三十一話 騎士達の地獄からの脱出とオッサンの誓い
パワーアーマーの重厚な金属音が、研究施設の通路に殺風景に響く。
パラディン・ジョンと数人の騎士達は、得体の知れない資料サンプルを積んだバックを抱え、船倉の通路を無言で進んでいた。
自分達の足音。
しかし、その喧騒の隙間、不自然なほど静寂なタイミングで、奇妙な音が混ざり始めた。
……ペタペタ、ペタペタ。
濡れた雑巾を引きずるような、粘り気のある軽い足音。
重装甲の騎士達の足音とは明らかに異なる、非人間的な気配。
ジョンが鋭く手を挙げ、全員が凍りつく。
背後に感じた明確な冷気と気配に、ジョンが光子ライフルを構え振り返る。
その場には、床に残された赤い痕跡を執拗に追い、舌で拭い去ろうとする少女の姿があった。口許を赤く染めながら、何かに取り憑かれたような様子で床を舐めいる。
激しい動きで床を舐めていた少女が、不意にその動きを止めた。
ゆっくりと顔を上げ、ジョンたちを見上げると、その表情は異様な笑みに歪んでいた。震える声で彼女は問いかける。
「ねえ……その殻の下には、もっと熱くて、どろどろした『命』が詰まっているんでしょう?」
少女の喉から漏れたのは、およそ人間が発せるはずのない、湿り気を帯びた低い地鳴りのような笑いだった。愛らしい面影は一瞬で剥げ落ち、その瞳には獲物を値踏みする捕食者の冷徹な殺意が宿る。
「さっきのモニターに映っていたのは、君か……! 待て、早まるな! 我々に戦う意思はない!」
ジョンの必死の叫びは、粘りつくような空気の震えに掻き消された。少女の輪郭が内側から爆ぜるように歪み、骨が軋む不快な音を立てて膨れ上がっていく。もはやそこにあるのは「人」ではなく、数多の肢と粘膜がのたうつ、冒涜的な異形の塊だった。
「機関室前にいたあの化け物は……お前の一部だったというのか……!?」
理性が「対話は無意味だ」と警鐘を鳴らしていたが、溢れ出す恐怖に抗うように、ジョンは震える声で問いを投げた。
「お兄さんたち、すごくいい匂い。前の大勢のご飯も美味しかったけど恐怖で熟しきったその中身も美味しそう、一滴も残さず啜ってあげる……」
その言葉に背筋を凍らせながらも、ジョンは不敵に笑って言い返した。
「あいにくだが、そんなにガツガツしたお嬢ちゃんは好みじゃないんでね!」
怒りに狂った怪物が耳を劈く声を上げると、船倉に並ぶコンテナが次々と破砕された。中から這い出した分身たちは、一つ一つの細胞が引き合うように融合を繰り返し、瞬く間に船倉を埋め尽くすほどの巨大な肉の山を築き上げていった。
「……おい、バスチス。これで納得したか? 合わない計算の『答え』が、これだったってわけだ」
ジョンがわざとらしく持ち出したのは、バスチスがずっと執着していた、乗船時の人数と救助した人数の不自然な差。――足りなかった人間たちは、消えたのではなく、この「肉の山」の血肉として、今も目の前で蠢いているのだ。
「鬼ごっこの始まりよ。さあ、必死に逃げてみて。私の『糧』たち」
少女の面影はもうどこにもない。肥大化した肉塊が、湿り気を帯びた地鳴りのような声で宣告した。その瞬間、この場が死地であることをジョン達は理解させられた。
悍ましい肉の群れが、うねりを上げて視界を埋める。ジョンはパワードスーツのウェポンベイからクライオガンを強引に引き抜き、冷凍弾を掃射。騎士たちも光子ライフルで援護する。怪物は凍りつき、動きを止めた。
だが、全方位から迫る肉の壁に終わりはない。次々と新たな肉塊が表面を覆い尽くす。弾切れの警告音。凍結弾もレーザーも、この貪欲な肉の塊には徒労だった。
「退却しろ!!」
ジョンの怒号に、騎士達は船倉の出口へと転がり込み、隔壁を閉じた。
「「「「「死ぬかと思ったな……!!」」」」」
ホッとしたのもつかの間に隔壁が叩かれる。
ズドン!!ズドン!!!メキメキ!!ビキビキ!!
安堵は霧散し、鼓膜をつんざく悲鳴へと変わった。
閉ざしたはずの極厚の金属障壁が、内側からの狂気的な打撃を受けて歪み、金属が断末魔のような悲鳴を上げる。
「嘘だろ…10センチくらいある装甲が!?」バスチスが恐怖に声を裏返した。
「怪物め…!死にたくなければ走れ!業務エレベーターへ!」ジョンの咆哮が響く。
パワーアーマーが重々しい鉄の足音を響かせ、死の通路を駆け抜ける。
ジョンは作戦本部へと、通信を行いながら走る。
「こちらパラディンのジョン!大型のアボミネーションと交戦、現時刻をもって撤退する!」
ジョンは喉を潰さんばかりに吠え、通信機に縋った。
「許可する。エレベーター出口付近の甲板横に迎えを出す、死ぬなよジョン!」
「了解……我らが主よ!」
通信が切れると同時に、逃れようのない「死」が背中を撫でた。
鉄を咀嚼する異形な音。
重厚なパワーアーマーの足音さえ掻き消すほどの、圧倒的な質量がすぐそこまで迫っている。
ほの暗い通路の先から、生物学的な理屈を無視した「捕食者の飢え」が、冷たい風となって彼らの首筋を濡らした。
ジョンたちは死に物狂いで業務用エレベーターへ逃げ込み、閉ボタンを連打した。ゆっくりと上昇するエレベーターの扉の隙間から、ドロリとした何かが垂れてきた。
「つかまえた」
地の底から響くような声を出して、少女だった肉塊が追い付いてきた。
業務エレベーターに負荷がかかっているのか、悲鳴のようなきしみ音を上げる。
ヤバイと思ったジョンは扉に向けて光子ライフルを乱射し、周りの騎士たちもそれにならい、これでもかと撃ち込んだ。拘束が切れ、エレベーターは急上昇を開始した。
奈落の底から響く異形の咆哮と、金属を紙のように引き裂く断末魔。鼓膜を震わせる狂気の音響は、永遠とも思える120秒もの間、彼らの精神を削り続けた。ようやく昇降機が上層へ辿り着くや否や、ジョンたちは這う這うの体で脱出し、背後の死地を振り切るように、命からがら甲板の回収地点へと走り出した。
そこには、帰還ヘリの傍らで、主たる信雄が彼らを待っていた。
「ご苦労。先に帰っていろ!」
信雄のあまりに予想外な一言に、ジョンは驚愕しつつも抗弁する。
「正気ですか主殿! 相手は人智を超えた化け物だ、今は一時撤退を……!」
「黙れ。解析の結果、奴の『正体』は判明している」
背後に広がる死地を、信雄の凍てつく視線が射抜いた。
「奴を海に逃がせば、世界が終わる。……行け、奴は俺が仕留める!」
直後、絶大な重力魔法が艦を深淵から強引に引き剥がした。信雄は風を纏い、重力を支配下に置く多重同時展開によって、一人虚空へと舞い上がる。
それを見たジョン達は、説得を諦め、指示に従った。
離脱するヘリが高度を上げ、空中戦艦へと舳先を向けたその時――轟音と共に豪華客船の甲板が弾け飛ぶ。裂け目から這い出したのは、かつての面影を無惨な肉塊へと変え果てた少女。異形の怪物と化した彼女と、独り魔法を展開し、信雄が対峙した。
勝負は、対峙という名すらおこがましい一方的な蹂躙だった。
信雄は、重力魔法で天空へと吊り上げた巨大な豪華客船を、重力魔法でさらなる超重圧をかけて圧壊させる。怪物が上げる断末魔の絶叫を冷徹に黙殺し、ただひたすらに圧力を加え続けた。
数万トンの鉄塊が凝縮され、発生した超高熱があらゆる物質を瞬時に蒸発させる。やがて豪華客船は、バレーボール大の超高密度鉄球へと成り果てた。信雄はそれを淡々と「ストレージ」へと放り込む。
刹那の黙祷を終え、彼は背を向けた。空中戦艦へと戻る最中に信雄は誓った。
この世界の惨劇の凶魁に、死を以て償わせる――信雄の瞳には、静かな殺意が宿っていた。
こうして、多くの命を呑み込んだ豪華客船の惨劇は、一人の男の帰還とともに、静かに幕を閉じるのだった。




