対決
「それで、結局、何だったの?彼」
「そんなの私が聞きたいよ」
月曜日。私は食堂の隅っこで実乃莉とヒソヒソ話し合っていた。
私は梶田亜蘭にストーキングされている。これは被害妄想ではなく事実だろう。さわやか王子様は本気で私をつけねらっているのだ。
実乃莉にはアマゾン川がどうの、の件は話していない。教えてもいないのにメッセージが来る事と、水着姿を撮影された事ぐらいしか話していない。まあこれだけでも十分にヤバさが伝わるだろう。
「告白されたんでしょ?」
「されてないよ」
されたのは前世の妄想話だけだ。梶田がどこを目指しているのかさっぱり分からない。
「きちんと話したほうがいいんじゃない?多恵も『迷惑です』とは言ってないんでしょ?」
「確かにそうだわ」
盲点だった。確かに私は梶田に対し、明確な拒絶をしていない。気がする。
早速話合わねば。それに、毎回こちらがビビらされるのは癪に触る。『先回り』をしてやろうではないか。
私は梶田にメッセージを送った。
「放課後に滝を見に行くんだけど、来る?」
すぐ返信が来た。
「行く」とカエルが顔を赤らめながらハートを振りまいているスタンプだ。
ふふん。梶田め、さぞや驚いているだろうな。頬がぴくりと動く。私は多分、結構邪悪な顔をしているだろう。「意外とまんざらでもないんじゃないの?」とコメントが来たが、全くもってそんな事はない。
かくして、決戦の放課後がやって来た。一緒に帰って噂されたくないので中途半端な場所で待ち合わせする。
梶田の顔は、日に日にだらしなくなってきている気がする。何と言うか……非常にいやらしい。
「待たせてごめんね」
待ってはいない。私の方が先に来ていたから待っていたで正しいのか?だんだん頭がぐるぐるしてきた。全部梶田が悪い。
駅から10分ぐらい歩いた所に、突如出現する「滝」のある公園。公園と言うか、緑地だけど。天然ではなく、人工のものらしいが、なぜそんなものがこの辺りに作られたのかは不明。
住宅地のど真ん中に突如、マイナスイオンたっぷりのスポットが現れる。入園料もかからないので私のお気に入りスポットのひとつだ。
「ここ、いいよね」
「うん」
なんだ、梶田も知っているんだ。高校生にしては渋めのスポットなんだけどな。春には桜が咲くし、夏はひんやりして気持ちいい。秋は紅葉がある。冬は来た事がないからわからない。
私と梶田は滝の前のベンチに腰掛け、そのまましばらく無言でいた。
サアア……と水が流れ落ち、頬にひんやりとした冷たさを感じる。ここに住んでいるカエルは幸せだろう。水の音と、写生にやってきた老婦人がイーゼルを組み立てる音だけが響く。
ああ、癒されるなあ。緑と土の匂い。目を閉じて、深呼吸する。梶田の指が、私の髪を撫でる。何勝手に触ってんだよ……まあいいか。
「……って、違うわ!」
私は癒されに来たのではない。むしろ、決戦に来たのだ。
「梶田君!」
「亜蘭って呼んで欲しいな」
「梶田君。はっきり言ってなかった私も悪いけど、今後は連絡したり、待ち伏せしたりするのやめて欲しいの」
ストーカー男は、自分が悪いくせに悲劇のヒロインみたいな顔をして涙をこぼし始めた。老婦人はこちらを凝視している。……何これ、私が悪いの?
「ひどいよそんなの……俺がショックで死んでもいいの?」
素でそんな脅しを仕掛けて来るお前の方が数倍ひどいだろ。男子ってポケットにハンカチが入っているんだ、とまた変な所で感心してしまった。
「だ、大体何が目的な訳?最終的に何をどうしたいの?」
「俺たちは前世、アマゾン川流域に住んでいた……」
「その話はもういいから」
まさか本当の意味で『食べる』ではないだろう。梶田が本気でカニバリズムに目覚めてしまうと、二人して全国ニュースになってしまう。それは避けたい。
私をタピオカ屋の店員にする、も少し違うだろう。泣いている梶田を見て、ちょっと気の毒な気持ちになってきた。やっぱりイケメンって卑怯だわ。
「俺は……」
私は梶田が何を言い出すのか、固唾を呑んで見守った。内容によっては通報しなければいけない。
「多恵を飼育して、24時間監視したい……」
私は天を仰いだ。やっぱダメだわこいつ。しかも前は『一日20時間一緒にいよう』だったのに、悪化してる。しかし、ここで対話を諦めるとまたなあなあになってしまう。ここは一度掘り下げて話を聞いてみよう。
「その、飼育って、何?」
「外に居ると、良からぬ輩がうようよ湧いて来て心配だろ?今度こそ多恵が誘拐されないようにしたいんだ」
「私にとって、自分が『良からぬ輩』だと思ったりしないの?」
「全く。だって俺は多恵を愛しているもの」
「はあ、そうですか」
「前世では、食べることしか愛情表現が出来なかったけど。今世は同じ種族だし、寿命も長いし……」
これは運命なんだよ、と梶田は熱に浮かされた様な表情で虚空を見つめた。
「そもそも、なんでそんな妄想に取り憑かれてしまったわけ?」
とりあえず落ち着こうと、私は梶田の隣に腰掛けた。
「俺、中学生の時に親父の仕事で南米に居たのは知ってるよね」
「いや知らないけど」
初耳だわ。だから近所なのに高校まで存在を知らなかったのか。
「その時にマラリアに感染して、生死の境目を彷徨って……」
マラリアって現代にもある病気なんだ。まあ南米と日本じゃ常識が違うよな。
「うなされながら、たくさん夢を見たんだ。そして、自分の前世が蛇だった事を思い出した。でも、それだけじゃまだ足りなかった。そして、ある日小さなカエルが夢の中に出てきたんだ。その子をパクッと丸呑みすると、すっごく体が楽になって、起きたらすっかり回復していたんだ」
「……」
顔が若干引きつるのを感じた。すでに夢の中で捕食され済みだったとは……
「日本に帰ってきて高校に入った後は、その事をすっかり忘れていたんだけど。ある日、廊下で多恵を見かけてはっきりわかったんだ。『あの子だ』って」
「多恵も、俺を見ればすぐにわかってくれる思った。でも何回偶然を装って現れても何の反応もないから、不安になってきたんだ」
不安のままでいて欲しかった。梶田の骨張った指が、私の手の甲にそっと触れた。
「夢を見る事はない?」
「ないよ」
びっくりするぐらい自然に嘘をつくことが出来た。女って怖いな。
「そう?」
梶田は悲しげに俯きながら、私の手をにぎにぎした。こいつすっごい冷え性だな。そう思って、ぼーっと長いまつげを眺めていた。梶田はそのまま何事か考えこむような表情をしていたが、ふと名案をひらめいた、とでも言いたげに顔を上げる。
「多恵も、俺みたいに死にかけたら前世を思い出すのかな?」
私は梶田の手を振り払い、全速力でその場から逃げた。