第七話
ほんのり明るい証明に照らされた室内。壁に立て掛けられた聖剣シールは、青白い魔力を漂わせ静観している。
ミリアは聖剣を眺めながら思う。彼女も聞いていただろうか。
ミリアは目をきつく瞑る。ファウンドの残酷な過去に言葉が出なかった。こんなにも、こんなにも深い絶望があるだろうか。深い悲しみがあるだろか。
誰がファウンドに復讐をするなと言えるだろう。誰が人を殺すなと言えるだろう。人を殺すことの醜悪さ。そんなことは彼が一番分かっている。ミリアよりも遙かに深く理解している。
彼はこの世界の犠牲者だ。だから世界に復讐する権利があるのかもしれない。
だが、本当にそれでいいのだろうか。彼の過去を聞いてミリアはより確信した。彼は本当に心の底から人を思いやれる人間だと。時や場所が違えば、彼は人のために尽くすことのできる人間になっていたと。
彼がこのまま復讐の道に進めば、そんな大切な感情さえ消えてしまう。彼はまだ、思いとどまっている。修羅に成りきれていない。それは、彼が今までの絶望に打ち勝つほどに、人を思う気持ちが残っていることを意味する。
ミリアは最後の薬液を手になじませると、ファウンドの荒々しい背中を優しくなでた。その背中に背負う絶望をできるだけ落とせるように。
「その後、お姉ちゃんは?」
ミリアは穏やかな口調で聞いた。
「死んだ。衰弱死だ。俺が彼女を見つけてほんの数ヶ月だった」
「……そっか」
「彼女は最後まで俺を覚えていなかった。当然だがな」
「でも、きっと姉はあなたが死ぬ瞬間、そばにいてくれて嬉しかったと思う」
「気休めは止めてくれ。俺を認識できてなかったんだ。誰でも変わらないだろ」
感傷は許さないとばかりに、ファウンドは言い放つ。だが、ミリアはファウンドのその行いが、意味のない事だなんて思いたく無かった。思わせたくなかった。例えそれがセンチメンタルなものだったとしても。だから、彼女は彼に分からせるために、より現実的な言葉で説得する。
「そんなことないと思う。彼女の身なりも綺麗にしたんでしょう?」
「まあな」
「ならファウンドじゃなきゃだめだったよ。ファウンド以外、そんなことしてくれる人いなかっただろうし。私だったら最後に汚いまま死ぬより、綺麗な身体で死にたい」
「そうか」
それきり、ファウンドは黙る。彼の虚ろな瞳には聖剣が映っている。ミリアは彼のその姿に、心が締め付けられた。
彼を癒すためには、どんな言葉をかければいいのだろうか。彼の精神は絶望に染まっている。それを剥がさないと、きっと思い出さない。彼の本当に望む物を。
姉なら一体こんな時、どんな言葉を選ぶのだろう。姉はファウンドに幸せを伝えた。絶望していたファウンドを幸福にすることができた。
ミリアは歯を食いしばる。でも自分は姉ではない。姉のように可愛らしく振る舞うことも、甘えることもできない。言葉を発せば、罵倒やきつい言葉ばかり。この手の事はとにかく苦手だ。
でも、自分にしかできないことが、あるかもしれない。ファウンドの助けになることが。
ミリアは熟考するように顔を伏せる。
「悪かったな。もう十分だ」
ファウンドがそう言うと、服を着ようとする。
「ちょっと待って!」
ミリアは咄嗟にファウンドの肩を掴む。
「おまじない……するから」
ミリアは彼を引き留めるために、自分でもよくわからない事をでっちあげて言った。
ΨΨΨΨ
ファウンドは背後のミリアを横目で見ると簡素に言う。
「何を呪うんだ?」
「それは……ファウンドが死なないように」
ファウンドはミリアのその言葉に苦笑いする。死なないとは、随分と控えめないい方だ。ミリアらしくない。だが、きっと彼女は、自分に気を使ってくれているのだろう。得意でもないくせに、彼女は必死にファウンドを傷つけまいとしている。本当に優しい少女だ。
ファウンドはミリアの手の温もりを背で感じながら、彼女に告げる。
「死なないか。俺の寿命はもう僅かだ。この復讐を果たすまで、生きれるかも怪しい」
「……でも、一分一秒でも生きれた方がいいでしょ?」
ミリアの言葉はとても苦しげだった。
ファウンドは考える。ミリアは自分の事を思ってくれている。なら、好きにさせてもいいかもしれない。どうせ、彼女と過ごす機会も、これが最後になる。
「分かった」
ファウンドは素直にベットに座り直す。
ファウンドの背に微かに、彼女の温もりが伝わる。何か文字や紋章のようなものでも書いているのだろうか。しかし、ファウンドにはそれが分からない。なぜなら、彼は背中の感覚がほとんど無いからだ。いや、背中だけではない。左手も右足も、魔導石の置換率の高い所から感覚が無くなっていた。
ファウンドがミリアの思うままにさせていると、彼女は澄んだ声音で彼に言葉をかける。
「お姉ちゃんって、どんな人だった?」
「そうだな……彼女はよく泣いて、よく怒って、よく笑っていた。とにかく感情表現が豊かで、いつもコロコロと表情を変えていた。それに俺はよく振り回されていたな」
「お姉ちゃんらしいなぁ。昔から喜怒哀楽の激しい人だったから。でも、一緒にいると楽しかったでしょ?」
「ああ。本当に楽しかったな。彼女ほど魅力的な人を俺は知らない。彼女は一見して自由人だが、しっかりと芯のある女性だった。だから惚れたんだ」
ファウンドの瞳に、シールが振り返り、笑顔を自分に向けている姿が一瞬だけ写った。その眩しい微笑みに何度救われたか分からない。そんな彼女だからこそ、自分の全てを捧げていいと思ったのだ。
ファウンドが感傷に浸っていると、焦ったようにミリアが言う。
「ご、ごめんなさい。私、気が利かなくて」
ミリアの動揺にファウンドは首を傾げる。何をそんなに焦っているのか。
しかし、ファウンドは自分の太股を見て気づいた。滴が垂れている。それは自分の頬から垂れて落ちたものだ。自分はいつの間にか涙を流していたようだ。頬の感覚がない今、涙を流している事に、まるで気づかなかった。
ファウンドはそれを無造作に拭う。
「気にするな。ゾフィアの影響で涙腺が壊れているだけだ。お前のせいじゃない」
「それなら、いいのだけど……」
ミリアはそれきり気まずそうに口を噤んだ。ファウンドは言葉を返すこともなく、静かに彼女の呪いが終わるのを待つ。
数分経ってから、ファウンドの背部に妙な違和感が走った。
ファウンドは振り返る。
「何かしたか?」
「おまじないよ。何か感じたのなら、効果があるよ、きっと」
ミリアは微笑みながら言った。
「……」
ファウンドは訝しげな視線をミリアに向ける。しかし、ミリアはすまし顔で、ファウンドを見ているだけだ。
「もう終わりか?」
「ええ、これであなたの寿命が延びたわよ」
「ふっ。それはありがたい」
ファウンドは服を羽織り、立ち上がる。
「そろそろ寝よう。明日は早い」
「明日って、どうするつもりなの? デミラとレイドに復讐するつもりなら……」
ミリアの言葉に被せるように、ファウンドは言う。
「奴らを殺しにいくと、思ったか?」
「……ええ」
「もちろん、それも果たすべき事だろう。だが……」
「何か他にあるの? 復讐以外にする事が」
「いや、復讐さ。俺の目的は最初から何も変わっていない」
「じゃあ、一体……」
ファウンドはミリアに言った。ファウンドの真意を。真の目的を。
ファウンドが何故、わざわざ目立つように、勇者を殺して回っていたのか。何故、聖剣シールを入手する必要があったのか。
全ては彼の計画通りに進んでいた。機関も他の勇者達も、彼の思惑通りに動いていた。
ミリアは納得したように頷く。
「そういう、ことだったの」
「ああ」
「それなら……」
「お前は来なくていい」
ファウンドは、ミリアの言葉を遮ってはっきりと告げた。
「お前はここで事が収まるまで、じっとしていろ!」
「なんで! 私も行くわ!」
ファウンドはミリアがついて来たがると予想していた。しかし、連れて行く訳にはいかない。行けばただではすまない。彼女を危険な目に会わせるわけにはいかないのだ。
その時、ファウンドの頭に一瞬だけ考えが過ぎった。何故、そうまでして自分はミリアの事を思うのだろうかと。
ファウンドはミリアに告げる。
「行けば帰っては来れない片道切符だ。俺はどうせ死ぬ。だが、お前は違うだろ?」
「私は機関の不正が正せるなら、命を捧げてもいい」
「そんな事を軽々しく言うな!」
ファウンドは怒鳴る。それにミリアは目を丸くする。
ファウンドは深く息を吐く。何故ここまで、怒りがわき上がったかは分からない。ただ、ミリアが死ぬのはどうしようもなく、受け入れがたいものがあった。もしかしたら、ファウンドはミリアにシールの面影を見ているのかもしれない。
ファウンドは落ち着いた口調で言う。
「お前は今、命を張る必要はないだろ。お前が努力をするとすれば。それは今回の件が終わった後だ。ルドルフに全てを話し、機関と戦う。それがお前の役目だろう」
「それは……」
「話は終わりだ。明日、お前はここにいろ」
「……」
ミリアは訴えるような視線でファウンドを見つめる。ファウンドは目線を反らし、言い放つ。
「少しでも体力を回復させておきたい。もう寝るぞ」
ミリアは何も言わずにベットの中へ潜った。ファウンドはそれを見届けてから、電気を消してベットに腰を下ろして目を瞑った。




