第5話 凍てつく街の灯
冬の風が、街のネオンをゆらめかせていた。
下町の屋台では湯気が立ちのぼり、行き交う人の吐息が白い。
高峰修二は、安いカップ酒を片手にひとり歩いていた。
十年前に失ったものを思い出す夜は、酒がいつも苦い。
そのとき――背後から声がした。
「相変わらず寒そうな顔してますね、探偵さん」
振り向くと、若い刑事・長谷川蓮が立っていた。
前に事務所を訪れた青年だ。
まだどこか青臭いが、目はあの頃よりも鋭くなっている。
「今度は何の用だ」
「事件です。……そして、あなたに関係のある事件です」
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警察署の資料室で、長谷川はファイルを開いた。
「3日前、空き家で身元不明の男性が発見されました。持っていた免許証の名義が――石井隆司」
高峰の胸が強く鳴った。
「……あの青年は、もう十年前に――」
「ええ。ですが、この“隆司”という人物は偽名を使っていた可能性があります」
ファイルの中には、似た顔立ちの写真。だが別人だ。
年齢も、背格好も、十年前の“彼”と同じ。
まるで――生きていたかのように。
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翌日、高峰と長谷川は現場の空き家を訪れた。
埃をかぶった床に、古いタイプライターが残されていた。
紙には途中まで打たれた文章がある。
『あの日の刑事に、もう一度会いたい』
高峰は拳を握りしめた。
「あの日……俺のことか」
長谷川が小声で言った。
「この“石井隆司”という名前、偽名だったかもしれません。
本名は――“石田竜二”。十年前、あなたが誤認逮捕した事件の真犯人です」
空気が凍った。
「つまり、あの青年を死なせた本当の犯人が……生きていたってことか」
「ええ。そして、最後にあなたに“会いたい”と書き残した」
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夜、二人は河川敷に向かった。
遺体発見現場から少し離れた土手に、小さな供え花があった。
そこに立っていたのは一人の女性――石井春香、あの青年の妹だった。
「あなたが来ると思ってました」
「春香さん……」
「兄を死なせた人を、私はずっと恨んでいました。でも……本当は、あなたも同じように苦しんでたんですね」
春香は、遺品の中にあったメモを差し出した。
『罪を償うために、彼(高峰)に真実を伝える。これが俺の最後の仕事だ』
石田竜二――真犯人は、病で余命を知り、自分の罪を暴露するために戻ってきていた。
だが、途中で命が尽きたのだ。
「結局、あいつも“渋柿”だったのかもしれないな」
高峰の声は、風に溶けていった。
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事件後。
長谷川は事務所のドアをノックした。
「探偵さん、俺、あなたとまた組みたいです」
「刑事が落ちこぼれ探偵と組むなんて、出世に響くぞ」
「いいんです。俺、渋柿派なんで」
高峰は苦笑しながらコーヒーを二つ淹れた。
「渋いのは慣れてるが、焦げてるかもしれんぞ」
「それでいいです」
二人の笑い声が、静かな事務所に溶けていった。
外では、雪が小さく舞っている。
過去はもう変えられない。
だが、それを背負ったままでも――前に歩ける。
高峰修二は、再びコートを羽織った。
渋柿探偵、まだ甘くなりきらないままに。




