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  作者: 坂本流
1/2

仙人の運命

 魔法と剣のソナタを公開して、またすぐに公開することになりました。

 「疾」です。

 坂本が過去に書いた作品の中では最高傑作と思っています。

 仙人と異世界転移。

 あまり、みられない組み合わせのこの作品をご愛読していただければ幸いです。

仙人、それは古く中国で、多くの人々が目指した、究極の極地。

道術を使い、ある人は空を飛べ、ある人は地中奥深くに潜る。そして、不老不死だ……。




 一

直人は深く、深く、沈んでいた。もうそこは崑崙山で胡坐をかいている。太陽が昇ってきた。直人は雲に乗ってそこに向かう。そして太陽と一体化して、自分がまばゆいばかりの光となった。

 いつもの瞑想、存思法なら、それで終わりだった。

 しかし……。

 完全に光となって、肉体が消え去るイメージがした。つむっている目を徐々に開けた。パッと目を開けて、周りを見渡す。そして目を疑った。

 ここが、仙界、崑崙山に本当に来たのか? 仙人になることが成就したのか? しかしそうは思えなかった。目の前にあるのは、灰色に伸びた長い、長い階段だ。後ろを振り返る。まるで雑居ビルのドアのようだ。同じく灰色のドアに銀色のドアノブ。

 ドアノブを回す。開かない。鍵がかかっているようだ。

 ここはどこだ? 分からない、何一つ分からない。突然、元いた山からどこかの街のどこかのビルの階段にワープしたとしか思えない。

 直人は首を振った。そんな訳ない。ありえない。

 何一つ分からないまま、直人はとりあえず階段を上ることにした。

 息を荒あげる。どこまであるのだ、この階段は? 十分ほど上がった末、やっと頂上が見えてきた。しかし、上りきったところもドアがあるようだ。

 頂上で息を整えながら、直人はドアノブを回す。しかし開かない。

 トントンとノックした。

「名乗れ!」

 当然かかった声にビクッとした。

「……滝沢直人です」

 カチャっとドアの鍵があいた音がした。

「入れ」

 直人は開けた。目の前には、五十代ぐらいのおやじが立っていた。こいつは何者なんだ? なぜここにいる。まさか仙人ってわけではないだろう。

「ここはどこですか?」

 直人は当然思っていた疑問を口にする。

「仙界、お前達、人間が崑崙山と称している場所と言ってもいいだろう」

「本当ですか?!」

 直人はとても喜んだ。まさか、本当に崑崙山だなんて! 自分は仙人になれたのだ!

 そんな直人の姿を見て、そのおやじは言った。

「早くついてこい」

「はい!」

 直人は元気よく答えた。しかしおやじの眼差しはとても冷やかだった。

「……あの」

「なんだ?」

「いえ、なんでも」

 このおやじは仙人なのだろうか? とてもそんな風には見えない。上下黒色の服、そして深々と帽子をかぶっている。帽子には何かのエンブレムがつけられている。何かの組織の制服のようだ。

 おやじはあるドアの前に立ち止まった。

「ここにしばらく待機しろ!」

「……はい」

 頭に大きな疑問を残しながら、直人はドアを開けた。部屋の広さは九畳ぐらい。灰色のコンクリートの壁と床で、横に長いテーブルが一つあり、パイプ椅子が四つ並べられていた。また、それと向かい合わせになるようにパイプ椅子が一つあった。

「早く入れ!」

 ボーっと見ていた直人に投げかけ、ドアをバタンと閉めた。直人はとりあえずパイプ椅子に座る。そして眼前を漫然と見ていた。

 しばらくするとまたドアが開いた。今度は同じ制服を着た中年の女が三十代後半ぐらいの男を連れてきた。同じように指示されて、その男は直人の横に座った。

「ここどこだと思います?」

 その男は疑問を口にした。

「さあ、仙界だと思っていますが……」

 そんな話をしているとまたドアが開いた。今度は二十代初めぐらいの女性が来た。固唾を飲みながら、近づいてくる。

「ここは一体? あなた達も誰なんですか?」

 直人は頭を掻いた。

「ちょうど、俺達もその話をしていたんですよ」

「そうですか」

 女がそう言うと、男が口開く。

「どう考えても、僕達が思う、仙界とは思えません。こんなところが僕たちが夢見た、崑崙山であるはずがない」

「そうですよね!」

 女が少し大きな声で同意する。

 直人は腕を組んだ。

「ならば、僕たちは一体どこに行ってしまったのでしょうか?」

「……ここに来るまでに何をしていました?」

 男は直人たちに聞いた。

「瞑想です」

「はい、私も瞑想をしていました」

「つまりは二人とも仙人になるために修行をしていた訳ですね」

「はい」

 直人たちはうなずいた。

「実は僕もそうなんですよ。瞑想が完成した、完璧に瞑想ができるようになったと思ったら、ここにいた」

「そうですよね、そう考えたら、やはり仙界としか思えないです」

 女がそう言った。直人は難しい顔をした。

「しかし、あまりにも伝承と違い過ぎる。雑居ビルの一室としか思えない」

「それもそうですよね」

 女も難しい顔をした。しかし、男はそんな直人たちをまるで元気づけるように言った。

「でも、誰も仙界なんて知らないじゃないですか? 僕たちが住んでいる世界で仙人になった人はいないのですから」

「それもそうかもしれません……」

 女はまだ疑問に思っている口ぶりだ。

「ここまで来るときに、長い階段を上りませんでしたか?」

「はい」

 直人たちはうなずく。

「あの階段はおそらく、下界と仙界を結ぶ長い階段だったんですよ!」

 それを聞いた直後女は手を叩いた。

「そうか! そうですよね!」

「そうですよ。そうとしか思えない。ここは崑崙山なんですよ!」

 二人は自分に言い聞かせるように納得し、喜んでいる。直人はそれを見て眉間にしわをよせた。

「あの……」

 直人がそう言った直後、ドアが開かれた。皆、誰が入ってきたか注視する。入ってきたのは中年の綺麗な女だった。自分たちを連れてきた奴等と同じく、黒い服に身にまとっている。静かに歩いて、前の椅子に座る。

 女は身を乗り出した。

「私たちは仙人になれたんですよね! ここは仙界なんですよね?!」

 黒服の女はその質問に答えた。

「まあ、間違ってはない」

 女は満面の笑みで座った。不安を払拭するために聞いたふうだ。

「しかし勝手にしゃべるな!」

 黒服の女は形相を変えた。その顔に女は臆してしまう。

「……はい」

 仙人にも階級はある。それは下界で学んで知っている。しかし、本当にあるのか? そもそもこの女は何者なのだ?

「まず、順に追って話していく」

 皆、耳を傾ける。

「お前たちは仙人だ。おめでとう!」

 パチパチと黒服の女は手を叩く。しかし、あまりも冷淡な表情なので直人は背筋が少し冷たくなった。

「仙人になるのは容易なことでばない。下界で日々、つらい修行を積んだのだろう」

 直人たちは頷く。

「しかし、仙人になっても修行は終わらない」

「はい、覚悟しています」

 男はそう言った。

「勝手にしゃべるな! 二度言わせるな」

 いきなり大声をあげた黒服の女に驚き、男は口をつむんだ。

「よし、それでは修行の内容を言う、貴様ら天数というものを知っているか? お前でいい、答えろ」

 直人があてられる。

「この世で生まれ育ったものが、宿命的に決められている人を殺す数のことでしょうか?」

 黒服の女は頷き、答える。

「そうだ。天数とは人を殺める数のことだ。そして、背天数というものがある」

 仙人を目指していたので当然、三人は天数のことは知っていたが、背天数のことは何も知らなかった。初耳の様子だ。

「背天数とは、仙人になった者だけが与えられる、殺されてよい数のことだ」

「……」

 言葉を失った。それがあるにして、何故ここでそれを打ち明けるのか? 直人はとても嫌な予感に駆られた。

「鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているな。貴様らの予想とあまりたがいないと思うが説明しておく。仙人は天数を成就したら、神になれる」

「神……」

 思わず、男と女が声をあげてしまう。しかし、黒服の女はそれに対して反応することをしなかった。

「お前たちには神になってもらう!」

「何を言ってるんだ!」

 男は我慢をできず、口に出してしまう。

「……おい! 次、勝手にしゃべったら殺す」

 静かに黒服の女は言った。

「そんな馬鹿なことがあるか!」

 黒服の女は手を叩いた。ドアから二三人部下らしきものが部屋に入ってきた。

「連れていけ!」

「はい!」

 そう言って、男は部下たちに取り囲まれて、取り押さえられた。

「しかし、妲己さま、背天数が一つ減りますが、いいのですか?」

「構わん、自業自得だ。それにいつものことだろ」

「そうですね」

 そう言って、部屋の外に連行させられた。妲己と言われた女はコホンと咳払いして話を続ける。

「仙人というのは、神と人の中間の存在。我々、神にとって、あまり受け入れやすい存在ではない。だからこの世から消えてもらうか。それとも神になるか、はっきりしてもらう必要がある」

「……」

「だからと言って殺し合いはしたくないという顔をしているな。もう遅い、後悔をするなら、仙人になろうなどと思ったことが間違いだ。諦めろ」

 なんてことを言うんだ。コイツは……。直人は言葉を失い。体が硬直する。

「神という存在は欲がない状態にある。殺戒をやぶることはない。それであれば我々も安心だ。しかし仙人はお前達自身が分かるように、欲が消え去ってはいない。だから天数を消化した後は神として迎えられるし、神にもなる。分かったか?」

「……」

 はい。など言えるわけがない。

「返事は?!」

「はい」

 小さく直人は答えた。さっきの男の二の舞はふみたくないからだ。女は脱力している様子だが、なんとか、声にしたようだ。

「よろしい。これは余談だが、天数を超えてもしも、人を殺めたら、妖怪になるから、それはタブーなため、よろしく頼むぞ。万が一にもないと思うがな」

 ゆっくり首だけ動かした。それを見た妲己という女は、立ち上がり言った。

「ではついてこい!」

 直人は立ち上がった。女も立ち上がる。しかし、今にも倒れそうだ。

 妲己を先頭に、左右を部下らしい男に囲まれる。上からパチパチしている蛍光灯の光が眩しく感じた。自分たちが歩いている場所はとても暗いのだから。

 妲己はあるドアの前に立ち止まった。

「ここで検査をしてもらう」

 直人は手を挙げて、発言の許可をもらう。

「なんだ?」

「なんの検査ですか?」

「天数と背天数の検査だ。通常、最初は誰でも天数と背天数は同じだから、片方で良いが念のためにな。さっきみたいなバカが背天数を減らすケースもあるのでな」

「はい」

 力ない返事。女は言葉を発していない。

「それとそれが終わったらバーコードを腕に入れる」

「バーコード!?」

 直人は言葉を発してしまったと、思わず口をつむぐ。冷汗が額ににじみ出る。

「お前も言動が軽率だな。まあ許してやろう」

 その言葉でこわばった体の筋肉を弛緩させる。

「こちらも、天数と背天数を管理しなければならない。お前たちの国でもあるだろう。入れ墨だ」

 おそるおそる女は手を挙げた。

「麻酔は?」

「あ?!」

 妲己の剣幕に女はとてつもなく、恐怖した。

「お前たち、仙人だろ?! ふざけんなよ!」

 妲己は意にも介さず、ドアを開けた。

 その部屋は総合病院の検査室みたいだ。MRIみたいな装置と、横にベッドがある。ベッドの脇に棚があり、様々な薬品が並んでいる。

「ここは、学校で言う保健室みたいなとこか? 背天数は少しでも維持したいものだからな。どんなに見込みがない奴でも、一命をとりとめたいと思うから、こうやって治療してやるんだ」

「……」

 固唾を二人とも飲み込む。

「とりあえずお前、この装置の中に入れ」

 直人はMRIみたいな装置に入って、横になった。装置からコードでつながっている、コンピューターが音を立てて起動する。

 中に入った直人の眼前は緑色に変わった。装置も起動したようだ。頭上を覆うそのドーナツ型の部分が、ゆっくり足元まで移動する。そしてスーッと頭上に戻る。今度は青色にかわった。

『攻撃性 五。力、六、守備力三、生命力、五……』

 装置が直人をしらみつぶしに分析している。そして最後にこう告げた。

『天数、七。背天数、七』

 装置が止まった。直人は何も言葉にできなかった。

「出ろ!」

 直人はゆっくりと起き上がろうと足を出した。

「天数、背天数、ともに七か。少ないな」

「……」

「こればっかりは生まれつきだ。まあ七回、人殺しができるように願ってくれ」

 ……はい。なんて言える訳ない。直人は現実をまだ受け入れていなかった。

「次、早く入れ」

 次は女が入る番だった。女は固い唾を飲み込んだ。

「おい、お前はここに来い」

 部下らしき男がベッドの上にすわっている。長いコードがある先端が尖ったボールペンみたいな物があった。コードの先には黒い液が溜まった入れ物がある。どうやらこれで入れ墨を掘るらしい。

「おい、番号は何番だ?」

「1396710」

「了解、腕を出せ」

「……」

 左腕の三角筋の真ん中あたりをさわっている。

「いくぞ」

 固唾を飲んで頷く。尖ったところが肌に触れる。直人は大声で苦しんだ。

「お前本当に仙人か? 分かった早く終わらせてやる」

 終わった。もう喉から声がしばらくでそうもない。

 女は待っていたようで、恐怖で震えている。

「入れ墨を入れるぐらいでお前ら大げさなんだよ。おい何番だ?」

「584584」

 コンピューターのモニターを見ている男が静かに言う。

 女も痛みにより叫んでいた。目から大粒の涙が流れている。女が掘り終わると、妲己が言った。

「ついてこい! お前たちが生活する部屋まで案内する」

 直人はコクリとうなずいた。女は動悸がまだ収まっていない様子だ。それでも立ち上がり、二人は部屋から出た。

「1396710番。ここだ」

 そこはまるで刑務所のような場所だった。部屋がズラーっと並んでいる。部屋は鉄製の重いドアがあり、部屋の番号が書かれている。直人が入れと指示された番号は七だった。

「背天数ごとに部屋替えすることになっている。まあ、ここの生活に関しては同居人に聞け、くれぐれも殺されないようにしろ。まあ別に構わんがな」

 妲己は冷酷な笑みを見せた。そして、鍵でドアを開ける。

「さあ、さっさと入れ」

 直人はゆっくりとドアを開いた。女は別の部屋に行かされるようだ。背天数が違うためか。

 部屋は六畳ぐらい。玄関があり、床は畳だった。しかしそれ以外何もない。

「よお、新入り」

 そこに一人の男がいた。直人と同い年ぐらいの二十代後半の男だった。

「ああ」

「いきなり七番の部屋か。お前は運がいい」

「どういうことだ?」

 男は坊主頭を触りながら、静かに言った。

「背天数は多くて百まである。だから、ここの部屋は百まであるんだ。七ってことは殺す回数が七しかないことだろ? だからさ」

「ああ。そういうことか……」

「まあ、あながち運がいいともいえないけどな。闘いに慣れるまでに七回死ぬ可能性も高いからな」

 直人はうつむいた。

「まだ現実を受け止められない顔しているな?」

「ああ、当たり前だ。こんなことになるために仙人になったつもりじゃない」

「……人の踏み込んではいけない領域に行ってしまったからさ」

「……」

「まあそんなに落ち込むな。なったもんは仕方ない」

 男はうつむいたままの直人に手を差し出した。

「俺は543712番。下界では一輝という名だった。短い付き合いになるがよろしくな」

「俺は直人だ」

 直人は差し出された手をつかんで、握手した。

「俺か、お前の闘いまでは付き合うことになる。それまでにここのことを教えてやるよ」

「……何故お前はそんな世話を焼くんだ?」

「ただのお人よしだよ」

 そう言って、男はタンスを開け、布団を取り出した。

「今日は寝ろ。ここではよく食べ、よく寝る。そんなことをしないと絶対にもたない」

 一輝は親切に直人の分の布団まで、畳の上に並べた。

「……お前が俺の寝首をかかない根拠はどこにある?」

「まあ、当然、疑うわな。じゃあ寝なくてもいいから、横になっとけよ」

 直人は無言になった。

「消灯の時間まで、まだあるな。まあ、早く俺は寝るわ。おやすみ」


やがて天井にある蛍光灯が消えた。これでは何も見えない。おそらく、さっき直人が言ったとおり、寝首をかこうとするやつへの対策だろう。

 直人は自分自身を見つめなおし、今日あったことも含めて整理しようとしていた。とても寝る気にはならない。

 俺が一体、何をしたというのだ。会社でリストラにあい、起業したが、失敗し、大きな負債をかかえ、借金取りに追われる生活。ある日、山に逃げ込み、仙人を目指している爺に出会う。それから山にこもって修行。あのときまで、いいことなんて一つもなかった。

 そして、ようやく大願の仙人になってからこんな目にあって……。

  ―――何かの間違いだ……―――

 ふとそう脳裏に浮かんだ。そうだ、何かの間違いだ。直人は急いで、右腕の肩を触る。

 バーコードが掘られている。夢か? そうだ、これは夢だ! 目をつむって、起きたら、きっと山に戻っているさ。

 そう思って静かに瞼を閉じた。




「おい! 起きろ!」

 直人はゆっくり瞼を開ける。蛍光灯の白い光が目に差し込んでくる。ハッとして起き上がる。

 アナウンスが流れている。

「仙人のみなさん、起床時間です。係の者が、鍵を開けに参ります。朝食時には食堂に集まってください」

 何、仙人の皆さん? 食堂? どういうことだ?

 現実逃避していた直人には受け入れることができなかった。直人に目に映る景色は昨日のあの、牢屋の中そのものだったからだ。

「おい早く布団しまえ! 鍵開けられる前に布団が出しっぱなしだと、罰を受けるぞ!」

 直人はボーっとして、目をこすった。

「早くしろ! 手伝ってやるからさ」

 そう言って、一輝とかいう男は直人の上布団をとった。直人は立ち上がる。そして、もうろうとした意識の中、一緒に布団をタンスにいれた。

 一輝は大きなため息をついた。直人はその後、右の頬をつねる。

 痛い。夢ではなかったのか? そんな様子を見て、一輝は言った。

「現実だよ、この世界は。いい加減に目をさませ」

「そんな訳ない。こんな不条理ある訳無い」

 強い焦燥にかられて、ドアを叩きにいく。

「出してくれ! 助けてくれ!」

「バカ」

 一輝は直人を止めに入った。

「お前、殺されるぞ! やめろ!」

「うるさい!」

 一輝は直人の頬に拳を叩きつけた。直人はふっとばされて、右頬をさわる。

「……」

 目を白黒させている、直人に言った。

「お前、都合のいいことだけ受け入れて、自分の都合の悪いことは受け入れないのか? 虫が良いぞ」

「そんな……」

 足跡が近づいてくる。この牢屋を警備している者か?

「おい! この騒動はなんだ?!」

 ドア越しに低い声が聞こえてくる。

「すみません、新入りとすこしもめて。殴って分からしかってやったんで、もう問題ないです」

「そうか。せいぜい仲良くしろよ。まあ、すぐこの世から消えるお前たちにはあまり意味ないか」

 その言葉を聞いた一輝はドア越しにいるだろうと思える男をすごい形相で睨みつけていた。

「……あの」

 直人は静かに口開いた。一輝は直人の方を向く。

「ああ、問題ない」

「そう……」

「とにもかくにもこの地獄は現実だ。そして、お前はもっと凄惨なものを見せつけられ、経験する」

「はい」

「とにかく立ち上がれ」

 そう言って、倒れている直人に手を差し出した。直人は立ち上がる。

二人は鍵があくまで無言になった。鍵が開かれて、ドアから出た。

「ありがとうございます」

 そう一輝が警備している黒服の男に言うと、男は持っているスーパーのレジのスキャンする機械みたいな物で二人の肩のバーコードに触れる。

「大丈夫だ。早く行け!」

「はい! 行くぞ!直人」

「ああ」

 一輝に連れられて、直人は歩いて行った。


 食堂は中学校の体育館ぐらいの広さを持っていた。長いテーブルが密集しており、そこに大勢の人が腰を下ろしている。調理場があり、料理を受け取るカウンターの前に皆、列に並んでいる。

「直人、あれを見てみろ!」

 食堂の奥にガラス張りの扉があった。植物が植えられており、中庭のようだった。

 直人は自然と日の光に吸い寄せられる。ここに来て初めて見た日の光だった。

「ちょっと待て、直人。それは後にしろ」

 直人の右肩を一輝が強く持った。

「ああ」

「一番安いのでよければ、おごるぜ」

「おごる? ただではないのか?」

「殺し合いに勝てばお金がもらえるようになっている」

「お金?」

 一輝はズボンのポケットから金らしきものを出した。それは丸い硬貨だった。それが多種多様にたくさんある。

「これもバーコードがあるんだから、管理できるはずなんだがな。金を盗みだすために、殺し合いを助長させている。ここの奴等は一体何を考えているんだが……」

 大きなため息をして言った。

「それはともかく、この大きな硬貨が一番高い。ひふみ。俺の所持金はだいたい日本円にして一万ってとこか。飯代は高くても、千円ぐらいだ」

「そうか」

「とにかく並ぼうぜ」

 直人と一輝は列に並んだ。十五分後ぐらいに注文を聞いてきた。

「卵丼二つ」

「あいよ。七百五十円」

 トレイに乗せて、卵丼を持ち、席に座った。

「……お前も卵丼でいいのか?」

「ああ、別に構わない。俺も金をたくさん持っているという訳では無いしな。それに、同じ釜の飯を食う仲っていうのか? 悪くない」

「何言ってるんだ?!」

 二人は顔を見合わせて笑った。直人はなんとなく一輝という男は信用できるんじゃないか? と心のどこかで思い始めてきていた。

「おい! 新入りか? お前?」

 後ろから声がかかる。直人の背後に男がいる。一輝が答えた。

「あ、あ、昨日からだ」

「一輝ちょっと借りていいか?」

 それを聞いた一輝は目の色を変えた。

「何をする気だ? 新人狩りか?」

「いや、そういうことじゃない、少しだけここのルールを教えてやろってな」

 直人は後ろを振り返ることができない。ビビっている。確実にビビっている。情けない。

「今日はコイツと用がある。遠慮してくれないか?」

「固いこと言うなよ、一輝。お前も教えてほしいだろ?」

 そう言って、男は直人の肩に手をかけた。おそるおそる、直人はその男を見た。体がとても大きい。まるでやくざだ。危険であると本能が察知した。固唾を飲みこむ。

 その様子を見て、その男は薄気味悪い笑いをした。直人はうつむく。

「こいつも案内して欲しいらしい。悪いが……」

「しつこい」

 静かだが、ものすごい剣幕だった。男はそれを見て、体をこわばらせた。

「わかったよ」

 舌打ちをして去っていった。

「おい!」

「はい!」

 直人は裏声が出てしまった。

「新人狩りだ。今日はたまたま俺が一緒だったから助かったが、お前も用心しろ。そして強くなれ」

「ああ」

 直人はまたうつむく。どこの世界でも弱者をいたぶるやつがいる。仙界でも一緒。そしてここは自分の生命が重くのしかかっている場所なんだ。

 それにしても一輝という男はそんなに強そうに見えない。さっきの男の方が強そうだ。しかしやりとりを見ていると、一輝は名を知られており、そして力を持っているようにしか見えない。見た目ではない。道術なんだな。

「飯食ったらまた部屋に戻されるが、自由時間ってのもある。そこで、ここのことを案内するよ」

「ああ、よろしく頼む」

 直人は少しだけ一輝を恐れていた。それと同時にずっと一緒にいてほしいという気持ちも持っていた。



「自由時間です。係の者が、鍵を開けに参ります。それまで待機してください」

 アナウンスが流れる。それまで二人は部屋に戻って、畳の上で寝ていた。

「さあ、行くぞ!」

「おう」

 力ない返事で、直人は言った。

「明るくなれとは言わないが、そんな消極的だと、ここからすぐ消えるぞ。ここは弱いものから消されていく」

「……」

 そんな直人を見て、一輝は頭を掻いた。

「まあ、時間はかかるか」

 しばらくして、鍵が開く音がした。

「出てこい!」

「はい!」

 一輝が直人を引き連れてドアから出た。そして二人は肩を出す。警備の男はスキャンが終わって言った。

「出ていっていいぞ」

「はい、ありがとうございます」

 そう言って、直人の頭を下げさせながら、一輝はお辞儀をした。

 一輝は歩いていく、直人はついていった。

「まずは食堂だ」

「食堂か……」

「さっき行ったって顔してんな。お前、まだ中庭見てないだろ?」

 中庭、さっき日の光が見えたところ。直人は明るい顔をした。

「ああ」

 そんな直人を見て、一輝は笑った。直人は食堂にさっき行ったので道はもう覚えた。来たときに進んだ道と反対方向にずっと歩いていく。目に映る景色はズラーっと並んでいる部屋で番号がどんどん増えていく。そして、五十で角をまがり、また部屋に囲まれた道を進む。

「一輝、新入りか?」

「ああ」

 一輝が誰かに話しかけられた。部屋の数に圧倒されて、前にドアから出たときは、ちらほら話をしている人々に気が向かなかった。ここまで老若男女問わず色々な人々がいる。ただし、皆、言葉から察するに日本人のようだ。

「お前、本当に世話焼きだな」

「まあ、別に構わんよ。七の部屋に入ってくる新入りなんて、珍しいだろ?」

「まあな、まあ、せいぜい短い時間仲良くするこった。新入りはどうせ、すぐ部屋が変わる」

「……」

「直人、気にするな、あいつは悪い奴ではないんだ」

「大丈夫だ」

「そうか」

 二人は部屋が連なる廊下を抜けた。ドアを開いて、広いスペースが現れた。食堂だ。食堂はたくさんの人が話し合って、和やかな雰囲気だ。その風景を漫然と見ていた。

 そんなとき、昨日見た女の子を発見した。直人は近づいて、声をかけた。

「あの」

「はい!」

 後ろから声をかけたため、女の子は驚いた。女の子の横には少し年配の女性がいた。

「……あ、昨日の」

「はい。何番の部屋にいるんですか?」

「私は七十五番……」

「そうですか」

「うらやましいです。七番だなんて」

 それを聞いていた、一輝と年配は難しい顔をしていた。年配の女性が言った。

「そうとは限らないよ」

「そうですが……。私はあと、七十五回人を殺めるなんて、とても……」

 女の子はうつむき、顔に陰りがみえているように思える。

「どうにかならないんですか!?」

 女の子は豹変したように、年配の女性に食い下がる。年配の女性はゆっくりと肩に手を置き、静かに言った。

「昨日も言ったように、どうにもならない。諦めな」

 それを聞いて、また力を失ったように思えた。居心地が悪いので、直人と一輝はその場から離れた。

「……よかったな。一緒に来た子、よい人と最初同部屋になれたようだ」

「ああ」

 また直人はひどく肩を落としている。

「ここはな。皆仲良くしているように見えるが、地獄には変わりはないんだ」

「そうだな……」

 そんな様子を見かねて、一輝は中庭を指さした。

「お前、一度外の空気吸え!」

 直人は一輝についていく。どんどん、日の光に顔が染まっていって、やがてガラス張りのドアを自分から開いていた。

  ―――気持ちがいい―――

 直人は心からそう思った。

「やっといい顔したな」

 直人は照れてしまって、鼻の下を指でしゃくった。

 中庭はそんなに広い訳ではなかった。わずか十畳ほどのスペースだ。多種多様の植物が植えられていた。しかし日本の植物ではなさそうだ。その植物たちが日の光を浴び、一生懸命空に枝葉を張り巡らせている。直人は地面を触った。これは、ふつうの土だった。土の匂いもなんだか愛おしい。土を手ですくっていた。

「ありがとうな……」

「いや、別に大したことではないよ。お前、自然が好きなんだな」

「ああ、そうじゃないと仙人なんてなれないだろ?」

「確かにな」

 そう言って、一輝は空を見上げた。


 ガラス張りの扉を閉めると、一輝は言った。

「次は見せたくないところだが、見せなきゃならない場所だ」

「どこだ? それは?」

「闘技場だ」

「……」

 それを聞いたとき、直人は察した。

「わかった。連れて行ってくれ」

「ああ」

 二人は黙々と歩く。食堂の調理場の横の扉を開け、長い廊下を歩き、左に曲がる、そしてドアを開いた。そこからは少し階段を下りるようだ。暗闇だった、階段は自動的に蛍光灯がついた。静かに下りていく。

 階段を下り終わったら、一輝がドアを開いた。

 まるで五百人ぐらい収容できる地下の格闘場のようだった。中央に金網で囲まれたリングみたいなものがある。それを囲うように三百六十度、階段式の観客席が覆っている。人の数はまばらだ。

 直人は無言で眺めていると、一輝に話しかけられる。

「ついてこい」

「ああ」

 観客席を下りていく。

 ホワイトボードのような物が立っていた。見てみると、それはモニターだ。そして、数字が映っている。

「ここで、今日の試合が何番と何番かを確認する」

「ああ、そうなのか……」

 直人の予感は的中していた。

「お前、何番だった?」

 一輝が聞く。直人は袖をまくって、肩を見る。

「1396710」

「今日だな。今日の第三試合」

 それを聞いて、直人は血の気が引いた。

「何故、今日?」

 それを聞くと一輝は視線をゆっくり落とした。

「恒例なんだ。来たばかりの奴は次の試合に出ることは……」

「そんな……」

「ここでは理不尽なことしか起こらない。でも、早かれ遅かれ闘わないといけないのも事実だ。そんな悲観的になるな」

「そうか……」

「肩を落とすな。背天数を落とすことにも慣れる。しかし、お前は少なすぎる……」

 本当に自分のことのように一輝は思ってくれている。恨めしに真っ黒い天井を見上げていた。


 直人と一輝はその後、部屋に戻った。二人はその間、終始、無言だった。

 畳の上で組んだ手の上に頭を乗せながら仰向けになっている直人に一輝が話しかける。

「直人」

「うん?」

「お前、道術何使えるんだ?」

「特には何も……」

「マジか!?」

 一輝はとても驚いている。当然だ。仙人になるぐらいだから一つや二つ道術が使えるのは当たり前で、何もないことは不可解だ。

「どうするんだよ?! 今回は初戦だから死ぬぐらいの覚悟はしていたが、これからどうしようもないぞ」

「そんなこと言われても……」

 直人はとても困惑した。一輝は寝ている体を起こし、身を乗り出して、食って掛かるように直人の胸倉をつかんだ。

「本当に何もないのか?」

「何もないって言うか、役に立つかどうかわからないけど」

「一つぐらいはあるってか?!」

「俺は……不老不死を目指していたから、体の怪我とかを治すとかしか……」

「そうか……それは、使えない」

 しばらく一輝は眉をしかめたが、すぐ見開いた目で直人を見た。

「いや、使える。何かやってみてくれないか?」

「えっ! 使える!? 切り傷ぐらいしかどうにかできないぞ」

「いい!」

「分かった、何か切れるもの無いか?」

「無いな。なら噛みついていいか?」

 直人はコクリとうなずいた。そして腕を一輝の顔に近づける。

「いくぞ」

「ああ。……つつ」

 一輝は命いっぱい噛みついた。やがて、腕から出血がし始める。

「もういい」

 一輝は口を離した。

「見ててくれ」

 一輝は真剣に直人の腕を見ている。直人は歯型のついた右腕を左手の中指と人差し指でなぞる。

「疾」

 もう一度撫でて、唱えると、歯形はみるみる無くなった。

「すごいじゃないか?!」

 一輝は驚嘆していた。

「でも、これぐらいしかできないぞ」

「違うんだ。これはお前に自己治癒が非常に優れていることを意味している」

「いや、大きな怪我を負わされたら一貫の終わりだよ」

 直人はとても、悲観的な未来を予想してしまっていた。

「……ここに来はじめの奴はたいていそうだよ。道術が大したことないんだ。だから背天数は減る一方、何度か闘いながら高めていくんだよ」

「そうか」

「つまりお前はいつしか何をされても、体を回復できる能力を持てるようになるということなんだ。それは俺の術が攻撃だとすると、お前は最強の防護力を持っていることになる」

 直人はそれを聞くと光明が差した気持ちがした。しかし、徐々に暗い表情に戻っていった。

「それでも、一回目は死ぬだろう」



 直人はリングに立っていた。心臓がはちきれんばかりに鼓動する。目の前にいるのは背が大きく筋骨隆々な若い男だ。まるでボクシングのミドル級のチャンピオンみたいだ。全く勝てる気がしない。

 黒服の男が金網の扉を開けてリング内に入ってきた。黒服はバーコードを読み取る機械で肩をスキャンする。そして大声をあげた。

「1396710」

 そして対戦相手にも同じことをする。

「2458741」

 番号を読み上げた。しかしそれ以上何もせずに、リングから出た。異様だった。格闘技の試合みたいなのに、歓声も何もない。沢山人がいるのに、シーンと静まりかえっている。その代わり、皆、まばたきも許さないほど真剣にこちらを見ていた。その視線が直人の体を突き刺す。

 過呼吸でどうにかなりそうだった。そうか、ここは観客としてではなく、全員が選手の格闘場なんだ。そんな思索をめぐらしているとき、大きな声があがった。

「直人! がんばれよ!」

 一輝の声だった。直人は息を整えて、声のした方を見る。一輝はこたえて手を振っていた。直人は少し落ち着いた。固い唾液を喉に通した。

「始め!」

 闘技場にその声が反響する。落ち着かせていたとはいえ、心の準備がまだできてなかった。直人はさすがにうろたえる。そんな様子を見て、対戦相手の男はゆっくりと近づいてきた。直人は身構える。

「まだ、何もしないさ。お前、今日初めてだろ?」

「……ああ」

「まあ、安心しなって、楽に殺してやるよ」

 対戦相手は確実に殺すと言った。確実に言った。直人はその場から後ずさりをして、金網に背中をぶつけた。心拍数がまだまだ跳ね上がる。ますます息が荒くなる。直人はまだ、自分が何に直面しているか? 何と対峙しているか、頭で分かっていても受け入れていない。

「疾」

 対戦相手が唱えた。対戦相手の右手から細い光の糸が出た。直人は目をこする。電気だ、あれは……。

「疾」

 今度は腕を天に突き上げた。右手から数えきれないほどの電気を放っている。あんなもので殴られたら失神するだろう。そうか、だから楽だと……。

 終わりだ……。直人は戦意喪失している。

「直人! 諦めるな!」

 ハッと振り向いた。誰もが直人の負けだと、憐みの目で見ている中、一輝だけはまだそうさせない思い目を目に宿らせていた。諦めるのはまだ早い。次に前を向いたとき、直人の目の色は変わっていた。

「おっと、あがくのはいただけないな。俺も電力操作がそんなに上手い方ではない。間違って意識が残るぐらいの出力になるかもしれないぞ」

 電気椅子のことか。しかし。

「やすやすと負けを認めてたら、これから先も生き残ることは不可能だろ。勝てないまでも、あがくぐらいはさせてもらうさ」

「あっそ」

 対戦相手はいきなり右手で殴りかかった。直人は前回りをして、相手の足元を抜け、距離をとりつつ、立ち上がる。しかし、起き上がった直人は、金網に目が釘付けになる。

 対戦相手の手から放った電気が金網に全体に走っている。ビリビリと耳障りな音がする。

 そうか、場所が悪い。相手にとってこのリングは有利であること以上何ものでもない。

「運がいい奴め、そのまま金網に背中をつけとけば、感電したのに」

 自己治癒力だけではどうにもならないのか? 直人は切り傷ぐらいしか治せないと言ったが、実際のところは打撲、捻挫、骨折でも軽いもの程度なら治せるぐらいの道術は習得していた。しかし、感電はどうしようもない。そう思ったが、今ひらめいたことは逆に試してみる価値はあると思った。

 電圧にもよるが、人体が感電する場合、一番弱いのは心臓である。つまりは心停止で死亡するぐらいの電流であれば、直人は自己治癒力を高めて、心臓だけ治して復帰できることが可能である。直人の考えはあまり意味ないことかもしれない。しかし、あがくことはこれから闘い続けることにおいて大いに意味はあった。簡単に死なないことを皆に見せつけること以上に、精神面に大きく影響すると思えるからだ。

 とにかく直人は逃げた。逃げた。そして捕まった。相手から態勢を崩して、倒れてしまった。相手は直人に覆いかぶさるように、四つん這いになり、そしてゆっくりと電気を帯びた右腕を直人の右肩に叩き込む。

 痛いなんてもんじゃない。初めて受けた感覚が体の中を一瞬、支配し、そして、胸の鼓動が止まった。

 対戦相手は憐れむように、直人を見ている。

「悪いな。心停止ぐらいの電力なようだ」

 しばらくして、対戦相手は言った。

「もう終わりだ。コイツは死んだよ」

 そう言ってリングから出ようとした。試合を見ていた黒服も動き出し、タンカを用意するように指示していた。

 そんな中、直人は一瞬にして、対戦相手の後ろに立ち、後頭部を肘で殴り倒した。

  ―――やった。やったぞ!―――

 直人の心は歓喜に満ちていた。あの後、心臓だけをすぐ治癒させて、倒れている最中に体が動くようにゆっくりと負傷している箇所を治癒させていっていたのだ。

 直人にとって初めての試みであった。感電の治療はもちろん、時間がかかったとはいえ、こんな全身を治癒したのは初めてだ。

 全員が目を白黒させている。何が起こったか分かっていない。

 しかし、直人の思い通りにはいかなかった。対戦相手があまり負傷していなかったのだ。すぐに立ち上がり、そして「疾」と言って、直人に殴りかかった。直人は完全に意識を失った。


                  ※


 ここはどこだ?

 直人は目を覚ました。何故だがスッキリしている。まるで生まれ変わったような感覚だ。

 周りを見渡してみる。直人の目に生い茂る草、ところどころに立っている樹木が映る。真上を見上げる。太陽が昇っている。日の光を浴びて、植物たちが存在を主張しているかのように活き活きとしているように思える。

 背中に付いているものを払う。これは土……。

まるで元いた山に戻ったようだ。あれ……。元いた山? 俺は何をしていた?

直人は頭の中にあった記憶を探る。そして思い出す。仙界という名の牢獄。そしてあの試合。俺は死んだ……。

それを思い出した瞬間、重いものが直人にのしかかる。

背天数を減らしたのか? しかし、それにしてもここはどこだ? 歩きまわったら、目に見えない何かに体をぶつける。

 直人は尻もちをついた。日光が届くように目に見えない壁で覆われているのか? しかし囲まれているなら扉があるはず。

 見ないようにしていたのだろうか? 隣接する建物がそびえ建っていた。そしてちゃんと鉄の扉の入り口がある。

 ゴクリ。灰色に囲まれた建物は一階建てのようだ。それは直人にはとても広く感じられた。あの場所にまた戻るのか……。もう少しこの場所にいよう。

 そう思った矢先、扉が開いた。黒服の男がやってきた。

「今、生き返ったばかりか?」

 ゆっくりと首肯する。

「そうか、右肩を出せ」

 それを聞いた瞬間、直人は右肩をチェックする。バーコードが掘られたままだ。

 ああ、死んでも何も変わらない。理不尽な現実からは決して逃れられないんだ……。

 ピッと音がなり。男は言った。

「背天数六。天数七。よし、建物に入れ」

 直人は重たい足取りでその男についていった。やがて見覚えのある道に出て、そして部屋が並ぶ廊下に出た。

「今日はこの部屋だ」

 九とドアに書かれた部屋に入るように言われる。直人はうつむいた。

「どうした?」

 ぞろぞろ人が集まってきた。警備している他の黒服もやってきた。皆、バーコードをスキャンし、それぞれの部屋の中に入っていく。

「自由時間は終わりだ。早く入れ!」

「……」

 そんなとき、声がかかった。

「直人!」

 一輝だった。直人は一輝の方を向く。

「よくやった!」

 直人はこの世界で初めての涙を流した。

「うん」



 直人は六の部屋に入った。一輝は七の部屋に入っていっていた。六の部屋には先に女が座っていた。とても美しい女だった。歳は二十代後半から三十代前半のところであろう。

「なんだい? ぼーっと突っ立ってないで、座りなよ」

「はい」

 直人は女から目を切り、あぐらをかいた。しかし自然と視線が戻ってしまう。

 女は手を背中の後ろにつき、足を投げ出すようにして座っている。キリッとした細い目で、黒い長い髪、整った鼻や口、大きな胸。それにも関わらずとても細身だった。大人の色気がプンプン立ち込めている。

「あんた、じろじろ見ないでくれないか? いやらしい」

 直人はハッとした。自覚がなかったのだ。

「すみません」

 女はフゥと息を吐き出しながら、指を見ている。

「あんた、名前は?」

「直人です」

「敬語外していいよ、何をかしこまってるんだい」

「……うん。君の名前は?」

「早苗」

「……」

 直人はその後、かける言葉が見つからなかった。あまり女性に慣れていないのだ。しばらくの沈黙の後、早苗は言った。

「あんた、あたしの名前を知らないところを見ると新入りかい?」

「うん。まだ来たところ」

「それで背天数、六かい。かわいそうに」

「来たとき、七だったんだけど、一回負けて。見てなかったの?」

「見てないし、知らないね。あたし他人の試合に興味ないんだ」

「そう……」

 早苗はため息をついた。

「あんた、つまんない男だね。もう寝るよ」

 そう言って、早苗はタンスから布団を出した。

「手伝うよ」

「いいよ」

 早苗は自分の分だけ敷いて、すぐ横になった。

「言っとくけど、天数稼ごうとして、寝込み襲ったら殺すよ。あたし強いから」

 直人は自分の布団を敷きながら、頷いた。


 やがて部屋の電気が消え、刻一刻と時間が経過した。

 直人は寝られる訳がなかった。横に美女がいる。性器が勃ったままだ。心臓が鳴りやまない。それでも寝てるフリをした。

 そんなとき、早苗が立ち上がったような気がした。ごそごそ動いている。ドアをトントン叩いている。そしたら、ドアがトントンとかえってきた。早苗は部屋から出ていった。

 ……なんだ? 直人は何が起こっているか、なぜ部屋から出ていけるのか? 何も分からなかった。



「そういうことがあったんだ」

 食堂で直人は一輝に昨日あったことを聞かせている。

「早苗だな。アイツは目をつけられているからな」

「どういうことだ?」

「じきに分かるさ」

「そうか……」

「それよりもお前、目下気にすることは次にどうやって勝つかだろ?」

「ああ」

「あと、六回負ければ、この世から存在が消え去る」

「どうすればいい」

「言っただろ? お前の防御力を武器にしていけばいいと」

「そうだが、具体的に……」

「この前は負けたが、見事だった。お前自身驚いているんじゃないか?」

 それを聞いて、闘っていたことを鮮明に思い出した。確かに感電から自分を復活させた。凄いことだ。

「今まで自覚無かったような顔してんな」

 直人はコクリとうなずく。

 一輝はうどんを箸で持ち上げながら、話す。

「とにかく、お前の道術をよく知ること、そして、磨くことにかかってるな、次の試合勝てるかどうかは……」

「そうか……」

 直人がそういうと、一輝はうどんをすすった。グーっとおなかの音がなる。

「金、貸してくれないか?」

 我慢できず、直人はお願いした。

「それはできない。いつまでも俺に頼ってもらっても困るし、それにハングリー精神ってのも次の試合に勝てる一因になりえる。まあ、すぐ試合が組まれるから、勝つまで我慢しろ」

「……そうか」

 納得がいかないように、一輝の食べているところを見ていた。そんな直人を見て、一輝は言った。

「勝てよ!」

「ああ」

 直人はそう言ってもらえて少し元気が出た。



部屋に戻った直人は自分の道術がどんなものか? 自分には一体何ができるのか? それを考えている。

「あんた、何をしてるんだい?」

 胡坐をかいて、瞑想するように考えていた直人に早苗が話かける。

「何って……次に勝つために、自分に何ができるか? 考えているんだよ」

「はあ、真面目だね。男って本当につまらない」

「真面目って、あと、六回でこの世から消え去るんだぞ」

「それがどうしたんだい? 消えても生きる辛さから解放されるって思わないのかい?」

「……なんてことを」

 直人はそれを聞いて絶句していた。気まずい空気が流れる。そんなとき、早苗から声をかけた。

「あんた、それで何ができるんだい?」

「えっ!? ああ、怪我治せるよ」

「そう」

 突然、声をかけられた直人は早苗の方をパッと見る。早苗は背中を向けて胡坐をかいていた。

「……早くしなよ」

「はい?! 早く見せなよ。それを。一緒に考えてやるから」

「でも、怪我しないと」

「わかったよ」

 そう言うと、早苗は立ち上がった。直人に顔を合わせて言う。

「私は風を操れる」

「うん」

「この部屋は何も無いから、ここでやっても問題ない、少し壁や床が揺れるかもしれないが、うまいことやるよ」

 そう言うと、人差し指と中指を立てて言った。

「疾」

 立てた指の周りに空気が集まり、そして小さな竜巻ができた。何もない部屋の壁と床だけが吸い寄せられる。

 ……殺される。頭がそう理解し、そしてドアへ背中をつけて張り付いた。息を荒あげる。

「待て、何もしないよ。疾」

 そう言って、竜巻を消した。

「あたしはただ、あんたがしたいことに協力してやってるだけだよ」

 ゴクリと唾液を通す。こんな強力な道術を持つ奴が同居人だとは……。当たり前だが、自分は来たばかり、電撃の男や、目の前にいる女も自分より各上であることは何も不思議なことではない。ここにきて、直人は現状の認識の甘さを実感する。

 早苗は頭を掻いてため息をついて言った。

「安心しなよ。ほかの奴と違って、私は天数かせぎに興味などない。それとそれであれば、お前が来たときには、既に殺ってるよ」

 確かにそうだ。殺そうと思えばいつでも自分を殺すことができた。

「それに、仮にそういう気であっても、お前とあたしは自由時間までこの部屋に閉じ込められたままだろう。あたしはいつでも殺せるだろ。今、そういったことをする意味なんてないだろ?」

「そうだな。分かった、信じるよ」

 直人はようやく、体の緊張を解いた。

「ありがとう。では、軽くお前の体を空気で切り刻む」

 直人はうなずいた。

「それぐらいなら、治せるんだな? ではいくぞ。疾」

 中指と人差し指を立てて、離れて立っている直人に向かって、刀をきるように、左肩から腹にかけて斬った。

 かまいたちの要領だ。直人の服は切り裂かれ、左肩から右腹にかけて血が噴き出る。

「痛っ……」

 歯を食いしばってこらえた。

「疾」

 斬られたところを立てた人差し指と中指でなぞっていき、傷を消した。

「すごいじゃないかい?!」

 早苗はすごく喜んでいる。その笑顔は純粋そのもので、直人は自然に笑みがこぼれた。

「まあ、お前の道術がどういうものか、分かったところで、対策だな」

「ああ」

 直人は真顔に戻した。

「呪文は唱えないと、発動できないのか?」

「えっ……。ああ、それしかやったことない」

「後手に回るとお前は私に瞬殺される。道術使いであたし程の奴はなかなかいないが、一撃で相手を絶命させられる奴もいるってことだ」

 それを聞くと、直人は余計に自信を失った。視線を真下に落とす。

「だから、先に守る手段、もしくはお前自体の道術の力を上げろ」

「そんなことすぐには……」

 早苗はそれを聞くと、直人の目の前に立ち、大きな目で睨む。

「ここでは躊躇している暇なんてない。死に物狂いで道術の力を上げないと、消えるだけだ」

 直人は真剣な目に応えた。

「分かった」

「またいくぞ、構えろ」

 一か八かだった。直人は声を張り上げる。

「疾!」

 自分の体が鋼鉄になるイメージ。そしてその力で切り裂く風に耐えるイメージ。

 ウンとうなずいて。早苗は「疾」といい、直人の体をまた斬った。




 自由時間が来た。アナウンスが流れる。

「はあ。うまくいかなかったな」

 直人と早苗は汗まみれになって立っている。

「ああ」

「まあ、特訓にはまた付き合ってやるよ。次の試合まで間に合うといいな」

 やがてドアの前に黒服の奴等が来て、二人のバーコードをスキャンした。

「お前、なんで上半身裸なんだ?」

 直人はアッと思って、焦る。

「私の道術を見せて欲しいってしつこいもんだから、見せてあげただけですよ……」

「そうか、あまりここでは闘うなよ。天数と背天数が乱れる。まあ、別に構わんがな」

 そう言って、制服は去っていった。早苗はその背中を険しい表情で睨みつける。

「あの……」

「ああ、あたしはもう行くよ。また後でな」

 そう言うと颯爽と去っていった。その後ろ姿を直人は見ていた。

「よう、直人」

 一輝が直人に話しかけた。

「おう」

「お前たち、何してたんだ? 壁が揺れてたぞ」

「ああ、早苗と特訓してたんだ。まず着替えるよ」

直人は着替えを取りに洗濯室に急いでいった。一輝は先に食堂に向かう。


「……なるほどな」

「ああ」

「後手に回るんじゃなくて、先に道術をかけて対策するか。一理ある」

「一輝もそう思うか?」

「ああ、でも、お前それはなんにでも対抗できるのか?」

「どういうことだ?」

「例えば早苗は風、前闘った奴は電撃だが、早苗なら体を鋼鉄化するイメージしたんだよな? しかし電撃の奴はそれでは感電してしまうだろ? 前情報が大事なんではないか? それを使うのは」

 その通りだった。直人は黙り込んでしまう。

「そんな難しい話ではないさ」

「どういうことだ?」

「事前に情報を仕入れていたらいい」

「しかし、来たばかりではどうにも」

「なるさ、俺や早苗に聞けばいい」

「そうだな」

 曇っていた顔に笑顔が戻る。

「何もそれはお前だけでもないさ、皆、試合を見に行って情報を収集しているんだ。俺もな」

 一輝はそう言いながら立ち上がった。

「行くぞ、対戦相手が出てるかもしれない」

 直人は一輝の後を追って闘技場に向かう。


二人は今日の対戦の組み合わせが書かれているモニターを見ている。

「俺、今日は闘わなくていいみたいだな」

 そう直人が言った。一輝はじっとモニターを見ている。

「どうした?」

「ああ、大したことではない。今日は俺だ」

「えっ! 大丈夫なのか?」

「多分この相手なら勝てる」

「そうか、一輝がそういうなら……」

「おそらくだぞ、ここの闘いに絶対などない」

「そう……」

 直人は心中を察したような様子だった。

「まあ大丈夫だ。伊達に死んでもない」

「そうか」

「まあ、今日は俺の情報もインプットしてくれ、今日の試合は全部勉強だな」

「うん」



 直人は少し早く闘技場に着いたはずだった。しかし、もう闘技場には沢山の人であふれかえっていた。前の方へと……。そう思い、空いている席を探す。早苗が見つけた。早苗の横の席が空いている。

「あんた、ここに座るのかい?」

「なるべく前の席の方がいいって」

「情報収集かい?」

 直人はうなずいた。

「一輝に言われたんだ」

「一輝ねえ。あまり信用しすぎるのは、どうかと思うよ」

「どういうこと?」

「まあ、悪い奴ではないけどね。ここにいる奴等は信用していいのかってことだよ。それを言うとあたしもだけどね」

 確かに早苗の言うことは当然だった。しかし、なんとなく一輝は信用できるって思いこんでいる自分もいた。

 やがて、一輝がリングに上がる。対戦相手も入ってきた。

 一輝はとても落ち着いているように見えた。逆に対戦相手はとても動揺している。黒服がリングに上がってくる。一輝のバーコードをスキャンする。

「543712」

 闘技場に反響する声。

「287951」

 黒服が闘技場から出ると、静まり返る。ゴクリと直人は唾を飲み込む。

「始め!」

 一輝の相手は中年の男だった。白髪交じりの頭髪でガタイが良い。しかも仙人として成熟している印象を直人は受けた。

「大和さん。今、背天数なんですか?」

 一輝に大和と呼ばれた男は答えた。

「三だよ」

「三……」

 それを聞くと儚い顔をした。

「見逃してくれとか、言わないんですね」

「お前の背天数も知ってるからな、七だろ。それに、お前が闘いで手を抜くとこを見たことがない」

「そうですね。しかし、心は痛んでいますよ」

「そうか、なら頼んでもいいか」

「……構えてください。大和さん」

「チッ! 冷血漢」

 まず、一輝が人差し指と中指を立てた。

「疾」

 そう言った直後、一輝は鷲になった。

「あれは……」

 直人は自然と大きな口を開けてしまう。

「一輝の道術は変化の術、何にでもなれる」

 早苗が説明する。

「そんな、何でもなれるのか?」

「そうだよ。本人が言っていたことだが、何にでもなれるらしい。しかし見たことがないものだけはなれないらしい。まあ、それも実際にどうだが分からないが、恐ろしい能力だよ」

「……で、相手は何の能力」

「知らないよ。基本、試合はあまり観ないんだ」

 そうだった。ならなぜ、早苗は今日に限って。

「どうして、今日は?」

「今日は友達が出るんだ。さすがに観とかないと」

「そうか……」

 直人は眉間にしわを寄せた。

「ボーとしてんじゃないよ。試合見な」

「うん」

 大和と言われた、対戦相手も唱えた。

「疾」

 土でできている地面が盛り上がっていき、やがて先のとがった円錐形の槍のようになり、鷲となった一輝を突き刺そうとした。一輝は余裕でかわす。

「どうやら相手は土遁の道術のようだね」

「ああ、だから一輝は空中に浮ける鷲となったのか……」

「しかし、一輝はどうする気なんだろうね。飛んだからって攻撃できないじゃないか……。かといって地面に落ちたら絶対に土遁使いには勝てない……。いや、そんなことないか」

 早苗は確信を得たような顔になった。直人には早苗が言っていることが分からなかった。

 一輝が化けた鷲はすぐに大和の顔めがけて降りていき、鋭い爪で顔をむしる。

「ウワー」

 大和は叫び、顔が血まみれになった。

「……どういうこと?」

 直人は早苗に聞いた。

「状況分析力がないね。あんた。道術うんねんよりも、頭が悪い」

 その言葉にイラっとしたが、我慢して聞く。

「何故、あの男は攻撃できない……。あっそうか!」

 直人も合点がいったようだ。

 簡単なことだ。大和という男が繰り出す土遁の術は地面を隆起させ、相手を突き刺すというもの。しかし自分の立っている場所にそれを使うことはできない。一輝が鷲になったのは攻撃から回避まで完璧に計算されて適当なものに化けていたのだ。

 しかし事はそんなに簡単には進まない。大和は土を隆起させ穴の無いかまくらのようなものを造り自分の周りを囲んだ。そしてそのまま何もしなくなった。

 防御に徹しているのだ。一輝からしてみれば一か八かで攻撃しても良いが、それでも相手の土に触れることは危険極まりなかった。

 膠着状態が刻、一刻と続く。鷲はため息をついた。かまくらの真上に向かう。

 何をする気だ? そう直人が思ったとき。鷲の口から「疾」と聞こえた。

 鷲が、大きな剣山となり落下した。そしてかまくらごと相手を突き刺した。

 大きな断末魔が響きわたる。

 土から出てきたのは、体が大きな穴だらけになった。大和という男の亡骸だった。

 しかし一輝も剣山から元に戻らない。直人は早苗に聞いた。

「どうして一輝は元に戻らないんだ? もう決着はついたじゃないか?」

「あんた、ほんと馬鹿だね。戻らないんじゃない。戻れないんだ」

「エッ!」

 驚いた顔を見せる。

「一輝は強いけど完璧ではないんだ。口がないものに変化する場合、呪文が唱えられないだろ? それでは戻ることができない。ただこのまま膠着状態が続くと、変化の術が解けてしまう。それでは土に足をつけてしまう。それだけは避けたい。だから、剣山に化けたのさ。ある種の賭けだね。剣山でも相手に気づかれると土遁使いの思うがままさ。しかし、相手はおそらく土のかまくらの中にいるため音が聞こえない状態にあった。勝算は高かった。タイミングが分からないから、術をかけれなかったのさ。それで見事に一輝は勝った。奴は本当に強いよ」

「でも、一輝はこのままなのか?」

 早苗はため息をついた。

「さっき時間が経ったら術が解けるって言ったろ? 一輝はそれを逆に利用しているのさ」

「そうか」

 ようやく直人は理解した。そして、一輝の恐るべき強さも肌に感じていた。

 やがて剣山が人の姿に変わった。

 一輝は言った。

「見たくない。早く、運んでくれ」

 黒服は頷き、タンカを持ってきた別の黒服達が大和を運ぶ。

 一輝は膝を払って、そしてリングを出た。そのとき、直人は声をかけた。

「一輝、見事だったよ」

 一輝は、声がした方に歩いて向かう。

「直人、そして早苗も一緒か」

「なんだい、なんか文句でもあるのかい?」

「いや、珍しいな」

「……安子が出るんだよ」

「安子か。今、背天数何だ?」

「二だよ」

「そうか、そりゃ見に来るよな」

 一輝は直人の横に座れるように頼んだ。座っていた人はあけてくれた。

 三人はリング内を凝視した。やがて、リングに上がってくる小柄な女の子が現れた。

「安子! 負けんじゃないよ!」

 早苗が大きな声で呼びかける。

 安子と言われた女は早苗を見つめ、頷いた。

「対戦相手分かるか? 早苗」

「ひどい奴だよ。郡山だよ」

「そうか……」

 一輝は顔をしかめた。

「どんな奴だ?」

 直人は一輝に聞いた。

「残虐な奴だよ。毎回ギリギリ生かして、ゆっくり時間をかけてやがる。殺しを楽しんでいるクズだよ」

「そんな……」

 直人は言葉を失った。

「早苗、安子に勝機はあるのか?」

 早苗は一輝の方を向き、難しい顔をして言った。

「分からない。安子の火遁はそんなに強力な方ではないから」

「そうか……」

「でも全く勝てないとは私は思っていない」

 そう言ったリングを見ている早苗の目には信じる力が宿っていた。

 やがて若い男が上がってきた。きっと郡山という男だろう。

 郡山は小柄な女の子をニヤニヤしながら見ている。嫌らしいというものではない。猟奇的殺人犯の顔だ。

「659841」

「874625」

 黒服が番号を読み上げ、リングから出ていく。

「始め」

 試合が始まった。

 先に動いたのは安子だった。

「疾」

 人差し指と中指を立て、安子の周りに炎の壁の円ができた。

 郡山はそれを見て、嫌らしい顔で言う。

「お前、どんな殺され方がいい?」

 安子はその言葉に強く反応する。

「殺されないよ。あんたなんかに。殺してやる!」

「威勢がいいこった。そんなチンケな道術で俺をどうにかできる訳がない」

「何を!?」

 郡山は手を地面に触った。すぐその場を離れて言った。

「疾」

 地面が破裂した。大きな砂埃が舞う。直人は咳き込んだ。茶色い空気を払ったとき、目の前に映ったのは、火のバリアーを失った女の子とニヤけている悪漢の姿だった。

「何が起こった?」

 直人はすぐに二人に聞く。

「爆弾だよ。郡山の道術は」

 そう早苗が言った。

「そうだ、とても強力な相手だ。目に見えない爆弾を作り出すことができる。それも威力は未知数ときたもんだから、かなり厄介だ」

 一輝が説明し、直人は顔の色を失った。

「そんな……」

 早苗は立ち上がり、声を張り上げた。

「安子! 諦めんじゃないよ!」

 体の震えが止まらない安子は早苗の方を向き。そして、また郡山を見据える。

「……諦めろ。お前ごときの火遁では勝てない」

 郡山は笑いをこらえるのに必死な様子だ。

「疾」

 安子の指先から火炎放射器のように、炎が噴き出す。向かう先の郡山は何も持っていない手で投げる動作をした。

「疾」

 空中で爆発し炎が飛び散った。安子の体に火の粉があたる。

「クソッ!」

 そう言った安子が「疾」と呪文を唱える前に郡山は瞬時に動き、安子の二の腕をつかんだ。安子は顔色がみるみる青ざめる。

「疾」

 安子の二の腕が吹きとんだ。

「アーアー」

 血がシャワーのように、噴き出る。痛いなんてもんじゃないだろう。想像を絶する。

「次は足だ」

 次は両足を吹き飛ばした。

「次はどこがいい?」

 早苗は見るのに耐えられない様子だ。今にもリングに向かおうという衝動を必死にこらえ、唇をかみしめている。

「早苗ちゃん……助けて」

 安子は片手だけで、金網の近くまで地面を手繰り寄せている。

「アンタ! 早く殺しなよ! もういいだろ!」

「部外者は口をだすなよ。見るに堪えないなら消えろ。これからもっと楽しくなるぜ」

 早苗はもう我慢ができないようだ。立ち上がった。リングに向かおうとした早苗を黒服が止める。

「対戦者以外は立ち入り禁止だ」

 それは早苗の逆鱗に触れた。

「だからと言って、このまま黙って観てろって言うのかい!!」

 そのとき、今にも消え入りそうな声がした。

「いいんだ。早苗ちゃん。早苗ちゃんにまで迷惑かけれない……私まだ闘えるよ」

 そう聞こえたとき、安子の胸が爆発した。安子は白目をむいて、仰向けのまま絶命した。

「……安子」

 力を無くしたように、早苗は腕の力を抜き、うなだれた。

「あーあ。興ざめだよ。死にたがる奴をいたぶるのが楽しいのに、まだ闘おうとするなんて、つまらない」

「クソ野郎が! 次はあたしが相手だ!」

 早苗は食って掛かるように声を荒あげた。

「別に構わんよ。お前も一緒だろうがな」

 それを聞くと、早苗は黒服に言った。

「コイツといつ組ませてくれる?」

「分からんし、簡単に決められん。まあ、前向きに検討しておくよ」

 それを聞くと早苗は殺意を持って、郡山を睨み言った。

「覚悟しておけ」

「ハハハ!」

 意地汚そうに笑う郡山を背に早苗は闘技場から立ち去った。



 試合を見終わった直人は部屋に戻る。足を踏み入れた瞬間、思わず固唾を飲んでしまう。

 空気が違う。早苗が人差し指と中指を立て、大きく息を吸い込んでいる。その表情は鬼気迫るものだった。

「疾」

 周りの空気が指の間に集まりだす。大きな竜巻ができた。

 直人は吸い込まれそうになり、早苗に言う。

「早苗」

 早苗はハッとして「疾」と言い、術を解いた。

「なんだい、帰ってきたのかい?」

「ああ」

「試合が終わったのか、じゅあ、夜の自由時間は終わりだ。黒服が来るか……」

「……何してたんだ?」

「特訓だよ。郡山を殺す」

 殺すと言った表情を見た直人は身の毛がよだってしまう。

「だから、あんたとの特訓もしばらく無しだ」

「ああ、構わない」

 しかし、早苗は直人を見てしばらく思考した。

「あんた……」

「何だ?」

「あんたの道術使えるかもしれない」

「というと……」

「あんたの回復の道術を私の道術の特訓に利用するだよ」

 直人はしばらく黙りこんでしまった。YESとはなかなか言えない。これには死ぬ恐れがあるからだ。

「まあ、すぐに強力な風をぶつける気はないよ。少なくともあんたの術の能力が未然に私の風を防げるようになってから行う」

「分かった」

 直人は了承したと同時に早苗を信じた。

「いい顔だ。いくよ!」

 ドアをノックする音がする。黒服だ。

「今日は時間がないみたいだな」

 早苗はこわばらせていた体の筋肉を弛緩させる。

 二人はバーコードをスキャンされ。部屋に戻ったら布団を出した。

「寝るよ! 明日お願いするから、任せたよ」

「ああ」

 やがて、明かりが消えた。



「おはよう」

 早苗が声をかけた。起きた瞬間、直人はお腹が鳴った。それを見て、早苗は笑う。

「今日はあたしが飯おごってやるよ」

「いいのか?」

「ギブアンドテイクだよ」

「ああ、そうか、ならお言葉に甘えて」

「早く布団しまいな」


 スキャンが終わって、二人は食堂に行く。

「なんでもいいよ。頼みな」

「……うどん」

「あんた何日飯食べてない?」

「死んでいた日にちがあるから正確には……」

「もういいよ。唐揚げ定食二つ」

 そう言って、列の中で注文した。

「トレイ持ちな」

 そう言って、トレイを取り、直人にも渡した。

「あたしと一緒のものだけど、これで我慢しな」

「いや、本当にありがとう」

席についた二人は話し合いながら朝食をとっていた。

 早苗の後ろから誰かが近づいてくるのを直人は気が付く。

「早苗……」

 そう言いかかけたとき、声がかかった。

「早苗ちゃん……」

 早苗は後ろを反射的に振り向く。

「なんだい、早かったじゃないか?」

「うん」

 瞳に涙をためた安子が立っていた。


                 ※


「安子、絶対に敵をとってやる」

「早苗ちゃん、そんなことしなくていいよ」

「いいや、あたしは許さない。安子にしたこと、郡山にあたしがしてやるんだ」

 それを聞いて、安子は慌てふためく。

「いいよ! 早苗ちゃん、危険なことはやめて」

「いいや。あたしは黒服に言った。次はあたしと郡山が闘うはずだ」

「早苗ちゃん!」

 安子の声は食堂全体に聞こえるようだった。

「もういいよ。もういいんだ」

 涙を含んだ目で精一杯の笑顔を安子は作った。

「……」

「戻るよ。あんた」

「ああ……」

 そう言って、その場から早苗はすぐに立ち去った。

 二人は部屋に戻り、早苗が直人に言った。

「安子はああ言ったが、背天数も一だ。相当なプレッシャーになる」

「……そうだな」

「あたしたちが幸せになる方法があるとしたら、そんなものは無いかもしれないが、少なくとも死ぬ前に辛い思いがなくなることなんじゃないか? と思う」

「そうかもしれないな」

「いくよ!」

「おう!」

 早苗が人差し指と中指を立てた。

「疾」

 直人が唱える。体を鋼鉄にするイメージ。

「疾」

 早苗が直人の体を斬った。

「痛っ……」



 直人は早苗との特訓でまだ一回も成功してなかった。時間だけが流れ、次の自由時間が来た。

「今日の組み合わせを見に行くよ」

「ああ」

 そう言って、黒服にスキャンされるのを待ち、闘技場に向かう。

 階段を下り、モニターを二人並んで見た。二人は固まってしまう。

「なんでこんなことに……」

 早苗は顔面が蒼白になってしまった。直人も郡山と安子の番号は記憶していたため、早苗が何故、心にショックを受けてしまっていたか分かっていた。

 組み合わせは第一試合の早苗が安子と闘い、そして第二試合に直人が郡山と闘う組み合わせだったのだ。

 ショックを受けていたのは直人も同じだったが、早苗は足に力を失い、倒れそうになってしまっていた。

「早苗……」

 直人がかけた言葉で、早苗は朦朧としていた意識から立ち戻った。

「……しばらく一人にしてくれないか?」

「ああ」

 早苗はその場から去っていった。



部屋に戻ってから、二人は無言で過ごした。そして、二人が闘技場に向かう時間が来た。

 早苗はリングにあがる。まだ気持ちが立て直せていない様子だ。そして安子もあがってきた。二人とも目を合わすことができていない。逡巡している。現実を受け入れることができていない。ロボットのように左腕を上げ、黒服にスキャンさせた。

「754231」

 早苗の番号だ。

「874625」

 安子の番号である。

「始め」

 無慈悲に黒服が開始を告げる。

「早苗ちゃん」

 最初に言葉を発したのは安子だった。

「……」

 早苗はかける言葉が見つからない。

「早苗ちゃん。私は大丈夫だから……」

 その言葉を聞いて、早苗は反応した。

「何言ってるのさ! アンタ、背天数一だろ? この試合に負けたら、この世からいなくなるんだよ! 大丈夫なことあるか!?」

「じゃあ、早苗ちゃんは負けてくれるの?」

「……あたしの背天数は六だ。いいよ」

「駄目だよ! そんな簡単に死んだら!」

「あんたとは命の重さが違う!」

「一緒だよ!」

 安子は大声をあげた。静まり返っていた観客もざわつき始める。黒服はその様子を見て、言った。

「早く始めろ!」

 二人はチラリと黒服を見て、無視するように見つめ合った。

「……正直、死ぬのは怖い。でも、私は強くないから、いつか郡山みたいな奴に殺される時が来るのを待つだけ。でも早苗ちゃんはそうじゃないでしょ? 早苗ちゃんは強いでしょ? 私はそんな簡単に命を捨てる、早苗ちゃんに耐えられない。早苗ちゃんはこんな地獄のような世界の中でも生きて欲しい」

「……嫌だ。あたしはあんたと闘えない」

「疾」

 安子は人差し指と中指を立て、早苗をさした。炎が向かっていく。早苗はとっさのことに反応が遅れ、その場で倒れてしまった。安子は早苗の倒れている傍にいき、何も出ない指先をさした。

「これで私が唱えていると死んでるよ、早苗ちゃん」

 安子はそんな早苗に背中を向けて歩いていった。それでも早苗は闘うことはできなかった。

「疾」「疾」「疾」

 安子の指先から出る炎を早苗は必死に避けていた。避けることしかできなかった。

「どうしても闘ってくれないんだね……」

「あたしには無理だ。あんたを殺めるなんて……」

「そう」

 安子はそう言って、にっこり笑い、そして唱えた。

「疾」

 今までにない大きな炎が早苗の前に現れた。このままでは早苗は熱で死んでしまう。早苗は唱えた。

「疾」

 炎は早苗の風によってかき消された。

 しかし、消火されていく炎の中で徐々に現れたのは、風で切り刻まれた安子の姿だった。

 早苗は目を見開いた。そして、すぐに安子の傍に行く。

「あんた、何さ、これは?! 何なのさ!?」

 両手で倒れている安子を抱きかかえて言った。安子の血液が早苗にふりかかる。

「これは私のとっておき。自身を炎に変えて、相手を焼き殺す術」

「それがなんなのさ。なんでこんなことを」

「そんな、死のうとしてやったわけじゃないよ。早苗ちゃんに勝とうとしたよ。でも心のどこかで分かってた。早苗ちゃんはこんな炎、簡単に消しちゃうって」

「安子……」

「あのね、私は早苗ちゃんにこんなに大事に思ってもらえて幸せだったよ。早苗ちゃんはずっと生きてて欲しい……」

 そう言って、息絶えた。

「安子――!」

 早苗の叫び声が闘技場全体に響き渡った。


 安子の遺体がタンカで運ばれて、早苗がリングから出てきた。郡山が大爆笑している。

「おい! 何だあの三文芝居は?」

「……お前それ以上言うと殺す」

 静かにそしてドスの聞いた声だった。

「やってみろよ」

 ギラリと目を光らせて郡山は言った。

「待て!」

 黒服が止めに入った。

「闘技場ではリング外での殺しは禁止だ。背天数がめちゃくちゃになる」

「それがどうした」

 早苗は黒服をも殺そうとしていた。

「まあ落ち着けよ、早苗」

「あっ!?」

 郡山の言葉に早苗は鋭い声を突き刺す。

「三文芝居ってのは取り消してやるよ。ただ、この世界では弱い奴はクズだ。クズは消えていくだけ。皆もそう思うよな?」

 問いかけられた皆は、難しい顔をして頷く。逆らえないのだ。郡山には。

「お前、それ以上言ったら……」

 今度は一輝が反応した。

「お前もか、一輝。二人とも闘うことになったら相手してやるよ。そしたら、俺の言うことが学習できるだろ」

 あざ笑うかのようにリングに向かった。まるで試合に臆している気配がない。心から楽しんでいる。

 ずっと見ていた直人は固唾を飲みこんだ。

「直人……」

 一輝が直人に言った。

「分かってる」

 そう言うと直人も席をたちリングに向かう。

 直人は勝てる見込みは無いと思っていた。早苗との特訓で事前に体を守る道術は一度たりとも完成していない。仮にそれができたとしても、防御だけで、攻撃する手段もなかった。

 勝てないだろう。しかし、負けられない。

 そう心に強く誓ってリングに上がった。

「今回は雑魚だな」

 郡山が言い捨てた。

「……」

 黙っていた直人だが、郡山を鋭い目つきで見ていた。

「お前は死ぬだけだよ。なんか、早苗や一輝と仲良くやってるみたいだが、薄っぺらい望みは捨てな。勝てる要素が一つたりともない」

 黒服がやってきた。

「874625」

「1396710」

 読み上げると、出ていった。

「始め」

 始まった。直人の心中は勝つ意思と同時に大きな恐怖も含まれていた。しかし、勝つ意思が闘志に強く影響し、体中をみなぎらせている。

「やってみろよ」

「はいはい。どいつもこいつも威勢のいいこった」

「疾」

 直人はすぐに唱えた。郡山は笑った。

「何のつもりだ? 何も起こらないじゃないか」

 そう言って、何かを投げるような動きをしてから「疾」と言った。

 爆弾が飛んでくる。直人はそのとき、死を意識した。

 爆発音で、思わず目を閉じてしまった。ゆっくりと目を開けたとき確認できたのは目を丸くさせている郡山だった。

「お前、一体何をした?」

 理解ができていない。当たり前だ。直人すら現状を理解していないのだ。

 直人はただ、いつものように鋼鉄の体をイメージして、唱えただけ。

「何かの間違いか? 俺の道術が不発だったのか?」

 そう言い、また見えない爆弾を投げつける。

「疾」

 何も起こらない。そのとき早苗が声をあげた。

「あんた、やったよ! 道術が成功したんだよ!」

 直人は早苗の方を向く。早苗と一輝はとても喜んでいる。

「そうか、体を鋼鉄化できたのか!」

 これまで一度もできなかったことが、実戦で初めて成功した。

「なんだか知らないが、これでも、そんな様子でいられるか?!」

 郡山は身のこなしも素早い。すぐ直人は腕を掴まれた。

「疾」

 痛い。そう思ったが、掴まれた腕を見てみると、何も起こっていない。郡山は混乱しているように見える。

「なんだ、鉄の棒をさわったように感じる……何が起こっているんだ?!」

 直人は笑った。

「さっきまでの余裕はどこにいったんだ?!」

 直人はもう臆さない。もう負けない。勝つ。必ず勝ってみせる。ジリジリと郡山を追い詰めて、金網に背中をつかせていた。

「お前を殺す」

 その言葉を聞いて、ハッとした郡山はすぐその場から離れて距離をとる。

「鉄に体を変えられる道術だな? じゃあ、鉄を爆破するだけの威力が必要。それだけのこと」

 そう言って、落ち着きをはらった。そして直人めがけて投げ込んだ。

「疾」

 大爆発が起こる。直人の体の一部がちぎれ、飛び散った。しかし、不思議と悲鳴がでなかった。決して痛く無いわけではない。勝つ意思が凌駕したのだ。

「疾」

 体が元に戻る。この自己再生能力に郡山は怯えた。不気味以外何ものでもなかったからだ。

「疾」

 体を鋼鉄のように固くする。そして、郡山をまた金網に追い詰める。

「来るな……」

 郡山は無我夢中で爆弾を投げる。直人の体のいたるところに小さな爆発が起こる。

 直人は腕を振り上げた。郡山の頬に直人の拳がめり込む。郡山は吹き飛んだ。首は横に曲がって、向きをかえられなくなっている。

 ゆっくり、ゆっくりと直人は郡山が飛んだ方に向かう。郡山は完全に戦意喪失していた。身じろぎすらできない。

 直人は殴る。殴る。殴る。

「……もう早く殺してくれ……」

 かすれるように、微かに聞こえた郡山の声。

「お前、安子に何したのか? 分かっているのか?」

 それを聞いた郡山の表情は恐怖を超えた絶望を浮かべている。しかし、直人も手を止めてしまった。

 殺す? 俺が。人を殺めるのか?

 そんな直人は思考停止してしまった。まだ人を殺したことがない直人には、それを受け入れる覚悟ができなかったのだ。

 そんな直人の心境を知らない郡山は小さく唱えた。

「疾」

 リング内で爆発が起こる。散り散りになった郡山の肉片が飛び乱れる。

「……」

 直人は立ち尽くしてしまっていた。


 やがてタンカが来て、肉片を黒服がゴミばさみのようなもので肉片を回収した。

 直人は静かにリングから出る。

「直人!」

「あんた!」

 一輝と早苗が直人の傍にくる。

「直人すごいじゃないか? あの郡山を倒すなんて」

「……ああ」

 まだ、郡山をなぐった手の感覚が残っている。

 俺が殺した……。初めて抱く感情に戸惑っていた。

「あんた!」

 直人は早苗の方に振り向いた。早苗は精一杯の笑顔を作っていた。

「これで、安子も浮かばれると思うよ。ありがとう」

 早苗はそういって、瞳から一筋の涙が頬をたどった。直人は早苗に救われた気持ちになった。

「うん」


 まだ試合は残っていたが、三人はその後すぐに闘技場から出た。

「換金所に初めていけるな」

 一輝が直人に言った。

「換金所?」

「まあ、ついてきな。教えるよ」

 闘技場に入る階段の途中に広くとった段があり、そこの壁にはドアがあった。直人は気づいていたが、気に留めていなかった。一輝がドアを開ける。

「一輝、あんた、ついてきてもいいけど、一円もあげないよ」

「分かってるって」

「あれがそうなのか?」

「そうだ」

 そう一輝が答えた。直人の目には暗がりの中、たった一つの明かりが照らされていた。そこには人ひとりが入れるぐらいのアスファルトの壁で囲まれた部屋の中があり、ガラス張りの窓の向こうにいる黒服が座っているのが見えた。

「バーコードをスキャンして、天数が減ったのを確認できたら、金がもらえるんだ」

「そうか……なんだか、パチンコの換金所みたいだな」

 それを聞くと二人は笑った。

「そうだな。俺も最初はそう思ったよ」

 直人は肩を出して、スキャンした。

「お前、もらえないぞ」

 黒服がそう言った。

「何故です? 直人は試合に勝ったでしょ?!」

 不思議そうな顔をして、一輝が黒服に聞く。

「ああ、おそらく直接殺してないのだろうな、天数が減ってない」

「そういうことか……」

 一輝と早苗は腕組みをした。確かに直人はとどめをさせていなかった。郡山は自爆していた。

「分かったよ、そういうことなら、あたしのを半分分けてやるよ」

 早苗は左肩を出す。

 早苗はお金を受け取り、直人に半分渡した。

「ありがとう」

「いいえ」

「だいたい、いくらぐらいあるんだ?」

「一試合につき、だいたい一万円ぐらいだよ」

「そうか」

「じゃあ、行こうか?」

 一輝はそう言った。三人はそこから離れて、自分たちの部屋に戻った。

「直人、また明日な」

 別れ際の一輝の言葉が何気なく直人は嬉しかった。


直人と早苗は戻ってからしばらく沈黙が続く。口火を切ったのは早苗だった。

「あんた、大丈夫かい?」

「ああ、どうしてだ?」

「いや、なんとなくあんたが人を殺めたこと気にしてるんじゃないかってさ」

 直人は図星をつかれた。

「ああ、確かにそうだ」

「そうかい」

「ずっと、なぐった右腕に変な感覚が残って取れないんだ」

「そうか。しかし、すぐに郡山は生き返る。気にしなくていい」

「……」

 そうかもしれない。自分も殺された。しかし……。死という概念はここではまるで違う。それを受け入れるまでまだ直人には時間が必要だった。

「……早苗は大丈夫なのか?」

 直人は自分を心配してくれた早苗の気持ちが引っ掛かった。

「あたし、大丈夫だよ」

 笑顔をまた作っている印象を直人は受けていた。

 やがて、就寝時間が来て、布団をしいて、寝た。

 直人は最初、寝づらかったが、疲れからか、やがて意識が睡魔に誘われていった。


 目を覚ます。音がしたからだ。早苗が泣いている。声を殺しながら泣いていた。

「……」

 直人は何も声がかけられなかった。早苗の気持ちを分かっていなかった訳ではない。早苗は自分の友達を自分の手で殺したのだ。辛いなんて言葉で片付けられないほど、心に傷を負っているだろう。

「早苗」

「なんだい? 起こしてしまったのかい……」

 涙声で答えた。

「みっともないとこ見せてしまったね」

「やっぱり辛かったんだな」

「ああ、安子は下界のときからの友達なんだ」

「そうか……」

「あたしは下界の頃は色々あってね、毎日が辛かった。だから、死のうと決意して、山で首を吊ろうとしたときに出会ったのが安子なんだ。安子はあたしが首を吊ってくれてるとき命を救ってもらった。その後、安子は仙人になるため修行しているのを知って、あたしも一緒にいようと思った。苦しい時も楽しい時もずっと一緒だった。安子に感謝なんて言葉じゃ言い表せないほどの思いをずっと持っていたし、ずっと大切に思っていたんだ」

「……郡山が憎いか?!」

「郡山は確かに憎い。でもあたしは標的が間違っているような気がする」

「というと?」

「黒服達が何よりも憎い!」

「……」

「殺してやる!」

 その言葉には、憎しみ、恨み、そして殺意が強くこもっていた。



直人と早苗はしばらく試合が無かった。直人は早苗との同居生活にも慣れた。そんななかで、徐々に直人は早苗に惹かれていっていた。

 ある日、早苗と直人は夕食をとっていた。

「道術の修行、また付き合ってくれるか?」

「あんたも真面目だね」

 そんな様子を遠くから見ていた一輝が歩いて近づいてくる。

「ご両人、今日も仲睦まじいことで」

「は? 一輝、あんた何言ってんだ?」

「お前達できてんじゃないのか?」

「はい?」

 直人は一輝の言葉に対する早苗の一見、冷やかに見える対応に少しがっかりしてしまう。

「あんたこそ、直美とはどうなんだよ?」

 早苗が一輝に聞く。

「は?! 何にもねーよ」

「自分のことになると、そうやってしらを切るよな。あんた」

「……だから何にも」

「おーい。直美!」

「おい!」

 一輝が慌てている。こんな一輝を見るのは初めてだ。

「嘘だよ。ほら図星じゃないかい」

「ほっとけ!」

 一輝は気分を損ねたのか、その場から立ち去ろうとした。

「待ちなよ。一輝。直美は背天数いくつだ?」

 一輝が振り返った。

「三だよ」

「三か……心配かい?」

「ああ」

 そう言い残して去っていった。残された二人は、話を続ける。

「直美って誰のことだ?」

「直美ってのは一輝の恋人だよ。あの二人、同じ部屋にいる期間が長かったから、そのときにできたみたいだ」

「そうか」

 初耳だった。直人はよく一輝と一緒にいることが多いが、そんなことを聞いてもいないし、見たこともまだ無かった。

「帰ろうか?」

 早苗が直人に言い、二人は部屋に向かった。


 部屋に戻った二人はいつものように道術の訓練をする。

「疾」

「疾」

 直人はもう、早苗に何をされても平気なほど力をつけていた。汗を拭きながら早苗は言う。

「あんた、もう、私の攻撃にびくともしないね」

「ああ」

「しかし、体を鋼鉄のように固くする以外の道術も身に着けなきゃね」

 直人は頷いた。

「雷遁使いには対応できないからな」

「そうだ。それに、もうあんたのデータはこの前の試合で皆持ってる。一つだけの道術を武器にしてたら対策がつけられやすい」

「そうか……」

「まあ、徐々にでいいよ。今日はこれぐらいにしておこうよ」

 やがて、黒服がスキャンしに現れる。早苗はあれから、格別態度に変わった様子は見られない。ただ、去っていく後姿を見る目だけは、直人は寒気を感じていた。

「今日はあたしの日だな……」

 聞き取りにくい程の小さな声だが、直人は確実にそう聞こえた。

「なんて言った?」

 直人は早苗に確認する。早苗は目を合わさず、静かに言った。

「ああ、あんたには関係ないことだよ」

 絶対に何かある……。直人は頭に疑問を残したまま部屋に入り、そして布団をしいた。

「早苗、寝るよ」

「ああ」

 早苗は何かを考えている。さっきの一言が関係しているのか気になった。

 やがて消灯時間が来る。早苗は何かするつもりだ。そう直人は感じていた。

 直人は起きていた。ずっと起きていた。早苗が黒服達に何かをするなら、そうなる前に未然に防ごうとしたからだ。

 数時間が経過した。ドアがノックする音が聞こえる。

早苗が動いた。そしてドアをノックし返す。出ていこうとする早苗に直人は起き上がり、止めようと動いた。

「早苗、何しに行くんだ?」

 ドアが開かれ、黒服の男が直人を見ると、強く肩を押した。直人はよろけて、尻もちをつく。

「お前は来なくていい!」

 黒服は早苗を連れて行こうした。直人は立ち上がった。

「早苗をどこに連れて行くんだ!」

 早苗は視線を落とした。

「私は体を売ってるんだよ」

「そういうことだ」

 黒服はゆっくりと頷いた。

「じゃあ行くぞ!」

「待て!」

 直人の言葉を聞いた黒服はとても機嫌を損ねた顔をした。

「それ以上、ふざけたことぬかすと殺すぞ」

「直人……」

 早苗が直人をチラリとみた。そして前を向いたとき、決意に満ちた表情を見せた。

 直人はその顔を見て思考が止まってしまう。そうしている間にドアが閉められ、鍵を閉められた。

 ……早苗は何かをしようとしている。それは間違いなかった。

「殺してやる!」その言葉を思い出したとき、ハッとした。

「早苗行くな! 早まるな!」

ドアが叩く音がむなしく響いていた。




  二

 あたしは決して許さない。黒服達を決して許さない。あたしが郡山に恨みを持っていたことは知っていた。そしてあたしは闘えるように望みを言った。しかし、黒服は郡山と闘わせないどころか、郡山が殺した、あたしの大事な友達の安子と組ませて、あたしの手で安子をこの世から消そうとさせた。遊んでやがる。あたし達がどんなに辛い思いをしようが、どんなに傷つこうが関係ない。あたしたちの気持ちを弄んで高みの見物をしてやがる。殺す……。

 そう心に誓って、いつも輪姦される部屋に入った。

 この部屋に鍵はない。する必要がないからだ。二十人あたりの黒服たちは早苗を嫌らしい顔でなでるように見た。

「早苗の日は全員そろうんだな」

 黒服が他の奴に話しかける。

「早苗はいい女だからな。外せないよ」

 知っている。あたしの時は黒服が全員揃う。

「始めていいですか? 妲己様」

 黒服が妲己に確認する。離れたところで、とても派手な椅子に座っている妲己は言った。

「いいよ。お前たちも物好きだね」

「妲己様も顔立ちが良い男を食い物にしてはいかがですか?」

「私はそんな趣味ないよ。まあ、女が犯されている様はなかなか愉快だがな」

 クソ野郎が。殺してやる。

「さあ、服を脱げ」

 早苗は一度大きな呼吸をした。

「……疾」

 竜巻が早苗の周りを覆う。

「おい!」

 黒服達が慌て始めた。

「お前たちはここで終わりだ。全員殺す!」

 早苗は声を張り上げた。

妲己はそれを聞いて声をあげて笑った。

「たまにこういう奴があるから、やめられないんだよ」

「何?!」

「輪姦がリンチに変わる」

「は?!」

「私たちは妖怪だよ。お前たちの常識ではどんなものか? 分かっていないが、私達は神よりも強い」

「それがどうした?」

「お前は一人も殺せないよ。逆に殺されるよ。なあ?!」

 黒服達は嫌らしい顔で早苗を見ていた。もう何一つ慌てている様子は見られない。

「疾」

 さらに早苗は竜巻の威力を上げる。この威力なら常人なら触れただけで、体がバラバラになる。

「疾」

 そう言って黒服の一人が竜巻の中に入っていった。そして早苗の傍に来た。

 早苗の目には何一つ体が傷ついていない黒服が立っていた。ニヤリとする。

「お前、呪文唱えないと何もできないだろ?」

 仁王立ちしている黒服に早苗は本能から刃向かえないと感知してしまう。

「し……」

 そう唱える前に黒服は早苗の喉笛に四本の指で突き刺した。喉笛から血が噴き出る。

 竜巻が消えた。黒服達が集まってくる。

「妲己様、犯していいですか?」

「いいや、今回はリンチの方が私の好みだ」

「そうですか……」

 黒服たちはがっかりする。

「まあいいか、死なない程度に痛めつけてやろう。実際、こいつらにとっては死ぬよりも、死ぬことができず、苦しみが続くほうが辛いはずだ」

 妲己は頷いた。




  三

 ドアが開いた。直人は立ち上がる。そして目を疑った。今にも息絶えそうな早苗がタンカに運ばれてきたからだ。

「どうしたんだ!? お前たち何をしたんだ!」

「はあ?! 誰に向かって口を利いてるんだ」

「うるさい!」

 直人は唱えようとした。しかし、その前に早苗が力ない手で直人の足を触れた。

「早苗……」

 早苗は刃向かうな。闘ってはいけないと訴えているようだった。目に涙を溜めている。

「お前も俺たちに刃向かうとこんな風になる。今後気をつけることだな」

 黒服は早苗をチラリと見て、声をあげて笑った。

「……」

 ドアが大きな音を立てて閉まった。

先に早苗を救うことが先決だ。早苗がどんな状態が暗くてよく見えない。さっき廊下から漏れていた電気の光から推測されるのは、体のいたるところが骨折していた。刃物で切り刻まれた跡も多数。

 直人は首を振った。とにかく。しかし、どうやって……。医務室にいけるのは闘技場で闘った後だけで、他は許されていない。ましてや黒服達が負わせた怪我だから、治してくれる訳がない。そもそも就寝時間はここから出られない。直人は当惑している。苦しい思いが続くなら殺した方が楽になれるかもしれない。しかし、そんなことできる訳ない……。

直人はおもむろに人差し指と中指を立てた。

「疾」

 意図も確証もあった訳ではない。ただ、早苗を助けようとそれ一心になっていたことが、直人にそうさせていた。

 直人は指を頭から足のつま先までなぞっていった。

「……あんた……」

 暗がりの中、早苗は立ち上がった。

「あんた……人の体も治せるのかい?!」

「治ったのか?! 早苗!」

「ああ、なんともないよ。怪我が完治している」

「よかった! 本当によかった!」

 直人の目から涙が流れた。

「あんた、泣いてるのかい」

「……」

「直人、ありがとう」

「……ああ」

 直人は涙をぬぐった。そしてその後、目にギラギラした決意を宿らせた。



 次の日の朝、黒服がドアを開ける。直人は黒服をギラリと睨みつける。

  ―――まだ、行動に移すな。耐えろ―――

 そう思って衝動的になった自分を抑えた。しかし黒服の関心はそこにはない。黒服が早苗を見たとき目を疑った。

「あいつはなんで無事なんだ? 何故生きているんだ?」

 早苗はドアに向かってゆっくりと歩いてきて言った。

「あたしのとっておきだよ。教えられない」

 直人と早苗の目から、黒服はそれ以上何も言えなかった。スキャンし終えて、黒服は出て行った。

「なあ、早苗、本当にもうなんともないのか?」

「ああ、あんたのお陰でどこも痛いところないよ。それどころか、かすり傷一つない」

 早苗は直人に笑顔を見せた。

「そうか」

 直人は早苗から離れる。後ろから早苗の声が聞こえる。

「なあ、あんた、一緒に食べないのかい?!」

「今日は一輝と食べるよ」

「そうかい」


 食堂で直人は一輝を探した。一輝は女と一緒にご飯を食べていた。少し声がかけづらいが直人は横に立った。

「なあ一輝、横いいか?」

「ああ」

 一輝と女が食べていた手を止めた。

「この人が一輝の言っていた、直人さん?」

「そうだよ」

 一輝が返事した。

「直人、こいつが直美だよ」

「ああ、この前話にでた一輝の彼女か……」

「そんなんじゃない!」

 一輝は否定した。直美という女はさみしそうな顔した。

「そんなに強く否定しなくても……」

「ごめん」

 なんだか、中学生のカップルみたいだ。少し直人は微笑んだ。そして一輝の横に腰をおろしてよく見てみた。早苗とは違い、かわいい女の子だ。パッチリした目でショートヘアー。小さめの伸長。多分、直人に頼ってここで生き残ってきたのだろう。

「それで、俺に用ってなんだ?」

「早苗が殺されかけた」

「何!?」

 二人は身を乗り出して驚いた。

「一体誰に、何故?」

「黒服だ」

「早苗は今どうしている?」

「俺の道術で治した」

「お前そんなこともできるようになったのか?! いや今はそれはいい。詳しい事情を聞かせてくれ」

 二人は直人の話に耳を傾けた。

「……そうか、そんなことがあったのか」

「早苗さんが……そんな……」

 直人はコクリと頷く。

「で、どうするんだ、お前?」

「復讐しに行く! 早苗をあんな辛い目に合わせた奴等が許さない」

「やめろ!」

 一輝が厳しい視線を直人に送る。

「駄目だ、できない」

「どうしてもか?」

「どうしてもだ」

「そうか……お前の背天数も残り少ない。それに死ぬだけではすまないんだぞ」

 それを聞いても直人の顔は変わらないままだった。

「分かった。それで場所が知りたいんだな」

 一輝は直人の揺れ動かない気持ちから説得を諦めた。

「ああ」

「直美知ってるよな?」

「うん」

 それは直美も連れていかれていることを意味していた。そのことを思い出してしまったのか? 一輝は顔を歪ませた。

「連れて行ってくれないか?」

 直人は頼んだ。

「うん……」

 直美はとても消極的に見える。頭を下げて上げない。

「直美……」

 一輝が直美に言った。

「俺もついていってやる」

「分かった」


 三人は闘技場に来ていた。

「ここに来てどうするんだ?」

 直人は直美に言う。

「ううん。違うんだ。リングの上ってみたことある」

「そういうことか。」

 一輝が何か納得した顔をした。

「どういうことだ?」

「リングの上はマジックミラーになってるんだよ。観戦されていることは分かっていたが、見られなくなっていることはそういう意味があったのか」

「そうか……つまりは闘技場の上の階に黒服達が集まっているということだな?」

 直人の問いかけに直美は頷いた。

「どうやって行くんだ?」

「それが黒服以外は入れないんだ。黒服にもバーコードが掘られているんだ。そのバーコードをスキャンしたらドアが開いて、階段を上って、部屋に入れるんだ」

 直美は少し歩いて、壁を叩いた。確かにそこには溝があり、ドアがあるようにかたどられていた。

「そうなのか、こんなとこに……。全く気が付かなかった」

 そう一輝が漏らす。

「スキャンする機械はどこにあるんだ?」

「この壁をよく見て!」

 指さしたところだけ、小さな長方形の黒いガラスになっていた。黒い壁だったので、気がつかなかったのだ。

「黒服は手袋してるけど、手の甲には実はバーコードが掘られてあるの」

「そうか。つまりは入れないんだな」

 一輝がそう言うと直美はコクリと頷いた。

「直人、そういう訳だ。諦めろ」

「……それなら夜まで待てばいい」

「はあ?!」

「俺は夜まで身を隠しているよ。ありがとう。直美、一輝」

 そう言って、直人はひとりでに歩いていった。その時の直人の顔はとても口を出せるような顔でなかった。一輝と直美は後を追わなかった。


                   ※


「馬鹿勝てる訳ないよ!」

 食堂で話を聞いて、早苗が一輝の胸倉を持った。

「なんだ? なんだ? 喧嘩か?」

 周りがざわつき始めた。早苗は一輝を離した。

「あんた、着いていったんだろ?! なんで止めなかった」

「止めたよ。何度も。でも言って聞かなかった」

「そうかい……馬鹿だね。私は妲己どころか、ただの黒服一人でさえ、どうにもできなかった」

「そうだよな。それが出来ていたら、俺もとっくに皆殺しにしてここから出てるよ」

「それに見なよ」

 そう言って、黒服が直人を探し回っている姿を見る。

「どこに隠れているか知らないけど、そのうち見つかって半殺しにされるよ。本当にクソ馬鹿」

 とても、もの悲しい顔をした。

「早苗、分かってるのか?」

「ああ、でもここではそういう思いはなるべく捨てた方がいい……」

 直人は恨めしそうに床を見た。

「ああ。そうだな」


                    ※


 焼却室というものがある。死人は肉体を完全にこの世から消し去るため、その部屋に入れられる。そして、ある一定に時間が経てば人が集まり、いっきに燃やされる。まさにそのためだけの部屋だった。

 木を隠すなら森。簡単だった。直人は死人にまぎれていたのだ。もちろん、時々黒服の出入りはある。死人を運ぶ以外にも、完全に死んでいるかを判断することも必要だからだ。しかし、ずっとそこにいる訳ではない。

 直人は自分の体を仮死状態にした。死人に見せかけたのだ。もちろん夜になったら心臓が動き出すように、先に道術をかけている。それに意識だけはある。時を待つだけだった。


 夜が来た。大きな息を吐き出し、直人は立ち上がった。ある種の賭けだったかもしれない。今日火葬の日だったら死んでいる。まあでも、背天数が一減るだけの話だから、そんなに危ない橋でもなかったか。直人はそう思い、物音をたてないようにドアを開いた。

 消灯時間は廊下も薄暗い。これなら身を隠しながら、うまく、闘技場に向かえる。何度か懐中電灯の光を見たが、照らされずにすんだ。

 ここで黒服と女の子が来るのを待つだけか……。ドアに一番近い観客席の下に隠れた。

 息を殺す。そしてずっと待っていた。

懐中電灯の黄色い光が見えた。来た! 話では黒服が壁にバーコードをスキャンさせ、ドアを開ける。黒服が近づいてきた。女の子もいる。

 ドアに近づく。やるか! ゆっくりと物音立てず後ろから近づいた。黒服はドアを開けた。

女の子が気付いた。

「どうした?」

 黒服がのんきな声をかける。直人は黒服の後頭部を殴りながら唱えた。

「疾」

 突然のことで、黒服といえども対応できなかった。鈍い音がたち、黒服は気を失った。

「あなた……」

 女の子が怯えている。

「早く逃げろ!」

 直人を見た女の子はゆっくりと頷いた。気持ちが通じたのか、何をしようとしているか分かったのか? 定かではないが、少なくともこの場にいることが危険だと感じている。女の子は走っていった。

「さて……」

 うまく、失神させられたものの、この黒服をどうするか? 考えるまでもない……。黒服が絶命させる方法は分からないが、再起不能にするだけだ。

 直人はとにかく、鋼鉄のように固くした腕でいたるところを殴り続けた。完全に頭を潰したとき、息を吐いた。

 そして、階段を静かに上がっていく。ここまでは直人は想定できていた。しかし、この先は全く考えられていない。考えられないのだ。黒服達は一輝ですら刃向かうことを避けている。また早苗は全く歯が立たなかった……。道術がまだ発展途上の自分が闘えるものか?

 考えていても始まらない……。恐怖と緊張で手足が小刻みに震えている。

 ゴクリと唾を飲み込み、上がりきった先のドアを開いた。

「なんだ?! お前?!」

 黒服達の視線が入ってきた直人に集中する。

「早苗をやったのは誰だ?!」

 大声を張り上げる。

「ああ?!」

 黒服達が反応した。黒服の人数はだいたい二十人ぐらいか……。この真っ白い壁で覆われた二十五畳ほどの部屋にまばらに立っている。奥の椅子に座っている女がいた。こいつが妲己か……。この世界に来たばかりのとき、ご丁寧にここのこと説明した女に間違いない。

 妲己は突然笑い始めた。

「お前、754231番に惚れているのか?」

「何が754231番だ! 早苗だ! 次番号で呼んだら許さねーぞ!」

「はいはい、威勢いいこった。誰でもいい、適当にコイツを殺してくれ」

 それを聞くと黒服の一人が言った。

「私がやります」

 妲己はニヤリとした。

「まあ、ゆっくり見物させてもらうよ」

「お前、俺たちはなんだと思う?」

「妖怪だろ?」

 直人は早苗から聞いていた訳ではない。しかし、だいたい察しはついていた。妖怪がここに収容させ、管理している。また妲己という名前は古く中国にいた狐の妖怪のことだ。

「お前たちの元いた世界ではどういう認識か知らないが、妖怪は神よりも強くて、崇高なものなんだよ」

「は? それがどうした?」

 ものすごい剣幕で黒服に接する。もちろん、全く怖くなかった訳ではない、しかしこの場に立って、後戻りできないこと以上に、全身が怒りから生まれた闘志をみなぎらせていた。

「そんな強気でいられるのはここまでだよ。死んで頭を冷やしてもらうか?」

 そう言うと、黒服は唱えた。

「疾」

 そう言った瞬間、黒服は黒い煙に変わった。服が床に落下する。おそらく毒か……。そう思ったとき、直人は反射的にひらめきが生まれた。

 煙が口の中に向かう前に「疾」「疾」と言い、大きく息を吸い込んだ。

 直人は大量の煙をすべて吸い込んでしまう。

「馬鹿だコイツ」

 黒服達はケタケタと笑い始める。

馬鹿はお前達だ。直人はその場に倒れた。黒服達は直人の生死を確認するため、集まった。

「どうします? 妲己様、焼却室に運びましょうか?」

「そうだな、絶対に死んでるしな」

 笑い声が部屋に反響する。

「馬鹿はお前達だ」

 妲己は眉間にしわを寄せた。直人は立ち上がり、周りに立っている黒服達に黒い煙をまき散らす。黒服達は倒れていく。

「何故だ?……」

 倒れていった黒服達は何が起こっているか分かっていない様子だった。

 まず、直人は煙を吸い込む前に「疾」と言った。そのとき、体内に体に酸素を吸収する肺とは別に大きな肺を体の中に作った。そしてその中に煙を閉じ込めたのだ。横隔膜を一気に押し上げることで、息を吐き出し、毒ガスを黒服達にまき散らした。

 黒服達は皆倒れた。直人は呼吸しなくても死なないように二度目の「疾」で体を操作していた。

「後はお前だけだ、妲己」

 妲己はフンっと鼻息を鳴らした。そして「疾」と言って、風を起こし、煙を部屋の外に追いやった。

「おとなしく見ていたら、調子に乗りやがって」

 妲己はまた「疾」と言った。

 そのときの妲己の姿に直人は気押されてしまった。九本の尾がある、八メートルはあると思われる大きな真っ赤な狐。炎が全身に焼かれるように包んでいる。そして、その目で睨みつけられると、体が何かに縛り付けられたようで、身動きとれない。

「疾」

 妲己の口から、炎が襲い掛かってくる。直人は無理やり脳から体に命令させて、避けた。そして必死に逃げた。あの炎に体が触れると全てが終わる。そんな気にさせられたのだ。

 しかし、直人はやがて炎が身にふりかかった。

「疾」

 炎に焼かれても、自分には再生能力がある。冷静になれば勝てるはずだ。そう思ったが、とてつもない熱さに悶え、脚を崩す。

 何故だ? 何故、回復できない。焼かれた部分は黒く染まって、そのままだった。

「お前ごときの道術で私の術に打つ勝てる訳ないだろ?」

 直人は遠のく意識のなか、狐がケタケタと笑う声を耳にした。


「起きろ!」

 黒服が直人に声をかけた。起きると大勢の黒服に囲まれていた。誰も倒せたはいなかったのだ。

 クソを……。妲己に負けたこと、黒服達に一矢報いれなかったことが悔しくて仕方がない。何も、早苗のためにできなかった……。

「さっきはよくもやってくれたな!」

 こいつは階段の前で不意打ちした黒服だ。しかし、完全に顔がぐちゃぐちゃになるぐらい壊したはずだ。一体何故?

「分かっていない顔をしているな」

 妲己が直人に言った。

「お前の能力の一つに治癒能力があるだろ。だからだ」

「はあ、どういうことだ?」

 そう言って、まだ闘おうと立ち上がろうとした。足がなかった。付け根が黒く焦げている。それを見た瞬間、眠っていた痛覚が呼び起こされた。痛くて声もでない。

 その様子を見ていて黒服が言った。

「妲己様、こいつの顔をつぶしていいですか?」

「かまわんよ」

「……」

 歯が折れて、鼻がつぶれた。拷問とかそんなレベルではない。死ぬか生きるかギリギリをさまよわせている。

 気力を振り絞って、直人は残っていた、右手の人差し指と中指を立てて、消え入りそうな声で唱えた。

「疾」

 何も起こらない。さっきと一緒だ。道術が使えなくなっている。やっぱりあの炎に何かあるのか?……。妲己と黒服はその様子を見ていた。妲己は言った。

「できないよ。お前は何も」

 静まることのない笑い声。やがて一人の黒服が言った。

「どうします? 殺します?」

 妲己は返答する。

「いや、こいつは相当な雪辱を味わっているはずだ。自分の道術を使えない無力さを味わい、今や生と死の間を味わっている。今のままがいいだろう」

「しかし殺さないと私達の気が晴れません。妲己様が助けてくれなければ、死んでいたのかもしれないんですよ」

「そんなに言うなら好きにしろ。しかし私はこの状態がいいと思う。754231番に見せれたらなおのこそ愉快だ」

 それを聞くと、黒服達はニヤリとした。

「そうしますか」


 タンカで運ばれて、直人は早苗がいる部屋に投げ捨てられた。早苗は目を見開いた。

「これは一体どういうことだ!?」

 早苗は叫んだ。黒服は答えた。

「お前の敵を討ちに一人で乗り込んだんだよ」

 高笑いをする。

「クソ野郎が!」

 早苗は指を立てる。

「やめておけ、お前は前、俺に負けただろ」

「だから何だ?!」

 早苗は激情を抑えることができない。

「早苗……」

 直人の今にも消えてしまいそうな声。

「あんた……」

 早苗は直人の背中を抱えて右手を握りしめた。黒服はまた笑う。

「せいぜい死ぬまで、介抱するこったな」

 早苗は黒服を睨みつけた。黒服はそれ鼻で笑うように出ていった。

 早苗は再び、直人をみつめる。

「あんた、声出せるなら、自分の道術でどうにかならないのかい?」

 直人は臨終前の病人のように手を震わせて「疾」と言った。やはり何も起こらない。

「……道力が弱まって、何もできないのかい?」

 直人はゆっくりと首を振る。しかし早苗はそれはあまり気を留めず、涙を流した。

「なんて、馬鹿なことしたんだい……あんた」


 次の日の朝が来た。早苗は昨晩ずっと、直人の手を握りしめていた。

 目を覚ました早苗は直人に言った。

「あんた、朝が来たよ」

「……」

 もう声も出せない。

 ドアの鍵を開ける音がする。早苗は黒服をにらみつけた。

「なんだい?」

「スキャンだ」

「ああ、そうかい」

 早苗だけ、外に出て左肩を出す。

「ところで、それはまだ死んでないのか?」

「それ以上言うと殺す」

「ハッ。何もできないくせに」

「うるさい」

「あまり、いただけない態度をとるな。いつでもお前たちを殺せることを忘れるな」

「……」

 早苗は黒服から目をきり、そして直人の傍に行った。

 時間は流れる。朝食、昼食、夕食、自由時間、全て早苗は直人に付き添った。あるとき、心配して、一輝と直美が来た。

「お前も休め」

「そんな訳にいかない」

 早苗は表情を変えない。直人を見つめる目は大きな愛が含まれている気がした。

「なんだか、熱が出てるみたいなんだ」

 早苗が言った。おそらく損傷した部分から細菌感染したのだろう。直美はバケツと濡れた布を持ってきてくれた。

「ありがとう」

 早苗は直人のおでこに布をおく。

「早苗……。直人は苦しそうだ。楽にしてあげた方が……」

 一輝はそこで口つぐむ。

「あんたが言いたいことは分かるよ。でもそれはできない……」

「……そうか」

 一輝は早苗の表情を見て、早苗の気持ちが分かってしまった。

「あんた達もう行っておくれ。後はあたしが診ておくよ」

「ああ」

 そう言うと、一輝と直美は部屋を出た。

 早苗は強く直人の右手を握りしめ続けていた。


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