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第40話 開戦……しちゃいました

 あーもう、最悪な気分だよ。

 作戦会議で「やるしかない」って結論を出した瞬間から、腹括るしかないなとは思っていたけど。

 こんなにも胃がねじ切れそうなのは初めて。


 戦争に向けての準備は思いの外スムーズに、滞りなく進んだ。

 アルミリアの暴走でひっくり返った聖都全体の空気も、セナリアが強引に形を整えてなんとかしてくれた。

 そのおかげで、あたしたちはこうして、今日の戦いに集中することができる。


 開戦まで―――あと少し。


 聖都の外壁の上。

 昼間だっていうのに、冷たい風が肌を叩いてすごく寒い。

 下を覗けば、壁の外側で兵士たちが忙しなく走り回っている。


 何百体ものゴーレムが一斉に起動して、指示が飛んで、金属が鳴って、誰かの怒鳴り声が混ざる。


 横を向けば、壁の上の魔力砲の最終チェックで技師たちが大慌てだった。

 どうか壊れてくれるなよ―――っていう祈りが、動きの端々に滲んでいる。


 あたしたちはこれを全部、守らなきゃならない。


「……準備は?」


 いつもみたいに指揮官としての冷たさを保ちながら、左手の手袋を直してアルミリアが言った。


「偽装、いつでもいけます」


 それに答えるシオンの声がかすかに震えている。

 そりゃ当然だよ。だってこの子は、聖都の防衛の要で、あたしらの潜入の鍵なわけで……同じ立場なら、あたしだって緊張でどうにかなってしまいそうなくらい。


「こちらも、問題ありません」


 シオンの隣には、彼女への魔力供給のための神官たちを連れたセナリアが立っていた。

 白い法衣の上に羽織った残火守の礼装が、風に揺れている。


 いつもなら、絶対にしない組み合わせ。

 これは、セナリアなりの覚悟なんだと思う。

 もう逃げたりしない。隠れたりしない。祈の聖女は、残火守と共にあるという意志の表れ。


「よし、作戦を開始する」


 アルミリアが短く命じた。

 その一言で、後ろに控えていた神官たちが一斉に祈りを捧げ始める。


 空気が、一瞬で変わる。

 温度が下がった―――というよりも、空気そのものが重くなる。


 視界の端で、ずっと沈黙していたノアが目を開けた。


「……来る」


 彼女が小さく呟いた瞬間―――辺りが暗くなる。


 太陽が雲に隠れたわけじゃない。

 かといって、西の山脈の向こう側に沈んだわけでもない。


 青空が、突然塗り潰された。

 絵の具の中に黒を一滴垂らした時みたいに、一気に滲んで、塗り替えられる。


 久々だな、この感覚。魔竜騒動の時以来か。

 肌がざわついて、背中がぞくっとして。

 これから滅亡イベントが始まるんだぞって、運命があたしに告げている。


 そう……夜が―――落ちてきた。


 遠くの平原が波立って、赤い光を灯す。

 無数に広がるその光は、ゆっくりとこちらに近付いてくる。


 いや、あまりに数が多いからゆっくりに見えただけ。


 最初は小さく、遅く、虫みたいに見えたそれが、距離を詰めるほどに輪郭を持つ。

 鎧。盾。槍。剣……投石器や、移動式の大砲。


 三千の帝国兵。

 数字で理解していたのに、目で見たら全然違う。平原が、赤い光で埋め尽くされている。

 三千? 三万の間違いなんじゃないの、これ。


「……うっわ」


 思わず声が漏れた。

 口の中が一瞬で乾いて、呼吸が難しくなる。

 脳が全力で危険信号を発していた。逃げろ、死ぬぞ、って。


 壁の上の魔力砲が、唸りを上げた。

 砲身が光って、高速で回転して、空気が歪む。


「撃て!」


 アルミリアの声が響くと同時に、耳を塞ぐほどの轟音が至る場所から鳴る。


 修理が間に合った五十八門の魔力砲。その全てから放たれた光の槍が雨のように降り注いで、平原を薙ぐ。

 連鎖する光に、遅れて爆音が衝撃波と共にやってきた。


 砲撃で地形が抉れて、赤い点が散って―――でも、すぐに敵がその穴を埋めて、乗り越えて、前に進んでくる。


 始まってしまった。

 こうなればもう、戻れない。


「カノン」


 準備が終わって、リーネがあたしを呼ぶ。


 振り返ると、大きな鳥がいた。

 いやマジで、思わず「でかっ」と呟いてしまうほど、大きな黒い鳥。


 翼は闇みたいに艶がなくて、光を吸い込む色をしていた。

 目だけが、青く瑠璃色に輝いている。

 直感で、五人は軽く背中に乗せられるサイズだな、と確信する。


「ノアの使い魔、でっか……」


 ゲームでもデカいな、とは思ったけど、いざ目の前にしてみると圧巻というか、威圧感が段違い。

 それを前にしても、ノアは相変わらず表情一つ変えず、黒い鳥を軽く撫でた。

 鳥は一度だけ低く鳴いた。ゴォ……って、地鳴りみたいな低い声で。


「進軍が始まった。急がないと」


 ノアがそう言って、平原の方に目を向ける。

 あたしが驚いている間にも、戦場では爆発が途切れない。

 魔力砲の光が平原を焼き、煙が立ち上り、赤い点が―――ダメだ、減っている気がしない。


 ただ、まだ距離がある。

 体感あと十分くらいは、魔力砲だけでも持ちこたえられそうだった。

 あたしの直感なんて、宛てになるかわからんけど。


「偽装、始めます」


 そう言って、シオンは目を瞑り、盾を足元に突き刺して詠唱を始めた。

 盾の基部から魔力が放出されて、花弁みたいに五つに割れる。


《見えざる帳を下ろし、灯火を隠匿せよ》


 あたしたち五人の周囲を囲うように、割れた盾の欠片が回転する。

 すると、世界の音が遠ざかる感覚がした。


 術式の展開を終えたシオンが一つ息を吐いて、目を開く。


「それではみなさん、ご武運を」


 あたしたち五人は同時に頷いた。

 示し合わせたわけでもなく、偶然タイミングが被っただけなんだけどね。


「行くよ」


 ノアが振り返って、黒い鳥の背を指した。


 シリウスが先に乗った。

 大剣を背負ったまま軽やかに跳躍して、あたしとリーネに手を伸ばす。


 アルミリアが続く。

 じっと名残惜し気に戦場を見つめてから、迷いを振り切るように飛び乗る。


 あたしは深く息を吸ってから、リーネと一緒にシリウスの手を取った。

 思ったよりも強く引き上げられて、着地ミスって、鳥の背中で体勢を崩す。


 最後にノア。

 背中によじ登って、屈んで、鳥の首元に手を置いて短く囁いた。


「飛んで」


 その一言で、唸るような泣き声と一緒に黒い鳥が翼を広げた。

 強風が吹いて、壁の上の技師が思わず伏せる。


 そして―――


「……っ!?」


 浮いた。

 足が壁から離れて、鳥の身体が空中に投げ出される。

 さっきまで壁の上から見えていた聖都の景色が、ずっと下に広がっている。


 容赦なく風を切りながら、上へ、前へ。

 黒い鳥は夜空へ昇っていく。


「……弱いな」


 鳥の背中から戦場を見下ろして、アルミリアがふと呟いた。


「弱いって?」

「想定以上に弱体化している。あの帝国兵が砲撃如きで足を止めるなど」


 ってことは、ちょっと楽観的になってもいいのかな。


 いやいや、だめだめ。

 油断は禁物だ。そんなこと考えていたら、またすぐ足元をすくわれる。

 安心した瞬間に、世界は牙を剥くんだから。


「見えてきた」


 ノアがそう言うと、前方に巨大な影が見えた。

 平原の奥にそびえる要塞……闇に呑まれた、黒い城。

 ヴァールゾルグの移動要塞だ。


 近付くほどに、その大きさが顕著になっていく。

 要塞というか、最早小さな街だ。街そのものが侵攻している、そう言っても過言じゃない。


 その周囲に敵の影が広がっている。

 黒い泥に塗れた兵士たちが、無数に並んで隊列を組んで。

 妙に統率の取れた動きが気持ち悪い。化け物ならもっと化け物らしくしてくれよ。


「……そろそろ下りる。準備をして」


 ノアがあたしの肩に手を置いてそう言うと、黒い鳥は要塞のはるか上空でピタリ、と停止する。

 なんだか、とても……すごく、嫌な予感がした。


「ちょっと待って、下りるってまさか」

「飛び降りる。このまま近付けば、目視で視認されて迎撃されるから」


 ノアの声は相変わらず平坦だった。

 まるでさも当然に、「朝起きたら顔洗うでしょ?」と言わんばかりのテンションで、とんでもないことを言ってみせる。

 無茶言わんでくれ。


「いやムリムリムリ! 死ぬって!!」

「ごねるなよ、めんどくさい。ほら、準備して」


 準備しろ、って言われてもさ。

 てっきり、あたしは鳥の背中に乗ったまま降下して、安全に着地するものとばかり思ってたわけで。

 準備ってなんだよ。落下の準備ってなんだよ!

 パラシュートか? そんなもの背負ってないんだけど!!


「先に行く」


 そう言って、シリウスが夜空に身を投げ出した。

 彼に続くようにして、アルミリアもリーネも、何も言わず飛び降りていく。

 あたしから見たら、スタイリッシュな投身自殺にしか見えない。


「えぇぇぇぇぇ! ちょ、まっ、嘘でしょ!?」


 あたしの身体が硬直したその瞬間―――


「いいから行け」


 冷たく言い放つ、ノアの辛辣な一言と共にあたしの背中が蹴飛ばされて、世界がひっくり返った。


 夜空に落ちていく。

 風が身体を引き裂くみたいに叩きつけてきて、声が出ない。

 声が出ないはずなのに、気付けば全力で叫んでいた。


「えぇぇぇうそうそうそ! ムリムリ! 死ぬ! 死ぬぅぅぅぅぅ!!」


 落ちていく。

 星空を背に、あたしの身体は戦場に落ちていく。

 ゴマ粒みたいだった要塞が、どんどん近付いてくる。

 黒い城壁の上に、砲台がいくつか設置されているのが見えた。


 嫌な予感がした。

 あれの射程に聖都が入ったら、防衛線なんて一瞬で瓦解する。

 だからアルミリアは制限時間を三十分って言ったんだ。これがあることを知っていたから。


 ってそんなことはどうでもよくて! いやよくないんだけど!!


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 加速していく。どんどん、加速していく。

 地面が近い、近い、近いよ! あっ、目の前―――


 ピタリ、と身体が止まった。

 そこからふわりと全身が何かに引っ張られたみたいに浮いて、落下の勢いだけが抜かれて、顔面から落ちる。


「ぶべっ!」


 間抜けな声が出て、あたしは思いっきり地面に額を打ちつけた。


「事前に落下制御の魔法をかけておいた。ほら、大丈夫だったでしょ?」


 あたしの隣に軽やかに着地して、変化の乏しい顔のままノアが言う。


「じゃあそれを先に言ってよ! 冗談抜きに落下死を覚悟しちゃったじゃん!!」

「だって説明面倒だし、どうせカノンならごねるし」

「当たり前でしょ! 紐があってもバンジーは怖いんだよ!」


 バンジージャンプ、やったことないけど。


 口の中に入った砂を吐き出しながら、上体を起こす。

 目の前には剥き出しになった土と崩れた石畳。隙間から溢れる黒い泥が、ここが深淵領域アビスの中だと語っている。


 遠くで轟音が鳴る。聖都の魔力砲が、帝国の軍勢を押し返そうとする音。

 爆発の光が夜空をチカチカ照らして、花火みたいだった。


 こういうの、汚ぇ花火って言うんだけどさ。


「残り二十五分―――作戦開始だ」


 アルミリアが懐から懐中時計を取り出して、短く告げる。

 その針の動く音が、やけに大きく聞こえた。

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