5th 龍は立ち塞がる障害を蹂躙する
「なんだぁここは・・・」
見渡す限りの草原、青々とした空、空を縦断する太陽。煤けた雰囲気と辛気臭い空気に包まれた下町とは似ても似つかない光景。
母親がもしかしたら危険な状態かもしれないというのにこのように不可解な状況に置かれていることに十馬のイライラが募る。
人にものを聞こうにも人影どころか人里もない。
ただ人に聞かずとも、どうしたって自分の身になにかとてつもないことが起こってしまっていることを認識せざるをえない。
この怒りを何かにぶつけて発散したいところだが、怒りをぶつけるものが側にはなくイライラを心に抱きながら取りあえず適当な方向に歩いていく。
そうして歩いていると遠くから怒号と甲高い悲鳴が聞こえてきた。現状を把握するヒントが得られるかもしれない機会がやってきたと思い、急いでそちらのほうに駆けていく。
すると巨大な猪と傍らに倒れる少女の姿が確認できた。
猪は四足歩行にも関わらず十馬と目線が合うほどに大きく、これほど大きな相手と対峙したことがなかった十馬の頬に一筋の汗が垂れる。その筋の人に雇われていた元プロレスラーの用心棒ですらここまでの威圧感はなかった。
少女に鼻を近づけて様子を伺っていた猪は
こちらの姿を認めたと同時に咆哮をあげて十馬に向かって突進してきた。
自分より明らかに強いものに出会ったことがなく、これまで臆したことがなかった十馬であったがこの迫力には少し足が震えた。
「ちくしょうがぁ!!きやがれ!」
覚悟を決めて小さな体躯で大きく腕を広げて猪を向かいうつ。
巨大な物体がすさまじいスピードで向かってくる恐怖を押さえ込み、衝突に備えて力をこめる。
数瞬の後メシッと骨がきしむ音がしたが、十馬は数歩分後ろに押されただけで、猪を押さえ込んでいた。
「捕まえたぜぇ・・・猪野郎!!」
体に生じた鈍い痛みを怒りと叫びに変えて十馬は猪の額に会心の一撃を打ち込む。
小柄な体躯から放たれる、風を切り裂きながら猪を襲う拳。
プギィィと猪の断末魔が聞こえる。十馬の拳は猪の額にめり込み、脳にまで達していた。
ドォンと巨体が草原に倒れ、拳を引き抜くと血をはらう。
わけわかんねぇ所に飛ばされてまで喧嘩に興じていてはまたナミに怒られちまうなと、苦笑しながら戦いの余韻に浸ると共にポリポリと頭をかく。
その後十馬ははっとして数メートル先に離れた場所に倒れ伏している少女がいることを思い出し、すぐに駆け寄る。
「おいっ。大丈夫かよ!?」
抱き寄せた少女に返事はなく、代わりに血反吐を吐いて十馬の服を汚した。
恐らくは内臓が潰れている。喧嘩によって腹を殴打した相手がこういう状態になっていたことを思い出した。
ふとその少女の容姿を見てみると自分と似た色の髪をしていることに気付いた。
赤い髪をした少女が苦しそうに血反吐を吐いている。その姿を見て、同じ赤い髪をした一人の女性が洗面台の前で血反吐を吐いている姿が脳裏に浮かび、ここに飛ばされる前に感じていた焦燥や不安がフィードバックして十馬を襲う。
「くそがっ!・・・どうすりゃいいんだよっ」
人を壊すことはあっても治したことなど一度もない。どうしようもない状況にふつふつと怒りが生まれると共に、一生自分が母親を守っていくという数刻前にした決意もまた汚されたような気分になった。
その瞬間プツンと何かが切れた音がした。
おおおおおおおおといった慟哭ののち十馬は絶叫した。
「誰でもいい!!こいつをっ・・・『こいつを助けて』やってくれ!!」
その瞬間、十馬の掌が光り、その光が少女を包む。
少女を包んでいた光は体内に入る前に粒子となって少女の体内に入り込んでいく。
少女の苦痛にゆがんだ表情がだんだんと安らかな表情に変わっていく。
十馬は目の前の少女を包んだ光が少女の体を癒していく光景を呆然として見ている。
光が収束してポンッと音がして消えると、静かな寝息を立てて、完全に快復した少女がいた。
「どうなってんだこりゃ・・・」
広い草原の中で、目の前で起きた奇跡にいまだ信じられないといった様子の少年が佇んでいた。