■-3-■
サイモンは、あたかもすでに俺が訪問した目的を察しているかのようだった。
ただ、彼もまたチート転生者だというが、ぱっと見たところ、明らかにそれと感じ取れるような雰囲気は、まるで漂っていなかった。
面立ちも服装も、地味で、どこにでも居そうな四〇歳前後の男性としか、その特徴を表現しようがない。
サイモンは、俺の疑念など気にした様子もなく、こちらに向かい合うように、手近な椅子へ腰掛ける。彼の妻ジュリアも、その横に並んで座った。
「なぜ、私がチート転生者だとわかった」
「妻のジュリアも申した通り、閣下のご勇名は遠いこの地にあってさえ、かねがね存じておりました」
サイモンは、静かにこちらを見詰めながら、
「そのお若さで、尋常ならざる武功と栄達。これは私と同じ事情をお持ちであろうと、推察しておった次第です。今日のご訪問で、確信に至りました」
「なるほど。慧眼、感服する。……私の方は以前、戦場で貴方の作った武器を持つ武将と戦ったことがあったのだ」
俺は、ひとまずそういったところから、会話を広げることにした。
「あの武器は、想像を絶する攻撃力だった。俺がかつてドラゴンを討伐した際も用いた愛剣を、軽く凌ぐほどのチカラを秘めていた。それで、あれほどの業物を鍛えた人物となれば、只者ではあるまいと思い、こちらを訪ねたのだが」
「それは、遠いところからお越し頂いて、恐れ入ります」
サイモンは、形通りの返事で頭を下げる。
俺は、すぐに肝心の転生について質問攻めにしたいのをいったん堪え、あえてもう少し彼がこれまで手がけた仕事について訊いた。
やや回りくどいが、サイモンの実力を正確に知りたかったからだ。
「他には、例えばこれまでどんな武器を作ってきたのだろうか」
「そうですな」
サイモンは、少し考え込む素振りをみせつつ、
「たぶん、現在この異世界にある最強の剣と鎧は、どちらも私が作ったものかと存じます」
「なに、どちらも貴方の作品か」
「はい。私の作った最強の剣には、貫くことのできない鎧などございません。これは、誇張ではなく、その剣に<防御力無視ダメージ>の特殊効果を付与してあるからです。どんなに硬い鱗を持つドラゴンが相手でも、薄手の布しか纏わぬ人間と同じように、最大攻撃力そのままの物理ダメージを与えることが可能です」
サイモンの言葉は、尊大な内容とも取れたが、じかに聴いていると、まったく嫌味な印象は受けなかった。淡々と、事実だけを述べているようであった。
それが、この人物の圧倒的な武具作成能力を、殊更はっきりと証明しているかに感じられた。
しかし、俺は何となく、諧謔心が生まれて、ついくだらないことをたずねた。もしかすると、自分以外でチート転生者を名乗る人間と出会って、少し浮かれていたのかもしれない。
「それでは、貴方の作った剣で、貴方の作った鎧を斬ったらどうなるのだ」
言わずもがな、「矛盾」の故事である。
ところが、俺が面白がって訊いたこの質問にも、サイモンはしれっとした顔で答えた。
「それは、剣の方が鎧を貫きます。防御力を無視しますから」
「ほう。最強の鎧も、最強の剣には劣るか」
「はい。物理的な面ではそういうことになります。ただし――」
サイモンは、肩を竦めてみせつつ、
「私の作った最強の鎧には、着用している人間の傷を、たちどころに完治させる特殊効果が付与してあります。なので、数値にして1ポイントでもHPが残っていれば、その人物は次の瞬間、無傷なのと同じです。即死以外で倒れません」
「これはひどい」
俺は、思わず声に出して笑った。
サイモンの作ったという武具は、完全にチートアイテムだ。それも並みの完成度ではない。本当にそんなアイテムがRPGで使用できたら、ゲームバランスも何もありはしないだろう。
それを聞いて、俺は確信した。
サイモンは、当人が主張する通りの生産系チート転生者だ。
それも、ひょっとしたらかなり筋金入りのチート転生者かもしれない。
筋金入りのチート、というとまた妙な表現になるが、すでに異世界で二度生まれ変わった俺には、サイモンの能力がいかに反則的に高いかがわかる。
これほどの武器防具、とても一度や二度の「能力引継ぎ」で作れるようになるとは思えないのだ。これまで、彼は何度も転生を繰り返し、鍛冶屋スキルを徹底的に育成してきたのだろう。
「サイモン殿は、過去に何度の転生をご経験なのだろうか」
俺は、いよいよ身を乗り出して、本題に入った。
サイモンは、それを予期していたかのように答えた。
「現在、転生一八周目でございます、閣下」
「なんと。それでは、俺の大先輩ということになる。これは失礼した」
「いいえ。あくまで、今現在の私は世捨て人のしがない鍛冶屋にございます。ルーク殿のような、この世界での立派な立場にはありませんので」
サイモンは、やはり淡々とした物腰で告げる。
そして、続けて口にした言葉は、完全に俺の意表を衝いてきた。
「それに、転生回数でいくと、この中では妻のジュリアが一番の先輩ということになります。彼女は、もう転生二四周目ですから」
「――なっ……」
俺は、一瞬完全に硬直し、それから不躾にもサイモンの横に座る夫人の顔を正面から眼差してしまった。
ジュリア夫人は、どことなく寂しげな顔をして、こちらを見ていた。
俺が次にどんな言葉を紡ぐべきか、迷い決めかねていると、先にサイモンのあとを引き取るようにして、ジュリア夫人の方が口を開いた。
「私は元々、サイモンやルークさまのご出身とは違う、それでいてまたこことは別の異世界から転生してきた者です」
ジュリア夫人は、ゆっくりに話しはじめた。
「転生前の三〇代半ば頃だったでしょうか。自分より一回り近く年下の男性に言い寄られ、交際していました。しかし実際には、彼には別に若い恋人があって、騙されていたのです。もちろん、そのうち一方的に別れを告げられ、捨てられました」
俺は、息が詰まりそうだった。
つい先ほどまでの、自分と同じ転生者に異世界で出会えたことに対する喜びは、もはやどこかへ消え失せようとしていた。
ジュリア夫人は、さらに続けた。
「私は、その男性に聞かされた『近々新しい仕事をはじめるから金が要る』という言葉を信じて、多額の現金を彼に手渡していました。まあ、詐欺師だったんですね。バカな話とお思いでしょうけど、当時の私は結婚を焦っていました。もう、年齢的に最後のチャンスかもしれないと感じていたんだと思います」
どこの世界でも、悪い人間の手口というのは、似通ったもののようだ。
自分自身の立場に置き換えて、考えてみる。
地球時代の俺(三〇代童貞)が、若くて可愛い女の子と恋人同士になれたとする。少なくとも二人で一緒に居るとき、すごく優しくて、人懐っこい子だ。
でも、その子の家はかなり貧乏で、健気なことに母親の持病で悩んでいたとしよう。病気の手術には、何百万円というお金が掛かる。ときどき、女の子は寝物語にでも、自分の母親を助けてやりたいけど、どうすることもできないと悲しい顔で話すのだ。
さて、俺はそのとき、どんな言葉を掛けるだろう。
きっと、そのうち彼女とは結婚するつもりで、俺は本気で真剣な恋愛をしているつもりになっている。とすれば、どうせいずれ彼女の母親は、俺にとっても義理の家族になるに違いない、などと考えたりはしていないだろうか。
でも、それらは全部計算で、悪質な詐欺なのだ。
これは、かなりの確率で騙される。そんな予感がしてならない。
「もう、人生について何もかも嫌気が差していました。どこか、遠い世界に生まれ変わって、やり直したいと思ってしまったのです――」
そして、次の瞬間、ジュリア夫人のつぶやいた言葉は、俺にとってより大きな衝撃をもたらした。
「そんなときです。一人の風変わりな少女が、私の前に現れました。彼女は、『お金さえ払えば、人生をやり直しさせてあげられますよ』と、私にそっと囁きかけてきました――」
俺の心臓が、ばくばくと早鐘を打っている。
転生前のジュリア夫人(当時はまだ未婚だったわけだが)は、もちろん詐欺被害に遭遇したあとで、手持ちの現金はほとんどなかった。
しかし、騙された男の勧めもあって、交際期間中に高級な装飾品の類を随分買い込んでいたらしい。たぶん、詐欺師の男も、彼女にそうして高額な買い物をさせることによって、「標的」がどれぐらい金回りの良さそうな人間なのか、品定めでもしていたのだろう。
ジュリア夫人は、言われるままに買い求めてしまった高級品を、残らず売却し、その少女に「転生資金」として手渡したらしい。
「私の方も、似たようなものです」
今度はサイモンが、現実世界で生きていた頃の身の上について話しはじめた。
「私は、元々スポーツ用具専門店のゴルフ用品を扱うフロアで働いていました。特に自分の人生に不満があったわけではありません。三〇代に差し掛かった頃に結婚して、子供も一人生まれました。平凡な生活ですが、そこそこ満足していました」
サイモンは、そこでいったん、大きく深呼吸した。
「そんなあるとき、お得意様だった金融関係会社の役員の方から、何度か株を勧められましてね。まあ、店舗の販売成績を維持するのに、随分頼りにさせてもらっていた人物でした。いつも高級なゴルフクラブを、何本もお買い上げ頂いて。それで、お付き合いというのもありまして、どうも断れない状況でしてね。……仕方なく、少し購入させてもらうことにしたのですよ」
すると、最初のうちは、堅調に持ち株の配当が増えていき、いかにも割のいい小遣い稼ぎといった感覚だったそうだ。
ところが、突然の金融危機などが重なって、ある時期を境に市場の風向きが急速に変わった。資産は、見る間に目減りしていった。
損失を補填しようと躍起になって、貯蓄をすっかり使い込み、子供の学資保険まで解約したところで、ようやく取り返しのつかない状況に気が付いた――
サイモンは、そんなふうに事情を説明し、力なく笑った。
「本当にありふれた話です。ですが、今にしてみると、そのせいでかえって私は心のどこかで、『自分は絶対にありがちな失敗なんてしない』と思い込んでいたような気がします。いや、人生に対する思い上がりというべきでしょうか」
その後、日本在住時代のサイモンは、当時の夫婦関係が険悪になって離婚。
子供の親権は、元妻が引き取ることになったという。
「……私の場合は、その時期ですね。ある宗教団体の新聞広告を見掛けたんです。当時は、精神的にも参っていたんでしょう。ついふらふらと、そんな場所に寄る辺を求めて、教祖を名乗る不思議な少女と出会ったのです」
サイモンの「転生資金」は、死ぬ直前に消費者金融から借り入れたものだったらしい。どうせ死んで異世界に転生してしまうのだから、消費貸借契約の債務不履行もお構いなし、というわけである。
目の前の夫妻が転生するまでの経緯を聞くうち、俺は自分がこの異世界で生まれ変わる以前の記憶を、否応なく呼び起こされていた。
人生というのは、いかにも理不尽だ。
こんなはずじゃなかったとか、何ひとつ悪いことをしたつもりはないのに、どうしてこうなったとか、そんなことばかりに思える。
彼らに比べれば、俺が日本で暮らしていたとき、人生に嫌気が差したのは、まだしも他人の悪意があってのことではない。あんな顛末の地球人時代も、相対的にみて多少は救いがあったのかもしれない。
そう思うと、俺はいきなり今の自分が恥ずかしくなった。
最初に勤めた会社を、たった半年で何となく辞めたのも、いわば単に世間知らずだったからだ。忍耐を重ねて真面目に働いていてさえ、抗う術のない不運や社会の悪意によって、幸福が手元からスルリと離れていってしまう人がいる。けれども、それと知らず、ただ自分の置かれた環境に嫌気が差して、そこから逃げ出した。
その遥か彼方の逃亡先が、この異世界人生三周目というわけだ。
バカは死んでも治らない、っていうのは本当だな。
そんなごくわかり切った事実を、二度生まれ変わらないと悟れなかった。
俺は、そうした場の空気も手伝って、サイモンとジュリア夫人に倣い、自分の素性を説明した。
大学卒業後に就職したが、半年で辞めて、フリーターから派遣社員になり、派遣切りされ、三〇代後半になってまたしてもフリーターになったこと。
夫妻は、じっと俺の話を聞いてくれた。異世界転生してからというもの、よくよく思い返すと、現代日本に居た頃の話をするのは、これがはじめてだったかもしれない。
サイモンとジュリア夫人が、似た境遇の者同士で、この異世界の地で夫婦になった理由がわかったような気がした。
「――異世界転生した人間というのは、やはり俺たちのような人間ばかりなのかな」
一頻り、互いの身の上話を終えたあと、俺はぽつりとつぶやいた。
サイモンは、考え深げな仕草で自分の顎に手を添えつつ、どこか達観したような表情になった。
「まあ、望んで転生した人間に多いことは、間違いないかもしれませんな。もっとも、ごく稀には、意図せず奇跡的に異世界転生してしまった人もいるのでしょうが……」
「それは、どういうことだろうか?」
「本来、異世界転生というのは、したいと思っても、人間の手で可能になるものではないらしいのですよ。――そのあたりに関しては、私よりも妻の方が詳しく説明できると思います」
サイモンはそう言って、ジュリア夫人に話題を譲った。
ジュリア夫人は、なんでもこの異世界転生後、魔法使いとしてのスキルを徹底的に鍛え上げたのだという。その実力は、時空世界の黄金律にさえ、手が届くほどらしい。
「そもそも、時空法則を完全に支配できる人間などというのは、どんなに高い能力を有していたとしても、存在しておりません」
ジュリア夫人は、神妙な様子で言った。
「ですから、人為的な方法での異世界転生というのは、必ず不完全な性質のものにならざるを得ないのです」
「……不完全な性質とは?」
俺は、悪い予感に内心怯えつつも、問い掛けずにはいられなかった。
先をうながされ、ジュリア夫人はそれに返答した。
恐るべき、絶望的な真実を。
「対象者の転生ループが無限に続くことです。私たちのようなチート異世界転生者は、これから時空世界が存続する限り、永遠に死んでは生まれ変わることを、どこまでも繰り返し続けねばなりません」
そう――
実はそれとなく、俺にも察するところがないではなかった。
果たして、異世界転生という現象、能力引継ぎによる人生ループは、本当に俺という人間を、幸福にし得るのだろうかという疑問。
二周目、三周目と、経験を積み、異世界でより社会的に高い地位にあると目される生き方を選択していく中で、いつしか逆に、奇妙な不安や恐怖が心に芽生えはじめていた。
「無限の転生ループは、不幸なことだと思いますか」
「不幸というより、絶望ですね」
静かな口調で答えたのは、サイモンだった。
「考えてみてもください。能力引継ぎ転生を、何周もループし続けていくうち、何がどうなると思いますか? ステータスは、全てカンスト。何もかも大抵のことは思い通りになりますから、戦ったり、冒険したりする意味そのものがなくなります。……そもそも生きることがバカらしくなる」
サイモンの言葉には、すでに何度も転生を繰り返した実感が込められているような気がした。
「まるで、あらゆるやり込み要素を遊び尽くしたあとも、尚も同じRPGをひたすら一本だけプレイし続けなければいけないような心地ですよ。少しも生産性がありません」
「しかし、やめたくなっても、このゲームはやめられない……」
「ええ、その通り。自ら死のうとしても、また転生してしまうんです。これは、ある種の『呪い』のようなものですよ」
俺のつぶやきを、サイモンはいともあっさり肯定した。
「伝説の勇者カークライト――ルーク殿も、名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。その剣は一振りで古代竜の首を軽く跳ね、その魔法は一度唱えると万の軍勢をも退けたという」
「……やはり、彼もチート転生者だった。そういうことか」
「いかにも。あの方は、たしかすでに三〇〇周以上も転生ループを繰り返しておられます。剣の技量はもちろん、魔法の実力においても、妻のジュリアさえ凌駕なさっているはず。もはや、ご本人さえ、正確にどれだけの時間を生きたのか、失念なされていたとしても不思議ではありませぬ」
三〇〇周!
いったい、それがどれだけ気の遠くなる時間なのか、想像することすら不可能だった。
常人の三〇〇倍もの人生、それと等量の記憶や経験を引き摺りながら生きるのは、果たしてどれほどの苦しみを伴うのだろう。
それはきっと、「最強ゆえの倦怠感」と並ぶ恐怖だ。
人間が生きていく中で得る記憶と経験というのは、必ずしも幸福なものばかりではない。どんなに世の中を思うままに動かせるチート能力を得ていたところで、人の心を鎧で覆うことまではできないのだ。
人間の生きる場所に、過去と未来、元の世界と異世界を問わず、理不尽な悲劇と残酷な悪意がある限り、誰もが傷つかずには生きられない。
まさに、「呪い」である。
無限の転生ループは、永遠の倦怠と、苦痛の記憶で染め抜かれた、恐るべき拷問なのだ。
浅はかな俺は、ようやくその事実を察した。
「……しかし、カークライト殿もまた、無限の転生ループに囚われて生きておられるというのであれば、果たして今はどこで何をしてらっしゃるのか?」
「ふむ、やはりご存知ありませんでしたか」
サイモンは、ようやく合点がいったという様子で、
「かの勇者殿のフルネームは、ウイルズ・カークライト。現世では、ルーク殿がお生まれになった伯爵家の使用人をしておられたはずです」
俺は、思わず目を見開いた。
あのウイルズが、元・伝説の勇者?
にわかには、信じがたかった。これまで、ウイルズはそんな素振りひとつ見せたことはなかったからだ。
しかし、もし事実とすれば、俺にとっては完全な赤面モノである。
俺は、転生ループ三〇〇回ものキャリアを誇る伝説の勇者の目の前で、これまで得意げな態度を示し、求められるまま、幾度となく自分の異世界での手柄話をしてきたに違いないからだ。
「きっと、カークライト殿は、まだ転生回数の少ないルーク殿を前にして、無限ループの苦しみを打ち明けるのが、忍びなかったのでしょう」
サイモンは、そう言って俺に同情してみせた。
「だが、それほどの実力を持ちながら、ウイルズ――いや、カークライト殿は、どうしてあのような低い身分に甘んじておられるのか」
「それは、単純に執着の問題でしょう」
俺の素朴な疑問に、サイモンは即答した。
「少なくとも、カークライト殿にとって、身分や権力というのは、手にしようと思えば、いつでも好きなときに手に入れられるもので、同時にもう興味の対象にないものなのではないでしょうか」
サイモンの言葉には、奇妙な説得力があった。
本当の究極的な最強とは、どんな存在か。
おそらく、もはや自分よりもずっと脆弱な存在に対して、無関心な立場を取るもののことだろう。
レベル九九のキャラクターは、レベル一のキャラクターが経験値稼ぎのために戦うザコ敵を、そもそも相手にもしないものだ。戦うこと自体が、ほぼ何の利益にもならないし、いっそフィールド上で遭遇することさえも、煩わしい。
「俺たちやカークライト殿以外に、チート転生者はどれぐらい居るのだろう」
「さて。この世界に転生した者ばかりとは限りませんからな。それに、異世界、平行世界の類は無数にあります」
また、ある程度転生を繰り返した人間は、サイモンとジュリアの夫婦や勇者カークライトのように、隠遁したり、ごく平凡な一般人を装って生きるようになることが多いという。
ある種の、「燃え尽き症候群」みたいなものだろうか。
とにかく、そのあたりの正確なデータは、調べようがないのだった。
「ところで、ルーク殿。話は変わりますが」
不意にサイモンは、話題の方向性を転じてきた。
「私たちの元居た世界で、異世界転生を商売にしていた少女のことを、覚えてらっしゃいますか? ――私が宗教団体の事務所で会ったのは、セーラー服の上から、巫女さんの千早のような着物を羽織っていた女の子で、アヤコという名前を自称していたのですが」
まるっきり、同一人物だった。
「あの子は、元は我々が今居る異世界の出身だったらしいのです」
サイモンの調べたところによると、アヤコもまた異世界ループ転生者であるらしかった。
かつてアヤコは、禁忌として封じられていた遺失魔法を、一族の訓えを破って復活させた魔女だったのだという。
しかし、いざ自分で転生魔法を使用してみるまで、永遠に人生ループを繰り返す苦しみを、彼女もきちんと理解していなかったのではないか、とサイモンは推測していた。
「まあ、元がそういう掟破りをするような魔女ですからね。ああ見えて、いったい何千年前から転生を繰り返しているかもわかりませんし、性格的にも相当に破綻していたのでしょう」
例えば、アヤコは、無限に続く時間の環の中に、自らの転生魔法で陥ってみて、我が身の悲劇を初めて理解したとすれば、どうか。
それで、八つ当たりとばかり、時空転移の魔法で様々な異世界を渡り歩くようになって、その行く先々で転生ループの犠牲者を増殖するようになったのではあるまいか。
サイモンは、そんな想像を抱いているらしかった。
「魔女アヤコもまた、勇者カークライト殿と同じか、あるいは彼にも勝る、最強の無限転生者です」
サイモンは、嘆息混じりにつぶやいた。
「しかし、おそらく彼女の価値観は歪んでいて、カークライト殿などとは異なる思考で、無限ループを生きているんじゃないでしょうか。自分より弱い立場の人間と距離を置くのではなく、積極的に関わり、自分と同じ苦しみの地獄へ突き落とすことによって、乾いた心の興味を満たしている、とか」
俺は、激しい怒りが込み上げてくるのを感じた。
まるで、漆黒の焔が心に宿るかのようだった。
もちろん、サイモンの見立ては、まったく的外れな憶測かもしれない。実は、彼女にも別のもっと違う目的があるのかもしれない。
けれども、アヤコがこれまで何人もの無限転生者を生み出してきたことは、紛れもない事実なのだ。
このとき俺の胸の内に、ある目的と、強烈な決意が生まれた。
皮肉にも、自分を転生ループの無限地獄に誘った張本人が、俺の心からひととき倦怠感を取り除こうとしていた。
――元の世界に戻って、アヤコの悪事を食い止めてやる。
このまま、あの悪魔のような少女を放置しておけば、異世界転生の罠に嵌められた犠牲者が、今後も絶えることはないだろう。
仮に、俺がこの無限転生の呪いから、もう二度と逃れられないとしても、せめてこれ以上のアヤコの暴走は阻止せねばならない。
俺は、そう誓った。