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 シャキン、シャキンと鋼の擦れる音が響く。

 無情なまでにありありと周囲を照らしだす人工的な光は、いつもの悪夢に居ることを夢路に知らせた。

 シャキン。

 鋼の擦れる音の源は、巨大な鋏だった。

 それが四つ。

 四肢の先端の際に、そろって口を開閉している。

 

 ――死ぬと思うと死ぬよ。


 トイレで悪夢を見ていた時、引き上げてくれた柊弥の言った言葉がリフレインする。

 それでも、処刑台に引き上げられたように四肢を台に固定されて、現実かと思うような禍々しい迫力を吐き出す鋏に囲まれてしまえば、死を意識せざるを得ない。

 意識してしまう程に、悪夢は現実であった。

 鋏が迫る。

 ジャキン。

 無慈悲な音と共に、指先が、足首が切り落とされる。

「――――っ!」

 痛みが、あった。

 実際に切り落とされたならばもっと壮絶な痛みが襲うのだろうが、逆剥けを無理矢理むいたような、僅かだが鋭い痛みを感じて、夢路は息を呑む。

 キリキリキリと歯車が噛み合うような音がして、また鋏がこちらに迫る。

 ジャキン。

 手首が、足先が切り落とされる。

 歯を喰いしめて待ち受ける夢路の痛覚に、先程よりもより鋭い痛みが走った。

「いや……だ」

 泣くほどの痛みでは無いが、涙が溢れる。

 このまま死にたくは無い。

 鋏が肩まで、そして首まで迫った時、痛みはどれほどのものになっているか想像したくもない。

「いやだ、死にたく、ない」

 歯車が噛み合う音に掻き消されそうな夢路の独白。

 鋼の擦れ合う音。

 走る痛み。

 怖い。

 恐ろしい。

 そんな感情を凌駕して、湧いてきたのは怒りだった。

 理不尽な悪夢に対する怒り。

 痛みがそれを助長する。

 気がつけば、夢路は避けんでした。

「嫌だ、嫌だ! 死にたくない!」

 身を捩り、見えない束縛から抜けようとする。

 ジャキン。

 また襲い来る痛みに負けじと、叫び藻掻く。

「死ぬもんか! 夢なんかに殺されてたまるか! 離せ! 離せ! 離せ!!」

 喉も裂けよと叫んだ瞬間、体内の何かが動いて、右目から吹き出すのを感じた。

 緑だ。

 圧倒的な生命力をもって名も知らぬ極彩色の花々を咲かせながら、この広い空間の無機質さを払拭する植物の群れ。

 右目から蔦を長く伸ばし、鋏に絡みついて、頭を吊るように夢路の体を浮かせる。

 鋏を束縛した蔦は、夢路の四肢の失われた部分にぐるぐると巻き付いて、緑色に再構成する。

 複雑に絡みあった植物の足で、手で、夢路は必死に、自分が乗せられている台を押した。

 体が動く。

 じりじりとだが、まったく動けなかった今までの悪夢からすれば、動くことすら奇跡に思える。

 右目から止めどなく緑を溢れさせながら、手を握りしめれば、鋏に絡んだ蔦が更に拘束の力を強める。

 重くのしかかる空気を切り裂くように、夢路は渾身の力を込めて立ち上がった。

 台の上に立って周囲を睥睨する。

 蔦に拘束された鋏の向こう側には、切り取られた自分の一部があって、思わず吐きそうになるも堪える。

 吐いたら負けだ。悪夢に呑まれたら負けだ。

 悪夢に負けたくない。

 負けたら終わりだと誰かが囁いているような気がしたから。

「だから、私は負けない」

 低く呟いて、両手を握りしめる。

 ぎしぎしと蔦が鋏を巻き殺し、鋏は鋼が散る音を立てて砕けていった。

 同時に、夢路の意識も砕ける。

 砕けてばらばらになり、落ちてゆく。

 悪夢があった空間をすり抜けて、暗がりの中へ。

 夢の外へ、落ちてゆく、落ちてゆく。

 夢特有の、時間が引き伸ばされる感覚があった。

 自分が長く引き伸ばされているような、柔らかい飴になったような、そんな感覚。

 そして落ちてゆく。

 落ちているという感覚以外に何もない漆黒の空間を過ぎてゆく。

 光すら逃げられないブラックホールに吸い込まれているようだと、漠然と思った。

 落ちた底の底。

 少女が唄を歌っていた。

 何かに捧げるように。しかし歌詞の意味は分からない。

 落下が完全に、止まる。

 少女が振り返った。

 夢路からは逆さまに見える少女。年齢は分からない。

 蜂蜜色の長い髪を背に流して、夢でできているような少女は、ほんの淡く桜色づいた唇を開いた。

「あなたはなぜ、宿さないの? 他の贄の子達はみんな、天使さまを宿しているのに」

 不思議そうに問いかけてくる。

 少女が近づいてくる。白いワンピースの裳裾がひらりひらりと翻る。

 夢路は動けないまま。逃げることなど埒外で。

「この目ね。この目なのね」

 少女がそっと髪に差し入れる両手を受け入れる。

 手は、死人のように冷たかった。

 花開くように微笑む少女。

 その虹彩は生理的な嫌悪を呼び起こす異常性を持っていた。

 虹彩の中に虹彩が、さらにその中に虹彩が、無限に続いて何処までも夢路を映していて。

 目を逸らしたいのに、少女の視線すら拘束力を持つのか、動かせない。

 動かせない、まま。

 少女は指を、右目に近づけてきた。

 ああ、目を瞑ることすらできない。

 迫る得体のしれない恐怖から逃れようとしても、夢路の瞼は動かない。

 ぞぶり。

 指はそのまま近づいて、夢路の右目を容赦なく抉った。

 ぶちぶちと視神経が千切られる音。

 引き剥がされる眼球。

 自分の一部がいとも容易く引き剥がされ少女の細く形良い指に挟まれているのが信じられなかった。

「あ……が……っ!」

 一瞬遅れて現実が訪れる。

 痛みが。灼熱に炙られた鉄の棒を目に差し込まれたような痛みが、夢路の脳内を蹂躙する。

「あら? 取れないわ? 何故取れないのかしら。不思議だわ。とっても不思議だわ」

 少女は本当に不思議そうに呟いて、泥遊びをする幼児のように、血を溢れさせる夢路の眼窩へと指を差し込みぐちゃぐちゃと掻き回す。

 激痛の余り悲鳴すらあげられず、動けないままなすがままに蹂躙され、それで夢路の意識ははっきりとしていて。

 残された左目で少女を睨む。

 それを面白そうに見返して、少女は耳に心地よく響く声でころころと笑った。

「しかたないわ。でもこの目は食べてしまいましょう。このセカイを映す目は食べてしまいましょう。この不思議なチカラに満ちたセカイを見る目は食べてしまいましょう。天使さまのために、そしてわたしのために」

 少女はいっそ朗らかに言うと、つるり、夢路の眼球を桜の唇に挟んで飲み込んだ。

「とっても美味しいわ、あなた。また、会いましょう」

 それだけ言って、少女はふいと姿を消した。

 取り残された夢路は、再び津波の如く襲い来た痛みに、獣の咆哮のような悲鳴を上げた。

 悪夢の向こう側の世界が、悲鳴に応えるように揺れる。

「あああああああああああああああああああああああああ――――!」

 悪夢の向こう側と現実を隔てる黒い壁に罅が。

 そして光が差し込んで来る。

 ぱりぱりと、古い塗装が剥がれるように、黒が剥がれて光が――夢路を暖かく照らす光が差し込んで来る。

 まるで朝のように。

 痛みは潮のように引いて行き、夢路は光に身を任せて双眸を閉じて。

 そして水底から引き上げられるような感触をもって、夢の世界から開放され、再び目を開く。

 真っ先に視界に入ったのは、心配そうな表情を浮かべた彼岸だった。

 のろのろと手を上げて、右目に掌を当てる。

 砕けた筈の頭蓋も、無くなった筈の目も、血まみれだった頬も唇も全て元通りになっていた。

 何度も何度も探るように触れても、全く正常で、あれは幻だったのかと思いかけ、頭を振る。

 確かに砕けていた。

 悪夢が齎した僅かな痛みと溢れんばかりの緑と。

 そして悪夢の向こう側で激痛をもって目を抉られた。

 少なくとも夢路にとっては、全ては現実だった。

 彼岸の後ろに立っていた、黒く長い髪に赤い口紅、鋭い一重の双眸を皮肉げに細めた東雲が、何でもない事のように口を開く。

「死人の世界へようこそ」

「どういう、ことですか? 私は生きてます。生きてる……死んでなんかいない」

「確かに生きているとも言えるな。お前は主観死を迎えたが、世界がお前を生かしている。青春という力が、お前を生かしてるんだ。訳が分からないだろうな。私も昔はそうだったよ」

 彼岸がそっと夢路の手を握る。

 兎めいた目でじっと見つめて来る。

「夢路は死んだの。わたしも、そう。死んだはずなのに生きてる。わたしはわかるの。魔法使いだから」

 まるでそれが万能の呪文であるかのように、彼岸は、「わたしは魔法使いだから」ともう一度繰り返した。

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