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紗陽たちを包んでいた暗闇はいつの間にか消えていた。しかし、後ろから徐々に迫って来る暗闇は消えていない。今紗陽たちがいる車両ももう残り半分のところまで飲み込まれていた。
「かんっぺきにホラーだよ、無理だよ……」
「……紗陽はホラー嫌いなの」
「嫌いです。というより無理です。駄目です。どうしてテレビからひとが出て来るんですか」
「ああ、あれは当時衝撃的だったな」
薄型テレビになって妙にリアリティは薄れたけど、と言われたが未だに紗陽は電源の入っていないディスプレイが怖い。たまに思い出してぞっとする。
「……駄目だ、鍵がかかってる」
前の車両に移ろうとしたががちゃがちゃと鳴るだけでドアは開かなかった。恐らくこの先は運転席。だからきっと、ドアは開かない。
「そもそもこの線路がどこに向かっているのかもわからないし」
「あ、そっか、さっき確認すればよかった」
「え?」
「上、登りましょう」
「ちょっ」
道理が少しあわてたような声を上げたが気にせず柵に足をかけてその上に立った。手で屋根の縁を掴む。
「紗陽!」
「大丈夫です」
腕に力を込めてばっと柵を蹴った。腕の力で屋根にしがみ付き、脚がぷらぷら揺れる。
「ちょ、ほら、踏め!」
足場として道理が肩を貸してくれた。ありがたいと感謝しつつ何とか屋根の上に上がると、紗陽よりも簡単に素早く道理も屋根の上に身体を引き上げた。流石喧嘩シーンも上手いひとである。
「……なんですか?」
「いや……」
どこか道理が呆然と紗陽を見ているので訊いてみたが、道理は曖昧に首を横に振っただけだった。不思議に思いつつも吹き荒れる風の中ふうっと息を吐く。紗陽がこの屋根の上に現れた時よりも風が強い。さっきスピードが上がったからか。
バランスを取りつつ何とか立ち上がると、道理が抱きしめるようにしてそれを支えてくれた。二人で前方に向かって眼を凝らすが、真っ黒な世界が広がるだけで線路も行き先も見えない。
「……真っ暗だな」
「真っ暗ですね」
「どうするか……」
「どうしましょうねえ……」
「……なあ、さっきから紗陽何でそんなに落ち着いてるの」
「ん? ああ……道理を見付けたら安心しちゃって。いやまあ、あなたと一緒に還るところまでが私の仕事なのですが。あと一段階だなーと思ったらなんかこう」
「……ちょっと見ない間にずいぶんとたくましくなったなあ……」
「ええ、まあ」
いろいろあったので。特に今回この世界に来てから。
「……たぶんね、怖がることは、きっと何もないんですよ。……あの時道理を吞み込んでいたものは、たぶんあなた自身。この列車を吞み込んでいるのも道理自身。この一面の黒も、全部ぜんぶが道理。……別の世界に逃げてもね。どこの世界で、誰を演じてもね。……道理は道理です。一生、道理です」
「……」
「道理のお兄さんもきっと―――それがわかったから、消えたんじゃないのかなと、思いました」
「……たぶんね」
ぎゅ、と、道理は紗陽の胴に回した腕に力を込めた。
「……創太の死はきっかけだった。……でも、きっかけに、過ぎなかった。……俺はたぶん、ずっと前から限界を感じてたんだ」
「……」
「現実が見えて。こうであったらいいな、ああであったらいいなっていうのを、自分の力では叶えられなくて。頑張っても、現実が辛くて……けどやっぱり映画が好きで。逃げられないで、立ち向かうことも出来ないで。立ち尽くして……消耗した」
「……」
「ある作品で、すごい揉めたんだ。監督と、揉めた。これはこうじゃないのか、あれはああじゃないのか……投げ出されるかなと思った。けど投げ出されなかった。……共演してた大先輩の役者さんも俺のことを投げ出さなかった。本当に大変な現場だったけど、……俺は月まで飛ぶことが出来た」
「……」
「それからだよ。もう少し。もう少しだけ頑張ってみようって。創太を待つ間、もう少しだけ、もう少しだけ……あいつとまた映画が創れるようになるまで、もう少しだからって……けど」
けれど。
「……創太がどこかにいるんだ」
「はい」
「この世界のどこかに」
「はい」
「俺は探してた。逃げ込んで、逃げる先として創太を探してた。……でもいつの間にか俺は俺でも誰でもない誰かになっていて、自分が誰だかも思い出せなくなって。大切なものは全部置き去りにしていて。どんどん身体が動かなくなっていって、紗陽には酷いこと言われて置いて行かれて」
「ご、ごめんなさい」
「それでもどこかに行かなきゃって思って……でもどんどん意識が遠退いて。……眼が覚めたら、紗陽がいた」
「……」
「すげえ怒鳴ってた。見たことない顔だった」
「視界の暴力すみません」
「や、すごい綺麗だと思った」
「……」
「嘘じゃないよ。本当」
「……そう、です、か」
……それはそれでそっちの方が問題な気がするのだけれど。
「……何にも、怖がることがないなら。……これはきっと、『終わり』だな」
広がる黒に向かって、道理が呟く。
「ブラックホールでも暗闇でもない」
「……エンドロール、なんですね」
「たぶん違う」
「え?」
「エンドロールにはまだ早い。……マティーニにも、早すぎるんだ」
「……」
そうか。
ラストカットにも、早すぎる。
「……紗陽はこの前、この世界に干渉出来るって言ってたな」
「……はい」
「……当たり前だろ。これは紗陽の世界でもあるんだから。……『これ』で世界は閉じる。けど、終わらない。―――紗陽」
まっすぐな眼が、紗陽を見た。
「俺と世界に参加して」
時間が止まった気さえ、した。
「……大丈夫ですよ。道理は」
紗陽がいても、いなくても。
「私なんかいなくても、大丈夫」
あなたのことを紗陽は知っている。
あなたが大勢を月に飛ばすのを、裏方としていつか支えよう。
そんな日が来たらいいなと、願い続けよう。
「―――あなたは本当に、大丈夫」
そう、と、道理は言った。紗陽は本当に頑固だなと、あきらめて小さく笑うように。
「―――終わらそうか」
「はい」
うなずく。―――ぎゅう、と、一度だけ道理を抱きしめた。
「絶対大丈夫です。絶対です」
「うん。―――紗陽」
「はい」
「眼を覚ました時、俺は誰かに伝わってる?」
眼を見る。まっすぐに、うなずいた。
「そっか。―――それは」
それは。
「最高の世界だ」
二人で同時に。
列車の上から、飛び降りた。
誰かに呼ばれた、そんな気がした。




