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ひとひらの救済 2


「……機嫌悪そうだね?」

 何だかちょっと恐る恐る安達にそう言われ、サヤはつい無表情になりかけていた顔を出来る限りゆるめた。

「い、いえ。……なんでも」

「……」

「……」

「……」

「……いえ、本当に」

 本当に。……だって言えないだろう。私あの映画の世界に出入りしているんです、なんて。

 そもそもあの青年は、恐らく、という仮定付きだが安達の知る『水灰道理』ではないのだ―――『ドーリ』という旅人の青年なのだ。海に浮かぶ小さな島国の若手俳優では、恐らくない。―――訊いていないし、訊けないし、これからも触れることでは、ないけれど。

 曖昧に笑って逃げるように先にバンに乗り込む。指定席に腰かけ、フードを被ってマフラーに口元を埋める。―――その下で唇を尖らせた。

 それにしたって、あの瞬間で訊かなくったっていいのに。絶対に確信犯だ。嫌がらせだ。青い海、抜けるようなどこまでも広い空、おいしい食事。現実逃避の終着点でありそうなあの世界、少しでも浸っていたかったのに。最近風が強くて砂嵐さえ起きるようになってしまった某カットの異様に多い組のロケ地ではなくて。

 結構いい性格しているよなあと嘆息したけれど、ホテルの代金も食事の代金も全部ドーリ持ちだったことを思い出して少し反省した。致し方ないこととはいえ、どうにも……ひととしてどうだったのだろう。考えたら頭が痛くなって来た。

 続々とスタッフが乗り込んで来て、その度に頭を下げ小さくあいさつを交わす。全員が乗り込んだところでバンは発進した。慢性的な地獄に向かって。

 ロケ地へ着くまでのほんの二十分を惜しむように目を閉じる。目を開けたら、また今日もはじめよう。




「こうやって見ると本当に格好いいですね。早く完成しないかな」

 隣でにこにこと微笑む松白に紗陽は「ははは……そうですね……」と我ながらぎこちなくなっているであろう笑顔を浮かべた。

 松白が紗陽のところを訪れるペースは、その日のスケジュールにもよるのだが二日にいっぺん、もしくは毎日というペースになっていた。編集された画にしか興味がないのはわかっているが、それでも今をときめく俳優がすぐ隣にいるというのは緊張するし胃が痛いし最早何も出来なくなる。

「毎日毎日すみません。ご迷惑でないといいんですが」

「い、いえ。いつでもどうぞ」

 だがノーと言える紗陽ではないし、ノーと言える立場でもない。結果、ぎこちなく笑って済ますだけ。

 ……在り得ない話だけれど。もしこれが水灰道理だったのなら、どうなのだろうか。水灰道理がすぐ隣で紗陽が繋いだ映画を観ている……未完成の、まだ撮り終えてもいない映画の……。

「どうされました?」

「え?」

「何だか複雑そうな顔してますけど」

「え、っと……」

 答えなきゃ。答えなきゃ―――消えて、

 ―――いや。ここでは消えない。

「……や……何でも、ないです。いつもこんな顔で……」

 結果、曖昧に誤魔化して答え、いつも複雑そうな顔をしているということにして逃げた。




「……本当、世界のどこにでも行ったんだな」

 濡れた髪を拭きつつぼそりとひとりごちる。つい言葉が零れるくらいには、その画の数は膨大だった。

 椅子に座り、ふうっと息を吐いてかちかちとマウスを操る。あれから安達に、時間を縫って少しずつ訊いたことなのだが、これを撮りはじめたのは大学四年時から。その頃から少しずつお金を貯め、海外へ飛び、また戻って来てお金を貯め海外へ飛び、……を繰り返して少しずつ撮り貯めていったものらしい。半分ドキュメンタリーであるこの映画、世界を旅する『ドーリ』が様々なひとに出会い、関わり、自分自身を見つめる。……『旅』というものが既に非日常ではあるのだから、コンセプトとしてはおもしろい……関わる者が役者じゃないというのも興味が引かれる。だからこそ、この撮影時水灰道理はどこまで自分の意思を含め『ドーリ』になっていたのかという問題があるのだが……

「……と、」

 視界の片隅でスマホのディスプレイが音もなく灯った。現場中だったのでサイレントのままだった。

「はい、もしもし」

『お疲れ。そっちどう?』

「……」

『あはは、悪い』

 棒読みの声で電話の向こうで笑ったのは会社の先輩である嶺だった。与賀組の前作で編集者として関わった嶺は、この現場の辛さも過酷さもその身に染みてわかっているはずだった。

『でも普段引き篭もりなんだからたまには変わった環境で仕事しても……』

「見渡す限りの砂と岩の世界、トイレは仮設トイレで大きな石がごろごろする片道五分の急勾配を下っていかないと行けない、強風が吹き荒れ砂嵐で五歩先が見えずそもそも目も開けられず、急遽制作部がゴーグルを買占めに行きスタッフに配布、」

『……悪かった……終わったら何か奢る』

「いや、いいですよ……」

『母も入院はしたんだけど今は病状落ち着いてるし。本当、悪かった』

「いえ、これくらいしか出来ないので」

 そもそもこの作品、今回も嶺が出陣(最早出陣、だ)する予定だったのだ。それが急遽変更になったのは偏に嶺の身内、母親の体調が悪く今都内を離れることが出来ないというところから来ていた。……安達のことを思い出す。水灰創太との別れも、水灰道理を見舞うことも……出来なかった、出来ていない安達。……別にいい。修羅場くらい、地獄くらい。誰かがこの先一生苦しんで悔やんでしまう可能性があるのなら、代わることくらい何てことはない。―――しかし。

「あの、嶺さん」

『なに?』

「その、少し相談があるんですが……お時間今大丈夫ですか?」

『―――どうした?』

 嶺の声が改まった。姿勢を正したその声に、このひと本当に面倒見がいいひとだな、と心のどこかが安堵する。現在の時刻は午前三時。与賀組のスタッフはこの時間しか空いていないだろうと考えわざわざ合わせて電話して来てくれたのだろう。メールではなく電話で伺ってくれるその心根がうれしかった。

「画面、繋げてもいいですか?」

『ちょっと待て』

 お互いにスマホを操作させる。スピーカーフォンになったその筐体から少しだけ声質が代わった嶺の声。

『あれ、何だ。どこだお前』

「今お風呂上りなんで……」

 カメラはこちらに向けない。絶対に。

「見て頂きたいものがあって……ちょっと待ってください」

『おう』

 マウスを操作する。カーソルを合わせたのはあの別れ道のカット。あの黒い影が現れるところ。

スマホをMacに向け、スペースキーを叩いて再生した。少年と少女が別れ道で立ち止まる。黒い影が現れ、少女に話しかけ……

『……』

「……どう見えました?」

『どう、って……』

 少し困惑したような嶺の声。

「今の映像がどうなったか、最初から説明してもらえませんか」

『ええ……? 男の子と女の子が別れ道の前で立ち止まって、男の子は右に、女の子は左の道に進む。……なあ、どうしたんだ?』

「……」

 自分の眼以外では。そういう風に見えている、のか。

『おい?』

「……ごめんなさい、何でもないです」

『……そう?』

「はい。また連絡し……出来るかな。わかりませんが……」

『……まあ様子見て。体には気を付けろよ、本当』

「はい」

 お疲れ様です、と言葉を交わし通話を切った。ふう、と深く息を吐く。

「……」

 元データを呼び出し再生する。左の道を選ぶ少女……もちろん、黒い影なんてどこにもない。

 編集したデータを再生―――やはり現れる、黒い影。

「……ん?」

 その影がこちらを、……世界を覗きこむ紗陽を見た気がして、首を傾げた。

 気のせいだった。……恐らく、は。




「すごいどぎつい顔で現れるかと思ったけどそうでもないな」

 目を開けると、いきなりそんな言葉をもらった。

「……すごいどぎつい顔で現れたらどう思ってたんですか」

「視界の暴力だとは思ったと思う」

「……」

 そりゃあなたの見目麗しさに比べたらサヤの怒り顔など単なる暴力でしょうよと思いながらも小さく息を吐いた。まあ、前回のことは本当、サヤのテンションが著しく上がっていたことに所以する。……それ以上に、ドーリの変わらない、飾らない上に遠慮もない空気にほっとする。身体の力がすっと抜け小さく息を吐いた。

 そんなサヤを、ドーリは不思議そうな顔で見る。

「失礼、しました……うざかったでしょうしずうずうしかったですよね……」

「いや、別に」

「え?」

「そうは感じなかったけど」

「じゃあ何であの時質問したんですか?」

「ここで消えたらどんな顔するかなと一瞬思っただけ」

「……」

 このひと、最早意外でもないけれど……結構えげつない。えげつないよ。きらきらした顔でえげつないひとって本当になんというか、人生楽しそうだなと思う。

「大違いだな……」

「誰と?」

「え? ああ、仕事で最近よく会うひとがいるんですが……そのひととです」

 というより、松白の顔は毎日毎日よく見ているのだ。画面越しに。すうっとしたクールな役として出ているので、大抵の場合その表情はきりりと整っている。仕事なのでときめくわけでもどきどきするわけでもないが。

「ドーリと似たような歳で、顔立ちが整っている方なんです」

「ふうん」

「興味なさそうですね」

「興味ないからかな」

「ですか……」

 確かにこの情報だけで興味を湧かせろと言われても困るところではあるか。

「俺と違ってやさしいと」

「はい。ひとのことを気遣えて、言葉もやわらかくて人当たりもよくてこれこそ好青年! って感じのひ……と……で……」

 質問には答える癖が自然と付いていたのかぺらぺらと喋ったがぞくりとした寒気を感じて言葉は尻すぼみになった。恐る恐る横に顔を向けると、ドーリがにっこりと……その甘いマスクを最大限にきらきらと輝かせた、それはもう画面越しであろうが何であろうが一瞬でひとを虜にするのであろう笑みを浮かべていた。ぶるるっと肌が粟立つ。

「ひ、ひぃ……」

「俺の顔見てそんな絶望的な顔した奴ははじめて」

「は、はは……」

「俺はひとのことを気遣えず言葉も厳しくて人当たりも悪くてこれこそ極悪非道って感じの男だと」

「ご、極悪非道とまでは思ってません……」

「つまりひとのことを気遣えず言葉も厳しくて人当たりも悪いとは思ってるんだな」

「……」

「これは質問だよ? サヤちゃん。答えないと消えるよ?」

「……う、あ、」

 こくこくこくと小刻みに素早くうなずく。満足したように微笑みかけ、すうっとその笑顔を消したドーリは絶対零度の眼と声で、

「さっさと来て。とろとろしてると羽がなくても羽もぐぞ。妖精」

 さっさと歩き出したドーリをあわてて追いかけた。




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