■-4-■
いかにして、元の世界に戻るか。
時空世界の法則性に詳しいジュリア夫人でも、異世界間移動は手に余るという。
だが、俺には全くアテがないわけではなかった。
頼みの綱は、元・伝説の勇者カークライト――
つまり、ウイルズだ。
カークライトは、俺が知る限り、唯一魔女アヤコと比肩し得るチート転生者で、ジュリア夫人をも上回る魔法の使い手だという。
魔女アヤコは、地球人だった俺やサイモンだけでなく、それとはまた別の世界に生きていたジュリア夫人を、今居るファンタジー世界に転生させた。
ということは、まず少なくとも、アヤコは複数の異世界を行き来する、異世界間移動の手段を持っていたことになる。そういう方法自体は、存在するはずなのだ。
それがジュリア夫人に不可能だとしても、アヤコに匹敵するかもしれない魔法の能力を持つチート転生者であれば、可能にし得る能力があるかもしれない。
その可能性に、賭ける価値はある。
というか、それで無理なら、もうお手上げだ。
俺は、サイモンとジュリア夫人に別れを告げると、真っ直ぐこの世界での両親が暮らす伯爵家へ向かった。
使用人小屋を訪ねると、いつものようにウイルズがそこに居た。
しかし、慌しくやって来た俺の姿を見て、この一見無害そうな老人も、北の峡谷で俺を出迎えたサイモンと同じように、すべてを敏感に察したらしかった。
「これはルーク様。どうやら転生ループの呪縛をご理解なさった様子ですな。さすが、『漆黒の剣匠』といったところですかな」
「ウイルズ、いや、伝説の勇者カークライト。そんな二つ名で呼ぶのは、もうやめてくれ。いまや貴方の前では、己を省みて恥じ入ることばかりだ」
俺は、苦々しく言ったが、ウイルズは穏やかにかぶりを振った。
「いえいえ。人生ループ三周目でお察しになられたならば、まず上等というところでしょう。中には、目の前の悦楽に耽って、なかなか真実までたどり着かぬ人間もおりますゆえ。わしなどは、ルーク様よりずっと愚鈍でしたからな。それで、無駄に数え切れぬほどの転生を繰り返してしまいました」
「ウイルズ、互いの過ちを笑い話にするのは、いまは止そう。それより、俺に力を貸してもらいたい」
「ほう。それは、どのようなご用件でしょうか」
「俺が元居た世界に、転生し直したいのだ。貴方なら、何か方法を知っているのではないか」
ウイルズは、俺の言葉を聞くと、少しのあいだ黙り込んで、じっとこちらを見詰めてきた。
「手段は、ないではありません。いや、むしろ方法そのものとしては、容易い。まさに私は、転生時に異世界間を移動できる魔法を習得しております。無限転生の呪いを解除することはできませんが、転生先の世界を選ぶにあたって、魔女の真似事ぐらいは可能です」
「なに、それはまことか」
「はい。ですが――」
ウイルズは、深々と溜め息を吐いてみせた。
「ルーク様。元の世界に戻って、どうするおつもりですか。よもや、あの魔女の狂気を食い止めようなどとお考えではありますまいな」
「誰かが、やらねばならぬことだ」
俺は、きっぱりと言い放った。
正直を言えば、本来なら自分以外のチート転生者に課される使命であるべきだと思う。それこそ、目の前に居るウイルズの方が、ずっと適任だ。ループ回数三〇〇回以上、俺を遥かに上回るチート転生者なのだから。
だが、ウイルズは、俺を憐れむような目で見た。
「お止しなさい、ルーク様。私たちを陥れたアヤコという魔女は、きっと人間の姿をした悪夢みたいなものなのです。殊更こちらから近付いて、いっそう救いのない悲劇の沼に、足を取られるべきではありません」
「あの魔女を放置しておけば、将来また我々のような転生ループの無限地獄に落ちる犠牲者が生まれるかもしれないのだぞ」
俺は、少しむきになって反論した。
内心、ウイルズの反応にがっかりしていたからだ。
彼は俺などより、遥かに強力なチート能力を持ち、転生ループを繰り返し経験しているはずなのだ。終わることのない時間の環の中に閉じ込められ、永遠に生き続けねばならない倦怠の苦痛を、誰よりも知っているのが、元・伝説の勇者カークライトだったのではないのか?
ところが、ウイルズの返答は、俺の予想を覆した。
「それがどうしたというのです」
目の前の老人は、不意に複雑な光を双眸に宿して、俺を眼差してきた。
俺は、思わずたじろいだ。
「ルーク様。私たちが陥った苦しみは、たしかにいささか度を越したところがあるとはいえ、明らかな私たち自身に対する罰なのです」
「罰だと……」
「ええ、そうです。元の人生で、たとえ理不尽な出来事で苦しんでいたにしろ、私たちは一個の理性を持った存在でした。――それが、己の死を選択し、異世界で派手に人生をやり直そうなどとすることは、おそらく自分自身のみならず、人間そのものの尊厳に対する否定に他ならなかったのです」
ウイルズの言葉は、力強く、また深い贖罪の念に満ちていた。
「自らで死を選んだ上での転生」。
そう、俺たちの異世界転生は、偶然でも奇跡でもなかった。
すべてをリセットしたいという短絡的な動機から、自殺を望んだ結果なのだ。
それは、たぶんこの老人が、長い無限ループの歳月の果てにたどり着いた答えなのだろう。
……けれども、俺は食い下がった。
「それでは、アヤコの悪事も、正当化されるというのか」
「そのようには申しません。あれは、紛れもなく魔女です。しかし、その甘言に乗ってしまった暗愚さを、まず私共は恥じるべきなのです。苦しみから逃げるなとは申しません。むしろ、そういうことが必要な場合もあるでしょう」
だが、過去の自分を否定して、自ら死を選ぶことは、明らかなあやまちである。
安易な転生を望むぐらいなら、世捨て人にでもなって、他人との関わり合いを持たずに生きる方が、まだしもずっと理性的な生き方だ――
ウイルズは、ほとんど祈るような、瞑想的な面持ちでつぶやいた。
「……しかし、それでも」
俺は、元・勇者の主張を受けて、即座の反論に詰まりつつも、
「やはり俺は、俺を罠に嵌めた魔女を、どうしても許す気になれん」
「あくまで、アヤコともう一度見えると申されますか」
「そうだ。何としても」
俺とウイルズは、互いに睨み合った。
無言の対峙が、たっぷり三〇秒は続いたと思う。
やがて、諦めたように目を伏せ、先にうなだれたのはウイルズの方だった。
「――そこまでおっしゃるのでしたら、もうこの上はお止めしますまい」
「なに、心配には及ばぬ」
ウイルズが折れたのを見て、俺はなだめるように言った。
だが、元・勇者の老人は、その言葉には応じようとせず、代わりに別の助言を寄せてきた。事務的な、魔法行使までの段取りについての話だった。
「異世界間移動の魔法は、転生の際に効果を発揮します。そのため、死の一週間ほど前に儀式を執り行ない、該当対象者に魔力付与するのが望ましいことになります」
「死の一週間前だと。それでは、どうするのだ」
俺は、戸惑った。
現世のウイルズは、俺よりも老齢だ。
俺の死に際して異世界間移動の魔法を施さねばならないのに、当の術者が俺より先に他界するのでは、辻褄が合わない。
ウイルズは、諭すような口調で、説明した。
「ルーク様、我々にとっては寿命や一時の離別など、同じ異世界に属しているぶんには無意味なことです。たとえ私が先に死のうとも、すぐ別の身体で転生します。すれ違うのは、ただその間だけのこと」
ウイルズは、ひとまず俺に、この「三周目の人生を全うしろ」と告げた。
今の俺は、王国の大将軍で、元第二王女の妻も、子供も居る身なのだった。自分が現状抱えている問題を、いきなり放棄して地球に戻るのは、誠実さにもとるというわけだ。
俺やウイルズは、どんなにいい加減な人生を送っても、また転生によって新たな人生がはじまるが、自分を取り巻く人々にとっての人生には、やり直しがない。
だから、彼らを蔑ろに扱い、無責任に残りの三周目を生きるべきでないというのである。翻ってみれば、至極もっともな話だった。
――こうして、俺はその後三〇年余りを、王国の大将軍として実直に生きることになった。
ウイルズは、俺が彼と異世界間移動に関する約束を取り付けた日から、三年ほどのちに鬼籍に入った。
俺がこの元・伝説の勇者と再会するのは、さらに二〇年後のことである。
転生によって新たな肉体を得たウイルズは、都の魔法学院で最年少の大賢者となっていた。王族に連なり、一国の重鎮たる地位にある俺と意図的に近付くためには、新たな人生では隠居めいた立場を選ぶのは難しい、と判断したらしい。
若々しい美青年に姿を変えたウイルズを見たとき、俺は唖然としてしまった。
「三〇〇周以上も転生を繰り返していると、特典ポイントが使い切れないほど累積しておりましてね。あらゆるチート能力を取得しても余るので、外見的な長所にまでボーナスをもらうぐらいしか、他に使い道がないのですよ」
ウイルズは、冗談めかして言った。
そして、尚も時は経過し、俺が七〇歳を超えた頃。自分にもようやく、人生三周目における死期がやってきた。
家族や王家に連なる人間は、皆悲しんでくれたが、俺にとっては待ち侘びたイベントだった。
以前に取り交わした約束通り、死が差し迫ったある日、ウイルズは病床を見舞う振りをして、俺の居城を訪れた。俺は内密な話があるとして、人払いを済ませ、この元・伝説の勇者と二人きりになった。
ウイルズは密室で、俺に異世界間移動の魔法を付与し終えると、寂しそうな表情を覗かせた。
「ルーク様。元の世界に戻ったあと、どんな予期せぬ運命が待ち受けていたとしても、必ず心を強くお持ちになることです」
○ ○ ○
……異世界での人生ループ三周目を終えたあと、転生した俺が目覚めた世界は、なつかしい現代日本だった。
ついに、俺は戻ってきたのだ。
転生で四周目をはじめるに際して、俺は特典ポイントで常時発動スキルの「明晰な頭脳」を獲得することにした。
現代日本は、法治国家だ。ファンタジー異世界のように、剣術の能力を生かす場面は、おそらくほとんど考えられない。
また、転生時の能力引継ぎやポイント割り振り行為こそ可能だったが、実際に地球での生活が再開されれば、今度は異世界のように(少なくとも四周目を生きているあいだは)、自分のステータスをRPGのように閲覧することもできなくなる。
それらの点については、想定の範囲内だった。
俺は、新たな現代日本では、両親から俊介という名を与えられ、トントン拍子の人生を送ることになった。
特に、スキル「明晰な頭脳」の効果は、素晴らしかった。
学校の試験問題なんて、一度教科書に目を通しただけでも、スイスイと解法が記憶できてしまう。
さすが、我がチート能力というべきか。
S台模試でさえ、日頃ゲーム漬けの自堕落な生活を送っていても、総合成績全国上位の常連になることが可能だった。
もちろん一方で、俺は日々、魔女アヤコの消息を追っていた。
一刻も早く、かの危険な美少女教祖を捜し出さねばならない。こうしている間にも、新たな異世界転生の犠牲者が、一人また一人と増えているかもしれないのだ。
だが、なかなかアヤコの足取りは掴めなかった。
そこで俺は、今更のように、はっとした。
そういえば、アヤコはあの【新生の城】とかいう教団を立ち上げる以前に、何度も異なる名前の教団を率いていたと言ってはいなかったか? そして、警察などの公の機関に目を付けられるたび、団体名を変えるなどして、世間の目を欺いてきたとも……
だとすれば、今現在も、アヤコが同じ名前の宗教法人で、教祖の地位にあるとは限らないのではないか。
あるいは、場合によっては、アヤコの所属している組織が、宗教団体という体裁を取っているとすら、限らないかもしれない。もっと草の根的に、ネット上のみとか、個人でゲリラ的に活動している可能性すら、まったくないとは言い切れないのではないか。
俺は、壁に突き当たった。
しかし、だからといって、当然アヤコの捜索を諦めるわけにはいかない。
ここであっさり断念しては、折角現代日本に転生し直した意味が、水泡に帰してしまう。
アヤコは、必ずどこかで尻尾を出すはずだ。
俺は、その可能性を信じて待った。中高一貫私立校から、大学へ進学し、大学院を修了して、それからまた幾年かの年月が流れても、尚も待った。
そうして、俺がこの世界に戻ってから、三五年以上経った、ある日のことだった。
俺は、その朝の新聞広告を、食い入るように凝視した。
『 ~もし、人生をやり直せるとしたら、どうしますか?~
【パールヴァティ=アヤコ、新生の城】
女神の導きで、貴方も思いのままに生きられる! 』
あった。ついに見付けた。
それは、まさしくあのとき見た新聞広告そのものだった!
俺は、空いた時間を使って、そこに記載された連絡先に電話を入れ、早速教団事務所を訪問するため、予約を取った。
受付担当者が指定した日時は、翌々日の午後四時だった。
当日が来ると、俺は自分で車を走らせ、宗教法人【新生の城】へ直接乗り込んだ。あの日の場所、あの日の建物の中に、あの日とまったく変わらぬ有様で、あの危険な教団はあった。
俺は、やはりあの日と同じように、狭い、革張りのソファが置かれた応接室に通された。
湧き上がる興奮を抑え付けるのに、俺はひどく苦労した。
いよいよ、このときが来た。
果たして――
そこへ、かの美少女教祖が入室してきた。
俺は、彼女が姿を現すや、反射的にソファから立ち上がった。そちらを振り返って、真っ直ぐに眼差す。
前髪パッツン、さらさら黒髪ロングヘア。このへんでは、ちょっと有名な、平均偏差値やや高めなお嬢様女子校のセーラー服で、身を包んでいる。その上から、巫女さんめいた千早を羽織ったいでたちは、記憶の中そのままだ。
間違いない。彼女だ。
「……初めまして。いえ、お久しぶり、というべきでしょうか。本日は、よくぞおいでくださいました」
陶製のフルートのように、涼やかな声が響き渡る。
「チート転生者の『岡井俊介』さん。――それとも、『元・石黒正樹』さんとお呼びした方が、よろしいのかしら?」
黒髪の女子高生教祖アヤコは、この世界で俺が名乗ったことのある、二種類の名前を持ち出して、楽しげに微笑した。
そうだ。今の俺は、「岡井俊介」だった。
かつて、「石黒正樹」だった頃の俺が、人生の勝ち組と羨望し、また自分との立場の格差に絶望を感じた同級生。
その正体は、人生ループ四周目の、チート転生者となった俺自身だった。
なんという、皮肉な因果なのだ!
まさか、同じ時間軸で、別の人生を送る自分自身に嫉妬していたなどと、この状況をじかに体験してみるまで、常識的な思考の持ち主であれば決して気が付くまい。
現代日本に再転生した俺は、都内の大学法学部を卒業後、法科大学院へ進んだ。繰り返すが、この世界では剣の技量は役に立たない。出世し、社会的な地位を得たとしても、私怨をもって他者を誅することはできない。
アヤコの暴走を食い止めるには、もっと違った能力や立場が必要だった。
検察や警察を選択する方法もあったかもしれないが、弁護士に決めた。地元企業の顧問となって、法律相談の仕事に関わることで、政財界とのコネクションも作ることができる。
アヤコは、現代日本の裏社会に、どんな影響力を持っているかもわからない。
対抗するには、あらゆる手段を用意して臨むつもりだった。
そのうち、弁護士としてアヤコの追跡を続けても、いまひとつ成果が上がらないとみるや、俺は政界進出を決意した。それによって、新たなアプローチで彼女を追い詰め、教団の被害者があれば、そうした人々を保護することもできるはずだと考えたのだ。
俺が出馬に色気をちらつかせると、ある政党の目敏い幹部が水面下で接触してきた。
もっとも、そうした努力と焦燥をあざ笑うように、アヤコの所在はなかなか掴むことができなかった。
結局、いたずらに時は流れ、俺がアヤコと再会を果たすには、あの新聞広告が掲載された日を待つ他になかった……
「――俺が今日、選挙公示前の挨拶回りの合間を縫って、ここへ来るのを知っていたのか」
俺は、少し掠れかかった声でたずねた。混沌とした怒気を、隠し切ることができていたかどうかは、自分ではわからない。
「まあ、私も一応チート転生者ですからねー。おかげさまで、この世界にも多少の予知能力スキルのようなものは、引継ぎ可能なのですよ。ファンタジー世界のように、数値化した能力値を確認できないのは、不便ですけどね」
アヤコは、マイペースに、肩を竦めて答えた。俺の様子など、まったく意にも介していないようだった。
それにしても、予知能力スキルか。
俺が八方、手を尽くしても、これまで容易にアヤコの足取りが掴めなかった理由が、ようやくわかった気がした。
「なぜ、新聞広告を出した。そうすれば、俺がここへ来るのは、わかっていたんだろう」
「だって、そうしないと、私は今日から三日後にここを訪れる、『石黒』さんにも会えなくなるじゃないですか。大切なチート転生希望者の方との出会いを、みすみす逃すわけにはいきません」
アヤコは、冗談とも本気ともつかぬ口振りで言う。
「……おまえは、俺が『石黒正樹』として初めて会った当時、『岡井俊介』とこうして先にここで会って、二人が同一人物であることを知っていたのか」
「さあ、どうだったでしょうね?」
俺の質問に、アヤコはわざとらしく、うーんと右手の人差し指を頬に添える仕草をみせながら、
「タマゴが先か、ニワトリが先か――時間移動系SF小説の定番ネタですよねー。そもそも、今ここに居る私は、『元・石黒』さんを、未来で本当に異世界へ転生させることになるんでしょうか? ねえ、今ここに居る『岡井』さんは、どう思います?」
あははー、とアヤコは屈託なく、声に出して笑った。
ちょっとおかしなセーラー千早姿の、可愛らしい笑顔。
そこには、少しの罪悪感も垣間見えない。
「それじゃあ、おまえの目的はなんだ」
「目的、というと?」
「なぜ、異世界転生を斡旋するような真似をする? 人為的な転生は、対象者を無限のループに陥らせ、終わらない倦怠と苦痛の絶望に導いてしまうことを、おまえも知らないわけじゃないはずだ」
その問い掛けに対し、アヤコの回答は、ほとんど淀むところがなかった。
「そうですねぇ。一言で言うと、『保全措置』でしょうか」