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本当に見ているのは

作者: 小走煌

 男は涼やかに、橋の絵を描き上げた。

「どうだ。この絵で俺はデビューするんだ」

 しかし妻の反応は冷たいものだった。

「馬鹿言っちゃいけません。第一、この橋はまるで橋の体をなしちゃいません。もっと角張らずなだらかでないと」

 そうか、と男は絵を眺めた。白い壁で何もない部屋の真ん中に佇むキャンバスは、男にはまるで栄光への切符のように見えた。

 妻はああ言うがやはり良い出来だ、と男は嬉しくなって押し入れから次々とキャンバスを取り出す。川辺に山に大通り、最愛の妻との思い出を切り取った風景画の数々だ。

「おい見てくれ。今まで描いて来た絵はどれも至高の一作だろう。俺は売れっ子の絵描きになれそうかな」

「冗談はよしてください。水の濁った川に薄暗い山、ゾンビの出そうな通りです。もう今日は遅いのですから仕事の支度をして休んでください。明日も早いですよ」

 感性が違うなら仕方ない。男は翌日、橋の絵を抱えて仕事場へ行った。

「わあ、なんて素晴らしい」

「とても臨場感のある絵だね」

 仕事仲間は次々に称賛の言葉を口にした。そうだろうそうだろう、と男は頷いた。しかしどこか足りない気がする。男は仕事から帰るや否や部屋に籠り、新しいキャンバスを取り出して筆で絵の具をつけていった。

「よし、出来たぞ」

 男は部屋を飛び出して妻を呼んだ。そして自慢げに絵を見せつけた。

「前の絵よりもっとなだらかな橋になったぞ。これは売れること間違いなしだ」

 すると妻は溜め息をついた。

「笑わせないでください。この橋は細過ぎて今にも崩れそうです。さあ、このくらいにしてそろそろご飯にしますよ」

 男はポタージュスープをかき込みながら考えた。こんなに完璧な絵なのにどうして批判ばかりするのか。よし、それならもっと厚くガッシリした橋にしよう。

 次の休日、男は街一番の大広場へ行って何度も描き直した自慢の絵を立て掛けた。道行く人は通り過ぎながらも興味の目を持っているのが男には分かった。

「あら、お兄さん」

 犬を連れた老婆が話し掛けて来た。

「絵を描いているのかい。凄いねえ」

「そうでしょう、そうでしょう」

 男は自信たっぷりにふんぞり返った。犬が絵に向かってワンワンと吠えている。老婆は一礼してその場を去って行った。

「聞いてくれ。街の皆がこの絵の虜だ」

 男は家に帰るなり妻に報告した。しかし妻は絵を一度ジッと見ると、言った。

「夢でも見ていたんじゃありませんか。橋が大き過ぎてバランスがおかしいですよ。まるで子供のブロック遊びみたいです」

 男は呆然とした。皆が褒めてくれるから間違いはないのだ。妻は頭がおかしいんじゃないか。気晴らしに散歩に出掛けると、本屋の窓に絵画コンクールのポスターがあった。

「これだ。このコンクールに持ち込んでとうとう一流の絵描きとしてデビューだ」

 男は橋を少し小さく描き直し、その仕上がりに満足してからコンクール会場に向かった。

「もしもし、この自信作を是非とも見てもらいたいのですが」

 男が絵を見せると、受付の中年は渋い顔を見せ、そっぽを向いた。男は声を荒げた。

「この絵は皆が褒めてくれた絵です。一体何がいけないんですか」

「何と言われたら、たくさんあります。ここは素人の来るような場所ではありません。お引き取りください」

 男は愕然とした。怒りと哀しみが同時にやって来て体が震えた。そのまま逃げるように家に帰り泣いていると、妻が寝室から現れた。

「おい、一体この絵は何がダメなんだ」

「何って、そんなの数え上げたらキリがないですよ。塗りと背景と、それと……」

「どうして。こんなに美しいのに」

「だから見る度に悪いのはどこだと教えているじゃありませんか」

「でも、皆は上手だと言ってくれる」

「それは『皆』だからですよ」

 ゆっくりとした妻の声に男は反論を止めた。妻は変わらぬ様子で続けた。

「本当の意味で見てくれるような人は、そんなにいるものではないのですよ」

 男は妻の顔を見た。耳が痛い指摘ばかりだったが、この最愛の妻が絵に下す評価は確かに上辺ではなかった。男は思わず尋ねた。

「それなら、今度の橋はどこがおかしい」

 妻は真剣な目で一度見て、答えた。

「線が細く、歪んでいます。それと、歩いている人間の体が不自然ですね」

 男はすかさず部屋へ行きキャンバスを立てた。今度こそ、綺麗な橋になりそうだった。

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