう事は無いわ。 とても一途な方なのよ、大兄様は。 強面で、笑っている顔など妹の私でも、あまり見た事無いけれどね。
御義姉様は十六歳で我が家である、モルガンルース辺境伯爵家に嫁いで来られた。 西部辺境領と本領の間にある、アレステナ伯爵の末の御令嬢であった御義姉様。 とても美しい姫と、アレステナ伯爵領では有名な方だったのよ。 御義姉様は、王立学園の『単年度学生』を、優秀な成績で ご卒業されて直ぐに、御輿入れ下さったわ。
私が御義姉様を尊敬の目で見つめる度に、微笑みと共に仰られたわ。
”王都ではもっと素敵な方がいらっしゃるわよ ”ってね。
けれど、私から見れば、とても美しく凛とされて、素敵な方なのよ。 御義姉様は女性の中でも小柄な方なの。 大兄様とお並びに成ると、肩にも届かない程の身の丈。 夫婦と云うよりも、親子って云っても、誰も不思議には思わない程にね。 でも、今では、御義姉様の存在感は大兄様と変わりない程の、『 堂々たる西部辺境伯夫人 』 なのよ。
” 残念令嬢 ”って、陰で言われる私とは大違いなの……
――― 私の憧れだったのよ ―――
お父様は…… ちょっとね。 いろんな意味で蟠りがあるのよ。 私にとっては、お父様なんだけどね。
今は亡き、大兄様のお母様である正妻様が辺境伯爵家の一粒種と云う事で、大切に育てられておられたけれど、御身体が弱くてね。 お爺様が厳選し、配にと思召しに成ったのが、先の御当主様であるお父様。 間に、大兄様が、生まれた時、残念な事に産後の肥立ちの悪さから正妻様は、お亡くなりに成ったの。
辺境伯家の譜代の方々から、後添えが望まれたわ。 大兄様 一人きりの子供では、辺境伯家の行く末がとても不安定になるから…… なのよね。 よく理解している。 それが、この地を治める西部辺境伯家の『在り方』と云うモノなのよ。
王都、王家との繋がりも考慮に入れられ、王都の有力なお家から、義母様が御輿入れに成ったの。 と同時に、辺境領の有力な御連枝のお家から、側妻様も御輿入れに成ったのよ。 辺境伯家の特殊事情なのよね。 家の存続は元より、その血族の数に於いて、民を守護する為に何としても多くの御子を設けなくては成らないから。
お爺様も…… かなり苦悩しておいでだったと聞いたわ。 西部辺境伯家の血の継承から云うと…… ね。 でも、それは仕方のない事。 貴族の家の存続と、辺境の地の安寧の為には、無くては成らない事だったんだもの。
幸いな事に、お父様は正妻様を愛していらっしゃった。 そして、後妻として迎えられた御継義母様の事も又、お父様は大切に為されたわ。 側妻様もまた…… まぁ…… そうね…… 西部辺境に根差す、御連枝一同の強い想いから、『義務として』愛してらした…… のかしら?
当然の帰結ながら、御成婚から程なくして、御継母様に長姉が生まれ、さらに次の年に次兄が…… そして、次の年に 側妻様に三兄が誕生になったの。
ちい兄様誕生から三年後、側妻様の胎に私が宿り、そしてこの世に生を受けたの。
更にね…… 三年後、私の下に双子の弟妹が生まれたわ。
総勢で、十人家族。 お父様、お義母様、側妻様、兄が三人、姉が一人、私。 そして、弟妹が二人。
とても賑やかな家になったのよ。 ハロルド兄様は、文武両道に育ち、今ではお父様の後を継ぎ、この辺境伯領の御当主様と成っているし、メイビン兄様は、王立学園卒業後、王都で近衛兵団に入団。経験を積み、国王陛下の側に王都守護司令官として職を拝受している。
メイビン兄様が、王都にて職を授けられた事について、”メイビンは、何を考えているのか。 辺境領に帰領すべきではないのか ”って、問い質された時に、お父様は大兄様に云われたわ。
”まぁ、辺境伯家に付ける『首輪』の様なモノさ ”
ってね。 ハロルド兄様は、そのお父様の御言葉を聞き入れられたけれど、決して納得はされて居ない。 それは、大兄様の御顔を見れば、判る事なのよね。 そう、とっても剣呑な表情を浮かべられていたんですもね。
聡明なマルガレート姉さまは、王都での学園生活中に、本領の侯爵家の御子息に見初められて学園をご卒業に成った直後に御嫁入されたのよ。 バレンティーノ侯爵家よ。 凄いのよ。 王宮にも顔が効く侯爵位第三位の高位侯爵家なんだもの。
バレンティーノ侯爵のお家は、御婚姻から一年後には、御継嗣が誕生したの。 良かったわ。 早々に逢いたかったけれど、辺境領と本領はかなりの距離が有るし、それなりに気も使うから、いずれお披露目に来て下さることを期待して待っていたのよね。
まぁ、お越しに成る事は無かったけれど……
あぁ、下の弟妹である、フリオとエステーナは既にお逢いしている。 だって、フリオとエステーナは、大姉様の嫁ぎ先である、バレンティーノ侯爵家の援助で王立学園に在籍しているのだもの。 住まいは王立学園の寮だけど、王都での身元保証はバレンティーノ侯爵様が立たれているわ。
学園のお休みも、遠い辺境領には帰らずにマルガレート姉様の嫁ぎ先であるバレンティーノ侯爵様の王都の御邸に滞在する様になったわ。 二人の弟妹は、聡明で機転も利いて、如才ないんだもの。 バレンティーノ侯爵様の後ろ盾って、とても有難い事なのよね。 だって、『特別な事情』によって、王都に辺境伯爵家のタウンハウスは無いんですもの。
でも、ほら、弟のフリオは学園卒業後は、王都で、”文官”を選ぶって云っているし、お父様もその御積りだし、バレンティーノ侯爵様もその件については後押しすらしておられるわ。 その上で、妹のエステーナには御執心だそうよ。 まるで本当の娘の様に接しておられると聞くわ。 妹は、その愛嬌と可愛げで、学園でも引く手あまた。
…………御嫁入先を物色中だったのよ。 その頃はね。
バレンティーノ侯爵様はとても乗り気でね…… 色んなお家…… 王家にすら”お声がけ”していたらしいわ。 エステーナからの、大兄様と御義姉様へのお手紙に、どこそこの公爵家のお茶会に行ったとか、学園で第三王子殿下に御声掛けして貰ったとか、そんな事が沢山綴られていたんですもの。
侯爵家の縁者と云う事で、相当に注目されているらしいわ。 そして弟妹は、御継母様譲りの美貌と、お父様譲りの如才なさで王都の社交界を自由に泳いでいるんだって。 私には…… 無理かな?
大人の人達の色んな思惑が絡んでいるから、結構大変だと思うけど、妹には幸せに成って欲しいと思うのよ。 ええ、其処は間違いなかったわ。 だって、大切な家族であり、”可愛い弟妹 ”なんですものね。
王立学園と云えば…… 十二歳から十八歳に成るまで在籍出来るいわば、貴族子弟の社交の場。 でも、全期間に在籍する必要は無いのよ。 十八歳に成るまでに、最低一年の礼法の講義を受けて修得出来たら、貴族としての体面は保たれるって事になっているらしいわ。 当時は深い所までは理解できていなかったけれども、それくらいは理解していたのよ。
本領以外の貴族の各家…… 出来るだけ全期間を王立学園に子供達を通わせるように努力はするんだけど、そこはやっぱり御継嗣様や箔を付けたい御令嬢…… 主に第一女に力を割かれるのは当然ね。 次男以下の子女は大体、『一年限りの礼法の講義』だけを受けるのよ。
理由は…… 本領以外の辺境域の各家の財政なんかは、まぁ、ねぇ……
農業や林業や畜産を主体とする辺境の経済では、そこまで裕福には暮らせないし、でも本領との繋がりを持つ上では王立学園に在籍するのは必須なのだから、『苦肉の策』なんだろうなって、物心ついた時に理解していたわ。
モルガンルース西部辺境伯家は子沢山になっていたわ。 継嗣である大兄様と、継承権第二位の次兄様は、西部辺境伯家に於いてとても大切だから、当然全期間を学園で過ごす『全過程学生』として学ばれたわ。 お姉さまも同じね。 長女の『責務』って事よ。
でもそこまで。 西部辺境伯家の家政の金庫には、それ以上の積極的な教育資金無いわ。 そんな事に大切な財源を注ぐよりも、領の発展に使うのが順当なんだもの。 多くの本領以外の貴族にとって当然な事なのよね。
残りの弟妹は、最低限度の一年だけの『単年度学生』に成ると決まっていたから、私は、『当然の事』と嘆く事も無くお父様と御義母様にお話を聞いていた事を思い出したわ。
反対に、泣き叫び悲嘆に暮れるのは、弟妹である フリオ と エステーナ。
才気が有って上昇志向が高く、そして王都に強く憧れを持つ二人には、相当堪えた事実でもあるのよね。 二人に大層な愛情を注いでおられた お父様と御継母様は、悲嘆に暮れる二人を慮り、マルガレート姉様に相談を持ち掛けたの。
才多く、将来が期待できるフリオ。 儚げで美しいと、モルガンルース領でも有名になり始めているエステーナ。 この二人の将来を明るい物にするには、モルガンルース辺境伯家の力だけでは、かなり難しいって。 だから、マルガレート姉様を通じ、バレンティーノ侯爵様に『後見』を、願ったそうなのよ。
まぁ……ね。 姉様にぞっこんなバレンティーノ侯爵様は、申し出を受けて下さった。 フリオの才覚もエステーナの美しさもお認めに成って下さったんだと云う事ね。 弟妹は、十二歳に成るとバレンティーノ侯爵家の食客として、王都に向かう事をお約束して下さったわ。
お父様の決定だし、ゴブリッド兄様も、私も、別段気にする様子も無かったわ。 ゴブリット兄様は、領の学校に通いながら領の正規軍である、猟兵団に混ざって鍛練を積んで行ったの。 領主の子弟の ”誰かが ”行かなくてはならない、「魔物の森」に対峙する砦の長となる為の鍛錬を始められたの。
私は……
才覚も無ければ、秀でた美しさも無いし…… 王都にも憧れてもいない。 だって、この御領が好きなのよ。 本当に好きなのよね。 森以外は赤茶けた大地も、吹き渡る風も、誰もが懸命に生きている、何も無いと言われている辺境の領地であろうとも、私にとっては、かけがえのない宝物だったのよ。
それにね、私は…… 領主の娘、貴族の娘ではあるのだけど、御領の民と一緒に育っていったも同じよ。
側妻様であるちい兄様と私の生母様も、それを納得して受け入れておられたの。 と云っても、お母様である側妻様は王都の堅苦しさをよくご存知で、”マァロン、あんな処、ちっとも楽しくは無かったわ ” って、度々、お話して下さっていたわ。
多分…… 生母の違いで、置かれる環境が変わってしまった、私達実子への慰めの言葉だったのかもしれないわ。 それでも、お母様には、精一杯の愛情を以て育てて貰えたのよ。 とてもお忙しかったとしてもね。
でも、まぁ、そんな事情は、民には何の関係も無いし……
あちら側は『それはそれ』と、あまり近しくは…… してくれなかったのよね。 だから私は、ちい兄様の後について歩いていたの。 いくら領主の娘とは言え、半分放置状態に置かれている『貴族の娘』らしくないポンコツ次女だから……
それに、私自身… お母様譲りのしっかりとした女らしく無い顔つきと、小柄で瘦せっぽちだったのも、引っ込み思案になっていた原因でもあるのよ。 領の学校でいじめられたら嫌だったし……。 だから、ちい兄様の存在は、私にとっては守護天使と同義だったわ。
ちい兄様は、側妻様の優し気な表情と、朗らかで誰とでも仲良くできる性格を、お母様のお腹の中に忘れて来た、『極め付けに厳つい顔』 と、『峻厳な性格』の持ち主。 醸す雰囲気はとても貴族の三男とは思えない程の剣呑な ”鬼気 ” を、孕んでらっしゃるのよ。 小さい頃から、御邸の使用人たちをも、たじろがせる程のね。
ひたすらに、ひたすらに、身体を苛め抜いた結果、その辺の岩石を積み上げた様な体躯を持つ、とても十代とは思えない風貌の漢に成ってしまったの。 でも、御心はとても優しいのは、私は知っているの。 三歳下の私が、兄様の後をちょこまかと付いて行っても、嫌な顔一つせずに世話をしてくれたしね。
まぁ、周囲は ”強面の兄様に付きまとう私の方がどうかしている ” ってそう云われたけど…… でも、やっぱり優しくしてくれる人には、懐くものなのよ。
辺境伯位を譲位する前の ”お父様 ”は、御領の政務に、食卓を一緒にする事も出来無い程、御忙しくしておいでだったわ。 御義母様は、まだ小さかった『双子』の面倒を見る事に忙しかったしね。 そんな御義母様の代わりに、側妻様がお父様の手足となり、御領の中を駆けずり回っていらした。
私に、『家族として』、近しく接してくれたのは、大兄様、側妻様 そして、ちい兄様だったのよ。
御領の学校ではね、周りはみんな庶民の子供達だし、どう接していいか判らないって感じだったわね。 成績だってそこそこ、取り立てて優秀という訳でも無く、淑女の教育もお母様が弟妹の世話で忙しかったから、目が行き届いていた訳でも無い。 側妻様は、余りに忙しすぎて、私の『淑女教育』に力を入れる方でも無かったし…… つまりは、おっとりのんびりの辺境の生活を満喫していたって事なのよ。
不器用で ”のろま ”な私は、御領の学校でも結構、いえ、相当に浮いていたわ。
人の感情の動きにも、敏感に反応できなかったしね。 いじめられなかったのは、一重に ちい兄様のお陰。 学校の女の子たちは、女の子らしく裁縫も刺繍も厨房方も、何だってとても上手にしていたわ。
私は…… 一応、辺境伯爵家の次女ってことで、厨房にも入らせてもらえなかったし、ぶきっちょだから、刺繍も裁縫も下手でね……
いつぞやは、御領の学校の課題で刺繍が出されて、一生懸命に『兎の刺繍』をハンカチに施したの。 でも…… 糸の色味とか、刺繍針を突き刺した指から噴き出した血で、色々と残念な結果に終わってね…… 自分じゃ頑張ったつもりだったけど、結果は ” 丙 ” さらに、誰かにお渡しして、その事をきちんと発表しないと、その評価さえ貰えなかったのよ……。
凹みながら御邸に戻り、もう、課題の評価は諦めて、無様な刺繍のハンカチは、隠してしまおうと思っていたの。 そんな時に限って、私の私室の前では普段はあまり会わなくなっていた、ゴブリット兄様と逢ってしまったのよ。 ちい兄様は私が手の中にくしゃくしゃにして持っているハンカチを目聡く見つけ、問いかけられたわ。 本当に、何でこんな微妙な気持ちを抱えて居る時に…… って、その時は思っていたの。
「マロン。 それは何だ?」
「アッ! ちい兄様! な、なんでもありませんわ! 学校の課題の刺繍です。 上手くできなかったから、自分用に……」
「…………何なら、俺が貰っていいか?」
「はい? な、な、何でですか!」
「一応、来年から王都の王立学院に一年間行く事に成る。 マロンの事が少々心配でもある。 身近にマロンを思える物が有ればと思ってな」
「……そ、そうなんですの。 で、では…… コレを。 学業の成就と、ちい兄様のご健康を祈願致します」
そっと差し出す、残念な刺繍のハンカチ。 嬉しそうに受け取る、ゴブリット兄様。 笑っていても、凶悪な御顔立ちだから、笑っているようには見えないんだろうなぁ…… ほら、使用人の方々が、恐々此方を伺ってらっしゃる…… そんな事はいつもの事と、ちい兄様は、ハンカチを広げてじっと見ているの。
「マロン、上手く刺繍できているじゃ無いか。 中々に雄々しい ”伏龍 ” だな」
「えっ?! え、えぇ…… まぁ…… その…… ぅさぎ……なんですけど……」
「なんだ? どう見ても龍だろ? それも、雄々しい『伏龍』だな。 違うのか?」
「ハッ! いえッ、伏龍です! 伏龍の刺繍です!! はい!」
「有難う。 大切にするよ」
伏龍…… って…… それに、言い方! 内容! でも…… 嬉しそうに受け取って下さったちい兄様には感謝よ。 だって、課題には誰かに渡せって有ったんだものね。 これで、大手を振って、課題を完了した事に成ったわッ! 感謝よね。
そんなちい兄様。 私の事を心配してか、小さい頃から私を相手に遊んで下さった。 勿論、私が学校の女の子達から遠巻きにされているのを見かねての事。 けどね、女の子らしい遊びなんて、ちい兄様が出来る訳は無いのよ。
畢竟、ちい兄様の鍛錬に付き合わされる事に成る訳よ。 曲がりなりにも『淑女』たらんと、教育を施されている傍ら、お兄様と一緒に体術鍛練とか、猟兵に交じっての剣術訓練とか…… ぼんやりしていたら、木剣がいつ飛んでくるか判った物じゃない中、一生懸命について行ったの。
体内保有魔力操作に付いても、ちい兄様から教えて貰った。 本来、貴族の女性がそんな事を学ぶ事なんて無いのだけど、この辺境領の特殊事情とやらで、女性でも戦える者は皆『剣』を取り『魔法』を使い ”戦う ”のよ、この西部辺境域ではね。 そんな事情もまた、お兄様は教えて下さったの。
そして、実戦に耐えうる魔法の鍛錬もまた…………
魔力を身体に纏って、通常よりも強固な耐久力を得る方法。 剣に魔力を載せ、魔物の固い表皮を切り裂く方法。 目や耳に魔力を集中させ、周囲の音や影を追う方法。 猟兵の皆さんが修得するべき事柄を、私も又、同じように習得したの。
お兄様は、凶悪な笑顔を浮かべつつ仰ったわ。
「マロンは、筋がいいな。 如何せん身体が小さい。 力では押し負けるから、手数を多くする方が良いな」
まぁ、お兄様の巌の様な巨躯であれば…… って、淑女が熊の様な身体に成ったらそれはそれで、困った事に成るのだけどね。 云われた事を胸に、お兄様と鍛練三昧の日々。 楽しかった。 おっとり、のんびりの私だけど、鍛錬場では気を張って頑張ったのよね。
ぶきっちょで、のろまな私だけど、なんとか皆についていける様になったのよ。 だって…… ゴブリット兄様に見捨てられたら、もう、私の居場所なんてどこにも無いんだものね。
お兄様が王立学院に一年間、学びに御領を出られるときに、猟兵団の方々にくれぐれも私の事を宜しくと、そう…… お伝えになったの。 寂しくなるなぁ…… なんて思っていたけど、猟兵団の方々が、私が寂しくない様に、その期間はとても良くして下さったの。
ええ、悩んだり、寂しがったりする体力を根こそぎ奪って下さったのよ。
ゴブリット兄様は恙なく王立学園の礼法を修められ、王国軍の勧誘をお断りになり、領に戻ってこられたのは一年後。 一年間の王都暮しになったけれど、本領の貴族様方の風潮には染まられず、やはりと云うか、案の定というか…… 厳ついままのお兄様だったわ。
私を見て、頭をくしゃくしゃと撫でられて、私だけが判る『優し気な笑顔』を、浮かべられたの。 ちい兄様は、誇らしげに首に巻いた、『純白のクラバット』姿を私に見せて下さったわ。
「ただいま。 やっと、『お勤め』が終わった。 シェス王国に於いて、一応貴族として、貴族社会に出る事は出来るそうだ」
「御目出とうございます。 恙なく学業を修められ、ご健勝で有った事が、何よりです」
「マロンから貰った『御守』が役に立ったよ。 イラッとしたときに、ハンカチを見ると、何故か心が落ち着く。 要らぬ喧嘩をせずに済んだ」
「お役に立てれば、嬉しゅうございますわ」
「あぁ、マロンは、私の自慢の妹だ。 ……鍛練はさぼってなかったか?」
「ええ、お兄様が猟兵の方々に御言付されておられましたから、それはそれは厳しく……」
「よし、その成果を見てみよう。 鍛練場に行くか」
「えっ? えぇ…… まぁ…… はい……」
屠畜場に引き摺られて行く豚さんのように、ゴブリット兄様の後に続く私。 御邸の使用人の方々からは、憐憫の視線を向けられるのよ。 危うきに近寄るからだと言わんばかりの視線…… ちょっと イラッ と来て、殊更に誇らしげな表情を浮かべて、真っ直ぐに顔を上げてゴブリット兄様の後に続いたの。
§ ――― § ――― §
私が十五歳………… を迎える『その年』。
私にとっても、辺境伯家にとっても大きな出来事が幾つも重なって起きた。
辺境でも十五歳で第一成人を迎えるの。 でもね、お祝いは無かったわ。 だってそれどころでは無かったと云えるんだもの。
その年は、十二歳を迎える弟妹達が、王都のバレンティーノ侯爵様の御邸に赴き、王立学園への入学準備の年だったわ。
お父様もお母様も、流石に二人だけで送り出す事は出来なかったし、いい機会だからって、お父様は大兄様に継爵し、国王陛下にもお認め頂いて、『辺境伯の爵位』を御譲りになったの。
その時に御父様は、『西部辺境伯爵』を継爵された、大兄様に、西部辺境伯家の従爵である、『従伯爵』の爵位を受爵をされたの。 つまり、正式に辺境領の政務から引退されたって事に成るのよ。 普通は、こんな早くには引退されないわ。 でも、御父様にはこの辺境領は荷が重すぎたのかもしれない。
その時には、既に旧重臣たちの人心もお父様から離れ、大兄様に忠誠を誓っておられる方ばかり。 大兄様も御当主様として、独り立ちできる実力を、周囲がお認めに成っていたからね。
お父様も肩の荷が下りたのか、嬉々として王都に向かわれる準備を成されていたわ。 王都にて余生を、暮らされるとか。 決して豊かでは無い、辺境伯領の財政でそれを支える事は出来ないけど、弟妹達の後ろ盾に成って下さった、バレンティーノ侯爵家が、手を差し伸べて下さったわ。
お父様達は、バレンティーノ侯爵の御厚意でご用意してもらった、王都のバレンティーノ侯爵家の別邸に隠居された。 綺麗な御邸と、侯爵家相当の使用人達。 ある程度の予算まで…… 付けて下さったらしいのよ。 それは、まぁ、主に使用人達の給与だったんだけどね。 お父様達の生活費は、西部辺境伯家が持つ事になっていたって、後からお聞きしたわ。 お姉様にぞっこんのバレンティーノ侯爵様のお優しい御心遣いって事ね。
大兄様は、『 爵位から云うと、不敬な事だ。 しかし、御父様は嬉々として受け入れらたのか。 全く、いずれの方も、我が西部辺境伯家を侮っている』と、仰られておられたの。 私も…… 思う所は有るわ。 でも、貧乏辺境伯の生活に辟易とされていた御父様と御継母様だったからね。 ” さもありなん ”よ。
その頃には、御領の隠居所にて、既にお爺様も鬼籍に入られていたわ。 先の正妻様がお亡くなりになってから、急に御身体が悪くなって養生されていたんだけど、御歳も御歳だったし…… さらに云えば、西部辺境伯家の御連枝の誰もその事に対しては異議を申し立てなかったのは内緒の話。
だから…… そう、本当の親子四人で、『仲良く楽し気』に、王都に向かわれたのよ。 あちらでは、王都で近衛兵団に所属している同生母のメイビン兄様もいらっしゃるし、ちょっとした ”本当の ” 家族の再会に成るのよね。 ええ、お母様を同じくする親子兄弟姉妹でね。
何となく…… 何となくだけど、ちょっぴり不快だったわ。
理由は多分……
私の第一成人のお祝いをして貰っていなかった事。 一言の『言祝ぎ』もして頂けなかった事。 王都に向かわれる方々にね。 フッと小さく溜息を吐きつつ、御領を出ていかれる、お父様達の馬車を、見詰めていたら、ちい兄様が何時もの如く、ぐしゃぐしゃと頭を撫でて下さったのを覚えているわ。
その手の暖かかった事が、どれだけ私を癒してくれたかも……
―――――
西部辺境領は、正当なる血筋の大兄様ご夫妻が裁量される事に成ったの。 御継嗣様から、御当主様に成ったって訳。 王都からお戻りになった、ゴブリット兄様は暫く国境沿いの「魔物の森」に対峙する各砦の巡察に出られて、その後、物凄く重要な砦の最高司令官に就任されたていた。
領都の広い御邸に居た辺境伯家の者は、四人だけになったのよ。
ハロルドお兄様ご夫妻と、私。 ……そして、先の側妻様
その時は…… まぁ、大兄様達は、まだ新婚さんなのよね。 とっても甘い雰囲気でお二人の世界を構築されているわ。 だって、御父様も御継母様も王都へ隠居されてしまったでしょ? 先の側妃様は、別棟に引き込まれちゃったし…… 大兄様ご夫妻は、それは、それは、もう、甘ったるい雰囲気を駄々漏れに、されていたのよ。
大兄様にも御義姉様にも、可愛がっては戴けたけどね。 そこはね、やっぱり…… 色々と有るのよ。 ねぇ…… でしょ?
つ・ま・り…… お邪魔虫な私。
先の側妻様も別棟に居を移された。 これからは御義姉様のお手伝いに専念されて、立派な西部辺境伯夫人とされようと御教育を始められたと云う事ね。 と云っても、いきなりは無理だから、新たな御領主様の元、領政のお手伝いは、されていたんだけど、表立っては動かれない。 そんな感じ。
辺境伯家に嫁がれてきた御義姉様の指導役として、如何なく手腕を発揮されてはいたけれどね。
だから、私はあまり御邸の家族の区画には留まらず、主に猟兵の兵団詰所に居るようにしてたの。 お邪魔に成らない様に、ポンコツ令嬢の私は、静かに暮らそうとしていたの。 猟兵の皆さんと一緒に訓練していた方が、気が楽だったのも有るわ。 皆も私を無視したりはしなかったしね。
勿論、淑女教育はしていたわよ? ええ、していたつもり。
課題も頂いているし、それをキチンと履修して行けば、いずれは立派な『貴族の淑女』に成れる……
……かもしれなかったわ。