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第6話 十年、さすがに重すぎるって

 ガタガタと、悪路を行く装甲車の振動が、疲れている心も身体も「休むことは許さない」とあたしに言っているようだった。


 窓の外を見れば、荒廃した平原が広がっている。

 都市の外に暮らす人々の建物こそちらほらあれど、そのどれもが崩壊していて、人の生活圏には到底思えなかった。


「何から、お話しすればよいのでしょう……」


 差し出された服に着替えて、しばらく。

 あたしたちの前方、車内で向かい合うように座っているイルセナリアが、気まずそうに目を伏せる。

 知ってる。知ってるんだけど、口にした瞬間に現実になる気がして。

 この十年で何が起きたのかを語れと言われても、ちょっと悩んじゃう。

 知っているからって、全部割り切れてるかと言われると、そうじゃないからさ。


 そんなあたしらの沈黙を破るように、リーネが口を開いた。


「クレストリアは滅亡した、とシリウスさんが仰っていました。それは、本当なんですか?」


 答えなくても、今見てきたものを考えれば、わかってしまうような当たり前な質問。

 

 あの国の王女として、僅かでも希望があるなら。

 リーネの不安に揺れる琥珀の瞳が、そう言っているように見えた。


「……はい。十年前、大深淵の監視者だった断界機ソルファリオの暴走が引き金となり、結界が崩壊。世界は一年ともたず、深淵の波に呑まれてしまいました」


 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 ゲームと同じだ。同じであって欲しくなかったけど。


「クレストリアの民の一部は聖都で暮らしている、とも聞きました」

「あの災厄を生き延び、聖都に辿り着いた者はこちらで保護しています。クレストリア国民の約一割……いえ、二割ほど、でしょうか」


 具体的な数字を知って、リーネは一瞬言葉を失った。

 二割───そう訂正するイルセナリアの声が、かすかに震えていた。あたしたちを気遣って数字を少し盛ったんだな、多分。


「この破局で何が起きたかを、語らなければなりませんね」


 イルセナリアは両手を差し出し、「触れてください」と静かに言った。

 あたしとリーネは一度顔を合わせて頷き、そっと彼女の手に触れる。


「目を閉じて……今から、わたくしが見たものを、あなた方にお見せします」


 言われるままに目を瞑ると、ぽっ、と目の前で魔力が熾った。

 瞼で遮られているはずの真っ黒なスクリーンに、鮮明な映像が浮かび上がる。


 山の向こうから津波のように押し寄せる黒い波。

 それに呑まれ、消えゆく人々。

 泥の塊を纏う怪物。人々の怒号。そして―――戦いの日々。


 終末を受け入れる者、知ってなお抗おうとする者。

 この脅威に対する人々のスタンスは二つに分かれて、戦争が起きた。

 泣き叫ぶ人々、焼かれた旗、同じ人間を切る兵士、聖職者たちの祈り、焼き討ちに遭った村。断片的な光景が次々に押し寄せてくる。


 深淵と、戦争、その二つの要因が重なって、多くの命が消えていった。


 そう……あたしはこの光景を知っている。

 

 だって見てきたから。

 公式が補完として動画サイトに上げてた、失われた十年の映像。


 あの時はモニター越しだったけど。


「これは……現実、ですか……?」


 リーネが信じられないといった表情で、口元を押さえている。

 イルセナリアが見せた十年は、そのほとんどが人類同士の争いの歴史。

 深淵という脅威が間近に迫っているのに、延々と内ゲバを繰り返しているという歪な光景。

 そりゃ、信じられないのも無理はないよね。


 こくり、とイルセナリアは無言のまま頷く。


「これが、わたくしが祈の聖女として見届けた、十年の全てです」


 イルセナリアは淡々としていて、それでいて言葉の端から僅かな失意をこぼす。

 祈の聖女として神託を授かる彼女は、人々が滅びゆく様を見ているだけで、止められなかったことを悔いていた。


 ガタン、と大きく車体が揺れて、意識が現実に引き戻される。


 さっき見たのは、夢でも、ゲームのムービーでもない。

 あの十年は、確かにこの世界に刻まれた「現実」なんだ。


「こんな……ことが……」


 リーネがか細い声で呟く。

 あたしは何か言わなきゃ、って思うのに、喉の奥が変に詰まってうまく言葉が出てこなかった。


 だってさ、知ってたから。

 知ってたくせに、実際に突きつけられて、何も言えなくなってる自分がちょっとムカつく。


 ゲームで散々見て、泣いて、二次創作で「それでも抗う人々」みたいなポエミーなSSまで書いてたくせにさ。

 いざ中に放り込まれたら、何もできてない。


「人々は何故、力を合わせなかったのですか?」


 リーネが問う。

 イルセナリアが見せてくれた十年には、ちゃんと「深淵と戦っている人たち」もいたはずなのに、リーネの口から出てきたのはそっちじゃなかった。


 あぁ、そうだよね。

 あの子の視線は、いつだって「人」に向いているんだ。


「……恐怖はとても容易く、人々を分かつのです」


 イルセナリアの返事は、静かで、少しだけ、自分を責めているみたいな響きがあった。


「世界の終わりを前にしても『まだ自分たちは大丈夫だ』『あれはあの国の問題だ』と、そう考える者は多くいました。誰かを責めることは、簡単ですから」


 誰かを責める。

 あたしもやったなぁ、それ。ゲームの時さ。


 なんでこいつら内輪揉めしてんだよ、ばっかじゃないの? 世界滅ぶんだぞ!?

 ってさ……モニターの前の安全圏から、好き放題言ってた。


 今、その「ばっかじゃないの?」って言葉が、ブーメランみたいに自分の胸に刺さってる。


 だって―――あたしだって、世界を救うって啖呵切っといて、ソルファリオ一体倒しただけで「よし!」って一瞬でも思っちゃったんだから。


「……ですが、混沌とした闇の中で、それでも火を絶やさない者もいます」


 沈黙しかけた空気を、イルセナリアがそっと繋ぎ止める。


「深淵と戦うことを選んだ指導者、避難民を受け入れ続けた国々、自分たちの土地を最後まで守ろうとした人々。そうした小さな灯火が、完全に消えることはありません」


 あぁ、知ってる。

 マップに点々と出てくる小さな拠点。

 クエストで手伝いに行くと、「よく来てくれた!」って笑ってくれた人たち。


 だからだよ、あたしがそれでも世界を守りたいって思えるのは。


「フレアリスは、その灯火をひとつでも多く守るための砦です」


 イルセナリアがこちらに視線を戻す。

 その瞳の奥には、さっき見せてくれた十年分の記憶が全部詰まっているみたいだった。


「……フレアリス。聖都は今、どうなっているの?」


 思わず聞いていた。

 そんなこと知っていたのですか? と、隣で驚くリーネの顔がそう言っている。

 それが少し、作り物のようにも見えたけど。


 残火の聖都フレアリス―――ゲームだと、そこは主人公たちの拠点であり、心のオアシス。

 みんなが笑っていて、時々泣いていて、それでも前に進もうとしている場所。


「健在です。わたくしたちは、その聖都からやってきたのですから」


 イルセナリアは両手を組みなおすと、軽く魔力を込めた。

 車内に、小さな立体地図が浮かび上がる。

 夜の中に散らばる光の粒。大きいのはたった一つだけで、残りは、触れれば消えてしまいそうなほど小さい。

 何かどこかで見たな……あぁ、あれだ。宇宙から見た夜の地球の衛星写真。


「これが、現在確認されている人類の拠点です。情報の届かない場所にも生存圏があるとは思われますが……それでも、世界は既に、深淵のものと言って差し支えないでしょう」


 その言い方はあまりにも淡々としていて、逆に重かった。


「聖都フレアリス……この今最も輝きを放つ光こそ、わたくしたちの最後の砦。クレストリアからの避難民をはじめ、世界中の人々が、今は同じ聖都の住人です」


 世界が一回、フラットになっちゃったわけだよね。

 ゲームやってた時は「うわー設定重いなぁおい!」ってテンションで喜んでたところだけど、いざ本人たちの口から聞くと、こんなに笑えないのか。


「他に、都市は……」


 言葉が、砂の山みたいに崩れ去っていく。

 リーネの消え入るような問いに、イルセナリアは首を振った。


「深淵の波がもたらした闇夜は、世界全土を覆っています。わたくしたちはようやく、聖都周辺の安全の確保することができました。……そろそろでしょうか」

「間もなく、クレストリア周辺の深淵領域アビスを抜けます」


 イルセナリアがそう呟くとほぼ同時に、運転席からシリウスの声が飛んできた。


 つられて窓の外を見ると、目を覆うほどの眩しい光が差し込んでくる。

 さっきまでずっと辺りに広がっていた夜が、一瞬にして昼へ。

 暗闇が破れて、目の奥が痛くなるほどの白が流れ込んできた。


「うおっ!? 眩しっ!!」


 初めての体験にあたしが怯むと、イルセナリアが説明してくれる。


「深淵が形成した一定範囲の領域を、わたくしたちは『深淵領域アビス』と呼んでいます。外は昼だったようですね」

「知ってますけど……こんな切り替わり方するとは思わなかっただけですから……」

「えっ」

「あ、いや、知識として知ってるってだけで……ね?」


 やばい、反射的に答えてしまった。

 今後のことも考えるなら、今イルセナリアに疑われるわけには―――


「カノンはこう見えて賢い人です。クレストリアの夜に月がなく、『普通ではない』ことから、アビスの外が昼だという結論に達していてもおかしくはないでしょう」

「なるほど……あれだけの情報からそこに至るとは流石です」


 いや、そういうわけじゃないんだけど……納得してくれるならいいや、ナイスフォローだよ、リーネ。


 心の中でサムズアップして窓の外にまた視線を向ければ、遠くに巨大な都市の外壁が見えてくる。


 この装甲車、悪路のくせにかなり早い。

 旧文明のロストテクノロジー、恐ろしいな。


「見えてきました。あちらが、残火の聖都フレアリス。わたくしたちの砦にして―――最後の楽園です」


 二十メートルくらいはあるであろう外壁が都市を囲っている。

 壁の上には、恐らく外からの深淵の侵攻に備えているであろう大砲が複数設置されていて、壁面には魔力が通って強度が底上げされている。

 防壁は衝撃と魔力を吸収するんだって、確かアーカイブに書いてあったな。


 こういうのがパッと見てわかるのは、聖剣の加護なのかな。

 それとも、カノンのポテンシャル?

 どっちでもいいか。少なくとも、あたしの目が優れてるっぽいってことで。


 あれが夜の海に浮かぶ、巨大な光の柱。

 深淵の闇を押し返す、最後の楽園。


「ようこそ、聖都へ」


 イルセナリアの囁くような声が車内に落ちると同時に、装甲車が門の前で停止する。


 シリウスが守衛と何かを喋ってるみたいだ。

 声は小さくて聞き取れない。でも少なくとも、あたしたちが疑われてるなんてことはなさそう。うん、そうだと思う。


 ゆっくりと都市の正門が開いて、車が前進する。


 残火の聖都フレアリス。

 祈の聖女イルセナリアと、創世の神ユスティアを信仰する都市国家。

 そして、人類に残された最後の楽園。


 街はクレストリアと似た、西洋風の建築が立ち並んでいる。

 人々の中には、警備用のゴーレムらしき大きな影がちらほらと見える。

 魔法と、科学、現文明と旧文明の遺産がうまいこと融合してこの都市を形成しているとかなんとか……ゲームでは言っていたような。


「やはり、気になりますか?」


 窓の外をじっくり観察していると、イルセナリアがあたしに声をかける。

 しまった。オタクのあたしが好奇心を隠し切れなかった。


「違和感を抱くのも当然でしょう。闇に呑まれ、死んだ大地の中で、この聖都だけが今もなお命の灯火を掲げている。何故、この都市だけが深淵の波に呑まれていないのか不思議でならない、そうではありませんか?」

「いや、不思議っていうか……何だろう。眩しい、のかな」


 そう、闇の中で光を失わないこの街が、あたしは眩しくて好きだった。

 ここの人々は明日に希望を持っている。希望と共に前に進もうとしている。そんな明るさに、日々を生きる勇気をもらってた。

 だからあたしは、この世界が大好きなんだ。


 でも……おかしいな。

 あたしはこのゲームを、発売してから数日やり込んだだけ。

 それなのに、思い入れが強すぎない?


 胸の奥が、知らない痛み方をした。

 泣く理由がわからないのに、何故か悲しいって言えばいいのかな。

 あたしのこの想いが、やけに嘘っぱちみたいに薄くて、そのベールの向こうに、本当の感情が隠れているような違和感。


 考えようとすると、心にぽっかりと穴が開いたような気分になる。

 そこにあった何かが綺麗さっぱり抜け落ちているような、そんな喪失感。


「眩しい……ですか。そう思っていただけたのなら、聖都の光を象徴する祈の聖女として、大変うれしく思います」


 イルセナリアは窓の外に視線を向けて、ふっと微笑む。

 それがどうにも、記憶の中のリーネと重なって、胸が苦しい。

 ゲームじゃ非戦闘員だからそれほどの活躍はなかったけど、この子も、リーネと似た者同士だからさ。


 と、この時間も終わりみたい。

 運転席に座るシリウスが、イルセナリアに声をかける。


「イルセナリア様、間もなく大熾堂フレア・カテドラルに到着します」

「先に烽火院ほうかいんへ寄ってください」

「長くアビスの中にいたのですから、お身体を休めてください。彼女への報告なら、僕が」

「いいえ、わたくし自ら報告します」


 ハンドルを握るシリウスの手に、少し力が込められた。

 シリウスからすれば、イルセナリアは護衛対象なわけだから、そりゃ気が気でないよね。


 そして、初めて登場する単語。

 あたしは意味を知っているけど、リーネは初見だから首を傾げている。


大熾堂フレア・カテドラル烽火院ほうかいんとは?」

「フレア・カテドラルは、ここから見える、中心街の塔のことです。わたくしの……住居のようなものですね」


 住居……まぁ、言い得て妙か。

 ゲームでもイルセナリアは基本的に、カテドラルから動くことはなかったもんね。


「烽火院とは、端的に言えば……深淵に抗う者の組織、その本部です。世界を取り戻すために戦う彼らを、わたくしたちは『残火守ざんかもり』と呼んでいます」


 その名前を聞いた瞬間、あたしの胸の奥でぽっと炎が灯った。

 残火守―――この世界を救おうと奮闘する人々であり、あたしの大好きな人たち。

 ゲームでは破滅を迎え、リーネが世界を巻き戻すことによって幸せになった彼らを、今度はあたしの手で救わなきゃならない。


 そう思ったらさ、使命感、ぐんぐん湧いてくるんだよね。


「残火守……では、私は剣の聖女として、彼らに協力しろということでしょうか?」

「それは、烽火院の主に。わたくしには、判断できかねますので」


 イルセナリアがそう言うと、ちょうど見計らったように車が停車する。


「どうぞ」


 彼女に促されるまま、あたしとリーネは車から降りて、ようやく聖都の地を踏んだ。


 よどんだ深淵領域とは違って、凄く澄んでいて、空気が美味しい。

 目の前に広がっているのは、大きなお屋敷だ。

 孤児院とは比べ物にならない規模。まぁ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。


「こちらが、烽火院。残火守の拠点であり―――」


 説明しようとしたイルセナリアの声が、大きな爆発音で遮られる。

 音は、屋敷の中から聞こえてきた。

 ゲームじゃ、こんなこと起きなかった。多分、あたしにとっては初見のイベントだ。


 初見のはずなのに……心のどこかで「あぁ、またか」とあたしじゃない誰かが呆れてため息をついていた。


「カノン」


 リーネが強くあたしの名前を呼んだ。

 わかってるって、あたしに任せなよ。と、心の中で応える。

 面と向かって言うのは、ちょっと恥ずかしいからさ。


「シリウス、確認を」

「了解しました」


 イルセナリアもリーネと同じことを考えていたようで、車から降りたばかりのシリウスに指示を飛ばす。


「シリウス、さん……武器、ありませんか?」

「僕の予備の剣で良ければ使ってくれ」

「あ、ありがっ……ざます!!」


 シリウスから彼の騎士剣を受け取り、鞘から引き抜く。

 剣の重さは……ソルファリオの時と同じくらい。聖剣ほど軽くはないけど、振れない重いわけじゃない。


 隣を見れば、シリウスは身の丈ほどの大剣を背中に担いでいた。

 あたしが準備を終えたのを確認して、アイコンタクトを送り、頷く。


 きっともう……あたしのゲーム知識が通用する範囲はとうに過ぎちゃったんだと思う。

 ゆっくりとイレギュラーが現れて、世界がそれに沿うように書き換えられていく。


 でもさ……あたしは負けないよ、絶対に。

 世界だろうと、ぶっ壊して進んでやるから。

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