第二話
夕暮れに染まる市場。水たまりをまたぎながら、一人の男が歩いていた。
男は目を伏せ、ため息をつきながら歩く。彼はとことん落ち込んでいた。理由は様々ある。飯にまるでありつけていない事や、勇者の闘争に巻き込まれ自分の住処が破壊された事など。上げたらきりがないほど、彼はここ数日ひどく不運だった。
そもそも、ミリアという少女に窃盗の現場を目撃されてから全てがおかしくなった。彼女に蹴られたせいで肋骨が折れ、そしてそのまま拘留所で丸一日放置された。人権侵害も甚だしいと訴えたかったが、それがどれだけ無意味な行動か彼はよく知っていた。
男は市場に並ぶ商品に視線を移す。焼きたてのパンや肉の串焼き。盗むのは簡単だろう。だが、ミリアが植え付けたフーウィルの能力が恐ろしく、未だに本来の仕事を遂行できないでいた。
彼女は言った。フーウィルを埋め込まれれば、自分の見たもの聞いたものは筒抜けだと。下手をすれば盗むような仕草一つで、魔力を無理矢理流し込まれ、強烈な痛みに喘ぐことになるかもしれない。
しかし、奴が常に自分の事を監視しているとは限らない。さすがに、一日中張り付いている訳ではないだろう。なら、ほんの一瞬で盗んでしまえば、気づかれないのではないか。
盗人の男はそう自分に言い聞かせると、店に近寄っていく。もう腹が減ってしょうがない。これは生きるためには必要なことだ。
盗人は自然に店を通り過ぎると見せかけて、音も立てずに商品を手に取った。
『また盗み? 懲りないわね』
その声はどこからともなく聞こえてきた。盗人は咄嗟に手に持った物を元に戻す。
「だ、誰だ!」
『ミリアって言えば分かる?』
盗人の心臓が跳ね上がる。見られていた。盗みの瞬間を。
盗人は目を泳がせながら、必死にミリアの姿を探す。だが、どこにも姿が見えない。彼女は一体どこから話しかけているのか。
『探しても無駄よ。あなたの見えるところに、いないもの』
「じゃあ、どこにいるんだ!」
盗人は店の前で大声を上げる。道行く人々が彼の姿を奇異の目で見つめる。
彼はその視線から、感じ取る。何かがおかしい。周囲にはミリアの声が、聞こえてないのだろうか。
『気づいたようね。これはあなたに埋め込んだ魔導具――フーウィルを介して、声を送ってるの。あなたにしか、聞こえない』
盗人は懇願するように叫ぶ。
「俺は何もしちゃいねぇ! 店の物を手にとって見てただけだ」
『取り繕ったって無駄よ。あなたの思考は筒抜けなんだから。分かってる?』
盗人は恐怖に震え上がる。自分の考えていることさえも、彼女には伝わってしまう。言い逃れは絶対にできない。もはや、無心で謝り続けるしかないだろう。盗人は先ほどの態度とは打って変わって、頭を深く下げる。
「……悪かった。俺が間違ってた! 魔が差しただけなんだ。許してくれ。もう独房に入れられるのはごめんなんだ」
すると、盗人の目の前に何かが落下した。それは地面に刺さるように着地すると、煌びやかな金髪を揺らしながら立ち上がる。その鮮烈なまでの美貌と全てを射抜くような鋭い視線に、彼は見覚えがあった。そう、彼女は自分を不幸に陥れた張本人。ミリアに間違いなかった。
彼女は告げる。
「今のは、見なかったことにしてあげてもいい。でもその代わりに、答えてほしいことがあるんだけど?」
彼女は笑顔で言う。百万カラットの宝石にも匹敵するその眩しい笑みが、男の恐怖をより一層増長させる。
「知っている範囲なら、答えられるが……」
盗人の頭に警鐘が鳴り響く。これはかなりまずい事を聞かれる可能性がある。
盗人の焦りを無視してミリアは尋ねる。
「闇市場、知ってるでしょ?」
「……知らない」
盗人はそう答えるのがやっとだった。
彼は知っていた。闇市場の場所を。しかも、今から向かう所だった。だから、彼はその場所を必死に考えないようにする。少しでも思い浮かべれば、即刻彼女に伝わってしまう。
冷や汗をかいている盗人に、ミリアが詰め寄る。
「嘘ついても無駄。知ってるはずよ」
「何を根拠にそんなこと」
「あなたが使ってた魔導具。あれはゾルダム国だけに売ってる魔導具なの。普通、あなたが手に入れられる訳がない」
「あれは……そう、貰ったんだ。たまたま、ゾルダムの騎士に友人がいて横流ししてくれたんだ」
「それを取引したのが、その闇市場でしょ」
「いや違う!」
「違わないでしょ。そもそも、あんたみたなゴロツキが騎士達と知り合いだなんて、信じられないわ」
「うるさい! 証拠なんかないだろ!」
そう叫ぶと同時に、盗人は腕を誰かにいきなり掴まれ、店先から路上の真ん中に引っ張られた。
耳元を凍えるほど冷たい声が掠めた。
「お前にある選択肢は二つだ」
その男――ファウンドの殺気に、盗人は萎縮する。盗人の背に剣が押し当てられる。
「俺たちに闇市場の場所を教えて、無傷で家に帰るか。もしくはここで、お前の腹に収まってる腐った内蔵をぶちまけるか。どっちがいい?」
盗人は汗を滝のように流しながら考える。闇市場の場所を教えれば、市場は機関によって徹底的に掃除されるだろう。そうなれば闇市場は壊滅を余儀なくされる。そして、闇市場をしきっている連中に、俺は殺されるだろう。
しかし、今それを言わなければこいつに殺される。こいつの殺気は、本物だ。逆らえばいやおうなく殺されるだろう。
盗人が思い悩んでいると、ファウンドは背中につけた剣を引っ込めた。
「えっ?」
盗人が呆けた言葉を吐くと、ファウンドが言葉を返す。
「時間切れだ」
ファウンドは聖剣を振りかざす。
「分かった分かった分かった! 話す! 話すからそれを下げてくれぇぇぇぇ!」
それから盗人はファウンド達に、闇市場の場所を包み隠さず話した。




