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~ 逢魔ヶ刻  迎火 ~

 恨み、妬み、嫉み……。

 呪詛の念を抱きし者、その御霊を穢れた禍霊へと変えたり。

 禍霊をその身に宿し者、生きながらにして鬼となりけり。

――――お盆。


 古来より、死者の魂が現世に帰って来る日として信じられ、同時に先祖の霊を祀る一連の行事を指す言葉でもある。地域によって様々な形態があるものの、日本において知らない者はいないほどの有名な伝統行事だ。


 もっとも、核家族化の進む現代の日本では、大々的にお盆の行事を執り行う家も減っている。せいぜい、仏壇に飾り物や供え物をする程度で、後はそこまで大掛かりな祭事を行うわけではない。


 東京を始めとした大都会において、伝統行事を忠実に再現することは難しい。しかし、地方にある小さな農村では、未だに様々な伝統行事が昔のままの形で残されている。


 また、そこまで寂れた山村でなくとも、地方都市の中には、未だにその地域に根付いた伝統行事を忠実に再現しているところも存在する。君島沙耶香きみじまさやかの住むN県火乃澤町ほのさわちょうも、そんな町のひとつであった。


 沙耶香の家は、火乃澤町に古くから存在する名家の一つである。戦前より続く大地主の家系であり、その資産は億単位を下らないと言われている。


 戦後、GHQの財閥解体によって多くの名家が没落してゆく中、君島家だけは最後までしぶとく生き残り続けた。そして、今でもなお、この火乃澤町にて様々な分野に影響力があるというのだから末恐ろしい。戦前ほどの力はないにしろ、君島家の存在は未だ健在といっても過言ではないのだ。


 ところが、そんな君島家の娘であるにも関わらず、沙耶香は自分の出生を常に疎ましく思っていた。


 もとより、沙耶香は堅苦しい慣習や行事などが苦手な性格である。家柄などというものに縛られず、自分はもっと自由を謳歌したい。聞き入れられる願いではないと分かっていたが、それでも沙耶香は家系というものに死ぬまで縛り続けられるような生き方を、どこかで変えたいと感じていた。


 そんな沙耶香にとって、毎年、この季節の行事は苦痛以外の何物でもない。


 お盆となれば、君島家は町の中心として大々的に行事を取り仕切ることとなる。そのため、祭りの日が近づくと、家の中はいつにも増して大騒動になるのだ。


「こんなところにいらしたのですね、沙耶香様」


 自室の隅で本を読んでいた沙耶香を、家政婦の一人が呼びに来た。


「なあに……? 今、取り込み中なんだけど」


 読みかけの本を閉じ、沙耶香は仏頂面をして答える。大方、父の言いつけで、自分のことを探しに来たのだろう。


「沙耶香様。そろそろ、お出かけになられるお時間です。他の方々も、既に御支度はできておりますゆえ……」


「ああ、分かったわよ、もう! 全部言わなくっても、私だって、今日が何の日かってことぐらいは覚えているわ」


 まったくもって、うんざりだ。夏休みだというのに、この時期になると、のんびりと本を読むことさえもできやしない。


 読みかけの文庫本を本棚に戻し、沙耶香は着替えのために家政婦の案内する部屋へと向かう。どう考えても自分には似合いそうにない、昔ながらの古臭いデザインの着物を着るためだ。


 火乃澤町の盆踊りの中でも剣舞を扱ったものは、君島家によって取り仕切られる由緒正しいものである。町内には大きな神社もあるが、神社で盆踊りが行われることはない。


 もともと、盆踊りは仏教の影響が強いものだ。呪術的な要素を持ち合わせている部分もあるが、基本的には念仏の力によって、先祖の霊を清めるという考えが根底にある。そのため、神社のような神域ではなく、あくまでその地方の自治体が、公園などを利用して行うのが普通だ。


 祭りの一角を担う重要な存在ということもあり、この季節、君島家の人間は町の重役と顔を合わせることが多かった。自由奔放な性格の沙耶香には、それが何よりも苦痛で仕方が無かった。


 父や母の顔色を伺い、市議会議員やどこぞの会社の会長などが催した接待につき合わされる。それも、普段は着ることもなく、また着たいとさえ思わないような窮屈な着物を着せられて。


 正直なところ、これは沙耶香にとって最も耐え難い苦行の一つであった。会長の下手なお世辞に話を合わせ、下心丸出しの市議会議員に、さも好意があるように振舞わねばならない。こんな下らない茶番を毎年続けている父や母が、沙耶香には不思議でならなかった。


 本来は、先祖の霊を迎え入れて祀るための行事である御盆。その一環である祭事の席で、その場にいる殆どの人間が、先祖に対する畏敬の念を持ち合わせていない。


 まったくもって、歪んでいると沙耶香は思った。町の広場にやぐらを組み、大々的に迎え火を焚いたところで、そんなものは全て見せかけに過ぎないとさえ思えてきてしまう。


 だが、そんな沙耶香にとっても、この祭りには唯一の楽しみと言えるものが存在した。それが、火乃澤剣舞の名で知られる伝統芸能、通称、鬼剣舞おにけんばいである。


 鬼剣舞とは東北地方を中心に残る伝統芸能であり、岩手県北上市周辺のものは特に有名だ。火乃澤の剣舞も、そういった鬼剣舞の流れを汲むものの一つである。


 君島家が御盆の祭事に大きく関わっているのは、この鬼剣舞の存在が大きかった。何を隠そう、この鬼剣舞、主役級の役割を演じるのは全て君島家の人間と決まっているからだ。


 剣舞に登場する鬼は二種類。一つは仁王や明王を思わせる角の無い鬼で、もう一つは悪鬼を表す角のある鬼である。


 これら二種類の鬼の面を被った踊り手が、やぐらの上で剣を持って華麗な舞を見せるのだ。そして、その中央で踊る白面の鬼こそが、君島家の当主でもある沙耶香の父に他ならなかった。


 幼い頃、沙耶香もこの鬼剣舞に憧れて、何度も両親に練習させて欲しいと願ったものだった。母親に半ば無理やり習わされた日舞などよりも、ずっと刺激的に感じられたからだ。


 ところが、君島家の伝統により、この剣舞を踊れるのは男のみ。故に、沙耶香の鬼剣舞を習いたいという夢は未だ適わず、今年も観客の一人として眺めているだけである。


「はぁ……。やっぱり、いつ見てもこれだけは凄いって思っちゃうのよねぇ……」


 やぐらの上で舞う、白い鬼の面をつけた男。その者からは、いつもの古臭い考えに縛られた父親の姿は感じられない。普段は家柄だの血筋だのに雁字搦めにされているとしか思えない父が、どういうわけか、舞台の上では実に生き生きと躍動して見えるのだから不思議だ。


(鬼剣舞……。やっぱり、いつか私も踊ってみたい……)


 そんなことを考えている間にも、今年の祭りは既に終わりに近づいていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 結局、その日は祭りの終わった後も、父と母につき合わされる形で接待に同席させられた。折角、年に一度の素晴らしい剣舞を見たというのに、これではなんだか興醒めしてしまう。


 とくに、酒の席での父は酷かった。酒乱というわけではないのだが、名家の威光を振りかざしての図々しい態度は見ているだけで辟易してしまう。これが本当に、あのやぐらで剣舞を演じていた白面の鬼と同一人物かと思うと、ますます気持ちが醒めてゆくのが分かる。


 沙耶香の父は、相手が会長であろうが議員であろうが容赦が無い。酒が入って気持ちも高揚しているのか、実に大きな態度で、のべつまくなしに自慢話を繰り広げている。身内ということも相俟って、隣にいる沙耶香は、そんな父の姿を肩身の狭い思いで見守っていた。


「ああ……。結局、今年もこんな終わり方か……」


 深夜、酒の席から開放され、沙耶香は独り自室へと戻った。


 寝巻きに着替え、沙耶香は早々に布団にもぐりこむ。特に大酒を飲んだわけでもなく、増してや馬鹿騒ぎをしたわけでもないのに、全身が耐え難い疲労感に包まれて仕方が無い。こういう時は、何も考えずさっさと寝てしまうに限る。


 そう思って布団に入った沙耶香だったが、その日に限って妙に寝苦しかった。部屋の空気は全体的に重く、湿度も決して低くは無い。まるで、妙に生暖かい何かが、全身に圧し掛かってくるかのような不快感を覚えるのだ。


 こんな日に限って眠れない。鬼剣舞こそ楽しみだが、やはり御盆は苦痛になることの方が多い。そう、沙耶香が考えた時だった。



――――ピシッ!!



 何かが軋む様な音がして、同時に沙耶香の身体が一瞬だけ痙攣した。何事かと思って起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。まるで、何か見えない力によって、全身の自由を奪われているかのようである。


(な、なにこれ……!? もしかして……金縛り!?)


 頭の中で言ってみたが、言葉には出なかった。代わりに出たのは、空気が微かに漏れるような、か細い吐息だけだ。



――――ピシッ……ピシッ……ピシッ……!!



 奇妙なラップ音が、徐々にこちらへと近づいてくる。身体から脂汗が噴出し、喉の奥に下が貼りつかんばかりに乾燥する。そして、部屋に響く怪音が一際大きくなった時、それに混じって誰かの歌声のようなものが聞こえてきた。



――――かごめ かごめ ……



(ちょっと……なんなのよ、これ!?)



――――かごの なかの とりは ……



(やだ……! だんだん、近づいてくる……)



――――いついつ でやる ……



(やめて……。こっちに来ないで……!!)



――――よあけの ばんに ……


――――つると かめが すべった ……



(嘘! どうして動けないの……!?)


 いくら焦っても、身体はいっこうに言う事を聞かない。そればかりか、今では沙耶香の頭の上を、なにやら奇妙な影達が列を成して歩いているのがわかった。


 空中を漂うようにして、天井の近くを歩いてゆく無数の影。それを見ているだけでも十分に恐ろしかったが、恐怖はそれで終わらなかった。



――――うしろの しょうめん だあれ ……



 最後の歌詞が歌われたその時、沙耶香は今までに無い悪寒を感じて思わず息を呑む。


 歌が終わると共に、列から離れるようにして、一人の女性が姿を現した。暗がりで顔まではっきりとわからなかったが、そのモノが女であることだけは、なぜか沙耶香には確信が持てた。


「あ……あ、あ……」


 声にならない声をあげ、沙耶香は自分の目の前に現れた何者かに、懸命に抵抗を試みる。が、それでも身体は全く動かず、時間ばかりが過ぎてゆく。沙耶香の枕元に立つその女性は、ただ何もせずに黙って沙耶香を見つめているだけだ。


 静寂に包まれた暗闇の中、時間だけが経過していった。その間にも、周囲の空気は否応無しに沙耶香の胸を押しつぶさんと圧し掛かる。


 このままでは、こちらの精神の限界だ。そう思った矢先、沙耶香の顔を覗き込んでいた女性の姿がふっと消えた。同時に、身体を縛り付けていた何かも解かれ、沙耶香はほっと安堵のため息をついた。


 いったい、今のは何だったのか。なぜ、自分のところに現れたのか。様々な疑問が湧いては消えていったが、沙耶香がそれらの疑問について答えを出すことはなかった。


 金縛りと共に己の精神を縛っていた緊張の糸。それが一気に解かれたことで、沙耶香はいつしか気を失ってしまったのだ。



挿絵(By みてみん)

 本作品は一部に暴力的な表現を含みますが、これは作中の暴力行為その他を推奨するものではありません。


 また、一部の人間が差別的な考え方に囚われて非道な行いを働いたり、それらの人間が法ではなく、個人の意思や超常的な存在によって裁かれる描写が存在します。

 これらの描写に対して政治的道徳観、及び宗教観から不快な思いをされる可能性がある方は、これより先の内容を読むことを控えるようお勧めいたします。

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