私と陰惨な現状
一人目 魔法少女あかねちゃん
一
寝不足なんかが学校をサボる理由になんか、なりはしない。
いつも通り朝六時に目覚め、着替え、食事を摂った後は歯を磨きながらリビングをうろうろ。テレビは丁度「昨日の事件」を伝えていた。
――昨晩、東京都遥ヶ見区の美術館で、展示されていた宝飾品などが盗まれる事件が発生しました。
盗まれた宝飾品の中にはイギリス王室から貸し出しされていた時価数百億円の物も含まれており、警察は行方を追っていますが、複数いるとみられる犯人グループは未だ捕まっておらず――
そんな事件があったんだ。
昨晩は近くの大通りを、サイレンをけたたましく鳴らしながら走る車が通った。一体何事だろうと目が覚め、どうでもよくなってまた眠りに就いたころにまたサイレン。大通りを先ほどとは逆方向に進行したことはわかったけど、またどうでもよくなって落ちそうになったところでまたまたサイレン。今度は先ほどの大通りを二つに斬る、垂直に走る道路。家からそれほど離れていないその道路からは複数台のバイクのエンジン音がはっきりと聞こえた。
眠りに就こうとする私の悪い予感はすぐ当たった。通過するサイレン車の騒音は今までの比でなく、完全に目が覚めてしまった。それが午前三時半。眠ることを諦めた私は部屋の明かりを付け、本棚から本を取り出し、布団に戻りうずくまりながら読書。その内うつらうつらと眠くなってきた。坂を転がるような睡魔から、鈍っていく最後の思考で枕の隣にある目覚まし時計を探り当て、針を確認すると……
午前五時五十五分。何もかもふざけている。五分熟睡したところで眠気がとれる訳もないが、お布団と睡魔の優しいエスコートに付き従う事にした。
結果は、見事に六時のアラームでお目覚め。
毎度毎度思う事がある。私は、今日という日が来る事を一切望んでいない。夜、眠っているうちにいつの間にか私は死んでいて、朝は永遠に訪れない、そんな死に方を夢見ながら毎晩眠りに就く。
そんな、今日が来る事なんて望んでいない私に、新しい朝は容赦なくやってくるのだ。なのに私の体は望んでいたかのように決まった時刻にぴったりと目覚めてしまうのだ。
「はあ、学校なんて行きたくない。」
そんな台詞を噛み潰し、テレビを消し洗面所の鏡の前で最後の身支度。眼鏡をかけている地味で冴えない女の子が鏡に映されている。はい、これが私です。
誰も送り出しの来ない玄関に「いってきます。」と告げ、朝の新鮮な日差しを全身に浴びる。ああ、今日はいつもと変わらない、最悪な日だ。
件の昨晩、逃走劇と追走劇があったであろう通りに出る。この道を歩きながら私は、ぼんやりと考え事をしていた。
(もし、神様がいれば私は救済されて、これ以上傷つかずに済むのかな。)
(もし、悪魔がいれば私は生贄に捧げられて、それ以上苦しい思いをしなくていいのかな。)
でも。
実際にはそんな都合のいい話があるわけでもなく、ただ世界は私に理不尽を強いるのだ。
現状を打破する為には、結局のところ自分でどうにするしかない。
(なんとかしなきゃ……)
そう思ったところで斜め後方から声がする。
「今、なんとかしなきゃ……そう思いましたね?」
心を読まれた気がしてはっとその声のした方に振り向く。
(だれもいない……)
気のせいか。幻聴にしては随分タイムリーなモノね。と、元の方角に体を戻し歩き出そうとした瞬間。
「ちょっと、ちょーっと!無視は良くないですよ!」
先ほどと同じ場所から同じ声が。女の人のものだ。歩き出そうとした足をねじ伏せて体をよじり首を向ける。
(だれもいない……)
ついに私も幻聴デビューか。しかし、何かがおかしい。先の二つの声……声のトーンから恐らく同一人物だと思われるが、重要なのは声の位置。随分低いところから声がした。例えば、そこの側溝の中からとか。
「単刀直入に言います、助けてください!私は動けないの!」
紛れもなく側溝からだ。丸々人が入るには明らかに幅が足りず、到底信じられないのだが、たとえ見ず知らずの人でも「助けてください!」なんて言ってきたら私は迷いなく手を差し伸べるだろう。
恐る恐る側溝の蓋を開けたら、そこに人はいなかった。代わりに、銀色の……恐らくブローチと思われる、中心に大げさな宝石があしらわれているアクセサリーが鎮座していた。それを手に取り、まじまじと見つめる。
「すごく綺麗。」
年季の入った細やかな幾何学模様?で記された流れるような曲線が、宝石の周りを囲っている。そして左右対称でも、点対称でもないいびつな形をしている。中央の黒い宝石を太陽に透かして見ると、ワインレッドの深い色彩。つい見とれていると中央の宝石が私に"話しかけてきた"。
「ありがとうございます、私はラヴェールと申します。貴女のお名前は?」
宝石が喋った!?そんな非現実的な事を目の当たりにして、意外と私の頭の中は混乱しなかった。
「あかね。戸塚茜と申します。」
そう自己紹介を済ませるとその宝石は信じられない事を口にした。
「条件が整いましたので契約成立です。あかね様はしばらくの間、魔法少女となり、私を自由に使ってくれてもいいですよ!」
ドン引きというのを自分が体験したのは、多分生まれてから今この瞬間まで……無かったですよ。
「今、あかね様の住む世界は大変な事になっているのです。」
ワールドワイドな話、来た。
「だからこう思ったんでしょう?なんとかしなきゃ、って。」
うん?どういう事?世界に大変な事が起こってるかどうかは私にはわからない。
「人の数だけ、世界があるのです。平和な世界で生きている人もいれば、平和でない世界で生きてる人もいるでしょう?」
ん、言いたい事はなんとなくわかる。
「あかね様はあかね様自身の世界に満足していない。」
確かに。私は私の世界に不満があります。
「その救難信号を私が受け取って、自己紹介を交わして契約成立!どうです、簡単でしょう?」
簡単かどうかはさておき、いくつか気になるところが。その宝石――ラヴェール、か。彼女にいくつか質問を投げてみることにした。
「魔法少女って具体的に何をすればいいの?」
「基本的に何もしなくて結構です。」
「え……なにか強大な力があってそれに対抗するとかそういう話は……」
「ありません。ですからあかね様はあかね様自身の為に私の力を使ってください。」
「つまり……私が特別選ばれた訳じゃなくて?」
「私がテキトーに選びました。たまたまあかね様が私の近くで救難信号を出していたので、助けてもらったついでに契約を結びました。」
うわー……随分ゆるいんだなあ。
「どんな魔法が使えるの?」
「そこなんですが……現時点で使える魔法はありません。」
「え?」
「あかね様の意志や行動、人格によって発現させるのです。」
「私の意志……行動……人格。」
「はい。心優しい方なら治癒や防護あたりを。乱暴な方なら攻撃的なものが発現しやすいハズです。」
「はず、ってどういうこと?」
「あかね様が私の最初のご主人なのです。」
「うわー……責任重大?」
「可能な限り気楽に考えて下さって結構です。」
「じゃあ最後の質問……あんまり聞きたくないんだけど。」
「なんでしょうか?」
「専用の衣装とか……着替えないと駄目?」
「専用の衣装?そんなものはありませんよ?」
「あー……安心したかも。」
贔屓目で見て地味な私が、派手で可愛らしい衣装に着替えたところでどうしようもない。
「ところで!あかね様の質問に答えたので私からも質問いいですか?」
そう切り出すラヴェール。私が知る範囲なら、と予防線を張る。
「ここはどこでしょう?私の故郷の景色とはかけ離れていますが。貴女が着てる服も。」
日本ですよ、と答える。
「ほほー、日本ですか。に、日本……?どこ?」
ほほう、そう来ましたか。
「ラヴェールはどこ出身?」
「それが……覚えてません。ぼんやりとしたイメージは浮かぶのですが……」
お、記憶喪失ですか。
「曲がりなりにも超常的な存在ですから、もしかしたら私はこの世界の者ではないかも知れません。」
「名前からして日本人じゃなさそうだけど、日本語上手だね。」
「あ、私の発する言葉は一つ上の次元の言語です。日本の方なら日本語?に聞こえる特殊な言語ですよ。」
「あー……」
「どうかしましたか?」
「うん、ラヴェールは他の世界からやってきた説を推すわ。」
「あと、私と会話する時ですが。」
「時ですが?」
「今みたいに口で喋っているとあかね様はブローチに向かって喋る変人になってしまいますので、私を意識しながら心の中で喋ってみてください。」
「そ、そうだね。もうちょっと早く教えて欲しかったかも。」
「あかね様、心の中で、ですよ。」
(これでいい?念話みたいな事が出来るのね。)
(私も喋ると色々とまずいので、今後はその、念話?で通しましょう。)
今までの会話は一体なんだったのだろうか。そして夢中になってて学生としてかなり重要な事を忘れていた。
「学校、行かないと……」
(あかね様!あかね様!あの速くてテカテカしてる物体は何です!?)
(自動車よ。あれに乗って移動するの。徒歩よりずっと速いのよ。)
(あかね様!あかね様!あの平べったい巨大な建築物は何です!?)
(スーパーマーケット。市場って言えば解る?)
(あかね様!あかね様!あの青い光と赤い光に何の意味が!?)
(信号って言ってね、赤いときは止まらないと駄目なのよ。)
(あかね様!あかね様……)
さっきからずっとこんな感じだ。私にとっては何の変哲も無い見慣れたただの通学路だが、ラヴェールにとっては初見。しかもカルチャーショックのオマケつきだ。興奮するのも無理もない。それならばこの駅校舎で……畳み掛ける!
機械の端末に何もかざさずに改札を通ろうとしてみた。当然感知されて閉じられる。そして改札の機械から乗車券がないと通れませんよ、的な音声ガイダンスが流れる。
(!ここで行き止まり?そんな!)
その反応を確認してスマホを端末にかざし……改札の扉が開く。
(すごいですあかね様!一体どんな魔法を使ったんですか!)
(科学技術という魔法よ。この世界ではお金を払えば、誰でも簡単に使えるの。)
優越感に浸る私に、ラヴェールは気になる一言を放った。
(正直、私の魔法が今のに勝てるかどうかは……ちょっと自信がありません。)
この子、大丈夫なのかな……?
ラヴェールと色々会話をしているうちに、学校に着いてしまった。気分は最悪だ。
(はあ、あいつらと会わなければいいんだけど……)
(あかね様、いかがなされましたか。)
胸ポケットの中のラヴェールは心配そうに声をかけてくる。
(実は私、この学校でいじめられてて……)
(なるほど、あかね様の世界の平和を乱している物は、それですか。いいですか、あかね様。嫌な事は嫌、とはっきり言わないと駄目ですよ。弱気になるからつけ込まれるのです。)
恐らく何も知らないであろうラヴェールに一般論を言われ、心の平穏が崩れ去る。
「そういう次元じゃない!」
思わずそう叫んでしまった。もしあいつらに聞かれてたら……まずい、最悪だ。
「おいおい~朝から何叫んでんだよ~生理重いん?」
「え~マジ?生理あんの?昆虫のメスって生理とかなくね?」
「えっえっ?あかねいつの間に昆虫に格上げされたん?やるぅ~。」
マーダーライセンス三人衆だ。三人とも特進クラスで……常に三人で行動している。三人揃うととてつもなく強い。まず最初に発言した中央のリーダーは、警察のお偉いさんの娘。二番目に発言した右の鶏ガラは、テレビにも露出する敏腕弁護士の娘。そして最後に発言した左のぽっちゃりは、区長の娘だ。単独でも十分強いが、三人合わされば人を何人か殺しても罪に問われないだろう。そう恐れられて、いつしか「マーダーライセンス(殺人許可証)三人衆」と呼ばれるようになった。そして実際、人を人と思わない発言や行動をするのだ。
「私は昆虫じゃない。」
そう反論したが多分無駄だろう。
「昆虫語?日本語じゃないとわからないんだけど?」
「あかねちゃ~ん、実は私たちお金なくって~パパがケチだから。」
「叩けば何か出るかな?オラァ!」
ぽっちゃりな区長の娘の下腹部への強烈な蹴りで、私の体は一メートルくらい後方に吹っ飛ぶ。弾みで財布の入ったバッグを手放してしまった。
「えっとええっと……千円札一枚と小銭たくさん。うっわ。しょぼっ」
「一食分にもならないじゃない。まあ、もっとも。」
「虫ゼリーならひと夏持つよ?昆虫になれて良かったねあかねちゃん!」
リーダーは私の財布を逆さにする。小銭が音を立てて散らばった。
「オラァ!拾え!食い扶持はテメーで稼ぐんだよ!」
「うわーガチで拾ってますわ。撮影、撮影。」
「Twitterはパパに禁止されてるから~LINEで皆に送るね~。」
ホームルームがもうすぐ始まる。教室に急がなくては。
(千円札は囮。小銭は全部回収したから、とりあえずお昼ご飯は食べられる。)
(あかね様……先ほどの軽率な発言、どうかお許しください……)
あの三人に逆らう事は、この学校で死を意味する。私は一般クラスなので特進クラスのあの三人とは別の校舎だが、それだけで私の学校生活は安全とは言い難い。あの三人の"兵隊"が、この学校には多数いるのだ。例えば、これ。教室にある私の机には、様々な太さのペンで"死ね"と書かれている。色彩も実に鮮やかで、このまま美術館に持っていけば前衛芸術としてそれなりの評価を得られるだろう。ロッカーには虫の死骸。今日はズタズタに切り刻まれた「あの最も嫌われている昆虫G」だ。この作業をこなしたクラスメイトの心中をお察しします。結局、誰もあの三人には逆らえないのだ。だからこうやって「軽めのヤツ」でいじめているアピールをしてお茶を濁す。
(平気なんですか?)
(平気じゃない、ただ慣れただけ。)
放課後、クラスメイトの一人から「トイレに行くから付き添って」と言われる。連れ添ってトイレに入るとあの三人がわざわざ一般クラス棟のトイレまで待ち構えていた。無言でその場から立ち去るクラスメイト。わかりきっていたことだが、あの三人の仕掛けた、罠。
「そうだな~今日はどうしようかね~。」
ニヤニヤ笑みを浮かべる三人。
「朝は"虫"だったから、"木"あたりやってみる?」
「木!いいね、それにしましょうそれにしましょう。」
……木?
「わかったか?てめえは今から木だ!喋ったら蹴り飛ばすぞ。」
「ただ突っ立ってるだけも面白くないので~美しくならないとね、芸術的に!」
「センパイから~こんなの借りてきちゃった!」
左のぽっちゃりがバッグからケースを取り出す。それを見た私は一瞬で青ざめた。
……彫刻刀!
「ねえあかねちゃん、三角刀と丸刀、どっちがいいかな~?」
「黙ってんじゃねえよ!答えろ!」
「嫌な事は嫌って言っていいのよ~?」
私が木になるという設定なら、あの彫刻刀で何をされるかは……察しがつく。
「……!どっちも嫌!」
「うるせえ!」
みぞおちに正確な蹴りが入る。鈍い痛みに二、三歩後ろによろめいた。
「聞いてんだよ!どっちがいいか!両方駄目なんて選択肢はねえ!」
リーダーは壁際に追い詰められた私のすぐ隣の壁に手を押し当て迫る。イケメン男性が女性に同じアクションをすると「壁ドン」に昇華する。
「どっちがいい?答えてみろよその口で。」
「……ると……」
「ああん!?」
「丸刀で、いいです……」
「丸刀"で"!?"で"じゃねえよ丸刀"が"いいってしっかり言え!」
「ひっ!丸刀がいいです!丸刀が!」
――やめて。
「つかこいつ、木なのに喋ってね?」
――やめて。
「言う事が聞けない木にはお仕置きが必要ね~。」
――やめて。
「上着脱げや!そんで背中をこっちに向けろ!早くするんだよ!!!」
――やめてやめてやめてやめてやめて!
抵抗するには腕力が足りなかった。三人がかりで無理矢理上半身を剥がされる。
左肩を思い切り蹴られ、トイレの壁が眼前に迫る。そして無防備になった背中に――
さくっ
「アッギイィィィィィィィィィィ!!!!!」
「おお、三角刀はよく切れるなあ、まるで柔肌みたい、不思議~。」
「丸刀もイケるよ?ちょっとコツいるけど。」
「私は切り出し刀にするわ~。」
『っていうか喋んな。』
遥ヶ見女子学園中等部、私はその二年生。窓の外にはすっかり黄色に染まったイチョウの木。寒さが実りを蝕んでいく、残酷な季節のどまんなか――
「あかね様、私には口がありません、胃もありませんが、吐きそうです。嘔吐案件です。」
保健室で応急処置をして、そのまま下校。私は自室のベッドにうつぶせに潜り込んだ。
「酷い怪我!誰にやられたの!」
「あの三人に……」
「ごめんなさい、何も出来ない先生を許して。」
保健室の先生はそう言っていた。
あの三人は、殺人許可証持ちだ。何をしても父親の権力でもみ消せる。逆にあの三人の誰かの頬に、少し傷を入れるだけで「犯人」は社会的に抹殺される。たとえ理事長でもあの三人の父親に勝つのは不可能。生まれたときからそういった特別扱いが続いた結果、あの三人は"バケモノ"になってしまったのだろう。
「さて、どうやって今の状況を打破しますか。」
ラヴェールはそう切り出す。
「卒業までの一年間なんとか回避して乗り切るとか。」
「一年だけなら乗り切れるかもしれない。でも、うちの学校は中高一貫。三年間の上乗せは流石に無理。」
ふーむ、と考え込むラヴェール。
「あ、じゃあ転校しますか。あるいはそもそも学校に行かない。」
「私のパパとママは私の学費を払う為に二人とも始発に乗って終電帰りなの。それでも私が今の学校に入れた事を喜んでいたわ、自慢の娘だって。そんな二人を裏切っちゃ駄目。」
「あかね様、私に出来る事は……」
「ない。でも、話し相手になって……ぐでる?」
くれる、がぐでるになってしまった。眼球が熱い。鼻水が止まらない。もう、泣いてしまおう。
「ひっ、ぐっ、うああああああああ……」