第一話
ミリアは夢を見ていた。それは遠い記憶の彼方にある、勇者との思い出。
『大丈夫か?』
甲高い声。まだ声変わりも終わっていない幼い声だ。言い方は少し粗暴。だがその中に、ミリアを心配する優しさが含まれていた。
幼いミリアは少年に背負われながら答える。
『……うん』
正直な所、まるで大丈夫では無かった。何日間も監禁され、殴られて。怖くない訳がない。平気な訳がない。しかし、監禁から救ってもらい、加えて怪我をして歩けない自分をおぶってくれている彼に、これ以上甘えられない。彼女はそんなプライドが邪魔をして、彼に対して素直になれないでいた。
少年勇者は彼女に言う。
『強いな、あんたは。他のみんな――子供も大人も助かったと分かった途端に泣いてた。なのに、あの中で一番の年下のあんたが、一人だけ表情一つ変えずにいるんだ。正直、すごいなって思った』
ミリアは彼の肩を掴む手に力を入れる。必死に泣くまいと堪える。本当は強くなんかない。泣きたくて心細くて、しょうがなかった。だけど泣いてしまったら、ミリアを拉致した奴隷商の奴らに、負けを宣言しているようで悔しかった。絶対に弱音は吐きたくないと、意固地になっていた。つくづく自分は可愛くないなと感じる。姉ならこんな時、誇りも恥も全部かなぐり捨てて、泣けるんだろうなと思う。この幼くも逞しい勇者の背中に、思いっきり抱きつけるんだろうなと思う。ミリアはそんな姉を、少しばかり羨ましいなと感じた。
ミリアは少年の背に刻まれた、十字の傷を見つめて言う。
『私は……あなたみたいになりたい』
『俺?』
『あなたみたいな、勇者になりたい』
『そうか……』
そして彼はミリアに横顔を見せながら、満面の笑みで言った。
『そん時は、俺のパートナーになってくれ! あんたが一緒ならきっと、向かうところ敵なしだ!』
その顔は本当に楽しそうで、まさに子供のそれだった。だから自然とミリアも笑った。
『うん!』
ΨΨΨΨ
重い瞼をミリアは開ける。見えるのは積み上げられた石の壁。それが、正面の壁から天井に至るまで連なっている。ここはトンネルの中だろうか。横を見れば川が流れていた。
ミリアの頭が覚醒してくる。すると、自分が何かに包まれていると気づいた。
振り向くとそこにファウンドがいた。
「ふぁ!?」
ミリアは驚き跳びのける。
ファウンドはため息をつきながら、ミリアを見る。
「やっと、起きたか」
「私、寝てた……」
「ああ」
ミリアは混乱する頭を整理する。レイドに突進した後の記憶がない。たしか、レイドに殺されかけたはずだが。体中を触るが、それらしい傷はなかった。
「助かった?」
ミリアが自分に問いかけるように呟くと、ファウンドが冷めた声で答えた。
「どうだろうな、まだ安心するのは早い。デミラの探知範囲を抜けてなければ、その内ここにも追っ手がくるだろう」
ファウンドによれば、ここは橋の下らしい。レイドから逃げた後、川に飛び込み、そのままここへ流れ着いたそうだ。
レイドに遭遇してから時間はあまり経っていない。逃げ延びたと考えるのは、確かに早急だろう。
「隠れ家はどうなったの?」
ミリアはファウンドの対面の壁にもたれ掛かり尋ねた。
「レイドに破壊されたと考えるのが妥当だろうな。それ以外の隠れ家も同様だろう」
ミリアが怪訝そうに眉をひそめると、ファウンドが付け加える。
「レイドは心が読める。昨夜、奴と対峙したときに、全て知られてしまったと考えた方がいい」
ミリアがレイドに殴りかかった時、まるで宙を舞う木の葉を掴もうとしているような、そんなとらえようのない感覚に襲われた。彼に一撃を与えられる事をまるで想像できない。
ミリアは目を伏せる。
「あの狂人……あれが勇者だなんて信じられない。あいつのせいで、あの家族は子供まで殺された」
ミリアは体を丸めると、自身の膝を抱きしめる。彼らの死に顔が鮮明に思い出される。あの場所に来なければ家族は今頃、いままで通りの日常を送っていたはずだ。なのに、彼らは殺された。
自分があの場所に行かなければとミリアは後悔する。街に人が現れ初めていたのは気づいていたはずだ。人通りの少ない道を、選ぶことができたのではないか。
ミリアは呟く。
「悔しい。悔しくてたまらない。非力な自分も、勇者も、許せない。どうして、こんな理不尽がまかり通るの」
ミリアの嘆きに対して、ファウンドは無言のままだ。ミリアはそれに業を煮やして叫ぶ。
「何とか言ってよ!」
しかし、叫びながら見たファウンドの表情は、まるで悪鬼のようだった。瞳の中で滾る、黒く冷たい炎。川を眺めるその冷たいまなざしには、凍えるほどの怨嗟がはらんでいた。
ミリアはそれで全てを察する。彼はこんな体験を何度もしてきた。だからこそ、誰よりも恨んでいるのだ。この世界を。
「あなたの事を教えて」
ミリアはふとそんな言葉をこぼした。彼が今のような姿になった原因。それを聞けば、重大な機関の秘密とやらも聞けるだろう。だが、そんな事はどうでもいい。もう機関がどれだけ腐っているかは知っている。これ以上、機関の悪事を聞いても不快になるだけだ。むしろ、ファウンドの行動理由を知りたかった。彼が復讐を始めたきっかけを、詳しく知りたくなった。
ファウンドがミリアの言葉に答えようとした時、彼のコートの中で魔導具が光った。
通信用の魔導具。それをファウンドはおもむろに取り出す。彼に連絡をしてくる人間が、まだいるのだろうか。
『ファウンド! 良かった! 生きていたんだな』
興奮した男の声が魔導具から発せられる。ミリアの聞いた事のない声だ。
「おかげさまでな。まだ、しぶとく生きてる」
『相変わらずみたいで安心した』
「この通信は問題ないのか?」
『問題だらけさ。少しすれば俺がお前に通じていると気づかれる。だが、状況が状況だからな。贅沢は言ってられない。早速だが本題に入るぞ』
「隠れ家の事か?」
ファウンドの返しに、通信相手が一瞬だけ沈黙する。
『そうだ、隠れ家の場所が全て機関に漏れてると伝えようと思ったんだが、遅かったみたいだな』
「これに関しては俺の不手際だ。レイドに心を読まれた」
『あの根暗野郎か。当分ばれないはずだったが、一挙に特定されたのはそれが原因か。なるほど合点がいった』
「すまんが、相棒。そのせいで、逃げる場所がない。心当たりの場所はないか」
ファウンドが相棒と呼ぶ相手は、少しばかり唸ってから答える。
『エリクマリアの外なら、いくらでも候補はあるが、それは選択肢にないだろ?』
「ああ」
『だよな。俺も探していたんだが、魔力が探知されずに、かつ目立たない場所なんて、そう都合良くあるはずもない。それこそ、このエリクマリアにはな』
「それは俺も分かっている。そんな場所があったら、鼻から隠れ家として候補に入れているからな」
『そう……っと待てよ。一つ心当たりがある』
「なんだ?」
『闇市場だ』
ミリアはその怪しい言葉に目を細める。明らかに犯罪の臭いしかしない。
「なるほどな。確かにそこなら魔力探知対策も行っているだろう。しかし、本当に実在しているのか?」
『それは俺も分からない。機関の情報網にも引っかからないとなると、ただの噂かもしれない。だが、もし隠れる場所があるとしたら、もうそこしか考えられない』
そこでミリアが二人の会話に口を挟む。
「闇市場ってなに?」
すると、通信相手は驚いた様子でファウンドに言う。
『おい、他に誰かいるなんて聞いてないぞ。てっきりお前一人かと』
ファウンドは淡々と答える。
「彼女はライエン家の娘だ」
『なるほど、そういうことか。だから、機関からの抹殺命令にお前以外の人間がリストアップされてたのか』
ミリアは少なからず衝撃を受ける。自分は機関に殺される対象として、認定されているのだ。分かってはいたが、改めて聞いて気分のいいものではない。
『ミリア、だったかな? 初めまして、グロウと言う。昔、ファウンドの従者をやっていたんでな。それが運の尽きで、こんなやっかい事に巻き込まれるはめになった』
ミリアは声を発する魔導具を見つめる。ファウンドの元従者がなぜ、復讐に手を貸そうと思ったのだろうか。彼に手を貸せば、機関に自分が消される可能性がある。それでも、その危険を覚悟して彼はファウンドに協力している。彼のやることに正義を見いだしたのか、はたまた実利でもあるのだろうか。
ミリアの疑問に上書きするように、グロウが尋ねる。
『闇市場について知りたいのか?』
「ええ」
『俺も知っているのは噂程度だが、機関の認可を得ずに勝手に魔導具を売り買いする場所だ。魔導具の種類は千差万別。中には軍用の魔導具まで揃ってるらしいな』
「軍用の魔導具……」
ミリアは首を傾げる。何かひっかかる。
『だから、機関にばれないよう、魔力探知にだけは細心の注意を払っているという話だ。だからこそ、そこに潜り込めれば……』
グロウの言葉を遮るように、魔導具からけたたましい音が鳴り響いた。
『まずい、もう機関が感づきやがった。力になれずにすまんな』
「気にするな」
『二人とも死ぬなよ』
そこで通信は途絶えた。慌ただしく会話していたせいか、トンネルの中がやけに静かに感じる。
「そろそろ、移動しよう。この場所に長居しすぎた」
ファウンドは立ち上がった。
「ちょっと待って」
ミリアは咄嗟にファウンドの行動を止めるべく叫ぶ。
ファウンドは何だと言わんばかりの視線を、ミリアに向ける。ミリアはこめかみを揉み、それからはっとした表情をすると、ファウンドに言った。
「分かったわ」
「何がだ?」
「闇市場の場所を見つける方法」
ファウンドが半信半疑の表情をするのに対して、ミリアは確信をもって彼の目を見つめた。




