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〈 ここからが、誰にも言えない本当の話 〉
「本当にそうするのか」
カメラが止まった時間の中、創太がそう言って声をくぐもらせた。
「警察とか……」
「……どうだろう。通報したところでどうなるかな」
「……」
わからなかったのだろう。だから創太は答えなかった。小さく笑って首を横に振る。
「大丈夫。俺稼いだから」
「……本当にマーシャを買うのか? ……それは、」
「犯罪だな。やってることは」
「……」
「とんでもないドキュメンタリー映画だな。『ドーリ』はどんな奴になるのやら」
笑っても、創太は笑わなかった。
「東洋人ってどんな意味でもここじゃ目立つだろうから。……運に賭けるよ」
全てが上手く行くことを。
「……どうして」
「え?」
「どうしてこうしようと思ったんだ?」
「……」
「昨日、マーシャが攫われたあと。……悲しいけどどうしようも出来ないって、そうなったのに」
「……何でだろう」
道理は首を傾げた。本当に、自分でも不思議だった。
「なんとかしなくちゃって……ずっと思ってたんだけど。でも、もうどうしようもないって思ってた。……だけど、眼が覚めたあと、急に霧が晴れたみたいに、ああ、こうすればいいんだってわかったんだ」
「……そっか」
それ以上はもう何も言わないとばかりに、創太が笑う。
「……流石に人気若手俳優が少女を買うところは映せないな」
「事務所通して」
「どう考えてもNGだろ」
「だな」
笑い合って。この国の金を手に、歩き出す。
「日本帰ったらさ。俺親善大使やりたいな。この国の」
「ああ」
「この映画も。やばいところは伏せて、上手く繋げて……問題提起して、どうにかしたい」
「ああ」
「どんどん趣旨がずれてくな。この映画終わる頃『ドーリ』はどうなってるんだろう」
「楽しみだな」
「な。―――滅茶苦茶楽しみだよ」
§
「……けい、さつ……?」
「通報した。今頃突入してる頃だろ。大丈夫。マーシャは帰って来る」
「……」
ぽかんとして。
口を開けたまま、呆然とドーリを見つめる。
「え……」
その時、少し離れたところにあるマルクの家から歓声が上がった。マルクの声と―――それから、やわらかい少女の声と。
「―――マーシャ」
頬に付く涙の痕も拭わないまま、きっと酷い顔で呟く。
しげしげと至近距離でその酷いであろう顔を見ていたドーリが、ひょいとサヤの手を握った。
「え?」
「―――本当だ。あったかい」
「は……わ!」
ぐい、と手を引かれ立ち上がった。そしてそのままドーリが走り出す。
「ちょ! え、な!」
「跳ぶぞ!」
「はっ? ―――うわああっ」
勢いを付けて。―――ドーリが跳躍した。引き摺られるようにサヤも地面を踏み蹴る。
一瞬の浮遊―――着地して、走る。
「夢持てってさ!」
「え!」
「サヤが言ったんだろ! この村で! ひとがひとり平気で売られてしまうような村で! 夢を見ろ、世界を抱け、ずっと持ってろ、それは大事なものだって―――綺麗ごと!」
そう。―――綺麗ごとだ。
「生ぬるくて甘くてだからこそ残酷で!」
走る。走る。―――力を溜める。
「お前最ッ高だな!」
二人で―――跳躍した。
「お前の作るその世界は、―――どこかで誰かの胸に残って、形を変えて何かになったかもな!」
―――映画を観るのが好きだった。その世界に恋をした。
それでも何度も失ってしまう。エンドロールが流れる度、その世界は終わってしまう。
こんなに好きなのに。サヤはこんなにもこの世界のことが好きなのに。
この世界はサヤの眼の前の決して手が届かないところではじまり終わってしまう。
いつからだろう。―――それが無理になったのは。
駄目だ。駄目だ。もう無理だ。―――じっとしていられない。
走らなきゃ。跳ばなきゃ。―――世界を手に入れるために。その世界の住人に、サヤもなるために。
映画に関わろう。
たくさんの世界に住もう。
夢を見ていたいんだ。
サヤが映画に夢を抱き世界を視たように、サヤの住む世界がまた誰かの夢になるように。
「笑えよ、サヤ! ―――結末なんてさ、まだ誰にも!」
ドーリが、笑う。
「マティーニには早すぎるんだよ!」
その、言葉に。
「―――ふ、」
心がゆるんで―――心が、こぼれた。
「ふ、ふふふふふ! あは、あはははは!」
跳躍。跳躍。跳躍。走って、跳んで。走って、跳んで。
マティーニカット。
その日の撮影の、ラストカット。
マティーニですと叫ばれたその瞬間からその日の世界は終わりはじめる。―――そしてサヤは、やれやれと思いながらも最後の力を振り絞って画面に眼を凝らす。
「サヤ、お前天使じゃないだろ? あんなことは人間以外に言えない」
着地し、息を切らすドーリにサヤは笑った。
笑って答えず、―――意識を遠退かせる。
それでも、答えはわかっていただろう。
「……何だかうれしそうだね」
「はい」
翌日、というより数時間後。ロビーで会った安達に紗陽はにこりと微笑みかける。
「昨日、っていうかさっき? もまた観てたの?」
「観てました」
信じてもらえなくて構わない。―――サヤが知っていれば、それでいい。
「安達さん。データはマーシャが消えてドーリが街を去るところで終わっていますね」
「……うん」
「それ以外に映像、なかったですね」
「……撮れなかったんだろ。……残酷、過ぎて」
そう。―――撮れなかった。
けれどわかる。証拠はないのに確信がある。
水灰道理と水灰創太は、裏で何かをした。
「……本当うれしそうだね。結論は出ないし、外に出せる画じゃない。……そんなに笑顔になれる話だった?」
マーシャが消えたとマルクが騒いだあと、次に撮られた画はその街で撮られた最後のカットだった。
赤茶色の砂地の世界をドーリが歩み去り、どんどんその背中が小さくなってゆく画。
どうして背中なのか。どうして表情は映っていないのか。―――そんなの、決まっている。
どうしてなのか、紗陽は知っている。
「はい」
笑って答えた。―――心からの、笑顔で。