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マティーニには早すぎる 2

 やって来た打ち上げ当日、ほんの少し余所行きのワンピースに袖を通し打ち上げ会場へ向かった。大きなホールを貸し切って、立食形式にあちこちワゴンが並びおいしそうな匂いがする。

大きなスクリーンには『祝! くらんくあおおおう!』とプロジェクションされていて、何だこれと思ったらすぐ横に『安達くんが打ち込みミスをしたのでそのまま使います』と表示されていた。あちこちで「無事くらんくあおおおうしてよかったなあ!」「くらんくあおおおうした瞬間本当に終わったのかと疑っちまったよ!」などという会話が成され、安達の名言はどうやら今日の流行語大賞間違いなしのようだった。

「あ、紗陽さん」

「ヒナさん」

 ヒナはびっくりするほど綺麗でかわいらしかった。いや、元からかわいらしいひとなのだが、黒いパーカーにジーンズという黒づくめの服を脱いで青みがかったグレーのワンピースを纏ったヒナは本当に綺麗だった。さらさらとした髪がヒナが動く度揺れ、薄く化粧が施された顔はかわいく、唇がほんのりと色付いている。元から人気者だったが今日は殊更注目を集めて

いた。

「ヒナさん、すっごく綺麗です……」

「……そうですか? うれしい。紗陽さんもイメージ変わってかわいいです」

 小さく微笑むヒナに思わず微笑み返す。

「足、大丈夫ですか?」

「おかげさまで、なんとか。でも久々にヒール履いたからちょっと疲れてます」

「ああ、わかります」

 ここ二ヶ月間スニーカーだったのだ。無理もない。大変でしたもんねとお互い笑い合って、はじまった監督のスピーチを聞いた。

「まず最初に。―――本当にありがとう」

 マイクを通した声で与賀が言う。仄暗く照明が落とされ、与賀がライトアップされる。

「本当に大変だったと思う。厳しい現場だったと思う。でも最後までやり切ってくれた全員が、本当に素晴らしいスタッフだと思う。―――素晴らしい映画にしよう。ありがとう! 乾杯!」

 乾杯、と全員が合唱しグラスを掲げた。隣にいるヒナや周囲の人間とグラスを打ち付け合って、くううっと一気に煽る。おいしい。―――本当に、おいしかった。

 お疲れさま、お疲れさま! 大変だったね、厳しかったね! でも終わって本当によかった。お疲れさま! くらんくあおおおう! ちょ、もうそれやめてくださいお願いします! ……広い会場であちこちでグラスが合わされ、会話が成される。達成感。全員でひとつのものを創り上げた充実感。終わった。……まだ完成まで時間はたっぷりかかるが、でもひとまず、紗陽の仕事は、終わった。

「紗陽さん」

 声をかけられ振り返ると、そこには松白がいた。場の空気もあって、紗陽もうろたえることなく微笑み返すことが出来た。

「お疲れさまでした、松白さん」

「お疲れさまでした」

 お互い、手にしたグラスを軽く合わせた。

「大変でしたね」

「はい、でもとても勉強になりました」

「僕もです。……今回はちょっといろいろやばかったですけど」

「私もです」

 くすっと、二人で笑った。

「……大丈夫ですよ」

 静かに、紗陽は言った。

「もうすぐ眼を覚まします。絶対です」

「……絶対?」

「はい、絶対」

「……なら、絶対ですね」

「はい」

 眼を合わせて。

 もう一度、笑い合った。

「……ありがとうございました」

「いえ。私は何もしていません。……でも、私も、ありがとうござまいました」

「僕も何もしていません」

「そうですか?」

「ええ」

「……私もですよ」

「そうですか?」

「ええ」

 くは、と、笑う。ほんのり滲んでしまった気持ちは、やがてどこかへ消えるだろうと、そう思う。

 松白と別れ、何となく自然と離れたヒナの姿を眼で探して―――どくん、と、胸が痛みを孕んで鳴った。真っ青な顔をした安達が人並みを縫うように足早に出口に向かっている。酔っているようには見えない。何が……なに、が。

 無意識だった。同じように足早に人並みを縫い安達を追う。出口寸前のところで何とかその上着を掴まえた。

「安達、さっ!」

「っ!」

 ばっと安達が振り返った。―――今にも泣き出しそうな、絶望し切った顔で。やめて。―――やめて。

「あだち、さ……」

「―――容態が、悪化した」

 ひゅ、と、

 心が、鳴った。

「集中治療室に、入った。……病院へ行く」

 そう言って。安達は紗陽の手を振り切ると、外に向かって飛び出して行った。

 残された、絶望と悲しみと紗陽と心。

「―――……」

どうして。なんで。―――どうする。

 考えろ。考えろ。最後に会った時。具合の悪そうだったドーリ。魂が異物と無理矢理繋ぎ合わされたみたいだと言ったドーリ。ホームに残し、そうして紗陽は、あの世界から去った。

「ドーリ……道理……」

 ドーリ。道理。―――水灰、道理。

 影は来なかった。あの時、影は……だから変えられなかった? 紗陽は世界を変えられなかった?

 今も―――ドーリは、終わりに向かうあの列車の中に? ―――だとしたら。

「っ……」

 伏せていた顔を上げる。本当に馬鹿みたいな、上手く行くかもわからない、ひとが聞いたら愚かとしか言いようがない、そんな方法が浮んでそして頭の中にそれしか残らなかった。

「―――紗陽さん? どうしました?」

 人気のないドア前で立ち尽くす紗陽を見付けて不思議に思ったのか、ヒナがやって来て訊ねる。

「……ヒナさん……」

 ヒナを見る。―――誰かに、聞いてほしかった。

「ヒナ、さん。もし……もしとても難しくて、馬鹿らしくて、そのひとを救えるとも限らなくて。

 悪くなるだけかもしれなくて、ただ無駄な足掻きかもしれなくて、無意味どころか酷い結果を生むだけかもしれなくて、怖くて怖くて仕方なくて、でもそれでもこれしか方法がない時、ヒナさんならどうしますか」

薄暗いドア前。会場からこぼれ僅かに届く微かな光を受けたヒナの眼が―――音もなく、深く深く、海の底の光のように輝く。

「試します」

まっすぐに、ヒナは言った。

「試してみようと、思います。

―――例え世界が闇の夜でも、そこに誰かがいるかもしれない。その誰かに、わたしは会いたい」

まっすぐまっすぐ、揺るぎない声で。

「怖がってなにが悪いんですか?

紗陽さんは、自分のことを。怖くて怖くて震えながら助けに来てくれたひとを見て、どう思いますか? ―――わたし、なら」

その深い眼が、すべてを吞み込みそのまま映すように―――微笑った。

「わたしはそれを、高潔だと思います」

 ―――心が、震えた。

「―――怖いんです」

「はい」

「今から試すこと、怖くて怖くてたまらないんです」

「はい」

「傍から見たら馬鹿みたいな手段しかないんです。誰かが見たらどうして、と笑ってしまうようなことなんです」

「はい」

「ヒナさん。―――それでもいいから、行って来いって、言ってくれませんか」

 あの世界を創り出したあなたが、言ってくれませんか。

「私を月に、飛ばしてくれませんか」

 ―――ふは、と、ヒナが微笑った。

「ユキって呼んでくれたらいいですよ」

 ああ。

 愛すべき雛鳥(照明部の雛)と呼ばれるこのひとは―――どこまでも。本当に、どこまでも。

 紗陽は、笑った。

「いってきます、ユキ」

「いってらっしゃい、紗陽」

 やわらかい力が背中を押す。やわらかくも、全力で。

会場を飛び出す。途中酒屋に飛び込み一番度数の高いお酒を買って、ドラッグストアで睡眠

導入剤を買った。家に帰り靴を脱ぐのももどかしくMacを起動させ、今まで編集したデータを全て消した。導入剤を全て手のひらの上に押し出し、一息でお酒と共に流し込む。喉が焼けるのも構わず、そのままお酒を飲み続けた。

 効果はすぐに出た。強烈な吐き気と共にぐにゃりと視界が歪み、意識が遠退く。―――深く深く。

 さあ、行こう。あなたの世界へ。




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