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夢追い人の跳躍 6


 その日の現場は今までの中で一番短く感じた。頭のどこかに必ずあの夢と水灰道理の存在があって、それはふっと息を吐いた時、ここにいるよと知らせるようにして脳裏を満たす。気にしたくなくても、心は自然とあの世界を思う。

 あそこはどこだろう。あれは誰だったんだろう。

 紗陽の頭の中が作り出した『水灰道理』。スタジオですれ違っただけ、あとは画面越しにしか知らない『水灰道理』

 あれは誰で、紗陽はあの時どこにいたのだろう。




観た? という安達の言葉に、紗陽はほんのはん瞬迷ってから小さく首を横に振って「いいえ」と答えた。とっさの嘘だったのでばれなかったはずだ、と心の隅が思う。

「そっか」

ケータリングの列に並び、トレーを取りながら安達がうなずく。

「今日も大変だしね」

朝も早いし、深夜までだし。観ている暇余裕なんてないだろう。そんな言葉が裏にあり、紗陽は何も言えなくなる。

拘束される。時間を。場所を。

そこで私たちは……

「……どうしたの?」

「……いえ」

ひとつ、心に決めたことがあった。

帰って、あのデータを読み込もう。




その日もホテルに帰って来たのは零時をとうに過ぎた二時頃だった。縺れるように部屋に入り、埃っぽい上着を脱ぐこともせずMacを起動させる。

立ち上がるまでの時間がもどかしい。たたた、たたた、たたた、指で机の表面をうすく叩き、そんな必要もないのに目を凝らす。漸く立ち上がったMacにさらに編集ソフトを立ち上げ、データが読み込まれるのを待った。

……ややあって、コマンドがいくつも表示されコマンドのひとつに水灰道理が映る。……服装も、夢と同じまま。黒い上着に白いシャツ。

データを再生させる。映画……とは言っても、これは設定のあるドキュメンタリーに近い。異国で会う人間は全て役者ではなく一般人。水灰道理は『ドーリ』という人間として世界を歩く旅人という設定。

脚本が欲しい、と唇を噛む。脚本がないのなら大まかな流れのメモでもいい。『ドーリ』の設定と……その世界の設定と。どうして『ドーリ』は旅に出たのか。

英 語圏内だったのか、水灰とマルスが喋っているのは英語だ。夢の中では聞き取れていたそれも今ここの現実では頼りないヒアリングでしか聞き取れない。つまり拾い上げる単語を頭の中で補完して想像しないと理解が出来ない。それでも、今朝起きてから確認したデータをもう一度再生すると少年は「Name」「Marc」と名乗っており、少年があの『マルク』であることを知らせている。

……このあと、二人はどうなるのだろう。この先からはまだ一切観ていない。

唇を舐めた。どうなってほしいのか、どうあってほしいのか紗陽自身もわかっていなかった。これでいいのかどうかも。

ゆっくりと、マウスをクリックして……その世界を、覗き込む……。




……眼を開ける前から、ここがあの世界だということがわかった。風に湿り気がない。日本では感じたことのない、どう形容していいのかわからない空気。

「サヤは妖精なんだな」

何やらあっさり納得したようにドーリが言った。

眼を開ける。

一面に広がる布の海だった。少し高い場所からそれを見下ろすように、サヤとドーリは立っていた。

「……」

「どうした?」

「……どうして私が妖精だと思うんですか?」

「どうして、って」

ドーリがちょっと笑った。何でそんなことを訊くの。そう言いたげな顔で。

「いきなり消えて、また出て来た。すぅって、霞みたいに消えたんだよ。サヤは。なのに、今こうやってまた出て来た」

「……私が消えてから現れるまで、どのくらい時間が経ったんですか?」

「三時間くらいかな」

現実時間とこの夢の中はリンクしていないらしい。

「……マルクは?」

「布を洗いに行った」

「……また?」

「さっきサヤを受け止めた布、受け止めた時に砂が付いたから。もう一度洗い直しに行ったんだ。俺はその契約不履行の追加分の仕事を終わらせたところ」

「……! ごめんなさい!」

ドーリにもだがまだあんな小さな子供に負担をかけた。あわてて思わずドーリの腕に縋る。

「マルクはどこ?」

「どうして?」

「どうしてもなにも、私のせいです。私が代わりに、せめて手伝いくらいはしないと」

「どうして」

 ドーリが苦笑いにも満たない口元だけ微かに歪める形で問うた。それには最早クエッションマークすら付けられない。ほんの僅か、嘲りすら含まれているような。

「あれはマルクの仕事だ。俺が手伝った理由は泊めてもらう恩義。仕事を履行出来なかったのは、どうであれマルクと俺の責任。あんたに求められるものがあるとしたら、それは『賠償』だ。でもマルクがそれを求めないんだからあんたに求められるものは何もないよ」

「……」

 正しいような、そうでないような。わけがわからず黙るサヤにドーリは続けた。

「サヤがどこから来たのか知らないけど。ここで言う『仕事』っていうのは生きるために必要なことだよ。その日いっぱいいっぱいを使って、日銭を稼ぐ。その日の稼ぎでその日を生きるんだ。長い眼でなんて見ない。足元だけを見てなんとかぎりぎり照らす、そんな意味なんだよ。そういう意味で見たら、あんたの『手伝い』は甘く感じる」

「……」

 どう返したらいいのかがわからなかった。サヤの腕には、ドーリが洗った傷も、マルクがもらってきてくれた軟膏も残っていない。つるんと、なめらかなままで……服装だって違う。現場帰りの埃っぽい露出のほとんどない格好。まるで何もなかったかのように。

「まあ、それでも気になるっていうなら。今からマルクの家に帰るよ。何か言いたいことがあるのなら言えば?」

 そう言うドーリに、力なくうなずくことすら出来なかった。



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