第三話
エリクマリアに点在する協会。その中で、最も格式高い協会の地下に闇市場はあった。
時計塔がそのまま入りそうなほど高い天井に、湿気を含んだ大気と仄暗さ。まるで巨大な鍾乳洞のような空間。災害時に避難できるようにと、無造作に掘られたその穴は、今や群がる虫のように、露店が所狭しと並んでいた。
闇市場の中央には天井を支える柱のように、巨大な魔導具の建造物がある。それこそが、外部の魔力探知を無効化している代物らしい。通称、死黒杭。おどろおどろしい魔力を垂れ流して、闇市場の空気をより一層息苦しいものに変えている。
闇市場を往来する人々は全員フードを深く被っている。ミリアとファウンドも目立たぬようにフードを被り移動する。
店と店の間に吊られている絹は全て魔法糸でできているようで、そこから僅かな魔力が漏れ、市場に辛うじて光りを提供していた。
店先には魔導具だけでなく、怪しげな薬品や、利用用途の分からない物品が数多く並んでいた。
ミリアはそれらの品々に眉を寄せる。ここにある品は、違法なものばかり。人の手に渡るには危険すぎる物ばかりだ。エリクマリアの治安はこのような場所があるかぎり、悪化の一途をたどるだろう。
二人は闇市場を歩いている内に、宿屋を見つける事ができた。秘匿性重視で泊まる客の身分は問わないらしく、すんなりと部屋を借りることができた。客には女型の魔物を鎖で繋いで歩いている男や、明らかに少年を連れている男もいた。
「はぁ」
ミリアは部屋に入りベットに腰を下ろすと、開口一番にため息をついた。
ファウンドはローブを縫いでイスにもたれる。
「お前には刺激が強すぎたようだな」
「強いも何も……」
闇市場の様子がミリアの脳裏に浮かぶ。目の虚ろな人々に悪意に満ちた笑み。強烈な薬品と体臭の混じった臭い。ここに居続けたら、自分の脳がよからぬものに犯されてしまうんじゃないか。そんな危機感を抱く。
ミリアが黙っていると、ファウンドが彼女に向けて何かを放った。茶色の紙袋に包まれた丸い物体。彼女はそれを受け取る。中身はほのかに熱を持っている。
「これ何?」
「飯だ。昨日から何も食べていないだろ?」
紙袋を開けると、途端に甘い香りが部屋いっぱいに広がる。作りたての菓子パンだ。
「ありがとう……あなたは?」
「俺はいい。消化器官に負担をかけたくない。先に風呂へ入らせてもらうぞ」
ファウンドはそれだけ言って、足早に風呂場へ消えた。
シャワーの音がミリアの耳に届く。男と二人で宿舎に泊まるのは人生で初めてだ。平常時なら緊張していたかもしれない。だが、今はそんな事で緊張する余裕はない。頭に霞がかかったかのように、ぼんやりとする。心に折り合いのつかない事が多すぎるからだろう。思い出すのは、理不尽で残虐な事ばかりだ。
ほんのりと香るパンの匂いだけが、ミリアを落ち着かせる。しかし、菓子パンは思うように喉を通らない。食欲はあるはずだが、食べようとする元気がないのかもしれない。
彼女はゆっくりと咀嚼しながら、目を閉じた。彼女の瞳には未だに親子の死に様がまざまざと焼き付いている。彼らが死んでいいはずは無かった。何故自分は何もできなかったのだろう。レイドの存在には気づいていたはずなのに。自分の無力さに嫌気がさす。
少ししてシャワーの音が止み、ファウンドが青い肢体を露出させて出てきた。彼はすぐにタオルを羽織る。
「お前も汚れを落としておけ。あの下水道の泥は身体にいいもんじゃない」
ミリアは軽く頷くと、彼と入れ替わる形で風呂場に入った。
魔導具から出るお湯を一身に浴びる。体は血液と汚水で汚れていた。体を強くこすり何とか汚れを落とす。
体を洗い終わり、ミリアはふと鏡で自分の姿を見た。そこには金髪に白い肌の女が一人。彼女の腹部にある群青色の魔導石だけが、場違いな色彩を放っている。
こびりついた汚れは綺麗に落ち、昨日までと何ら遜色ない自分がそこにいる。だが、何故だろうか、その女はまるで別人のように見えた。
ミリアが風呂場から出ると、ファウンドは薬液を体に塗っていた。群青の肌に、無数の深紅の亀裂。そんな痛々しい肉体を前にして、ミリアは物怖じせずに言った。
「私が塗ろうか?」
ファウンドは虚をつかれたのか、少し動きを止めると黙ってミリアに薬液を渡した。
ミリアはファウンドの背中に手を置く。今ならファウンドが勇者だったと言われても、疑う気にはならない。彼は危険だと判断した者や悪と判断した者は容赦なく殺す。しかし、家族を命がけで救い、ミリアを幾度となく機関の魔の手から救った。
彼のやり方は強引で時として……いやほとんど間違っているのかもしれない。だが、本質的な部分はミリアとファウンドに、大きな違いはないのではと思う。人の命を尊ぶ心を彼はもっている。そう、機関とは大違いだ。
そんな事を考えていたせいか、ミリアの口から感謝の言葉がこぼれ落ちる。
「ありがとう」
「何がだ?」
「私を助けてくれて」
「たまたまだ」
ファウンドは正面を向いたまま告げる。
ミリアは思う。たまたまな訳がない。デミラの時も、レイドの時も、わざわざ自分を助ける必要なんてなかったはずだ。むしろ自分を囮にすれば、彼らに効果的な一撃を加えられたはずだ。百歩譲って、それらがたまたまだとしよう。だとしても、ファウンドがミリアを誘拐したことは、どう説明をつけるのか。機関が自分を誘拐し、ライエン家を脅そうとしている。そんな事実はちょっとやそっと調べた所で、分かるわけがない。ミリアに最初から狙いを付けて調べていなければ、絶対に分からない事実だ。
ミリアは彼の背中の傷を癒そうと手を這わせる。彼の背中には無数の傷があった。いったいどれだけの戦闘を繰り返したのだろう。それは今までの戦いの壮絶さを如実に物語っている。
薬液がそれらの傷にしみこみ、部屋の光に照らされ白い光を反射させる。彼の傷をよりはっきりとミリアに見せる。
だから見つけてしまった。彼の背中の左肩付近。僅かに残された生身の部分にある、見覚えのある傷を。
ミリアは息をのむ。十字の傷。それは紛れもなく、ミリアの憧れの勇者の印。幼少期にミリアを救ってくれた勇者のそれ。偶然だろうか。いや、それにしては場所も傷の形も一致しすぎている。
ファウンドの後頭部をミリアはまじまじと見つめる。容姿も体も、魔導石との同化によって、魔物じみた姿に変わってしまっている。だから、昔の姿と比べても、似ても似つかない。目の前の復讐者が、ミリアの目指した勇者だとは分かるわけがない。
「どうして……」
ミリアはその先の言葉を話そうとして声を詰まらせる。聞けるのか、自分に。彼の過去を聞く覚悟が自分にあるのか。幼くも毅然としていたあの少年をここまで変えてしまった理由を、自分は聞けるのか。
だが、ミリアの言葉を引き継いで、ファウンドが言う。
「復讐なんてか?」
「うん」
ミリアは唾を飲み込み、十字の傷に視線を注ぐ。
「昔のあなたは、正義を志していたはずよ。人を救い、助けることに喜びを感じていたはずよ。なのになんで……復讐なんて選択肢を選んだの」
ミリアはファウンドに怒鳴られる事を覚悟した。怒りにまかせて増悪の視線を向けられると思った。だが、彼は優しい声色で語り始めた。
「愛していた人がいた。世界で一番、幸せにしたい人がいた。そして彼女も俺を愛してくれていた。俺たちは幸せだった。だが……」
ファウンドは言葉を切ると、苦しそうに言葉を繋ぐ。
「彼女は死んだ。仲間だと思っていた勇者達の手によって、彼女は殺されたんだ」
ファウンドは自分の手を見て、きつく拳を握る。
「話そう。彼女に何があったのかを。君にも知る権利がある。彼女の名前はシール」
そして、ファウンドは息を吸い込むと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「シール・フォン・ライエン。君の姉だ」




