最終話 冬晴れの肖像ー後編ー
夜の帰り道。
フードの女性――美帆のもう一人の妹・ 杉山真理 は涙をこぼしながら語った。
「姉は……三年前に亡くなったはずなのに。
家の裏庭に……雪の上を歩く姉の影があったんです」
長谷川が慎重に尋ねる。
「それは……人違いとかじゃ?」
真理は首を振る。
「後ろ姿だけど、わかるんです。
姉が好きだった淡いグレーのコート……あれを着て、家の影に消えていって……」
高峰は、真理の言葉をすべて飲み込むようにゆっくりと頷いた。
「……分かった。この事件……核心に触れるぞ」
長谷川が息を呑む。
高峰は、冬空を見上げながら言った。
「明日、杉山家をもう一度ひっくり返す。
“誰が雪を踏んだのか” それだけ突き止めれば真相は出る」
翌朝の杉山家。
父・正巳、妹たち弥生と真理がそろっていた。
家族の空気は、どこか限界まで張り詰めている。
高峰は家中を歩きながら、指先で壁や床の“温度”を確かめていた。
長谷川が小声で言う。
「温度で分かるんですか?」
「冬は便利だ。嘘をつけない場所が多い」
そして――
美帆の部屋のクローゼットの前で立ち止まった。
普通なら寒いはずなのに、
その“奥だけ” わずかに暖かい。
長谷川が息を呑む。
「まさか……」
高峰はクローゼットを開け、内部の壁を押した。
カチッ
薄い壁が横にスライドし、
奥に“狭い隠し部屋”が現れた。
杉山家の全員が凍り付いた。
その隠し部屋の中。
そこにいたのは――
痩せこけた中年の男だった。
布団に横たわり、弱った目でこちらを見ている。
弥生が震える声で叫ぶ。
「……義兄さん……!?」
そう――
美帆の元夫、 杉山浩一。
事故のあと消息不明となっていた“家族の失踪者”。
浩一は、力のない声で呟いた。
「……見つかったか……」
長谷川が叫ぶ。
「あなた……三年間もここに!?」
浩一はうっすら笑った。
「いや……ずっといたわけじゃない。
ただ……去年の冬からは、ほとんど外に出られなくなった」
高峰は静かに訊いた。
「美帆さんは、事故なんかじゃなかったな?」
父・正巳が杖を強く握りしめた。
浩一は、息を整えながら話し始めた。
「美帆は……殺されたんじゃない。
自分の身を守るため、俺を家族から隠していたんだ」
話はこうだ。
──浩一は3年前、仕事の失敗で多額の借金を抱え、精神的に不安定になった。
──美帆は夫をすべて背負い込んだ。
──しかし杉山家は“娘を傷つける夫”として浩一を強く拒絶。
──家族と夫の板挟みに苦しみ、美帆は限界寸前だった。
そして、ある冬の日。
雪の坂道で浩一をかばうように転倒――
美帆は頭を強く打ち、そのまま帰らぬ人になった。
浩一は涙をこぼす。
「彼女は……最後まで家族に何も言わなかった。
俺を守るために……全部、自分がかぶった」
弥生も真理も、父・正巳も言葉を失った。
長谷川が震える声で問う。
「じゃあ……“三年前に殺されました”という手紙は?」
浩一は首を振る。
「俺じゃない。……そんな文面、書けるはずがない」
高峰は横目で弥生を見る。
弥生は唇を震わせた。
「……私です」
真理が振り向く。
「弥生……?」
弥生は泣きながら言った。
「姉の死を“事故”だと父は決して疑わなかった。
でも私は……姉が無理していたのを知っていた。
誰かが助けてほしいって叫んでいる気がして……」
「だから、あなたが“死者の声”を代わりに書いたのか」
弥生は頷く。
「この家の秘密を暴くために……どうしても高峰さんに来てほしかったんです」
長谷川が思い出して言う。
「でも、雪の上の足跡。
姉のコートを着た人影は……?」
高峰が答える。
「浩一だ」
真理が叫ぶ。
「えっ、姉じゃなかったの!?」
浩一は弱々しく頷いた。
「……寒さが和らいだ日に、
美帆の形見のコートを着て庭に出た。
彼女と一緒に歩いた庭を、最後に見たくて……」
冬の庭に残った足跡。
人影の勘違い。
すべては、美帆を想い続けた夫の行動だった。
事件は、
「犯人はいない」
「幽霊もいない」
ただ――
“言えなかった愛”と“隠された苦しみ”だけが降り積もっていた。
父・正巳は涙をこらえながら浩一に言った。
「……すまなかった。
娘を守れなかったのは……私だ」
浩一も泣きながら頭を下げた。
「俺も……もっと彼女に寄り添うべきでした」
家族四人が、
三年ぶりに“同じ場所で”涙を流した。
帰り道。
長谷川が、いつになく静かに話しかけた。
「……高峰さん。
あの家族、今日からやっと前に進めますね」
高峰は、冬晴れの空を見上げた。
「冬はな……影が伸びる。
放っとくと、心の中で固まっちまうんだ」
長谷川は微笑んだ。
「でも、高峰さん。
今日、誰よりも“影を溶かした”のはあなたですよ」
高峰は照れたようにコートの襟を立てた。
「あー……寒ぃ寒ぃ。
こういう日は、あったかい渋柿茶に限るな」
そして、
高峰と長谷川は夕日の中へと歩き出した。
冬晴れの空に、少しだけ暖かい風が吹いた。




