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ひとひらの救済 9

 ―――水灰道理と松白に共通する映画やドラマはなかった。けれど歳が近い二人だ、きっとどこかで繋がるところはあったのだろう。水灰道理の意識はまだ戻らない。それはニュースで散々流れていた……なので松白がそれを知らないわけではないのだ。

 ……そう思いながら眼を開けて、……その笑顔にぎょっとした。

「っ、えっ?」

「わあ、本当ね! 本当に妖精だわ!」

「だろ」

 はしゃぐ明るい声に落ち着いたテノールの声。後者の声の方をがばりと振り返るとドーリが唇の端を上げてにやにやと笑っていた。この男、仕組んだな。

「はじめまして、妖精さん! わたしはレイラ。妖精さんのお名前は?」

 輝く笑顔で握手を求める白い手―――ふわっと揺れる金色の髪。

 眼の前にレイラがいた。

「……さ、サヤ、です……はじめまひて……」

 噛んだ。まただ。くつっと背後で笑う声がしたので内心呪いの言葉を吐きつつ、一体この青年はどうやってお屋敷の中に入り込んだのだろうと不思議に思う。二人の様子から言って忍び込んだわけではなさそうだし……正々堂々乗り込んだのか。本当すごいなこのひとは。

 レイラは窓辺に置いた椅子に座っていた。隠し撮るように撮られたあの映像と一緒だ。だからここはあの時と少し違う世界の時間。―――水灰創太ではなく、サヤがいる世界。

「サヤはもう気付いているのよね。わたしの眼の色。よく見えたわね?」

「……はい」

「ドーリから聞いてびっくりしちゃった。―――そう。内緒よ? 明日にはお父様が帰ってくるわ。だからもう、あなたたちとも絶対に会えない」

 今日は押しに押して、来客を許してもらったんだから―――そう言って笑うレイラには、何の自由もないようだった。ずっとお屋敷の中、窓越しに世界を眺めるだけ。―――会いたいひとに、会えないまま。

「旅人だって言うから許してくれたのね。これが街のひとだったら絶対に会わせてもらえなかったわ。今だって扉の向こうでメイドが聞き耳を立てているはず。―――だからこっそり、教えてあげる」

 声を潜めて。

 秘密をそっと、打ち明けるように。

「わたしは偽者なの」




 レイラという少女は、偽者だ。そもそもレイラという人間ですらなかった。……そう呼ばれていた少女は、もうずっと昔に亡くなったのだ。

「レイラに会ったことが三回あるわ。一度目がまだ辛うじて元気だった時。二度目が死ぬ直前。三度目が棺の中にいる彼女を見た時。……とってもかわいい子だった。わたしよりずっとずっと。……確かにわたしたち、赤の他人なのに容姿はとてもよく似ていた。でもね……輝きが違った。レイラだけが持っている輝きで、彼女は本当にきらきらとしていた。わたしなんか、比べ物にならないのよ。どうして周りの大人はこんな一目でわかることが誤魔化せると思うのかしらって、ずっと不思議だった」

 レイラの結婚はずっと前に決まっていた。けれど、ある日レイラは難病にかかる。治療方はなく、成す術もなく少しずつ少しずつ命を削られてゆくレイラ。……そこで大人たちは、代役を用意した。

 レイラという人間が必要だった。レイラという存在が齎す利益が、必要だった。

「幸いなのか、婚約者の少年とその家族とレイラ自身はほとんど会ったことがなかった。……十分、すり替えは効いたの」

 レイラと名もなき少女は出会い、残り少ない僅かな時間を、レイラから『レイラ』を学び取らせようと邂逅させる。―――そのほんの僅かな時間で、魂のきらめきを託すように、レイラが笑う。

 外を見て。

 彼、毎日お花をくれるの。綺麗でしょう?

 本当に、本当に、やさしいひとなのよ。

 何にも返せない、何にもあげられないわたしに、毎日毎日お花をくれるの。

 わたし、本当に、本当に幸せなのよ。

 そう言って微笑んだ少女は、

 微笑をたたえたまま、眠りについた。―――永遠に。

 そして少女はレイラになる。あのきらきらと輝く、最後まで命を燃やし尽くした少女に成り変わる。

 一度、窓越しに出会った少年は―――帽子を取ってにこりと笑い、花を丁寧な手付きでそっと捧げるように置く。

 輝く笑顔。『レイラ』を想って送られる、心のこもった花。

 一輪の花。

 どうしたらいいのかわからなくて。

 どうしていいのかわからなくて。

 それ以来、顔は出さなくなった。―――彼が去る姿だけを、じっと見送って。




「来月、結婚させられるの。この街を出るわ」

 ずっと絶やさない微笑みのまま、レイラが言う。

「ビリーは、何も知らないまま。わたしも、何も言わないまま。……これでいいとか、悪いとか、そんなことじゃないの。わたしは騙し続けて騙し続けたまま姿を消す」

「でも―――」

「そんなことじゃ、ないのよ。あのね。……わたしはレイラじゃないの。だから、何も言えることがないのよ。言えることがないから、何も言わないまま去るの。……わたしは、何も持っていないんだから」

「……」

 唇を噛む。―――確かに。

 確かにこのひとは、―――今サヤの眼の前に、いるひとは。

 偽者で。偽りで。嘘で。―――レイラでは、なくて。

「ああ、泣かないで。泣かないで。……悪い話じゃ、ないのよ。わたしにはね、昔妹がいたの。お父さんもお母さんもいたわ。でもね、とっても貧しかったの。……ね? だから、悪い話じゃないのよ。これが仕事。わたしにしか出来ないわたしの仕事。―――一生『レイラ』を演じることが、わたしの仕事」

 ぼろぼろと流れる涙をそのひとが拭く。白く細く、少しも傷付いていないその手で。

 ああ、どうしよう。どうしよう。―――恥ずかしい。

 恥ずかしくて惨め。―――どうして。

 どうしてサヤが、泣くのだ。何も知らない癖に―――このひとの思いの全てなんて到底抱えられず、知りもせず、どんな気持ちであのやさしい青年の背中だけをじっと見守っていたのかも、何も知らないあのやさしいひとがどんな気持ちで毎日毎日窓を見上げて一輪の花を捧げていたのかも。

 くだらない。くだらない。―――サヤの涙なんて、酷く軽くて無意味で、微笑むこの彼女の前ではあまりにも取るに足らない、どうしてわたしではなくてあなたが泣くのと詰られても仕方がない。

 この涙は酷く身勝手なものだから。

 それでも勝手に流れて来るその涙に、深く深く、自分を恥じた。消えてしまえと、思った。




「ご……ごめんな、さい。ごめんなさい。け、消してくだ、さい」

 止まらない涙をうつむきながら何度も手の甲で拭ってドーリに言う。ドーリが使用人たちを引き付けて正面玄関から出て行く時、裏口からこっそりとサヤも外へ出た。ホテルへ向かう路の上、少し前を歩くドーリの背中にそう懇願する。

「質問、してくだ、さい。わた、私は―――なにも、答えられないから」

 何も。何も。何も。―――松白の、あの縋るような問いに、答えなかったように。

 無言で歩き続ける青年。

「ドーリ―――ドーリ」

 声が揺れる。みっともなく罅割れ、こぼれる。

「むり、なんです。わたしには―――わたしには全部全部、無理なんです」

 絞られるように涙腺が痛み、声が温度を増す。

 青年が、足を止めた。

「……何が無理なんだよ」

「え……」

「何が無理なんだ?」

「なに、って……」

「『何か』が『したい』から『無理』なんて言うんだ。―――サヤは、何がしたいんだ」

「……」

「サヤ。お前は酷く落ち込み易くて、ひとの感情に酷く移入し易くて酷く泣く人間だけど―――」

 冷たさはない。あたたかさも。ただ、何にも敗けないように選んだ真っ直ぐな声が、サヤを底から打ち抜いた。

「―――やさしいことを、恥じるな」




 ―――この世界でも、紗陽は泣いていた。眼を開け、ぽろりとこぼれていった涙をそのままにぼやけた視界で眼を凝らす。

 ゆっくりと身を起こして―――眼を、閉じた。

 ―――もう既に終わった時間のことなのだ。もうどうにもならない時間のことなのだ。

 これを撮った時はもう遥か昔に過ぎていて、

 水灰創太は死に、水灰道理の意識は戻らない。

 何も関係なかった―――今も関係ないはずの紗陽に、何が出来る?

 ここで。―――あの世界ではなくて、この世界で。

「……」

 眼を開き、自分の手を見た。彼女のように白くもなく、寝不足のため肌つやは悪く、がさがさで、みっともなくて……。

 唇を噛む。噛んで……そっと、こぼすように心に呟く。

 ―――俺が月に飛ばしてやる。

「―――」

 覚悟を決めて。

 顔を上げた。



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