第3話 拾われた嘘
冬の匂いが、商店街のアスファルトに降りていた。
暖簾の向こうから漂う焼き芋の甘い香りを横目に、高峰修二はポケットに手を突っ込んで歩いていた。
依頼は減り、電気代の請求書だけが積もっていく。
「渋柿探偵」なんて呼ばれ始めたのも、皮肉なあだ名だった。
渋いが甘くない。つまり、頼りにならないという意味だ。
そんな折、事務所のドアを叩く音がした。
「すみません、探偵さんですか?」
現れたのは三十代前半の女性――西川絵里。厚手のコートの袖を握りしめている。
「実は、ある人を探してほしいんです」
「ある人?」
「……嘘をついたまま、いなくなった人です」
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話を聞くうちに分かった。
絵里の弟・悠太が一週間前に姿を消したのだ。
勤め先にも行っておらず、部屋には「ごめん」というメモと、見知らぬ男の名刺が一枚残されていた。
「弟は優しい子なんです。でも、昔から嘘をつく癖があって……」
「どんな嘘を?」
「“大丈夫”って、いつも言うんです」
高峰はうなずき、名刺を裏返した。
そこには古びた喫茶店「アカシア」の名前。
――奇妙な偶然だ。自分も昔、よく通っていた場所だった。
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翌日、「アカシア」の扉を押すと、ベルがかすかに鳴った。
カウンターの向こうには、年老いたマスター。
「悠太くん? あぁ、数日前に来たよ。ちょっと泣いてた」
「何か言ってました?」
「“姉ちゃんに嘘をついた”ってな」
マスターが差し出したコーヒーカップの下には、小さな封筒が置かれていた。
「預かりものだ。あんた、探偵だろ?」
封筒を開くと、そこには一枚の写真。
小さな男の子が、ボロボロの犬を抱いて笑っている。裏には走り書き。
『俺のせいであの犬を助けられなかった。あのときから、ずっと嘘をついてきた。姉ちゃんに“気にするな”って言われたけど、本当は怖かったんだ』
高峰は無言でコーヒーを飲み干した。
胸の奥が、鈍く痛んだ。
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翌晩、高峰は河川敷を歩いていた。
街灯の下に、コートを着た青年が立っている。
――悠太だ。
「探偵さん……どうして俺を?」
「姉さんが、嘘をもう一度信じたいって言ってた」
青年は苦笑した。
「嘘を信じるって、変ですね」
「俺もそう思う。でも、人は時々、信じたい嘘の方が優しい」
しばらく沈黙が流れたあと、悠太は小さくつぶやいた。
「姉ちゃんに……“大丈夫”って、もう一度言いたいです」
高峰はポケットから折れた煙草を取り出し、指先で転がした。
「なら、言ってこい。渋柿だって、時間をかけりゃ甘くなる」
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数日後。
絵里が事務所に訪れ、深々と頭を下げた。
「弟、帰ってきました。本当にありがとうございます」
「俺は何もしてませんよ。拾ったのは、あの子の“嘘”だけです」
絵里が微笑んで出ていったあと、机の上に残された小さな包みを開ける。
中には、干し柿がひとつ。
添えられたメモには、こうあった。
『渋柿探偵さんへ あなたの味、きっと甘くなりますように』
高峰はそれを見つめ、静かに笑った。
外の風が、冬の匂いを運んできた。
少しだけ、あたたかかった。




