ひとひらの救済 4
「ドーリ、見てください。太陽が」
徐々に沈みつつある太陽を指差す。同じもののはずなのに日本とはまた違って見えるのは不思議だった。空気も温度も色も味も全く違う気がする、その太陽。
「沈むな」
「沈みますね」
微笑み、何となく足取りが軽くなる。不思議そうな顔をされているのに気付き少し焦った。
「え。あ。……私何か変なこと言いました?」
「いや。楽しそうだなと思って」
「え? あ、はい。……結構楽しんでます」
またここで消されるかなと思ったがどうやらそうではないらしい。ドーリがこきりと首を傾げる。
「今の会話のどこに楽しむ要素があったのかわからない」
「ああ……うーん」
会話、というよりも。
「私の仕事、籠もり切りで……『はい』と『わかりました』くらいしか、喋らない日もあるんです」
「……」
「最近はまあ、ちょっと、違いますけど。……でも、何ていうか……何かこういうのもいいなあって、思ったんです」
「……ふうん」
返事はないかと、そう思った。けれどドーリはうなずく。……それがうれしくて、こっそりと微笑んだ。
「……あ。あれですかね。ビリーがいつも仕事終わりに行くっていうお屋敷って」
「……確かに屋敷だな」
他の家と同じように白い壁を持ち、しかし他の家よりも遥かに規模の大きいお屋敷があった。門も大きくどっしりとしていて立派で、厳重に囲われて敷地を明確にしている。
「あ、いた」
ビリーの背中があった。ハンチングを取り、門から少し離れた柵のところに騎士がそうするように跪いて、……小さな花束をそっとその縁に乗せる。
「……」
誰に捧げた花束なのだろう。顔を上げたビリーが、お屋敷を見上げる……ただ一点を。レースのカーテンがかかった、窓の閉じられた部屋を。
しばらく彼はじっとそうしていた。やがてハンチングを被り、自転車に跨って走り出す。
夕焼けの街に消えてゆく青年のうしろ姿を黙って見送った。
「……あれ」
ドーリの声に振り返る。ドーリが視線を上げ―――ある一点を見ていることに気付き、その視線を追った。
「あ……」
閉まっていた窓が開き、海風をはらんでレースが揺れた。その合間から真っ白な両腕が出て来て、窓際にそっと付く。
「……」
ふわっとたなびく波打つ金髪。その金色が夕焼けの光を受け精巧な金細工のようにきらきらと輝いた。―――美しい女性。まるで映画のワンシーンのようなその光景に、静かに息を吞む。
青色の瞳が門の外の花を見て―――ほんの少しだけ、微笑む。
たった数秒のことだった。
す、と、現れた時と同じような静かさでその女性は窓の向こうへ消えた。
「……」
夢か幻か―――
「……ドーリ」
「なに」
「今のドーリも見てましたよね?」
「見てたけど」
「……じゃあ現実ですね」
「……現実?」
音を立てず、ドーリは笑った。
「どこからどこまでが現実か、サヤは説明が出来る?」
眼が覚めたあと、一瞬だけぼんやりとする。そのことには、もう慣れた。
「……」
どういう意味―――だったのだろう、か。
むくりと身体を起こす。据え付けられた鏡に写る紗陽。急がなければ……。
ふと、着替えながら思った。この部屋に泊まるようになってから一度もカーテンを開けていない。窓も開けていない。……この部屋にいる時は本当に寝る時にしか使っていなかったから。
窓辺に花がないことを残念に思った。酷く酷く、残念だった。
「……どうかされました?」
「え?」
「いえ、何だかぼんやりなさっているように見えたので」
「あ……いえ、ちょっと……」
現場の合間、ヒナにそう言われ紗陽は否定しようとし一瞬考えてやめ、
「……性格の悪いひとについて考えてました」
「性格の悪い?」
「あ、違うかな……性格はいいんです、よ。けど、態度が悪いんです」
「態度が悪い」
「はい。で、そういうひとに振り回されているんです。私」
「紗陽さんが」
「はい」
「それは……」
ヒナがむうと困った顔になった。
「困りましたね」
「困りました」
同時に、うなずく。
「その方は紗陽さんの彼氏ですか? 友人ですか?」
「彼氏ではないです。友人……でもないの、かな」
「なるほど……」
「……何か言ってること滅茶苦茶ですね」
「そうですか?」
一度瞬きしたヒナが小首を傾げた。
「あんまりそう思わないですけど……」
「ヒナさん、彼氏はいるんですか?」
踏み込み過ぎかな、と思ったがヒナはあっさりと答えてくれた。
「はい、います。内緒ですよ」
「はい、内緒です。……ヒナさんみたいな方が彼女なんて、彼氏さんは幸せ者ですね」
「どうかなあ。そう思ってくれてるとうれしいな」
そう言って微笑んだヒナは、思わず微笑い返したくなるくらい綺麗だった。