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第36話 わたくしがあなたを赦します

「……セナリア!?」


 びくっと肩が跳ねた。

 振り返ると、そこにセナリアはいなかった。

 見たことのない顔の少女……いや、声はセナリアなんだよ。でも、顔が違う。


「下がるんだ、カノン」

「お待ちください。わたくしです。イルセナリアです」


 シリウスが背中の大剣に手を伸ばすと、目の前の少女はフードを外した。

 ノイズが晴れるように明らかになって、セナリアの柔らかい聖女スマイルが顔を見せる。


 そういえば、セナリアの外套には認識阻害の魔法がかけられてるって話だっけ。だから顔がはっきりと見えなかったのか。


「いつからいたの」


 呆れながら、ノアがため息混じりに聞く。


「少し前から。わたくしの入室に気付かないほど激しい論戦でしたね」

「どこから聞いてたの?」

「『隙だらけなんだよ!』から」

「うわぁぁぁぁぁ結構前じゃぁぁぁぁぁん!!」


 別に恥ずかしいとかじゃないのに、あたしは頭を抱えて蹲った。

 そこからってことは、セナリアはあたしが語る自分の未来を聞いてしまった……ということになる。

 最悪に気まずかった。


 こほん、とシリウスが咳払いをして、剣を収める。


「それで、イルセナリア様。“その手で行きましょう”とは、一体どういう……」

「文字通りです。アルミリアには、全ての聖都の民に謝ってもらいます」


 セナリアは微笑みながらそう言って、アルミリアに視線を向けた。


 アルミリアは椅子の背もたれに上着をかけたまま、机に片手をついてセナリアを見た。

 疲れ切った顔……逃げ場がないと悟った目。隠れているはずのクマが浮き出ている。


「……謝罪など火に油を注ぐようなもの。私が頭を下げたところで、民の怒りは収まらない」

「はい。ですので、わたくしがあなたを赦します」

「……なに?」


 アルミリアの瞳が細くなる。

 困惑と疑念。さっきまであたしを見ていた「こいつは何を言ってんだ?」とでも言いたげな顔が、今度はセナリアに向けられた。


「わたくしが、あなたを裁きます」


 セナリアの顔は、今までで一番自信に満ちていた。

 さっきまでの、正義と友情で板挟みになって藻掻いていた女の子じゃない。国を導く、一人の聖女としての顔だ。


「赦し、裁く……だと?」

「はい。わたくしがあなたの罪を裁定し、死を以て償いとする以外の道を与えましょう」


 アルミリアが顔をしかめ、セナリアを睨んだ。


「血迷ったか」

「いいえ、正気です」


 セナリアはそう言って、一歩前に出た。


「血迷っているのはむしろ―――自分一人を処刑すれば全てが丸く収まると思い込んでいるあなたの方です」


 セナリアの正論パンチ。

 アルミリアの眉がぴくり、と動く。


「……血迷っているのが私だと」

「はい」


 セナリアは一歩も引かない。

 綺麗な声で、淡々と容赦なく痛いところを抉ってくる。


「あなたは罪を一身に背負って処刑されることで、民の憎しみを終わらせるつもりでした。確かにそれは、秩序を回復させるにはとても有効な手でしょう。人々は自らが恐れるものを排除したがり、いざそれが取り払われることで簡単に安堵してしまいますから」


 ですが―――とセナリアは冷たく続ける。


「わたくしは、そうして平和を得る行為そのものを“愚か”だと考えます」

「自らを慕う民を愚かだと言うか」

「いいえ、そうは言いません。ですが、圧政を敷く王を討って平穏を得てしまえば、次にその平穏が脅かされた時、人々はまた同じことを繰り返すでしょう。そうして裁かれるのは、一体誰なのでしょうか」


 セナリアの視線が、リーネに向けられた。

 あたしがさっき語った未来があるから、「次」誰に矛先が向けられるのか嫌でも想像できてしまう。


「わたくしは、民を愚かだとは思いません。ですが、人は愚かな生き物です。他者を傷つけることで自らの利を得られる。そう学んだ民は、同じ状況で同じ選択をするでしょう」


 淡々と、冷静に、神父が神の教えを説くみたいに、セナリアは続ける。


「わたくしはこの国を、血に塗れた国にはしたくありません。ですから、血を流さず穏便に済ませるやり方で、戦後の混乱を収めたいと……そう考えています」


 セナリアはそこで、一度言葉を切った。

 祈の聖女としての微笑みを崩さない。だけど、瞳の奥は鋭く冷たい。


「穏便、だと?」


 アルミリアが鼻で笑った。

 疲れ切った顔のくせに、まだ強がろうとしている。


「民衆は既に怒り、恐れている。私はその恐怖を利用した。ならば彼らは、私が頭を下げた程度で赦すと思うか?」

「思いません」


 即答。


「だからこそ、赦しは民が与えるものではありません」

「……は?」

「言ったでしょう? わたくしが、あなたを赦しますと」


 セナリアはそう言って自分の胸に手を当てた。


「わたくしは祈の聖女。この聖都の信仰の象徴です」


 微笑みながら、続ける。


「民は不安と、疑念と、憎しみで揺れています。だからこそ、決して揺らぐことのない柱が必要なのです」

「……柱、か」


 アルミリアが眉を寄せる。


「君が言う柱とは、結局は権威だろう。私と何が違う。それでこの混乱を収められると、本気で思っているのか?」

「はい」


 セナリアは頷いた。

 自身に満ちた顔には、躊躇いがなかった。


「あなたが恐怖で民をまとめたのなら、わたくしはその恐怖を信仰にすり替えましょう」

「恐怖による統治も、信仰による統治も変わらない。先に待つのは、正気となった民による制裁ではないか?」

「確かに、平時であればそれも長くは持たないでしょう。ですが……人々は救いを求めています」


 アルミリアに反論しながら、セナリアは窓際に歩いていく。

 途中に広がっていたインクの海を踏み、跳ねた黒が白い法衣を汚そうと構うことなく、セナリアは続ける。


「ここは“聖都”ですよ。王や皇帝が治める国ではありません。人々の信仰によって成り立つ国です。“聖女イルセナリアが決めたこと”は、あなたが思っている以上に、この国では意味を持つのです」


 セナリアが言い切って、振り返る。

 アルミリアは机に片手をついたまま、薄く笑った。


「……なるほど。つまり君は、私の代わりに暴君になると言いたいのか」

「いいえ」


 セナリアが即答する。


「わたくしは暴君にはなりません。恐怖で民を縛るのではなく、赦しの心を与えるのです」

「言い換えただけだ。権威を振りかざすのは変わらない」

「違います」


 セナリアの琥珀の瞳が、アルミリアを真っ直ぐ射抜く。


「あなたを赦すのは、わたくし一人で構いません」

「……なに」

「わたくしはあなたを赦した。それを見た民が何を思うかは民の自由です。ですからこれは、確実な手段とは言えません」


 ノアが壁にもたれたまま、感嘆の息をこぼす。


「要するに、信者を脅すわけだ」


 うわ……セナリア、こわ。

 わたくしは罪を赦しました。それでもなお、あなた方は裁きを求めますか? って、民衆に問う。危ういやり方だ。冷静に見れば間違っている。


 だけど、正しさではアルミリアを救えない。

 それを理解したセナリアは、自分から汚れると決めた。

 その覚悟が、顔に出ている。


「脅す、とは語弊がありますね」


 セナリアは微笑みを崩さないまま、ノアを一瞥する。


「わたくしはただ、選択を与えるだけです」


 綺麗な声で、きっぱりと言い切る。


「わたくしは、“アルミリアを赦した”という事実を提示するだけ。それでも憎しみを選ぶのならば、人はいずれ、自らの首を絞めるでしょう。……わたくしは人を、人が持つ心の美しさを信じたい。それだけです」


 アルミリアが鼻で笑いながら、視線を逸らした。


「言葉遊びだ。本質は同じだろう。民は聖女に逆らうことを恐れ口をつぐむ。私がしたことと何も変わらない」

「変わります」


 セナリアは一歩、また一歩とアルミリアに近付いていく。


「少なくとも、そこで血が流れることはありません」


 握り締められたセナリアの拳が、小刻みに震えていた。


「では聞こうか、聖女よ。君は一体どうやって、この混乱を収めるつもりなんだ?」


 アルミリアが肩をすくめ、鼻で笑った。

 ただの小娘に何ができる、と苦笑する顔が言っている。


 セナリアは深く息を吐いて、アルミリアを真っ直ぐ見据えて、言った。


「残火守の指揮権をアルミリアから剥奪し、カテドラルに与えましょう」

「それで、民の怒りが収まると?」

「いいえ。ですのであなたには、相応の償いをしていただくのです」

「……首を刎ねる以外の償いか」


 ぎゅ、と。

 アルミリアの左手袋が握り潰される。


「カテドラル……いえ、わたくしへの、絶対の忠誠を誓ってもらいます」

「……忠誠、だと?」


 アルミリアが低く笑った。


「私が聖女の傀儡となることで、この混乱を収めると?」

「はい」

「それで民の怒りが収まるか!」

「収めてもらいます」

「民が信じるのか!?」

「信じてもらいます」

「ふざけるな!!」


 アルミリアの右手が机を叩いた。

 天板が砕けるように割れて、拳が机にめり込む。


「これは子供のごっこ遊びではないんだぞ! 私が君の支配下に置かれた、それだけで民が安堵を得られるはずがない!!」

「もし……わたくしがリーネフォルテやカノンだったなら、そう簡単な話ではなかったでしょう」


 怒りをあらわにする彼女に怯むことなく、セナリアは一歩前に出て、アルミリアとの距離を詰める。


「わたくしは祈の聖女。女神ユスティアの代弁者です」


 セナリアの琥珀の瞳が、アルミリアに真っ直ぐ向けられた。


「聖女の言葉を疑うことは、神を疑うことと同義。わたくしはこの混乱を収め、友を救うため―――民の信仰を盾とし、聖女として汚れましょう」


 執務室の空気が、ぴたりと止まった。


 セナリアは顔に覚悟を貼りつけて、アルミリアに相対する。

 アルミリアは目を逸らしながら、机にめり込んだ拳をゆっくり引き抜いた。


「民を利用するんだぞ……それで構わないのか?」

「構いません」


 即答した。

 迷いがなかった。それが逆に、セナリアの危うさを浮き彫りにさせる。


「あなたは今、民に恐れられています。憎まれています。信頼は崩れ、傷が残りました。ですが―――」


 琥珀の瞳が、真っ直ぐ青を射抜く。


「あなたは、世界の未来を取り戻すために必要な“力”です」


 セナリアは息を吸って、胸に手を当て続ける。


「ですから、謝ってください」

「……は?」


 聞いたことない素っ頓狂な声が、アルミリアから飛び出た。


「公の場で、あなたは民に謝罪をしてください。自らの圧政を認め、恐怖で縛ったことを認め、祈の聖女イルセナリアに裁きを委ねると宣言する」

「……その次は」

「残火守の指揮権をカテドラルに移譲し、管理下に入ります。世界を取り戻すまで、わたくしの命令に従い、勝手な独断は許しません」


 アルミリアが息を漏らす。


 セナリアは言った。

 世界を取り戻すまで―――と。


「それはつまり―――」

「はい。深淵という世界の脅威を退けるまで、あなたの裁定を保留します。わたくしがあなたを、いいえ、あなた方残火守を使い、世界を取り戻した後……改めて、民に問いかけましょう。彼女を裁くべきなのか、世界を救ったのは誰なのか」


 セナリアは一言も躊躇うことなく言い切った。


「……わかった。そこまで言うのなら、君に従おう」


 アルミリアはまた、諦めたように笑う。

 どれだけ反論したところでセナリアが折れることはない。

 そう悟ったからなのか、別な意味があるのかはわからない。


 ただあたしは、その笑みがどうにも気になって仕方がなかった。


「あのさ―――」

「話終わったね。じゃ、本題移るよ」


 ひと段落ついたところで、あたしの声を遮ってノアが前に出た。

 端末を操作して、空中に立体映像を投影する。

 山脈と、平原、中心にある壁に囲まれた都市は……聖都だ。


「ほ、本題!?」


 あたしの疑問は、見事にそっちに移り変わっていた。


「え、今の、本題じゃなくて?」


 ノアが呆れてため息。「こいつ全然わかってねーわ」とでも言いたげだ。


「何言ってるの。戦争まであと四日。作戦会議、しなきゃでしょ」

「あ、あー……なるほどね、そりゃそうだ」


 底をつくような、深いため息。


「気持ちの整理は後でやって。今大切なのは、“どう勝つか”だから」


 そう言って、ノアは僅かに頬を膨らましながら端末を操作していく。

 平原に現れた無数の点が、敵を示しているのは一瞬でわかった。


 三千の英雄を率いる帝国、ヴァールゾルグ。

 未だかつてないほどの強敵を相手に勝利を収めるため、あたしたちの作戦会議が―――ようやく始まった。

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