第116話 降って湧いた空白の時間
左手が利かない状況で。ゆっくり休めとベック師匠から言われても落ち着かない。なにかやれることはないか。
珍しく雨が降っている。ひどい土砂降りというわけでもないが、前世なら傘をささずに急いでというのはためらわれる程度の雨だ。師匠に仕立ててもらったレインコート兼用のアウターがあるから外出できるけれど。蝋引き布にフードまでついているし、自分でオーダーしたツバ広のジャングルハットもある。これもコートと同じ蝋引き布。いや、帽子は吹っ飛ばされてなくした。記憶が曖昧だ。だがフードを被ればこれくらいの雨なら問題ないだろう。
……そのコートに左手が通せないんですけどね。添え木で太くなってるし首から吊ってるし。出だしでつまづいてやる気が失せた。
暇にあかせてトラックのサスペンションの改良を考えることにした。
問題のサスがぼよんぼよんと柔らかく動いてしまうのが問題なのでそこをどうにかしたい。フロント側は構造がある程度複雑。手が出しやすそうなリア側に狙いを定める。
リアのサスペンションはリーフスプリングにトーションバーを組み合わせた構造。上下方向の動きは丈夫な板バネの重ね、ねじれ方向はギアボックスから伸びた金属棒が効く構造だ。あとはダンパーを追加してやればかなりマシになるんじゃなかろうか。
タイヤ用の空気入れを2本。これは北都市まで出向くことなく、ここ西都市で入手できる。荷車や馬車のタイヤも空気が入ったタイプが存在するからね。長距離用だと相変わらず木製ホイールに金属のリングをはめてゴムを貼っただけのソリッドタイヤだが。
空気入れはエアが出入りするホースの根本がネジになっている。そこをふさぐ適当なボルトを用意して空気がゆっくり抜けるように細い穴をあければいい。吸入側はただの穴なのでネジを切って同じように穴あきボルトで制限。手や体重をかけた程度では極めてゆっくりとしかうごかないピストンができる。穴の大きさで空気の流量を制限して固めのダンパーになるはず。
……長さは考慮していなかった。50cmほどのパイプとさらに40cmほど延びる金属棒。エミリーに頼んで現物を二つ買ってきてもらったのだ。現物を確認する前に設計を開始してしまったのが徒となる。
これを切り詰めるのはたいへんなのでそのまま斜めに設置してしまおう。給排気穴が泥で詰まるのも厄介だ。なので給排気部分を上に、金属棒側を車軸に向ける。ブレーキが取り付けられている部分に一緒に固定してしまう。向きはある程度自由になるようなスペーサーをかませることにしよう。
片腕だけで作業というのは不可能だった。そりゃそうだ。師匠たちに頼んで加工や取り付けを任せる。片手で描いた概念図を見せて説明。ノートを固定できなかったのでヨレヨレの雑な絵だ。はずかしいが伝わればいいんだ、こんなもん。どうせ現物合わせで調整するんだし。
上側の固定には給排気を制限するためのボルトで供締め。荷台側に適当な金属板で作ったブラケットを溶接。ヘンリー師匠が持っていた溶接機が大活躍だ。エンジン式発電器と組み合わせたアーク放電式溶接機。慣れたヘンリー師匠がバチバチと派手な音を鳴らしながら溶接していく。
形はできたが動作テストと称して乗り回すのは後日だな。雨が酷い。
翌日、天気は晴れ。
都市内の道は整備されているので大したテストにはならない。雨の影響がほとんどない。裏路地が多少ぬかるんでいるくらいだ。なのでベック師匠のシューティングレンジまで行って帰ってくることにした。ヘンリー師匠が横にのっている。機械の改造、その結果はやっぱり気になるんだろうか。ベック師匠は店があるからと辞退。結果は報告するし、これからいくらでも乗る機会はあるもんな。
さて結果だが。まあ失敗というほどでもない程度の失敗。多少は効いている気もするが効果は怪しいというか。ダンパーの効きが弱くてほとんど変わらなかった。相変わらずボヨンボヨンと跳ねる。ダンパーが効いていない。
ダンパーの制限穴を小さくしてやるのは大変なので追加の空気入れを買って帰ることにする。穴はベック師匠持っていた一番小さいドリルビットであけた。これより細くするなら溶接で穴を塞がない程度に埋めるくらいしかできない。それをやってしまうと結果が安定しない。そもそも今の空気穴のサイズは2mmもない直径なのだ。これを溶接でさらに小さくというのは無理。ダンパーを増やして抵抗を増加させるくらいしか思いつかない。オイルを入れる、という手もあるが精度が怪しいので、オイルが漏れて寿命がやたら短くなるのが簡単に想像できる。やはりここはダンパーの数で補うのがよさそうだ。
「おかえり。よく片手で運転できたね」
エミリーにそう言われる。
「ほかに車が走ってるわけじゃないからね」
焦らなければどうとでもなる。交通量はほぼゼロだからな。馬車が何台か一緒に都市から出てきたが、まあそれくらいだ。たいした問題じゃない。それにギアシフトの時にハンドルから手を離すくらいのことは障害物のない道ではまったく問題なかった。
それにしても追加の改造はひとりじゃ無理だ。ヘンリー師匠は明日の仕事の準備があるとかで帰ってしまった。次の休みにまた手伝うと言ってくれたが、ほとんどお任せなんだよなあ。
ちょっと申し訳なくてへこむ。




