銀の時計は動かない
「きっかり24時間後に、死んでしまうと仮定しましょう。あなたは何をするかしら?」
ふむ。びっくりするし、なにかの間違いではと思うだろう。どうしてそうなったのかと怒るだろうし、なんとか助かろうと足掻くだろう。その後は?
しばしの沈黙の後、自分は口を開き、
「お嬢様、『空飛ぶ城』の伝説は、覚えておいででしょうか?」
あなたの耳には、まったく脈絡のない話に聞こえることだろう。そう考えつつ、発した問いかけ。案の定、虚をつかれたようにきょとんとしたあなたは、ひとつゆっくりと瞬きをして。
──遠い昔のものがたり。空飛ぶ城がありました。
真っ白な石の小さな城と、真っ白な石の城下町。どこまでも白い街並みは、それは美しいものでした。
やさしいまほうにかけられて、こころを宿したからくりに、空飛ぶ城のひとびとは、とわのいのちを託します。
魔法のちからと、機械のちから、ふたつをあわせ、織りかさね、お城は空を行くのです。──
すらすらと諳じたあなたは、ふい、と素っ気なくそっぽを向いて、銀の懐中時計を手の中でもてあそぶ。しゃら、と細い鎖が小さく鳴る。蜂蜜色をした髪が翻るたび、真っ白な朝の日差しにきらりとひかった。
「……忘れるはずがないわ、あなたが話してくれたのでしょう」
「そうでしたね、失礼いたしました。……さてお嬢様、この『空飛ぶ城』の、その後については、ご存じで?」
「続き?」
おうむ返しに呟いて、いえ、とあなたはかぶりを振る。
「そもそも『空飛ぶ城』なんて、空想の存在でしょう?」
「ええ、公には」
自分のこの言葉に、あなたはその深い緑の瞳をこちらに向け、眇める。
「……どういう意味かしら」
自分は穏やかに微笑んで、答える。いつもどおりの表情だ。
「『空飛ぶ城』は、ありました。なかったことと、されたのです。――その、あまりに高すぎる技術力ゆえに恐れられ、空飛ぶ城は、落とされました。そして、ある湖の底に、封じられたのです。より正しくは、そうですね。落ちた城のつくった窪地に、国中の魔法使いをかき集めて、魔力で生み出した水を注がせたのだそうです。かつての『空飛ぶ城』はいま、水底の城となり、ただ静かに眠っているのです」
深緑の瞳が、まるくなる。自分はそれを、静かに、見つめ返すだけ。
しばらくの静寂。窓から差す光の色合いが変わっていく。かち、かち、規則的に刻まれる音。自分はいちど、左の手のひらを見つめる。ゆっくりと、握って、ひらく。指の関節にあたる部分で、銀色がいくつかきらめいた。
ふいに、静寂は破られる。
「……。それ、が。仮に、ほんとうだとして。そのことと、この仮定とに、なんの関わりがあるの?」
いつも凛と響くあなたの声は、けれど、いまは頼りなく震えていた。
「私は、おとぎ話を聞かせてほしいとお願いしたのではないのよ。──きっかり24時間後に、死んでしまうと仮定して。あなたは何をする? その答えを、聞きたいの」
繰り返されたその問いに、自分は、笑う。やわらかく、やさしく。
「ええ、そうですね。びっくりしますし、なにかの間違いではと思うでしょう。どうしてそうなったのかと怒ることでしょうし、なんとか助かろうと足掻くでしょう。……けれども同時に、どれほど足掻いても叶わないことを、自分は、よく知っているのです。何度も何度も考えて、どうにもならないとの結論に行きつくでしょう。そして、」
自分の紡ぐ声は、どこまでも凪いでいる。あなたからすれば、いっそ残酷ですらあるだろうと、そう、思いながら。
「そのご質問を、お嬢様が、この、機械の身である自分になさるということは。自分に残された時間は、もう、24時間を切っているのですね?」
じわりと、緑の瞳が揺らいだ。見なかったふりをして、自分は言葉を紡ぎ続ける。
「『やさしいまほうにかけられて、こころを宿したからくりに、空飛ぶ城のひとびとは、とわのいのちを託します』──空飛ぶ城の住人たちは、機械の人形たちにも、魔法の力で魂をこめることができました。自分も、そのひとりです。そして、ひとそっくりに精巧に、かつ、ひとの身よりも頑丈に、そうつくられていた人形たちは、お城が落ちたそのときにも、生き延びることができました。機械のからだもいつかは朽ちますから、『とわのいのち』とまでは、いきませんが」
あなたは震える小さな手で、懐中時計を握りしめている。それを目にしてなお、自分の声は、揺らぐことがない。
そういうふうに、つくられている。
「人形たちは、決めました。機械の身であることを伏せ、空飛ぶ城のことも伏せ、ひとに紛れて生きようと。そして、いつか信頼に足るひとに出会えたそのときは、機械のからだであることを告げよう、と。それを受け入れてもらえたのなら、この身が朽ちる寸前まで、そのひとのために尽くそう、と」
そうして自分は、あなたに出会いました。
かち、かち、と小さな音が、かすかに耳に届く。あなたの手の中で時を刻む、銀の懐中時計。
「いつか、この機械の身が壊れるその日まで、自分を使用人として使ってくださる、と。あなたは、契約してくださいましたね。その契約の証として差し上げたのが、あなたがお持ちの、そちらの時計でしたね。その時計が自分の心臓だと、たしか、そうお伝えしたのでしたか。……とうとう、その時計が、役割を果たすときが、来たのですね」
はらはらと、あなたは涙をこぼしていた。頬を濡らす雫を拭いもしない自分は、使用人失格だろうか。
「その時計の針が動くのは、この身の限界を告げるとき。──針が、動いたのですね。だからあなたは、契約のとおり、あの質問をなさったのでしょう」
どこまでも優しいあなたに、自分は。
「ここからは、馬車で6時間ほどでしょうか。森の中に、湖があるのは、ご存じですね。……きょうの夜、連れていって、いただけますか」
最後の一日を、自分はいつもどおりに過ごす。食事をご用意し、洗濯をし、掃除をし、そして。
かちり、と、かすかな音を立て。少女の、両の手の中で、銀の時計はその針を止める。
──こころを宿したからくりは、長い時間を生きつづけ。
やがてすべてが止まるとき、とうとうお城へ帰るのです。――
澄んだ声で、歌うように。少女はぽつり、呟いた。月明かりの下でひとり、静かな湖面を見つめている。
銀の時計は、動かない。
奥附
2015年12月3日 第一稿完成
2015年12月17日 本ページにて公開