表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/43

第42話 方舟――記憶出力

 泥の雨があたしに降り注ぐ。


 べちゃ、と。

 温い、臭い、最悪だ。

 でも……そんなこと言っていられない。


「まず、一体……!」


 顔についた泥を袖で拭う。

 白い礼装が泥に濡れて黒く滲んで、あぁ、洗濯大変だなぁ。

 なんて、この後のことを考えている余裕もなくて。


「カノン、油断しない!」


 ノアの声が飛ぶ。

 視線を上げた瞬間、あたしを包囲するように魔法陣が浮かび上がった。


 広間の中央。

 メルクリウスが、杖を床に軽く突いた。


「ウェヌスが落ちたか。ほう……なるほどなるほど」


 モノクルの奥の眼が、笑っていた。

 仲間が死んだのに、そんなことお構いなしで、こちらをじっと値踏みする。


「ですが」


 メルクリウスは杖を持ち上げ、軽く振った。

 その瞬間に、床が大きく励起する。

 絨毯が弾け、石畳が軋んで、黒い泥が盛り上がった。


「っ……!」


 泥が波になって、波が腕になって、腕が、あたしたちを掴みに来る。


「ノア!」

「わかってる!」


 振り払われたノアの腕から、凍て刺すような冷気が放たれた。

 泥が氷になって、波を受け止める。


 止めきれなかった泥が、床にべちゃり、と落ちた。

 そこから怪物が這い出てくる。

 人の腕を泥で絡めて繋いだみたいな、気色の悪い異形。


 それがずるり、と這い出して―――


「殲滅します!」


 全て、リーネのソードビットに貫かれた。

 首が落ちた異形は、ウェヌスの時と同じように弾けて泥の雨を撒き散らす。


「魔法は全部ぼくが対処するから、カノンは突っ込んであいつを斬って」


 メルクリウスを睨み、やつが放つ別な雷の魔法を打ち落としながらノアが言った。


「わかった!」


 ルクスを握り直して、全身に魔力を回し、踏み込む―――

 踏み……あれ?


 全身に力が入らなくて、あたしの身体は泥の海に沈む。


「なんで……?」

「なにやってんのさ! 一度に魔力を使いすぎ!!」

「うっそ、マジか……」


 だめだ、立ち上がろうとしても、そもそもあたしの体重を持ち上げるだけの力が腕に入らない。

 泥……気持ち悪い。でもそんなこと言っていられない。


「なら私が……!」

「させんぞ」


 リーネのビットが鎖に絡め取られて、動きを止めた。

 そのまま叩き落されて、痛みのフィードバックでリーネが膝をつく。


「くっ……」

「リーネ!」


 だめだ……このジジイ、今まで全然本気じゃなかったんだ。

 雷と鎖、それだけじゃない。土、炎、風、氷―――苛烈な魔法の雨に、ノアが防戦一方になる。


「ノア……!」

「大丈夫。このくらいなら」


 だけど、さすがノアだ。それでも拮抗して、互角の状態を維持している。

 でもそれだけ。あたしたちには、この状況を打開する決定打がない。


 メルクリウスが杖を振る。

 死角から飛来する火球を、ノアが見ないで展開した障壁で受け止める。

 ノアが両腕を振る。

 二方向から挟み込むように放たれる雷撃を、メルクリウスは笑いながら鎖で掻き消す。


 どうしたらいい。このままじゃジリ貧だ。

 こいつらにあるのかはわからないけど、少なくともノアには魔力切れの危険がある。

 魔力総量で勝負したら、負けるかもしれない。


「あぁもう……めんどくさい……!」


 全身から放出した魔力で襲いかかる全ての魔法を打ち消して、ノアが右手をモノクルの老人に向けた。


「小細工抜きでやろう」

「……よろしい」


 メルクリウスが攻撃をやめて、杖の先をノアに向ける。

 周囲の魔力がヤツの杖とノアの右手に吸い寄せられて、渦を巻く。

 どちらも本気だ。純粋な魔力の出力勝負。


 あたしが息を呑むと同時に、二人は全力の魔法を放った。

 ノアの右手から射出されたのは、高純度な魔力で構築された氷の槍【アイシクル・ランサ】。


 対するメルクリウスが放ったのは、名前もない純粋な魔力の奔流。


 あたしがパワーゲートを使ってぶっ放したやつと、ほぼ同じ威力。

 床を砕いて、持ち上げて、空気を裂いて―――


 衝突点が、白く弾けた。


 光が膨らんで、広間の影を全部消し飛ばして。

 次の瞬間、世界が裏返るみたいに音が遅れてやってくる。


 鼓膜が破れるんじゃないかってくらいの爆音。

 熱と冷気が同時に頬を殴って、肺の中の空気が一瞬で抜けた。


「っ……!」


 泥の海に沈んでいたあたしの身体が、衝撃波で浮いた。

 浮いたっていうか、叩き上げられたっていうか。

 背中から壁に叩きつけられて、息が詰まって、視界がチカチカする。


 煙が立ち込めていた。

 白い霧みたいな冷気と、焦げた黒煙と……消し飛んで粒になった泥。


「……ぉぁ……っ」


 声を出したつもりなのに、喉がひゅっ、と鳴るだけで全然声にならない。

 必死に首を動かして、霧の向こうを探す。


 ―――いた。


 ノアは片膝をついていた。

 右腕を前に突き出したまま、肩で息をしている。

 服の端が霜みたいに白くなっていて、周囲の空気が揺れていた。


 対するメルクリウスは―――


「……ほぅ。なかなかにやりおる」


 霧の中から、愉快そうな声。

 モノクルの老人は、杖を床についたまま立っていた。

 あの爆発の中心にいたはずなのに、姿勢が一切崩れていない。


 ただ一つだけ、違うところがあった。


 杖の先端が―――僅かに欠けていた。


「久方ぶりに全力を出した。童心に戻った気分ですわい、ほっほっほっ」

「これじゃダメか」

「良い出力でしたぞ。それ故に惜しい。もう二、三年鍛えれば、ワシにも届いたかもしれませんな」


 メルクリウスは笑っていた。

 褒めているはずなのに、それがあまりにも、越えられない技量の差を示しているみたいで、嫌な気分だ。


 あたしの身体が動けば、魔法を使うより早く踏み込んで、一撃でぶっ倒せるのに。


「さらば」


 杖が、こつん、と床を叩く。

 その瞬間、ノアを取り囲むように泥が噴き上がった。


 泥が槍みたいに伸びて、ノアの身体に襲いかかる。

 波ではなく、明確な殺意を持って、刃を向けて―――


「ノア!」


 身体が動かない。

 腕に力が入らない。

 魔力も全然回復していない。

 なのに心臓だけがやたらうるさくて、現実を押しつけてきて。


 だめだ、これ……間に合わない。


 そう思った―――


「このっ!」


 ノアが左手を床にたたきつけた。


 ばきん、と。

 地面から氷柱が生えて、泥の槍をまとめて受け止める。

 触れた先から泥を凍らせて、相手の魔法を自分の領域に引きずり込む。


「……大丈夫」


 荒れた息を整えながら、ノアが立ち上がる。

 声がいつもより少しだけ掠れていて、余裕がないのがわかる。

 それなのに、どうしてだろう―――あたしには、彼女が余力を残しているように見えた。


 強がりじゃない。って、直感する。

 まるでずっと、全力を封じられていた、みたいな安心感がある。


「“方舟アーク”―――記憶出力メモリア・エクスポート輝く星々(プラネスタ)魔導師殺し(リツ・リングレイル)


 小さな口が何かを呟くと、ノアの纏う雰囲気がガラリと変わる。

 いつも以上に視線が冷たく、鋭くなって、左手に現れた本から一枚のページが千切れて、彼女の周りを舞った。


 右手に、一丁の拳銃がどこからともなく現れた。


 魔力の込められた、六発装填のリボルバー拳銃。

 ノアはそれを自分の顔に近付けて、親指でハンマーを起こした。


「“装填セット”―――破魔の銃弾(ブレイク・バレット)


 ノアが呟いた瞬間、拳銃のシリンダーが、かちり、と音を立てて回った。


 右目の色が、嘘を見抜く紫紺から闇のように暗い黒に切り替わる。


 それがどういう意味を持つのかを、あたしは知っていた。

 ノアのもう一つ本気だ。

 彼女が体内に隠し持つ【方舟の書】は彼女が見た者、記録した者の力の一部を、短時間だけ引き出すことができる。


 あまりに無法すぎるから、【フォストリエ】では一部のムービー以外で使われなかった、変幻自在のチート能力。

 代償として、引き出した者の記憶をノアは忘れてしまう。その代わり何にだってなれる一回切りのチート。


 今引き出した人間の名前は知らない。【フォストリエ】には、出てきていない。

 あたしが知らなくて当然だ。何せノアは、この場にいる誰よりも世界を見てきた観測者なんだから。


 だけど、あたしが知らなくても、ノアにとっては大切な人の一人なんだってことくらい、わかる。


「時間がないから、すぐに終わらせる」


 そう言って、ノアが踏み込むと同時に―――姿を消した。


 いや、消えたわけじゃなくて、見えない速度で移動した。

 一瞬でメルクリウスの背後に回り込んで、銃口を向ける。


 でも―――


「速い……が、殿下ほどではありませんな」


 アルミリアの速度を知っているヤツらにとって、高速移動なんてのは何の意味もない。

 メルクリウスはすぐさま振り返って、銃弾を防ごうと泥の壁を展開する。


「だよね。ぼくだってそうする。でも―――」


 冷たく見下ろしながら、ノアは構わず引き金を引いた。

 撃鉄が銃弾を叩き、火薬が炸裂して、鳥の鳴き声のような甲高い銃声と共に、弾丸が発射される。


 ノアの魔力を帯びた銃弾は泥の壁に飛び込み―――突き抜けた。


 そこには何もなかったかのように、泥の壁をもろともせずに真っ直ぐ、メルクリウスに向けて飛翔する。


「なんだと……!?」


 メルクリウスの顔が驚愕に歪んだ。そりゃそうだ。ただの銃弾がすり抜けたんだから。

 身体を捻って、銃弾を躱そうとする。だけどギリギリで、その弾は老人の右肩を貫いた。


「ぐぅぉぉぉぉぉぉ!?」


 衝撃に老体が後退る。

 右肩の傷痕を左手で押さえながら、余裕を失ったメルクリウスが自分を撃ち抜いた銃士を睨みつけた。


「この……小娘がァ……!!」


 豹変したメルクリウスが、杖を一突き。

 直後、ノアを包囲するように無数の魔法陣が展開されて鎖が飛び出す―――ことはなかった。


 寸前に、魔法陣がガラスのように砕けて霧散する。


「なん……っ、なっ……ぐぅ……ぉぉぉぉぉ……!」


 傷口を押さえて、メルクリウスが苦しみだした。

 まるで全身に毒が回ったみたいに、膝をついて悶える。


「昔、魔導師メイガス殺しって呼ばれた青年がいた」


 苦痛に呻くメルクリウスの眼前に立って、銃口を向けながらノアが冷たく彼を見下ろす。


「彼は魔法も魔術も使えない落ちこぼれだったけど、唯一、誰もが恐れる力を持っていた」

「その銃……なんだ、その奇妙な魔力は……!」

「破魔の魔力……これを流された人間は、魔法も魔術も使えなくなる。この時代に通じてよかった」

「破魔の……魔力……ワシの、知らぬ力……」


 いつになく饒舌に語って、ノアはメルクリウスの額に銃口を押しつけた。


「誇るといいよ。きみはこの時代で最も強い魔法使いだ。きみを殺したのは、前文明の物語。はるか昔、世界の滅びに抗った英雄たちの力なんだから」

「……世辞はいらんわ」

「そう。それじゃ、さようなら」


 銃声が鳴った。

 老体が泥の海に沈んで、爆ぜる。

 黒い泥がノアに降り注ぐ。


 泥の雨を浴びながら、ノアは右手に握る拳銃を見つめていた。

 物悲しそうに、名残惜しそうに。


 銃が魔力の粒になって、砂のように崩れていく。


 さようなら。と、最後にノアは言った。

 きっとそれは、奥の手を引き出すほど強かった老魔術師に対する言葉じゃない。


 今、こうして忘れてしまう誰かへの―――別れの言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ