伝説・駒井は見た
私、駒井 勇人はA銀行、外回り(外交)担当。昭和54年、32歳の時、S市に転勤となった。
過日、先輩の顧客を引き継ぐべく私は、ある一軒家へと挨拶に向かった。
そこは、想像以上の豪邸だった。それはそれで良いのだが、周りを数台のパトカーが取り囲み、赤色灯を回転させている。それは、それは、異様な雰囲気だった。
恐る恐る玄関に近づくと、バラバラと一斉に男たちが走り出て来て立ちふさがった。
人相が悪く、殺気立っていて、険悪な雰囲気、今にも殴り掛かってきそうだった。
怯えながらも名刺を差し出した。
しばらくして、親分の声がかかり応接間に通された。
お茶が出た。
いかつい男がお茶を運んできたのだが、ミョウにカチャカチャいっている。よく見ると両手の指が、中指、薬指、小指と欠けていて団子状にツルリとなっていて、シオマネキのハサミみたいに親指と人差し指でお盆を持ち、いかにもバランスが悪そうだった。
飛び上がり、『うわっ!』と悲鳴をあげそうになった。
しばらくして、親分が出て来た。小太りで半白髪の丸刈り、いかつい印象はなく、農家の親父みたいな感じだった。私の名刺を見、自分も名刺を出した。
〇〇興行、代表取締役とある。話し方も穏やかだが、周りが周りだけに異様な迫力がある。
その親分が、「金の計算をしてくれ」と別室へと導いた。
和室で座卓があり、その上にデンと札束が積まれ、硯箱の蓋が開いていて中に書類があった。
銭勘定は、銀行員の特技だ。私も、札勘定は得意だ。帯封を抜いて、手品師みたいに扇状に広げ、バッバッと数え、帯封に戻し、ビシッと揃える。流れる作業は、時に芸術的だと称えられたものだ。
それが、親分も見ている。緊張のためかスムーズに進まない。それでも、ようやく勘定を終えた。
現金が一千万円、手形、小切手類が一千万円近く、そのメモを渡すと親分は満足そうにうなずいた。
初日の顔繫ぎを終え、ほうほうの体で豪邸を出た。
出た途端、へなへなとカバンを抱えてうずくまってしまった。