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夢追い人の跳躍 10


 辿り着いたマルクの家は、無人ではなかった。

 出入り口にかかる布に飛び込むようにして中に入ると、そこには呆然としたマルクと見たことのない大人がいた。マルクの黒く澄んだ眼が、瞬きもせずその男を見上げる。

「……どうして?」

「マーシャは身体が弱い。わかるだろう?」

 何が起こっているのかはわからない。が、それがよくないことであることは確かだった。

「働くことは出来ない。自分を支えて周りを養うほど、将来稼ぐことも出来ない。マルクだってわかっているだろう?」

「―――僕が面倒を、見るよ」

 小さく掠れた声は、けれど確かに言葉になった。縋るような声でマルクは続ける。

「僕が面倒を見るよ。これからもずっと。……叔父さん、マーシャはどこ?」

「マルクが怪我をしたらどうする? マルクひとりなら自分で面倒が見れても、マーシャがいると身動きが取れなくなることだってあるんだ。マーシャだって、自分が負担になっていることを負担に感じていたよ。これが一番なんだ」

 叔父さんと呼ばれた男が微笑む。小さく笑い、懐から取り出した硬貨をマルクの小さな手のひらに落とした。

「マーシャは稼いでくれた。―――手数料は抜いたから、これで服やおいしいものを買いなさい」

 鈍く輝く硬貨。たった数枚のそれを残し、男はこちらに構うことなく出て行った。

 立ち尽くすマルクに―――呆然と、する。

「……」

 マーシャは。

 あたたかい手を持ちたいと語った少女は。

 ほんの少しのお金の対価に、売られて行った。

「……」

 現実と同じ。少し時間が、遅くなっただけ。

 攫われたはずの少女は売られ。

 遠回りして辿り着いた結果は、同じだった。

「……っ……」

 何も。―――何も。

 何も変えられない。当たり前だ。だってもう、既に終わったことなのだ。終わった世界なのだ。

 病弱で自分の食い扶持も稼ぐことの出来ない少女。

 やさしい少女。夢を持つ少女。

 それを愛おしそうに見守っていた、少年。

「……僕の、夢は」

 小さな小さな、声。

「マーシャと。小さくていいから、安全な家に住んで……贅沢できなくても、安心して暮らせる未来を送ること」

 その黒い眼が、現実を映す。


「僕の夢から、マーシャがいなくなっちゃった」


 その言葉が、最後だった。

 細い細い脚が膝を付く。慟哭するように、少年は叫んだ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。

 マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。マーシャ。

 少年の未来を、サヤは見た。

 ディスプレイ越しに。あのホテルの狭い部屋から、深い深い井戸を覗くように。

 死んだように少年の命は続く。死んでいないだけで、生きていないまま。それは今現在でもそうだ。

 少女の消えた世界で、少年はまだ、存在している。

 どうしよう。どうすればいい。既に終わった世界。既に過ぎた時間。別の世界。

 一体サヤに何が出来る。

「―――私は、」

 声が、震えた。

「世界を、作りたかった」

 サヤの夢は。

 自分のために、誰かの夢を、作ること。

「私の仕事は、やりたいことだった。けど、どんどん現実が見えて来て。誰かが描く世界を願う力も段々失くなって」

 必死で、必死で、必死で。

 神経を擦り減らして。胃薬が手放せず、栄養剤を増やし睡眠時間を削り、どんどんどんどん心に余裕が失くなっていって。

 誰かの夢を望む前に。

 サヤ自身が、すっかり疲れ果てて。

「私が夢を見れないのに、誰かの夢の世界を作るってその形だけが残って。―――でもそこに、心はあったのかわからなくて。あんな風にやさしく、私は夢をもう見れなくて。―――だから」

 だからさ。

「夢を、持ってよ。そんな世界を望んで。努力してよ。力の限り。跳んで。マルク、跳んで。泣きながらでもいいから。どれだけ辛くても苦しくても。もう身体は限界で心が空っぽになっても。でも夢を持って。世界を抱いて。覚えてて。―――だってそれがなくちゃ、何もはじまらない」

 ―――マーシャには、もう二度と会えない。

 マーシャと再会出来る世界を、サヤは作ってあげられない。

 現実は変わらない。もう変えられない。―――だけど。

 この先、あなたの心が少しでも軽くなる瞬間が出来ますようにと祈らずにはいられない。

「誰かの夢が、世界が、マルクを助ける。ほんの一瞬かもしれないけど、でもきっと助ける。……だから」

 だから。

「ずっと、持ってて。―――それはとても、大事なものなの」




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