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ひとひらの救済 11

 ―――覚悟はもう、あの時決めていた。

「ドーリ」

 眼を開ける前に名前を呼ぶ。

 眼を開いた。

 白い窓辺に佇む青年の後姿。

 返事はない。仕草もない。―――ふわりと流れる風が、一輪の花を揺らす。

「私が何をしたいかって、訊きましたよね」

 返事がなくても構わない。その背中に、真っ直ぐに紡いだ。

「私は、こうであったらいいな、ああであったらいいなって、常に願っているんです」

 馬鹿みたいだと笑われてもいい。

 ハッピーエンドが全てじゃないのはわかっている。

 あの時あの世界の少年と中年男性は、最後警察に捕まり、そしてもう、二度と会わない。

 それでも彼らは見付けたのだ。―――守り切ったのだ。

 本当に、本当に大切なものを―――。

 ねえ、ドーリ。―――サヤは。

 誰かを月まで、飛ばしたい。

「それが私のしたいことです。―――お願いします。協力してください」

 深く深く、頭を下げた。

「……」

 風が吹いて、

「……それは」

 空気が揺れる。

「単なる、自己満足だ」

「はい。そうです」

「それに付き合えと?」

「はい」

 顔を上げる。―――ゆっくりと、ドーリが振り返った。

「―――サヤは本当に、天使でも妖精でもないな」

 肩越しに振り返った顔が、にやりと笑った。

「サヤが興味を持った。―――おもしろそうだ」

 その不敵な笑みに、サヤも笑った。




 夕焼けの時間。オレンジ色に染まる空に、薄っすらと呼ばれる藍色。

「サヤはお人よしの馬鹿だな」

「……かもしれませんね」

「人一倍落ち込みやすいし。よくこの世の中を生きていけるな」

「……皮肉ですか」

「いや、結構素直に感心してる」

 それは紛れもない本心に聞こえ少し驚いてまじまじとドーリの横顔を見た。見られていることに気付いているだろうに、ドーリは気にした様子もない。

「……昔、私を月に飛ばしてくれたひとがいるんですよ」

 その横顔を見ながら―――静かに、言った。

 あの時と髪型も違う。選ぶ言葉も。当たり前だ。あれは水灰道理が演じた誰かで、心を込めて創り出した少年で。

 でも、その少年を生み出した水灰道理に、サヤは感謝している。―――あれほど強く心を奪われたのは、少年の言葉ではなく水灰道理が繰り出した姿なのだから。

「それで私は救われた。……あのね、そのまんまかもしれませんが、私は本当、人付き合いが苦手で、でもひとりぼっちは苦手な、単なる我儘な人間なんです。その癖強欲で、たくさんの世界を愛してみたいし自分のものにしたいと思っている。……そんなどうしようもない人間を、たった二時間で救ってくれたひとがいるんです。……そのひとほど、力強く出来たりしないけど。……でも。こうであたらいいな、ああであったらいいなって……誰かを月に飛ばしてやりたいって、そう思うように、なったんですよ」

 もうドーリの方は向いていなかった。

 オレンジ色に染まる街並みを眺め、半ばひとりごとのように。

「―――感謝、しているんですよ」

 心から。本当に。

「……来た」

 ドーリが何か、言いかけた気がした。しかしそれより早くサヤが呟く。

 夕焼けの坂道を自転車を漕いで現れたビリー。坂を上り切った彼はすうっと流れるように自転車で近付き―――屋敷の前にいた、サヤとドーリを見た。

「あれ、こんにちは! どうなさったんですか?」

 にこにこと微笑みながらそう言うビリーにサヤも微笑んだ。微笑んで、返す。

「あなたを、月に飛ばしに」

「へ?」

「―――レイラッ!」

 大声で叫んだ。驚いたようにビリーが硬直するが気にもせず、柵を掴んで窓に向かって大声で張り上げるようにして彼女を呼ぶ。

「レイラ! 聞こえてるんでしょう、レイラッ! ―――レイラ、教えて!」

わたしは偽物なの。

あのひとを騙し続けている。

一生『レイラ』を演じることが、わたしの仕事

じゃあ仕事ってなんだ?

他人を幸せにすること? 自分の人生?

違う。

「レイラ、手段なんだよ! それは手段なんだ! それ通して、世界に自分を加える手段!

自分を伝えるための、大切な手段なんだ! ―――レイラ、お願い!」

 教えてよ、レイラ。―――あなたに仕事を頼みたい。

「あなたは何を伝えたいの? あなたは彼に何を伝えたいの?」

今このたった一瞬でもいいから、頼みたい。

ばんっと弾けるような音がして―――金色が、舞った。

顔を出した彼女が笑う―――緑の眼を細め、幸せそうに―――うれしそうに。

「ありがとう! ありがとう、ありがとう、ありがとう!」

うれしそうに―――レイラが叫んだ。

「あの子は幸せだった! あの子は最期まで幸せだった! 最期に見たものは、あなたの送った美しい花だった!

 ありがとう! ありがとう! ありがとう!

 忘れないで! あなたのおかげで、あなたの心で救われた!

 ありがとう! ―――ありがとう!」

 部屋の中から、いくつも手がのび彼女の身体を引き戻した。

窓が閉まり、お屋敷の扉が開いて―――いかつい顔をした男たちがこちらに向かって走って来る。

 ああ―――やり切った。

「おいサヤ、お前と違って俺は消えられないんだから―――」

 動じない声で言ったドーリが、にやりと笑ってサヤをひょいと抱き上げた。

「逃げるぞ」

 眼を見開いて閉じた窓を凝視しているビリーに軽く体当たりし、「逃げるぞ!」とドーリは言った。我に返ったビリーがあわてて自転車に跨り、その大きな荷台にドーリがサヤを抱えたまま跨る。

「月まで行くぞ!」

 三人分の体重がかかった自転車が、ぐぐぐっとタイヤと石畳で擦れて音を立て、のろのろと走り出したそれがすぐにぐんっとスピードを上げる。―――敗けない。敗けるわけがない。だってこのひとは本当に幼い頃から、雨の日も震える冬の日も照りつける太陽の下も、そのやさしさと微笑みをたたえながら自転車を漕ぎ続けたひとなのだ。

 ぐんぐんスピードが上がる街並みを三人を乗せた自転車が駆け抜ける。

 心地良い風に空を仰ぐと、藍色に染まった空のてっぺんに、金色の月が見えた。




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