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ひとひらの救済 7

 ビリーは十九歳。小さい頃に父親を亡くし、小学校を辞めた。それからずっと、花売りの仕事をしている。

「花売りの仕事、好きなんですけどね」、と、ビリーが微笑う。やさしい笑みだったが、その内情は、読み書きや計算をきちんと習得出来ないことを示していた。

「ああでも、昔から俺、ちょっと変だったんですよ。うんと小さい頃、言葉の習得も周りの子と比べてものすごく遅かったそうです。だからきっと、学校に残れても落ちこぼれだったはず」

 ……きちんと検査をせずに、不確かなことは言えないが。それはとある症状と一致するなと、心の片隅が思った。

「この街で花を売る。観光客が多いところですからね。奥様に、恋人に、お洒落な演出に。レストランに、カフェに。結構売れるんですよ。まあ、儲けは少ないんですけどね」

「……あのお屋敷にも、花を届けているんですか?」

 お金持ちのお屋敷が定期的に花を仕入れるということはありそうだと思い訊ねるとビリーは首を横に振った。

「いいえ。あそこのお屋敷と契約はありません。あの花は誰にも受け取られないんです。恐らく、お屋敷のひとが処分されているんでしょうね。でも、どうしてもやめることが出来なくて」

「……誰に、花を?」

「……」

 ビリーは一度、ゆったりと微笑った。鮮烈なオレンジ色の夕日にその笑顔が照らされ、そばかすがきらきらと光る。

「……昔、本当に、昔。……あそこのお屋敷のお嬢さんと、会ったことがあるんですよ」

 それはまだ、ビリーが小学校を辞め花売りとして働き出してすぐのこと。

 お前から買った花がすぐに枯れてしまった。茎がすかすかだった。……外れを引かされた、子供だからといって仕事をなめるな。……何日か前に花を買った大人から、そう言われた。強い口調だった。その時はすみませんと帽子を取って頭を下げて、……涙が零れるのを、必死に堪えた。

 小さな子供。まだ小学校へ通っているはずの、小さな、小さな。……小さな、労働者。

 とぼとぼと、小さな自転車を押しながらオレンジ色に染まる街を歩いて―――我慢出来なくなった涙が、ぼろぼろと零れる。

「ふっ……う、く……」

 ぼろぼろと。ぼろぼろと。あたたかい、水滴が。悲しい涙が。

 ―――その時、ぱたんと、頭上で音がした。

「ねえ、君!」

 明るい声。元気がいっぱい詰まった、少女の声。

 思わず顔を上げぐるりと視線を巡らせて―――「ここよ、ここ!」の声に、太く大きな門の間から、そのお屋敷をぐいと見上げた。あまりにも大きくてあまりにも立派な、あまりにも自分とは大違いな荘厳なお屋敷。

 その窓のひとつが大きく開け放たれていた。ふわりと風が吹いて―――薄物のようなレースのカーテンが揺れ、その白を背景に、夢のような金色が夕日を受けてきらきらと輝き残滓を残す。

 人形よりも美しく。妖精よりも可憐な。ゆるやかに波打つ長い金色を持つ少女が、その美しい緑の眼にやさしさを湛えて、微笑う。

「元気出せ! ―――今は泣いて、明日また、元気になろう!」

 勢いよく、窓から身を乗り出して―――ぐ、と拳を突き出す。

 美しくて可憐で、力強い少女。

「……」

 涙は止まっていた。驚いて、ぽかんとその少女を見上げて―――眦に残った最後の涙をぽろりと一筋こぼし、ビリーも小さく笑って拳を控えめに上げた。




「それからしばらく、そんな風に、毎日窓越しにちょっとだけ話して。……間近で会ったことはありません。けど、あの時間が大好きで、心から満足していたんです」

「……」

 でも―――でも。

 その少女は―――レイラは、何故だか今、ビリーの前には姿を現さない。

「……それから、冬が来て。……レイラは窓に顔を出さなくなりました。きっと、花売りなんかと親しくしているのが見止めがられたんです。それに、僕が無学だから、何か気付かないところで酷く傷付けたのかもしれない。……レイラのお家は大きくて、小さな頃から婚約者がいるんですよ。花売りと親しくしてるなんて相手に知られたら、軽く見られます」

「……そんなこと……」

「婚約者のお家も大きくて、両家でさらに商売を大きくするらしいです。街のみんな全員が知っています。この街もさらに豊かになって、きっと学びの制度だって変わるでしょう。子供たちがみんな、好きなことを学べるような街になると思う」

 期待するように。夢を抱くように。さみしさの片鱗を抱きながら、それでも青年が希望を語る。

「素晴らしいことですよ。素晴らしいです。……でもね、」

 そのあと、……小さな声で、祈るような声で……そっと紡がれた言葉は、サヤの中に入って残った。

「……レイラが笑っていてくれればいい。……そんな未来であったら、いい」




「……」

 眼を覚ますと、あと一時間ほどで出発の時間だった。まだもう一眠り出来るが―――それはしないで、Macを起動させる。

「……」

 立ち上がったデータを、再生させた。

 海の白い街にやって来たドーリ。そこで彼は花売りのビリーと出会い、お屋敷の令嬢、レイラとの話を知り、どうにか二人を会わせることが出来ないかと、そのお屋敷へを訪ねる……

 一度途切れた映像。次のカットをタイムライン上に乗せると、そこはもう既にレイラの部屋のようだった。不安定に画が揺れる。椅子に腰かける金髪の女性―――レイラを少し下から撮っているのは、それが鞄か何かにカメラを隠しているからなのだろう。レイラはカメラの存在を知っているのだろう。そのカメラに向かってウィンクして見せた。小さく、道理が笑う声。……部屋には道理とレイラ。そして水灰創太がいるのだろう。……カメラを隠したのは、ふいに誰かが部屋に入って来た時困るからか。きっと、映像の存在を周りの人間には隠したかったのだ……。

 断片的に聞こえる単語を聴覚で必死に拾う。鞄に隠れたせいで少し音が籠もってしまったため音量を上げて、……気になったのでイヤフォンを挿し思う存分音量を上げた。慣れない発音を必死で聞き取る。

 気負うところが何もないように聞こえる、レイラの明るい声。

「……『わたし』……『嘘』……」

 わたし  嘘

「―――『偽者』」

 ―――。

 レイラの笑顔。

 やわらかく細められた、青色の瞳。

「……」

 かち、かち、かち。少しずつ少しずつ手をのばすように、そのまだ曖昧模糊な世界の輪郭に指先で触れるように……少しずつ、少しずつ……




 流石にこれ以上スケジュールの遅れを取るわけにはいかない。だからこそ松白が怪我をしたその翌日現場はあったし、そして今まで以上にぴりりとした空気が漂っていた。

 幸い松白の怪我はそこまで酷くなかったようだ。スタッフの間から聞こえる話から断片的にそれを受け取り、内心ほっとする。もちろん、特別な感情を抱いているわけではない。ただ松白が真剣にこの作品に取り組んでいることは誰もが知っている。何度も何度も映像をチェックしに来ていたのも、自分の演技が画で見ても尚納得出来るものなのか確かめたかったからだ。……そんなひとの怪我が酷くなくて、本当によかったと思う。

 バンに入り、機材を起動させ、……いつもなら開始までの時間をそこでじっとしているのだが、ふと、まだ大丈夫そうだと判断してそっと外に出てみた。続々と集まり準備をはじめるスタッフたちを少し離れた場所から見て、何もないが故に開けた空を見上げて―――そのぼんやりとして掴みどころのない、本当に薄っすらとした薄さの青を見て、……物足りないくなって、そっと吐きかけた息を止めるように飲み込む。

 ふと思った。ここにはあの風がない。白く美しい街並みも、青く透いた海もどこまでも広がる空も。

 窓辺に飾られた一輪の花も、その水を替える青年も。




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