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ひとひらの救済 3


 考えてみれば、別に消えてもよかったわけだ―――いや、砂嵐吹き荒れ息をするのさえ苦しいあの現場とこの澄んだ空と海の明るい街どっちがいいのかと問われたら絶対後者なのだけれど。

「体力なさすぎ」

「……はひ……」

 ひぃひぃか細い息をしてよろよろと追い付いたサヤにそんなあたたかさもやわらかさもない無情な言葉を上から落としたドーリは、何やら大量に書き付けていたノートとペンを上着のポケットにしまった。

「どー……り、は……何をなさって……?」

「仕事」

「しごと……」

「フィールドワーク」

 それでどう収入を得ているのかはわからなかったが、日雇いの仕事以外ではこれが彼のメインの稼ぎ方らしい。

「わ……私、付いてく意味ありました……?」

「あのな。毎回毎回何故か知らないけど唐突に俺の元に現れて唐突に消えて行く知り合いが俺といない間にもし万が一何かに巻き込まれたりしたら流石に俺も嫌なわけ」

「あ……」

「次会った時気まずくて気の毒で可愛そうだろ。俺が」

「……」

 ですね。

「まあ大体わかったし。明日にはこの街を出る」

「えっ」

「……何でサヤが残念そうなんだ」

「……そうですね」

 そうなのだけれど。何だかこの街、いいなあと……思ってしまうのは仕方がない。今日常が地獄なわけだし。衣食住の全てに満足していないのだから、ついつい心が現実逃避を求めてしまっても致し方がない。が、それはサヤの都合だ。

「黒髪のお嬢さん! 暗い顔をしてますね!」

 ふぁさっと、急に目の前に色が飛び込んで来た。オレンジ色の一輪の花。鮮やかな色が視界を染め、思わず瞬きをする。

「これをどうぞ」

「えっ、あっ、」

 あわててその人物を見る。ハンチングを被った、鼻と頬に薄っすらそばかすの散る青年。やわらかそうな明るい茶色い髪は少し癖がありふんわりとしていて、にこやかに細められた目は緑色。ラフな格好で自転車を押していたが、その自転車は改造してありたくさんの荷物が入るようになっていた。籠がとびきり大きいしサドルの後ろにも荷物がたっぷり乗るようになっている。

「花を見ると笑顔になって、元気になれるでしょう?」

「あ、ありがとうございます……や、でも私、お金持ってないんです」

「いいですよ! これは今日の売れ残りなんです。この花だってお姉さんにもらってもらえた方がきっとよろこぶ」

 それはないと思ったが、そう言われてしまうとかえって返す方がどうなのだろうと思ってしまう。おずおずとその花を受け取ると、青年はにっこりと笑った。

「よい日を! 元気出してください! ―――今は泣いて、明日また、元気になろう!」

「あ……よ、よい日を!」

 自転車に跨りすううっと走り出した青年の背中にあわてて声をかける。背中でそれを受け取った青年は、振り返らずハンチングを脱ぎ大きく振って答えてくれた。

「いいひと……」

「あれでいいひとか」

「そ、そんな言い方……こう、気遣いを素敵な形にしてくれて、思いがけないサプライズで……素敵なひと、じゃないですか」

「そう。じゃあ俺にも花を頂戴?」

「え?」

「サヤにいいひとになるチャンスをやろう」

「……」

 本当このひとすごいな。




 ドーリの取った宿は海が見える宿だった。こじんまりとしていて室内は質素だが綺麗に掃除されていて居心地がいい。バスルームも部屋にきちんと完備された部屋だった。滞在するには申し分ないだろう。

「うあああ……素敵ですねえ……」

 涙出て来そう。窓からいっぱいに見える白い建物が広がる街とそのすぐ先にある海と。素敵。素敵だ。

「何でそんなになってるわけ……」

「いやあ……やめて、そんなどん引きしないでください」

 流石に心が痛み過ぎる。サヤは必死に休みなく仕事をしているだけなのだ。本当。

 先ほど道にあった出店で買ってもらったオレンジジュースを飲み切り、洗面所でその瓶をすすいで水を満たす。もらった花を挿し窓辺に飾ってみた。うん、空と海の青と街の白、オレンジ色の花。美しい。心が洗われる。

「ドーリ、ここに飾っていていいですか? 私持って帰れないんで」

「好きにすれば」

「ありがとうございます」

 微笑んでお礼を言い、さわやかな風が吹く窓辺に立ちしばらくじっとしていた。気持ちがいい。この場にいるだけで、ここに今存在しているだけで、心がするするとほどけてゆく。

「……ん?」

 真下の路を、すうっと自転車が通り過ぎてゆく。大きな籠が付いた、改造された自転車。

「あ―――」

 どこまで行くのだろう、と思いつい身体を乗り出してその行方を目で追って―――ぐらりと身体が傾いた。

「あ」

「ばっ……!」

 がくんと視線が下を向いた瞬間、ものすごい力で襟首を引っ張られ首が絞まった。ぎゅっ! とモンスターみたいなかわいげのない声を上げ背後に尻餅を付く。お尻に痛みが走った。

「ったあ……」

「ったあじゃねえよ馬鹿が。お前羽根ないだろ! くそ、羽根があったら捥いで売っ払って路銀にするのに」

「ひええ、残酷だ……」

「……で、なに見てたの」

「あ……」

 一緒になって尻餅を付いたドーリを尻餅を付いたまま肩越しに振り返る。えっと、と、

「さっきお花をくれたひとが自転車で通り過ぎて行ったので。どこまで行くのかな、って、何となく」

「……」

「ドーリ?」

「……行ってみるか」

「え?」

「サヤが興味を持った。……何か起こりそうだ」

 それは果たしてどういう意味なのだろうか。首を傾げるサヤに、立ち上がったドーリがにやりと笑った。




 ホテルの従業員のおばさんに二人に自転車を改造した青年の話をするとすぐに「ああ」と反応があった。

「それはビリーだね。花売りだよ」

「ああ、それで……」

 納得した。大容量の籠はきっと、売り物の花を入れるためだ。そしてサヤに渡す花を持っていたのも。そういえば売れ残りだと言っていた。

「ビリーももう少し稼げる職に就ければいいのだけどねえ」

「およしよ」

「……?」

「ああ、気にしないでおくれ。この街じゃね、花売りは子供でも出来る仕事なんだよ」

 つまり賃金が安い、と。それは日本でいう『低賃金』とは比べ物にならないくらいなのだろうなと、苦い心で考える。

「いい子なんだけどねえ」

 残念そうに、婦人は息を吐いた。



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