第35話 ごめんなさいって言おうか
言うんだ。
言わなきゃ―――アルミリアを止められない。
自分がみんなの犠牲になることで、世界が少しだけ良くなる。
そんな都合のいい理想を信じている大馬鹿には、現実を叩きつけなきゃいけない。
「めちゃくちゃ大変だったんだよ……」
誰の言葉も、耳に入ってこなかった。
呆けた顔をしているアルミリアに、あたしが見た、“その先”を突き刺してやる。それだけ。
「評議会は自分たちの利益ばかり求めるし、カテドラルは残火守解体だとか言い出すしさ!!」
息を吸うたびに、喉が焼けるように痛かった。
思い出すだけで胸の奥の傷を抉るみたいで、すごく苦しい。
「それで、セナリア―――イルセナリアが、必死でみんなをまとめようとして。なのに『暴君の後継者』だって言われて、石を投げられて、笑われて……」
アルミリアの眉が、僅かに動いた。
否定したいのに言葉が出なくて、ただ唇を動かしているだけだった。
構わない。もう止まらない。
「―――テロが起きた。カテドラルの前で、セナリアの演説中に」
あの瞬間の音まで、思い出せる。
爆弾の破裂音。民衆の悲鳴。漂ってくる鉄の臭い。
「犯人は、アルミリアに強い恨みを持ってたよ。だから後継者であるセナリアを殺そうとしたんだってさ……」
吐き出すみたいに言って、下唇を強く噛む。
少しだけ皮が裂けて、血の味が口の中に広がった。
「会いに行ったら、両目に包帯巻いてた。……冗談じゃないよ。目、見えなくなってた」
視界の端で、リーネが両手で口を押さえ、息を呑んだ。
シリウスの顔色が変わる。ノアの指先が止まる。
誰も、あたしの言葉を嘘だとは思っていなかった。
「表情筋が死んで、笑うことすらできなくなって。それでも、自分にできることを精一杯やって……」
胸がぎゅっ、と潰れる。
口を開くたびに、声が震えていくのがわかる。
意外とトラウマになってんだな、あたし。
だからこそ、あんな未来は二度とごめんだ。
「誰にしわ寄せが来たと思う? ……わかってるよね。リーネだよ!!」
声が裏返った。けど、恥ずかしがる必要なんてどこにもない。
「みんなの運命押しつけられて、背負って、聖女としての顔しかできなくなって―――人としての感情を全部、心の奥に仕舞い込んで……」
息が切れる。目頭が熱くなる。
気を抜いたら、泣いてしまいそうだった。
「アルミリアが死んで、リーネは一度だって笑わなくなった。まだ子供なのに……英雄である前に、一人の女の子なのに……!!」
拳が震える。喉の奥から酸っぱいものが込み上げてきて、正直気持ち悪い。
「あたしは……見ているだけで、何もできなかった……」
吐き出して、息を吸う。
それでもまだ足りないんだ。
「助けたいのに助けられなくて! 決まったセリフしか言えなくて! あたしの言葉なんて、あの子の心に何一つ届かなくて!!」
それが不甲斐なくて、ずっと何とかしたかった。
そしてようやく、あたしもこの世界の一員として心と心でぶつかり合える手段を得た。
声が届くんだ。触れられるんだ。
それならさ……やりたいようにやってやる。
手始めにまず、アルミリアの理想をぶっ壊す!!
「どうせ、自分が死ねばいいと思ってるんでしょ」
「っ……」
声にならない息が漏れた。
アルミリアの視線が、気まずそうに逸れる。
「逃げるな! あたしを見ろ!!」
胸倉を掴んで軽く揺らす。
身体が細い。軽い。こんなのが、国を背負っているなんて信じたくない。
「暴君として国をまとめて、みんなの怒りとか、恨みとか、憎しみとか、そういう負の感情を全部自分一人に集めて―――」
「ちがう、私は……!」
「違わない!!」
アルミリアが口を開きかけた瞬間、言葉を被せて畳みかける。
「後に遺恨を残さないとか、秩序を取り戻すための代償が必要だとか……悪意全部墓場まで持っていくとか、そういう計画なんだろうけどさ……!!」
アルミリアの唇が開きかける。
言葉は出ない。出せないし、出させない。
「この際だからはっきり言ってやる!」
喉が裂けそうになっても、お構いなしに声を張り上げた。
「そんなことをしたところで、世界はこれっぽっちも良くならなかった!! みんな傷痕を抱えて、蹲るだけだった!!!!」
「それは君の主観だ。私は世界のためにできることをしている!」
「うるっせぇなぁ!!」
苛立ちが爆発して、突き飛ばした。
アルミリアの左手が、インクの海をばしゃりと叩く。
跳ねた黒い墨が、真っ白な礼装に斑点みたいに滲んでいく。
「あたしら全員、あんたの尻拭いで散々苦しんだって言ってんの! いい加減わかれよ、このバカ!!」
アルミリアの唇が震えた。
眉間に小さな皺が寄って、吐き出す息が浅くなる。
「……世界は」
掠れた声だった。
あの演説の暴君宣言の時みたいな、鐘みたいに響く声じゃない。
「世界は単純じゃない」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる!」
喉が痛い。痛いけど、このまま喉が張り裂けたって続けてやる。
「計画通りに事が進むほど、世界があたしらに優しいわけないじゃん!!」
アルミリアの瞳が、大きく揺れていた。
「君は―――」
深い青の奥に渦巻いているのは、さっきまでの怒りじゃない。
恐怖と、困惑と、理解できないものを前にした人間の目だった。
「君は一体……どこまで、知っているんだ……」
「……全部だよ。全部。世界を救って、平和な未来を手に入れるまで、全部っ!!」
「ならそれを―――」
「言えなかった! 言いたくなかったんだよ!!」
あたしが遮ったから、アルミリアが何を言おうとしたかなんてわからない。
ならそれを何故早く言わなかったんだ。
とか。
何故ずっと黙っていたんだ。
とか、だと思う。
でもさ、言えるわけないじゃん。
だって―――
「どんな犠牲を払ってもその先に朝があると知ったら、みんなはきっと、それを選ぶから……!」
みんな、それを選んでしまえるくらい高潔な人たちばかりだから。
「あたしはそれが嫌だった! もう、誰にも死んで欲しくなかった! 背中を見送るのなんて、もうこりごりなんだよ!!」
呼吸が苦しかった。
叫びっ放しで喉がひりひりして、息ができなかった。
だけど、あたしの喉が潰れたからなんだ。
こんなの、みんなの痛みに比べたら大したことないから。
「……君は」
アルミリアの唇が震えて、掠れた声が漏れ出た。
しばらく言葉を探しているようだった。
目を伏せて、黙り込んで……そうしてようやく、口を開く。
「いや。もう、やめにしよう」
アルミリアが小さく呟き、諦めたように苦笑いを浮かべる。
折れた。
怒鳴らず、否定もせず、言い訳もしない。
ただ、ずっと武器にして振りかざしていた「正しさ」を、そこに置いた。
「手を、放してもらえるか?」
「え、あ……うん」
どうしてだろう。アルミリアらしくない。
いや、何言ってんだって話かもしれないけど、彼女の反応に違和感があった。
あたしの知るアルミリアなら、ここで負けを認めず反論する。
だから、どうにかして言葉で負かすための手段をいくつか用意してたのに、全部パァになった。
そう、オタク的に言うなら―――解釈違い。
でもそっか、単にまだ、あたしの解像度が甘かっただけか。
アルミリアは右手をついて立ち上がり、乱れた襟元を直しながらインクが滲んだ礼装の上着を脱いだ。
椅子の背もたれに汚れた上着をかけて、一つ息を吐く。
「……私は国を一つにまとめるつもりだった」
深い青の瞳が、大きく揺れた。
「暴君というやり方は、冴えたものではなかっただろう。だが、あの場の混乱を収めるには、これが最もわかりやすく、容易な手段だと判断した。戦後は、怒りも、憎しみも、恐怖すらも私一人に集め……秩序を以て民に安寧をもたらす……それが私の計画だ」
嘲るように笑いながら、アルミリアは淡々と語ってみせる。
自らの命すらも捧げた計画を、まるでゲームの攻略情報みたいに冷たく。
「戦時下の混乱を抑え、兵を動かし、民を生かし、少しでも勝率を上げる。戦後の内乱になりやすい民の不平不満は全て私が引き受け、大罪人として裁かれることで全てが丸く収まる……はずだったんだが、そう簡単に事は運ばないな」
机に置かれたアルミリアの左手が、ぎゅっと握り締められる。
「君の言う通りだよ、カノン。私は民を導く器ではなかった」
アルミリアが目を伏せて、ため息をつく。
暴君なんてもうそこにはいなかった。いるのは、ただ一人の少し抜けた女の子だけだ。
「君の言い分もよくわかった。だが……どうすればいいんだ。私はもう、戻ることなどできないというのに」
……そうだよ。
アルミリアを止めたからって、これまでの全部がなかったことになるわけじゃない。
彼女が人々に恐怖を振り撒き、支配しようとした事実は変えられない。
変えられないんだよ、あたし。わかってる?
わかってない。やばい、何も考えてない。
「それは……ほら……えっと……」
よくよく考えてみたら、アルミリアを止めることばかり気にして、止めた先のことを、あたしは何も考えていなかった。
相変わらずのノープラン。今回ばかりはそれでどうにかなる問題じゃない。
え、どうしよう。
どうやって、どうすればアルミリアの処刑を回避できる?
アルミリアは止められたけど、どうすれば未来を変えられる?
「と……とりあえずさ、謝ろっか」
悩んで、迷って、考えて―――
あたしが導き出した結論は、あまりにも雑なものだった。
「あや、まる……?」
「洗いざらい事情を話して、『ごめんなさい!』って頭を下げれば、きっと許してもらえるよ、多分」
なわけないだろ、何言ってんだこいつー!?
頭の中で全力セルフツッコミを入れながら、あたしは額を押さえた。
謝罪でどうにかなるフェーズ、とっくに過ぎてんだよね。
強いて言うなら、まだアルミリアが一線を越えていないのが幸いか。
この圧政によって誰も死んでいないのなら、まだ後戻りはできる。
できる……よね?
「……カノン。さすがにそれはどうかと思います」
「同意。ごめんで済ませられる罪じゃない」
「謝罪一つで民の怒りが収まるとは思えない」
んなこと言い出したあたしが一番わかってるわ!
リーネもノアもシリウスも、あたしのメンタルを深く抉るような追撃ばかりしてくる。
「ふざけているのか、カノン」
「いや、ふざけてないっす、至って真面目っす。ただ、咄嗟に出てきた案なんで、こう、致命的なガバがあるというか、なんというか……」
さっきまでマウントを取って一方的に殴っていたあたしの優勢が、たった一言でひっくり返る。
だめだ、このままじゃ何もできずに終わる。
あたしの説得も虚しく、アルミリアが当初の路線に戻ってしまう。
「いいえ、その手で行きましょう」
あたしの背後、部屋の入口から、声が聞こえた。
完全にプレミしたあたしに助け舟を出したのは、いつの間にかこっそり執務室に入室していたセナリアだった。




