第7話 落とし物は心の音
冬の朝。
商店街のアーケードには、古いスピーカーから昭和歌謡が流れていた。
高峰修二は、コンビニの安い肉まんを片手に歩く。
冷たい空気に、湯気がふわりと立ちのぼった。
そのとき――肩を軽く引かれた。
「探偵さん、ちょっと……困ってるんです」
振り向くと、商店街の文具店の店主・**熊谷**が立っていた。
丸顔で、普段は陽気だが、今日は眉間に深い皺が寄っている。
「昨日の夕方ね、店の前に“財布”が落ちてたんですよ。
中には5千円と……これが入ってた」
熊谷が差し出したのは、折りたたまれた小さなメモ。
丸い字で、ただ一行。
『また明日、ここへ来ます。お話ししたいです。』
差出人の名前はない。
「財布はどうしたんだ?」
「商店街の交番に届けたんですが、『持ち主が来るまで預かったほうがいい』って言われて戻されたんです」
「それで“明日”って今日か」
「そうなんですよ。でも、だーれも来ないんだ……」
時計の針はすでに夕方5時に近い。
「なんとなく、ほっとけなくてね……探偵さん、見てもらえませんか」
高峰は財布を手に取った。
安物の合皮。
だが、丁寧に使われている。
小銭入れに、音楽フェスの半券が一枚。
去年の夏のものだ。
裏には、油性マジックで小さなハートが書かれていた。
「恋だな」
高峰が呟くと、熊谷は目を丸くした。
「えっ、な、なんでわかるんです?」
「男の字だ。大ざっぱだが、不器用な優しさがある」
「……そんなの、字でわかるんですね」
「長くやってるとな」
長谷川が現れて言う。
「探偵さん、ただの恋文ならいいですけど……会えなかった理由が“事件”じゃないといいですね」
高峰は、財布の中の一枚のレシートを指で弾いた。
“夜の音楽スタジオ/1時間—500円”
二人が向かったのは、商店街のはずれにある古い音楽スタジオ。
ドアを開けると、ギターの音が微かに響いていた。
受付にいた青年に財布を見せると、顔色を変えた。
「……これ、佐伯くんのじゃないですか?」
青年は言った。
佐伯は最近、夜になると一人でギターを弾きに来ていたが――
その数日前、突然倒れ、救急車で運ばれたという。
「病院は……?」
「市立総合病院です」
高峰と長谷川は駆け出した。
市立総合病院の一室。
白いシーツの上で、若い男が静かに眠っていた。
点滴の管が腕に伸びている。
佐伯――二十代前半。
過労による軽い心不全だったが、あと少し遅ければ危なかったと看護師は言った。
枕元には、ボロボロのメモ帳が落ちていた。
ページには短い文章が繰り返されている。
『会って話したい』
『ちゃんと伝えたい』
『また笑ってほしい』
そして最後のページに、たった一行。
『財布を落としたのはわざと。気づいてほしかった』
高峰はため息をついた。
「バカだな……この男は」
「ですね。でも、いいやつです」
長谷川が苦笑した。
数日後。
夕暮れの商店街に、佐伯と、彼が思いを寄せていた女性――**遥**が現れた。
遥は財布を胸に抱いていた。
「……どうして、こんな回りくどいことを」
佐伯は顔を赤くして俯く。
「……気づいてほしかったんだ。君が、僕をちゃんと見てくれるかどうか」
「そんなの……言ってくれれば良かったのに」
遥は涙を浮かべた。
「倒れるくらいなら……会いに来てよ」
その言葉に、佐伯の肩が震えた。
高峰は遠くから二人を見て、ぼそりと言った。
「心の音ってのは、拾ってもらえるまで響かないもんだ」
長谷川が隣でうなずく。
「でも、誰かが拾い上げれば――届くんですよね」
「まあな。渋柿でも、時間が経てば甘くなる」
商店街のスピーカーから、また昭和歌謡が流れた。
二人の影が重なって伸びていく。
冬の風はまだ冷たい。
だがどこか、やさしい夕暮れだった。




