3rd 名もなき蛇は尾をかじる
私に名はない。家もなければその日の食い物さえ得られるか分からない身の上である。
黒く美しい毛艶でひょろりと長い尻尾を持ち、少々目つきの悪い相をしている。耳に白い2本のラインが入っているのがチャームポイントだ。
ネコ目(食肉目)- ネコ亜目- ネコ科- ネコ亜科- ネコ属に分類される小型哺乳類であり
その可愛らしい姿から人に愛され、人に飼われることでその生を謳歌するものが多い。
日々、自堕落に食っては寝、食っては寝、戯れにすずめをおもちゃにし、人のひざの上に乗って愛でられる。
人の中には、このような飼い猫の生活に憧れる者もいるという。
くそくらえだ。
貴様たち人は、より多くの知識を蓄えることの出来る機会や時間がある。
学校なる無償で9年間学ぶ機会が与えられ、更に後7年学ぶのがこの国の人の人生のスタンダードだ。
私たち猫が16年も生きればそれはもう大往生だ。
私のような野良猫ではその半分のときも生きることは難しいだろう。
羨ましい。
知識を蓄えることが出来る人が。
羨ましい。
長きときを生きることの出来る人が。
私の抑えることの出来ない知的好奇心を満たせることの出来る種に生まれたかった。
と、今日も日々の鬱屈を吐き出してから寝床とえさを探しに行く。
最近のお気に入りの寝床は建築工事中の家だ。
雨風から木材を守るためにビニールシートがかぶせてあり、寝るときでも雨風を気にせず眠ることが出来る。
そこで働く大工たちに少しばかりの愛想を振りまいてやれば昼食に食べる弁当の鮭の切れ端などを頂くことも出来る。
食住たるこの住処は最近のベストプレイスだ。
なによりここでは食や住では満たせないものも得ることが出来る。
大工たちが梁の上に立って作業している様を観察する。
やはり人の御技は興味深い。木材や石をペースト状にしたもの、それらを組み合わせて立派な建物を作り上げる。ぜひにその方法を知りたい。
興味深く大工たちの仕事を眺めていると、後ろから手が伸びてきて抱きかかえられる。
「わぁー猫ちゃーん可愛いー」
触るな。邪魔をするな。
この少女は確か、この大工たちの棟梁の娘だ。
よく建築現場にきては棟梁に弁当を届けている。
この少女が私に餌をやる筆頭であるのであまり無碍にも出来ず、わずらわしくは思いつつも多少撫でさせてやってから腕の中から飛び降りる。
そうすると目の前に大柄で筋肉質、コワモテの男が立っていた。
彼が棟梁であり今私が学ぶべき御技を持つ男だ。
チッッチッチと棟梁が口を鳴らしながら私を呼ぶ。貴様の技術は学ぶに値するが、馴れ合うつもりはない。ふいっと首を振って日陰に向かう。
「チッ」
「猫ちゃんクールだねー。あはは体が伸びる伸びる。柔らかーい
ねぇお父さん、この猫ちゃん名前とかないの?」
「知らん」
「じゃあわたしが付けよっかな。うーん熱しにくく、柔らかいってモルタルみたいだよね。
モルちゃんにしよう!」
どうやら勝手に私の名を決めたらしい。傲慢な人め。ところでモルタルとは何だ?是非その解説をお願いしたいが。
そうして娘が棟梁に渡した弁当からエビフライを頂いて満足したところで日陰で休んでいると眠たくなってきた。
この猫という体は非常に睡眠欲が強い種族のようだ。
人の営みを見ていると尚更そう感じる。
彼らはまるで蟻のように身を粉にして働いているというのに。
私が人になれたならばよく学び、よく働く勤勉な人になれるだろう。
いかん瞼が落ちてくる。
意識がなくなる前に眩い光に包まれる感覚があった。
―その日世界は特異な猫を世界から弾き出した。
よく寝た。もう少しまどろんだ気分でいたいが、大工たちの仕事も見たい。大きく伸びをして辺りを見回すと違和感に気づく。
ここはどこだ?建築物が変にふるめかしい。建築していた家はもっと、古きよき時代の名残も残しながら、モダンなテイストも取り入れた、センスのよい家になるはずだったものだ。
ここにある家々はもっと稚拙な、簡素な方法で作られているように思える。
そのような民家がいくつか立ち並んでいる。
おかしい。私がいたのはもっと現代的な家が立ち並ぶ住宅街だったはずだ。
そして、もっと衝撃を受けたのはそこで暮らす人々の姿だ。猫の頭を持った人が木の上で昼寝している。人よりも2回り以上大きな体を持った人が畑を耕している。
この世界にはいまだ私の知らない種族がいたのか?猫の頭を持った人、彼とは話が通じるだろうか。
ふつふつと溢れ出る知識好奇心が抑えきれない。
自身の喉に感じる些少の違和感や妙に冴える頭に疑問を持たざるぐらいに。
ううんと側でうめく声がするが、思考が尽きない。気にしている場合ではない。
話しかけてみたい猫の人。でかい人が何を作るために畑を耕しているのか知りたい。
大きな人の影が後ろから自身を覆っても気がつかない。知識欲求が勝っている。
「モ、モルタルか?」
後ろから声がかけられる。そのような名前の奴など知らん。猫違いだ。
「・・・・」
問いかけられた声を無視して
ふらっと猫の人に近づこうとその場を離れようとすると長く伸びた尻尾を掴まれる。
「おいっ」
急に尻尾を掴まれたことと知的欲求を邪魔されたことに多大な不快感が生じた。
喉に空気を通し、威嚇音を出そうとした。
「じゃまをするにゃ!」
「なっ!?」「にゃっ!?」