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ひとひらの救済 10

 紡いで。繋いで。拾って。―――想いを残さず。

 選んで。棄てて。切って。―――願うように。

 変える。変えてやる。結末を。あの想い合う三人に、少しでも、もしかしたらこんな世界があったかもしれないと思えるように。

 微笑んでいる彼女。笑顔が多かった。続けるのは窓を見上げ花を捧げるあのやさしいひと。繋げる。―――画面の向こうで、二人が視線を交わし微笑み合う。

 お願い。変わって。変わって。―――変えたいんだ。

 現実が何だっていい。どこだっていい。こちらとあちら、どちらが現実でも構わない。だって今でさえ、この画面の向こうに世界があるのだ。だからいい。なんだって、どうだっていい。―――だから。

「―――お願い」

 祈るように繋いで。―――カーテンが揺れ、彼女が顔を出し―――青年の自転車が到着する。時間を入れ替え、何度だって、二人を会わせる。

 ―――その時、映像に影が差した。

 はっとする。黒い人影。靄のような、霞のような―――その黒い影が自転車を漕ぐビリーに声をかけるように話しかける仕草を見せる。音はない。声はない……ビリーが屋敷へ着くタイミングが、ずれる。

 影を相手に時間を割いたビリーが、朗らかに笑って影と別れ自転車を漕ぐ。どくどくと胸が高鳴り、指先が震えた。再生は終わらない。映像は終わらない。門に辿り着き、自転車を降りて、花を一輪、取り出して―――

 ―――見上げた窓が、開いた。ふわりと風をはらんで白いカーテンが揺れ―――ふわっと舞う、金色の髪。

 緑の眼に浮かぶ、やさしい笑顔。

「―――ああ」

 会えた。会えた。―――よかった、会えた。

 ぼろぼろと涙がまたこぼれ出す。拭っても拭っても、その涙は止まらなかった。

 ああ。ああ。ああ。

 ごめん。ごめんなさい。松白さん。

 紗陽は、嘘を吐いた。

 ファンではない。紗陽は水灰道理のファンなんかじゃない。―――恩人なのだ。

 松白さん。私はね。もう本当に苦しくて辛くて死んでしまおうと思っていたんです。

 そしてそれを、水灰道理に救われたんだ。




 夢と現実のギャップは、とても激しかった。こうであったらいいのに。ここのカットはもっと短く、あそこは長く。ああしたいな。こうしたいな。

 ひとりひとり価値観が違うように。言わないし、言えないだけで、監督と紗陽の意見は全く違う。―――自分では納得の行かない仕上がりが完成だとされ、上映される。もどかしくてもの悲しい、けれど、間違っていない。紗陽が間違っていないのと同じように、監督も間違っていない。だって、価値観なのだ。そのひとが見る世界の角度と紗陽が見る世界の角度が違うだけなのだ。

 星の数ほど批評があるように。

 編集をワンカット変えるだけで、その映画はがらりと道筋を変えてしまう。

 こうしたかった。ああしたかった。それでも一介の編集助手だった紗陽には何かを言う権限すらなく、ただひたすら、上司がカットを繋ぐ横でデータの下準備を延々とするだけ。

 何をやってるんだろう。何がしたかったんだっけ。―――どんなものが、見たかったんだっけ。

 ずっとずっと憧れていた世界。

 漸く辿り着けたはずなのに、入れたはずなのに、……眼の前にあるのに、手を出すことすら出来なくて。

 言われた通りにやっときゃいいんだよ。

 嶺の下に移動になる前、そう言って煙草の煙を吐いた上司。―――深く深く、傷付いた。

 これが紗陽の仕事なのだと。

 どっぷりと疲れたまま身体を引き摺るように帰ろうとして―――電車が、停まる。

 悪天候での運休だった。嘆く声が聞こえる中、ぼんやりと状況を理解して―――どうでもよくなって、駅を出た。ふらふらと夜の街を歩きながら、それでも身体は引かれるように、学生時代通いつめたミニシアターへ足を運ぶ。

 何だってよかった。どこか別の世界に連れて行ってくれれば。

 チケットを買い、がらがらのシアターの一席に座り、ぼんやりとスクリーンを眺める。

 中年男性と少年の物語だった。

 どうしようもない男とどうしようもない少年が出会い、そして、大切なものを守るため歩き出す話。

 陳腐だった。結末は見えていた。知っているように、わかっていた。

 圧倒された。吞み込まれた。―――ああ、私もその世界へ連れて行ってくれ。

 少年が笑う。どうしようもねえな、と、中年男性へ向かって。ぼこぼこに殴られたあとの、腫れ上がった顔で。

 怒鳴って。叫んで。殴って。投げて。―――戦って。

 ―――笑えよ。ほら。

 俺が月に飛ばしてやる。

 口ずさむようにしてそう唄った少年。―――水灰道理。

 あなたが紡ぎ出した世界は、本当に素晴らしかった。

 一生言うことはない。紗陽が水灰道理と話すことなんて、これから先だって一度もない。だから言わない。言うつもりだってない。―――けれど、感謝している。

 辛い時。苦しい時。もう全て全部、やめたくなってしまった時。

 それでも言う。あの時あの世界を紡いだあなたが。

 俺が月に飛ばしてやる。

 ―――この世界は、あんなに素晴らしい世界を生み出した。

 そう思うと、紗陽はもう少しだけ、頑張ろうと強くなれる。




 朝が来て、松白は衣装こそ着ていないものの現場に来ていた。現場の空気から離れたくないという彼たっての希望らしく、けれど医師やマネージャーにきつく言われたようで、大人しく監督ブースの椅子に納まっている。彼に許された行動範囲は基本的にこのバンの中だけで、監督の後ろから真剣な顔でモニターを見ていた。

「今、いいかい」

 ふいに与賀から声をかけられ紗陽はすぐさまイヤフォンを外した。

「はい、何でしょうか」

「松白くんにこないだのシーンを見せてあげてほしい。出来るかな」

「はい、大丈夫です」

 すぐに他のひとに呼ばれいなくなった与賀に一度頭を下げてから今表示させていたウィンドウを隠し言っていたシーンを読み込む。椅子を譲ろうとしたが、松白は先ほど座っていた椅子を持参して来ていたのでぎりぎりまでずれて見やすい位置に座ってもらう。

「……すみません、嘘を吐きました」

「え?」

 かちかちと操作しながら、松白を見ずディスプレイを見て、ほんの僅か、声を落として。

「ファンじゃないのは本当です。……でも、感謝しています。あのひとが掴み取った世界は、私を何度も強くしてくれます。……月に飛ばしてくれます」

「あ……」

 視界の端で、くしゃりと松白の顔が歪んで―――他の誰かに見られないよう、ぱっとうつむいた。

 ―――現場で、怪我をして。撮影スケジュールが大きく変わり、スタッフやキャスト全てに迷惑をかけて。

 いくらそんなことはないと言われても自分を責めてしまう。どうしてもっと上手く出来なかったのだと、自分さえ上手く出来ていれば何も問題はなかったのだと、自分が自分を責める。

 微かに震えた声で、松白がタイトルを言った。そちらを見ずにうなずくと、堪えるようにこぼれるように松白が細い声で言う。

「……憧れ、なんです。あの時俺は全部やめたかった。仕事も来なくて、頑張っても頑張っても駄目で、もう無理だって。……その時あの水灰くんを観て、……本当に、本当に心が奪われた。彼は本当に俺を月まで飛ばしてくれた。……あの映画が、あの世界が好きなんです。あんな風に心を奪ってそのまま返してくれないような映画を、世界を、俺も創りたい。関わりたい。……それを生業にしたい。やめようと思ってたけど、でもやっぱり、俺はあの世界が欲しいんだって、そう思って……だからやめなかった。ここまで、来れた。……なのに」

 なのに。

 水灰道理は。

「―――あのひとと一緒に、世界を創るのが夢なのに」

 それなのに水灰道理は眠ったままで、

 自分は失敗してしまって。

 心細くなって。

 ―――誰かと話を、したかった。

 大好きな世界の話を、したかった。

「……松白さんは、本当に、本当に映画が好きなんですね」

 毎日毎日、映像を観に来るくらい。そう言って再生させると、松白は本当にうれしそうな笑顔でうなずいた。




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