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岡井の名前を聞かされて、そのあと自分が何を考えたかは、なんだかあまり詳細には思い出せない。
ふっと気づいたら、契約書にサインしていて、木箱に入ったいかがわしい壺を抱え、頼りない足取りで自宅に戻っていた。
とはいえ、アヤコから色々説明されたことに関しては、他の内容もはっきりと記憶している。
「それでは、代金の方はイシヤマ――ではなく、石黒さんですか。貴方の預金を死後にこちらで引き取らせて頂くということで」
アヤコは、すでに俺から本名を引き出していて、上機嫌だった。当初こちらが偽名を名乗っていたことについては、まったく気にする素振りもない。実際、俺以外の転生希望者にも、そういう人間は多いのだそうだ。可憐な微笑は、最後まで絶えることがなかった。
「うちにも、こっちの世界の法律関係に明るい弁護士がおりますので。明日にでも、早速そちらへ伺わせますから、遺言書の作成をお願いします。ええ、そうです、遺産については、宗教法人【新生の城】に寄付するということで。ハイ」
契約書を念入りにたしかめたあと、アヤコは隣室から他の教団関係者(信者? それとも従業員?)を呼んで、テーブルの上に壺を運んで来させた。
「で、こちらが当団体自慢の、霊験あらたかな『転生の壺』ですので。お家へ帰宅なさったら、今夜から毎日朝晩二回、水道の水でもミネラルウォーターでも大丈夫ですから、中に飲み水を注いでコップ一杯分飲み干してください。概ね一週間以内、遅い人でも十日ぐらいで、死亡イベントに遭遇し、異世界転生できますから」
転生代金が自分の遺産というのは、なかなか合理的だと思う。
どうせ、死んだら元の世界の金なんて、こっちでは何の役にも立たない紙くずだ。
まあ、遺産と言っても、アラフォーフリーター(独身)たる俺の全財産は、せいぜい郵便貯金の残高一五〇万円ぐらいだが。
いずれにしろ、それぐらいの値段で人生「強くてニューゲーム」でやり直せるのなら、どう考えても安いもんである。
「でも、死人に口なしですからねー。やはりサービスを実際に利用してくださった転生者の皆さんは、死後には他の異世界に逝ってしまわれるんで。評判が周囲に伝わって、団体の知名度が上がったりすることもないのが、この商売の一番の悩みですよ。なかなか、思ったほどに顧客が増えず、儲かりません」
エヘヘと笑いながら、アヤコはあっけらかんとして言っていた。
おまけに、やってる商売の内容が内容なので、過去に警察から目を付けられたこともあったそうだ。信者の自殺幇助に関与しているのではないかと嫌疑を掛けられたり、法外な値段で転生グッズを売りつける、一種の霊感商法ではないかと見られたりして、事務所が立ち入り捜査の対象になりかけたことさえあったという。
けれども、そこはそれ、転生業界も自衛策を持っている。
岡井のような、様々な業界と接点のあるチート転生者を使って、裏から手を回し、世間の目を掻い潜っているのだ。
【新生の城】という教団名は、これまで過去六度に渡って変更しているとか。しかし、めげずに今日も明るく営業しているそうだった。
○ ○ ○
まあ、そんなわけで、俺は今、転生して異世界にいる。
街角トラック、一撃即死。あっけなく、おかげさまで痛みひとつも感じるヒマさえなかった。簡単なもんだ。転生物web小説のオープニングによくある、主人公が死を迎える瞬間の「軽さ」は、意外なことにあれはあれでよくできている描写なんだなと思った。
それから、転生するとき、まるでRPGのキャラメイクみたいにボーナスポイントを割り振る定番の展開。
あの行為についても、いざ自分で体験してみると、まるで違和感がなかった。
死後、現代日本で生きていた頃の価値認識と切り離された俺の感覚は、別時空の新たな事象認識を把握した。
そして、それによって、あのポイント割り振りというのは、実のところ「人間の認識の取り違え」で、地球上に生きている人間が、時空世界の真実をそれと知らず、滑稽に思い込んでしまうだけなのだということがわかった。
どういうことかというと、「転生時にボーナスポイントを受け取る行為の方が本来の真実で、RPGのキャラメイクの方がその自然の摂理をパクっている」のだ。
皆さんは、世の中にある創作物の九〇パーセント以上が、他の何らかの実存する事象を模倣して作り上げられている、という説をご存知だろうか。
たとえば、架空の歴史ファンタジー小説も、実は世界観設定は過去の史実を研究し、それを参考に脚色してストーリーが書かれていたりする。
それと同じ原理で、RPGのキャラメイクというのは、現世人がほとんど誰も気づいていないけれど、本当は異世界転生するとき、該当転生者が実際に経験する「能力引継ぎ体験」を模倣して考案されたゲームシステムだったのである。
言い換えると、転生時のポイント割り振り行為がゲームに似ているのではなく、ゲームの方が転生時の自然現象に似ている、ということだ。
ただ、俺たちは、ほとんどの人間が現実世界では、異世界に転生する方法なんてものがあるなんて知らないし、信じてもいない。
だから、「嘘みたいな本当」を見たときに、安っぽいとか、馬鹿げてるとかいうふうに感じてしまうのだろう。
「目に見えるステータスの数値」も同じだ。
異世界で、それはごく当たり前の自然現象。地球上だから見えないだけ。俺たちがRPGで見慣れてきた画面は、異世界における自然現象の模倣でしかない。
主と従の関係性を、地球人は取り違えている。
自分の生きている世界の価値観の方が常に基準にあるから、誤解してしまうのだ。
とにかく、そうしたわけで、転生時の特典ポイントを消費しつつ、俺は「先天的な剣術の才能」なども得て、異世界に生まれ変わった。
もちろん、現代日本で身につけた知識も持ち越している。
中世程度の文明レベルしかない異世界では、中途半端な学者も賢者も、的外れな知識で威張り散らしている、痛い連中にしか思えない。
まあ、それでも、二周目の人生では、王国騎士団の隊長ぐらいまでしか、出世できなかった。
転生の特典ポイントを、「出生時の身分」に割り振らなかった影響は、俺が想像していた以上に大きかった。
これでも、魔物軍とのデカい戦争で、大将格の化け物の首級を二、三は挙げたし、宰相などからは「救国の英雄」なんて持ち上げられたんだが。
平民出身だと、なかなか伝説の勇者レベルに評価されるのは難しいなー、などと今更のように平等社会じゃない世界の秩序を理解した。
とはいえ、アラフォーフリーターだった前世を考えてみれば、遥かにいい人生だ。
おかげさまで、結婚もできたしな。
それも、相手はかなり美人の女の子だった。爵位のない、下級貴族の娘だけど、俺にデレデレに惚れてくれた。子供も生まれて、経済的にも不自由なく、しあわせだなあと思った。
俺は、二周目の転生を、満足して終えた。
最期は家族に見守られ、幸福感に包まれながらの病死だった。
さて、ところがそうしたら、三周目の人生がはじまった。
自分の死に対する感慨も余韻も、あっさりと台無しだ。
生前を振り返る余裕すらなかった。
完全に意識がなかったのなんて、本当にほんの一瞬、せいぜい数秒だったんじゃないだろうか。少なくとも、体感(?)としてはそうだ。
気づいたら、もう謎の真っ暗な異空間が目の前にあって、以前にも体験した能力の引継ぎを再び実行することになった。
ふと、暗闇に浮かぶ数値化された自分の身体情報を眺めていると、二周目開始前に消費していた特典ポイントが、回復しているようだった。
どうやら、転生するたびに、ボーナスとして頂けるらしい。
ということは、周回数を重ねるごと、ますます俺は無双キャラ化していくというわけか。こいつは美味しい。
前回の反省を生かし、三周目の俺は「出生時の身分」にポイントを振った。
これで、きっと次は貴族の息子になれるのだ。
果たして、思った通り、俺はとある伯爵家の三男坊として生まれた。
なかなか悪くない。
俺は、幼少期から神童ぶりを発揮し、史上最年少で近衛騎士団に入隊し、さらに小隊長、大隊長……と、次々に最年少記録を更新しながら出世街道を突き進んだ。
戦争のたびに手柄を立て、俺の行くところ、戦えば常に勝利があった。
国王からは、そのうち生家よりも格式の古い公爵家へ養子に入るように勧められ、名実共に王国第一の功臣としての名誉を欲しいままにできた。
騎士団の大隊長時代に「竜殺し」の称号も受け、国で一番の美人とも言われる第二王女とは、この頃から恋仲になった。
何もかもが、俺の意のままに成し得るのだった。
「此度の戦も、敵将の首級を挙げてくれたか。『漆黒の剣匠』よ」
あるとき、国王は戦場から帰還した俺を出迎え、惚れ惚れとして言った。
「まるで、そなたの働きは勇者カークライトを見るかのようじゃ」
「まったく恐れ多いお言葉にございます、陛下」
俺は、恭しく謙遜して言った。
勇者カークライト。
この世界に生きる人間なら、子供さえ知っている伝説の英雄である。その剣は一振りで古代竜の首を軽く撥ね、その魔法は一度唱えると万の軍勢をも退けたという。何百年も前の人物だから、きっと誇張もあるだろうが、とにかく戦神とも並び称えられるレベルの偉人だった。
……ああ、伝説なんだから、誇張に決まってる。
そんなやつが本当に居たとしたら、確実にチートキャラだ。俺と同じ類の。
とにもかくにも、俺の人生三周目は、そうしたわけで順風満帆だった。
王国軍の最高位たる大将軍まで上り詰めたとき、まだ俺は二〇代半ば。
あれから第二王女との婚姻も成り、晴れて王族の仲間入りである。たまに生家の伯爵領に顔を出すと、誇らしげな両親と、嫉妬混じりの兄弟の顔に迎えられた。
――まあ、こういうのも成功者の宿命かもしれない。
実際、俺のような若造で、軍の最高位に就き、美しい姫を娶った人間に対して、大概の人間の反応は、肉親に限らず二分される。
崇拝してくるか、嫌悪してくるかだ。
特に、後者の気持ちは、俺にもわからないではない。少なくとも、二度の転生を経験する以前の俺は、そちら側の人間だったのだから。
仮に俺が転生などしたことがなく、思うほど自分の人生に満足していなかったとしたら、やはり今の自分のような人間を嫉視し、薄気味悪がり、嫌悪していたに違いない。
どんなに俺が出世しても、それほど物腰が変化しなかったのは、案外使用人のウイルズ老人だった。
「おや、ルーク様。こんな萎びた年寄りの小屋に、何の御用ですかな」
「他人行儀は止してくれ、ウイルズ。ただでさえ、他の連中と話していていると気が滅入るんだ。ここでは楽にしたい」
「さようですか。では、大したお持て成しもできませぬが、ごゆっくりなさってください」
ウイルズは、そう言って、相変わらずぷるぷると頼りない動作で、東方から仕入れた茶を入れたりしてくれるのだった。
「こうしていると、やはり落ち着くな」
俺は、ウイルズの入れた茶で喉を潤してから、深々と呼気を吐き出した。
「ルーク様も、いまや国家の要職に就かれ、何かとご苦労がおありでしょう」
「まあ、やはり相応に責任のある立場だからな」
俺は、ゆっくりとうなずいてみせ、
「ときどき、ウイルズのように、気儘な生き方も良かったかもしれぬと思うときがある。しがらみというのは、息苦しい」
「これは、ご冗談を……」
俺は真面目な顔で言ったのだが、ウイルズは声に出して笑いつつ、二杯目の茶を注いできた。
――そう。正直言うと、俺はそろそろこの転生人生に疲れはじめていた。
いや、厳密に言うと、「疲れている」というのは、あまり正しくないかもしれない。
なぜなら、俺はチート能力を持つ転生者で、この世界でも本気さえ出せば、まあだいたい大抵のことは思い通りになるのだ。
こうしたい、ああしたいと思ったことを、いざ実行に移すこと自体が、何となく億劫で面倒臭いと考えることはあっても、それで疲れるとか苦労するとかいうのは、たぶん俺の実感を適切に表現していなかった。
この感覚、何が近いだろうか、と記憶を探ってみて、俺はふと思い至った。
アレだ。一本の同じRPGを、長期間に渡って延々やり込みプレイし続けていると、こんな感覚に陥ることがよくあった気がする。
やはり転生前の大学生だった頃、やり込み要素がウリの、とある人気RPGシリーズをプレイしていた時期があった。
そのゲームは、レベル上限が9999までもあって、キャラ育成やアイテム収集でひたすら遊び続けられるシステムの、一部で熱心なマニアがいる作品だった。
もっとも、ゲーム本編のシナリオ自体は、レベル70もあれば、まあ余裕を持ってクリアできてしまう。隠しシナリオもせいぜいレベル300で終了する。
にも関わらず、俺は日々何かに取り憑かれたように当時プレイし続け、仲間キャラがレベル四桁超えるのを、テレビ画面の前で嬉々として眺めていた。
しかし、プレイタイムが二〇〇時間、三〇〇時間……と過ぎるにつれ、俺は徐々に自分のやっていることに、何の意味があるのかと疑問を抱くようになってきた。
俺が育成した主人公キャラは、一撃で数千どころか数万以上の物理ダメージを叩き出すまでになり、様々なスキル攻撃を組み合わせると、ラスボスより強い隠しボスですら、一ターン以内に倒せてしまうまで強くなっていた。
逆に、強くなりすぎて、育成と共に入手した折角の能力も、すでにゲーム中でわざわざ使う意味自体がなくなっていた。
通常攻撃だけでも倒せない敵はいなくなっていたし、回復魔法も死にかける仲間がいないから、そもそも唱える機会がない。
戦う前から、必ず勝つとわかっている主人公。
ゲームプレイは、もう危機感も緊張感もなく、ただ淡々とレベル上げとアイテム集めを続けるだけの単純作業と化していた。
まあ、とはいえ俺は、そのやり込みプレイを、当時まったく少しも楽しんでいなかったかというと、そうではない、という事実は明確に付け加えておこう。
自分にとって思い入れあるキャラクターを、愛でるように育てる行為は、もちろんちゃんと面白い。何百時間もプレイしたということは、少なくともそれだけのプレイタイムのあいだ、そのゲームは俺を惹き付け続けていたのだ。
けれども、まさに俺が現在体験しているチート人生は、どうだろうか?
どうも即座に、これという答えが出せない。
俺が抱いているこの感覚――
たぶん、これを的確に言い当てている言葉は、「倦怠感」だ。
だが、ただ気だるいというだけであれば、やはり転生前の惨めな生き方よりも、こちらの異世界はずっとマシなはずだった。
だというのに、なぜか言いようもない不安の影が、もうこのとき俺は自分の背後から忍び寄りつつあることを、漠然と察しはじめていたのである。
○ ○ ○
そんなある日、もやもやとした倦怠感を、ひととき払拭する出来事があった。
ただし、平和な街中で生じた祝祭などではない。
隣国で敵なし、と恐れられていた将軍と、戦場で一騎打ちとなったのだ。
この将軍は、何年かぶりに、本当に手強い相手だった。
転生三周目の人生が三〇代半ばに差し掛かろうとし、もう何もかもがヌルゲー化して刺激のなかった俺が、ここまで戦闘で本気になったのは、あのドラゴン討伐のとき以来だ。
強敵に出会い、命のやり取りをするで、ようやく人生に実感を得るだなんて、俺は子供の頃に読んだバトル漫画のしっぽが生えた戦闘民族か!、と自分にツッコミを入れてやりたいところだが、何しろこれが本心なので致し方ない。
そして、勝利の後、この敵将の亡骸を調べた際に、さらに驚くべき事実を知ることになる。
この敵将の強さの秘密は、全身に着用していた装備品にこそあったのだ。
彼の使っていた武器は、俺の持つ漆黒の愛剣と比べて、数値化された攻撃力にすると、倍以上も威力が上だったのだ。
防具も同じで、俺がこれまで手にしたことのある鎧の中でも、ここまで防御力が圧倒的に高い代物は、はじめて見た。
まさしく、チート装備品だった。
実は、敵の将軍本人は、強さだけで言えば、やっぱりドラゴンなどよりずっと弱かったことがわかった。
俺は、この武器防具を手にして、はっと咄嗟に鋭い閃きを覚えた。
捕虜にした敵の騎士を呼びつけ、俺は尋問した。
「おいっ、あの将軍は、この武器と鎧をいつどこで手に入れた?」
「は、遥か北の峡谷に住むという、伝説の鍛冶屋に造らせたと聞いている……」
執拗に問い質すと、捕虜はついに重大な情報を漏らした。
そして、その言葉は、俺に久しく忘れていた活力を呼び戻した。
そうだ。
こんなチート装備を作り出すヤツ、俺と同類のチート野郎に決まっている。
本当は、俺もこれまでときどき想像したことがあった――
きっと、この異世界には、俺以外にもチート転生者は存在するはずなのだ!
転生前の理不尽としか思えなかった現代日本を思い返してみろ。
誰もそれと気づいていなかっただけで、俺の出身校の同級生には人生四周目と言われるチート転生者の岡井がいた。しかも、身近には岡井しかいなかったってだけで、きっと日本全国や世界全土を洗い出せば、チート転生者は他にも何人、何十人といたかもしれなかったのだ。
少なくとも、あの美少女教祖アヤコが「転生者名簿」なんてものを作成して、リスト化するぐらいの人数は存在したに違いない。
だったら、この異世界にも、あるいは俺の先輩チート転生者がいるはずなのだ。
さて、それじゃあ、その人物は今、どこで何をしているのか?
その答えのひとつが、おそらく「伝説の鍛冶屋」だ。
盲点だった。何も、剣を使って戦う職業ばかりが、RPGのチート職業だとは限らない。
生産系チートなんて、web小説の主人公ならよくあるパターンじゃないか。
俺は、「伝説の鍛冶屋」の存在に、ある希望を見出しつつあった。
つまり、その人物――おそらく、先輩にあたる転生者であれば、俺が今こうして実感しているモヤモヤとした気持ちを、互いに分かち合い、理解してくれるのではないか?
一軍の将として、戦後の雑事を片付けると、俺は戦勝祝賀会を体の良さそうな理由で欠席した。
それから、僅かに信頼できる部下を数名連れて、そそくさと北の峡谷へ出発した。
目的地までは、想像以上の長旅で、しばしば危険な魔獣にも遭遇したが、チート転生者である俺にとっては、どうということのない道のりであった。
峡谷の奥にたどり着くと、そこには思いのほか質素な佇まいの家屋があって、そこがどうやら「伝説の鍛冶屋」と呼ばれる人物の住処らしかった。
もし俺と同じチート能力者だとするなら、もっといい場所で、いい暮らしがいくらでも出来るだろうに……と、俺は何となく不可解に思ったけれど、気を取り直して、家人を訪ねた。
俺を出迎えたのは、二〇代後半ぐらいと見える女性だった。派手さはないが、小ざっぱりとして落ち着いた雰囲気の人物である。
まさか、この女性が「伝説の鍛冶屋」か?
一瞬、そんな考えが頭を過ぎったが、何も鍛冶屋が独り身だとは限らないな、と思い直した。
「突然、お訪ねして失礼する。俺は、ルークと申す者なのだが……」
こちらから自己紹介すると、当初女性は訝しげな視線を向けていたが、少しずつ態度を軟化させた。
「なるほど。王国の大将軍ルークさま。こんな辺境ですが、ご高名は私ども耳まで届いております。私は、鍛冶屋サイモンの妻で、ジュリアと申します」
鍛冶屋の女房を名乗った女性は、二度三度とうなずいてから言った。
「恐縮です、ご夫人。時に、サイモン殿はご在宅か」
「ええ、奥の部屋に居ります。今、呼んで参りましょう。大将軍閣下は、どうぞ居間でお待ちください。何もない、つましいところですが……」
「なるほど。では、ご厚意に甘えさせて頂こう」
俺は、連れの部下には、家の外で待つように命じてから、鍛冶屋サイモンの家の入り口を潜った。
家屋の中は、やはり外観同様につましい有様だった。
あまり華美に走るのもどうかとは思うが、サイモンは派手な暮らしぶりを好む人物ではないのだろうか。清貧の思想というやつ。
あるいは、何か悟りの域に達した人が、物欲とか現世欲と乖離した境地に達するとかいう、アレか。仏教思想の解脱に近いような。
そんなことを思い巡らしていると、ほどなく外見四〇年輩の男性が、先ほどのジュリアという女性と連れ立って、姿を現した。
この人物が、サイモンだろう。
妻の年齢と比すれば、思ったより歳が寄っている。
果たして、「伝説の鍛冶屋」は俺を眼差し、おもむろに口を開いた。
「私が鍛冶屋のサイモンです、大将軍閣下。――お察しの通り、元々は貴方と同じ、異世界からの転生者でございます」