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第28話 解き放て、推しの信念のために

 カテドラル上階の儀式の場から広場へ―――

 投げ捨てられるみたいに落ちた瞬間、視界が一瞬、白く弾けた。


 背中に強くて鈍い衝撃。

 噴水前の円形の石畳が、蜘蛛の巣みたいにひび割れて土煙が上がる。

 息ができない。肺が潰れたみたいに声が出ない。

 遅れて肩が熱くなる。痛い、って理解するよりも先に、全身を痺れが走った。


 人が空から落ちてきた―――その光景に、広場が悲鳴で波立つ。

 兵士は市民を騒ぎから遠ざけるように庇い、叫び声が四方へ走った。


「せ、先輩……だい、じょうぶ……ですか……」


 背中側から、シオンのか細い声。

 盾の基部から防御魔法を必死に展開して、落下の衝撃を殺してくれていた。

 それでも、完全には消しきれていない。


 大規模な儀式の反動なのか、残った衝撃のせいか。

 シオンは息が荒く、意識も朦朧としている。


「大丈夫。……ありがとう、シオン」


 立ち上がって、引き抜くために肩に刺さった槍に触れようとする。

 その瞬間―――


 バチッ、と静電気にも似た痛みが指先に走った。


「……っ!?」


 抜けた。いや、違う。抜かれた。

 槍がひとりでにするりと肩から抜け落ちた。


「ぁっ……っ、いったぁぁぁぁ……!」


 傷口が焼けて、内側から引き千切られるみたいに裂けた。

 流れた血が、白い礼装を赤く染めていく。

 遅れて、レーヴァ=ルクスの自己再生が肩の傷を覆った。温かな光が、ゆっくりと出血を止めていく。


 あたしの肩から抜けた槍は、空に魔力の軌跡を残して不規則に動き回り、広場に降り立つ一つの人影の手の中に収まる。


 全身に悪寒が走った。

 土煙が稲妻を纏って、バチバチと鳴る。


「オイオイ。なんだよ。仕留め切れてねぇじゃん」


 土煙の向こうから、女の声がした。

 聞いたことのない声―――じゃない。

 聞いたことがある。だからこそ、受け入れたくなかった。


 ヴァールゾルグの一番槍。

 単騎で聖都に乗り込んで、大勢を殺した強敵。


 【四戦神】―――雷槍のユピテル。


「シオン、立てる?」

「すみません、難しそう……です」


 シオンは必死に起き上がろうとして、すぐに崩れた。

 ……抱えて逃げるのはムリ。ここで守り切るしかない。


「……ごめん。今のあたしじゃ、君を守って戦える自信がない。魔法で自分の身を守るのを最優先にして」


 仰向けに横たわったままのシオンにそう指示を飛ばして、あたしは腰に下げた二つの剣のうち、何の変哲もない直剣を鞘から引き抜く。


 レーヴァ=ルクスを抜けば勝率は上がる。

 でもここは広場、大勢見ている。

 ここで聖剣を抜いたら、リーネが積み上げてきた“剣の聖女”の信頼が瓦解する。

 それだけは絶対にダメだし……何よりリーネがいないから、そもそも聖剣が抜けない……!


「……付呪強化エンチャント・セイクリッドウェポナ」


 魔力を集中、直剣が浄化の光を纏う。

 弱点属性ではある。でも、そもそも攻撃が通じるかどうかは別問題。

 

 一つ、息を吐く。

 脳内攻略情報、起動。使えなかったら臨機応変に対応―――いや、するしかない。


 魔力を全身に回して身体強化。

 痺れの残る肩がズキン、と痛みを主張する。無視だ、今は無視。忘れろ。


 スリーカウント。

 広場に響く悲鳴が、あたしの背中を押した。

 その中には評議会の連中の声も入っていたけど、迷うことはなかった。


(……いけ!)


 石畳を割りながら踏み込んで、土煙を抜けて突撃する。

 せめて、周囲に被害が及ぶ前にあたしが食い止めないと!


「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 土煙の向こうに立っていたのは、褐色肌の赤髪の女だった。

 炎のような紅蓮の髪。黄金の瞳。鍛え抜かれた肉体。

 口角を上げた笑みだけが、やけに人間臭い。


 ……なのに。


 白目が黒く塗り潰されている。

 背中から異形の触腕が伸びて、地面を撫でるようにうねった。


 やっぱり、こいつは人じゃない。

 間違いない……ユピテルだ。


「ハッ、良いねェその殺気。嫌いじゃねェ。……でもさァ」


 ユピテルは槍をくるりと回して、楽しそうに笑う。


「守りてぇもんが多い奴ほど、折ると最高に気持ちいいんだよな。―――テメェの悲鳴も聞かせろよ、ガキ」


 不意打ちにはならなかった。でも今更止まれない。

 この突撃の勢いに任せて、横から剣を振り抜く―――!


「せぇぇりゃぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 剣の軌道を、ユピテルが槍でなぞった。

 受けるんじゃない。合わせる。絡める。そして―――奪い取る。


「遅ェァ!!」


 槍先から電撃が剣を伝って、両腕がびり、と痺れた。

 自然と指が開いて、剣が手から落ちる。


「―――っ!?」


 あたしの武器が宙を舞って、視界の外に消えた。

 取りに戻れる距離じゃない。


 無防備になったあたしの胸に、槍が迫る。


「死―――」


 言い切らせる前に、背後から普段出し慣れていないような大声が響いた。


「《プロテクション・リミテッダ》ッ!!」


 槍先があたしを貫くことはなかった。

 あたしの胸元に展開された魔力の障壁が刃を弾いて、消しきれなかった槍の衝撃があたしを後方に吹き飛ばした―――けど、どこにもぶつからない。


 柔らかな魔力の障壁がクッション代わりになってあたしを受け止めた。

 続けて、凍えた風が背中を撫でる。


「《多重詠唱マルチプルキャスト:アイシクル・ランサ》ッ!!」


 半球状に魔法陣がいくつも展開されて、無数の氷の槍がユピテルに降り注ぐ。

 ノアだ。いつもの適当詠唱じゃない、全力の魔法。


 でも―――


「邪魔だ」


 ユピテルが稲妻を全身に纏い、一気に放電した。

 氷が砕けるだけじゃない。

 空気ごと爆ぜて、耳が痛くなる。近くの旗が焼け落ちて、石畳の一部が黒く焦げた。


 雷鳴が拒絶みたいに響いて、ノアの魔法陣が押し潰されるように消えていく。


 範囲がデカい。

 それにこいつの周りだけ、魔力の通りがおかしい。


 遠距離攻撃に反応して、落雷が自動で迎撃するゲームのクソギミック……しっかり再現されてるじゃん!


「……だめか」


 あたしの前に立って、ノアが舌打ちした。

 続けて、ノールックであたしに治癒魔法をぶん投げる。

 聖剣の自己再生と重なって、傷が強引に塞がれた。


「立てる?」

「……もち」

「なら、シオンを連れて下がって。あれはぼくが―――」

「ダメ! ノアは相性最悪!!」


 ノアの眉がひそめられて、冷たい視線があたしを睨む。


「あいつに魔法は効かない。あの雷は遠距離攻撃に反応して自動で発動する!」

「根拠は」

「あたしの記憶!」


 真偽看破の魔眼が淡く光って、あたしを見る。

 数秒黙って、ノアが小さく頷いた。


「……わかった。じゃあ、別な手」

「別な手?」

「シリウスがいる」


 ノアがそう言うと、あたしたちのすぐ脇を黄金の風が吹き抜けた。


 金髪が陽光を弾いて、外套が翻る。

 視界の端で、誰かが一度だけ地面を蹴った気配。


 次の瞬間にはもう、土煙の向こうに立っていた。


「―――へェ」


 少しは手応えのある敵の登場に、ユピテルが不敵な笑みを浮かべた。


 シリウス・グランヴィル。

 残火守最強の剣士。

 身の丈ほどの大剣を軽々と振るう公式チート。


 シリウスが大剣を構えた。

 その握りはまだ軽い。様子見の構え。


 突風が吹き荒れて、目で見えない神速の一撃がユピテルの槍と激突する。


 眩しい閃光と、稲妻。

 瞬きをする間に、ユピテルが後退して距離を取った。


「やるじゃねぇかアンタ。アタシと打ち合って得物を手放さなかったヤツはアンタで三人目だ」

「その賞賛は素直に受けておくよ。だが―――容赦はしない」

「良いねぇ、その目。アタシの大好きな目だぜ」


 ユピテルがわざとらしく笑った。


「守るものがあるヤツの目。怒りを内に抱えたヤツの目。そして―――」


 石突が地面を叩く。

 ポンッ、と気の抜けた音と同時に、消えた。


「―――人殺しの目だ」


 ユピテルが踏み込む。

 槍の穂先が稲妻を引きずりながら、シリウスの喉元へ一直線。


 ―――速い。


 刺さる、そう思うよりも先に。

 シリウスの大剣がそこにあった。


 ギィン! と金属が同士が互いを弾き合う。

 喉元の数センチ手前で槍が止まった。


「っ―――!」


 シリウスの額に筋が浮かぶ。

 ユピテルの槍が押し込むたび、稲妻がバチバチと大剣を走る。

 でもシリウスは顔色一つ変えず、そのままの力で押し返した。


「見かけ以上の重さだ」

「ハッ! いいね。良いねェ……!」


 ユピテルが嬉しそうに笑って、槍を引く。

 引いたと思った瞬間、槍が三本に増えた。


 いや、増えたんじゃない。

 三方向からの同時の刺突、そう見えるほど一撃が速い。


 シリウスが半歩引いた。

 引いた足が石畳を砕き、重心が落ちる。

 次の瞬間―――大剣が盾みたいに横に滑り、攻撃を全部まとめて弾く。


 火花が散る。雷が爆ぜる。でも、シリウスは崩れない。


 ユピテルが一度距離を取り、再び踏み込んだ。

 稲妻を纏って、姿一瞬消える。


 背後に現れたユピテルは、そのまま槍先をシリウスの背中に突き立てる。


 けど―――


「今のは驚いた。不思議な技を使うようだね」


 シリウスの大剣がそれを防いで、槍先を弾く。

 今の一撃に自信があったのか、ユピテルが小さく舌打ちをして、また距離を取った。


「……面白ぇじゃん、アンタ」


 槍を肩に担いで、首を鳴らす。

 その黒い白目が、楽しそうに細められた。


「でもよォ。生憎、アタシは礼儀正しい武人じゃなくてさァ」


 ユピテルが、槍を逆手で持った。

 右足をスッと引いて、空を睨む。

 右手を経由して、槍が稲妻を纏った。


「守るものが多いと大変だよなァ、えぇ、英雄サンら」


 ―――嫌な予感がした。


「ノア! 今すぐ防御魔法! 広範囲に展開して!!」

「もう遅ぇよッ!!!!」


 投擲―――稲妻を纏った槍が、空に向けて放たれる。

 轟音が鳴って、真っ黒な雲が青い空に立ち込めた。


 雷撃が落ちてきた。

 辺り一帯に、雨のように降り注ぐ。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「なんだこれはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 空から降り注ぐ稲妻が、広場の警備兵たちを撃ち抜いていく。

 何の力も持たない市民だけを避けて、兵士だけを雷の槍が貫く。


 悲鳴が上がった。絶叫が響いた。

 阿鼻叫喚の地獄が―――そこにあった。


 でも、そこで終わりじゃない。


 雷の槍は、空から落ちてくるたびに軌道を変える。

 逃げ惑う兵士の動きに合わせるみたいに正確に、執拗に。


 鎧の継ぎ目。首。脇腹。膝裏。

 どう頑張っても"守れない"場所を的確に射抜く。


「何が……何が起きているんだ……!」

「落ち着いてください! 避難誘導に従っ―――」


 叫び、逃げ惑う市民の列のすぐ横を、稲妻がすり抜ける。

 赤子を抱いた母親の隣で、盾を掲げた兵士の首元が撃ち抜かれて、赤い血が舞った。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 あぁ……だめだ。もう、混乱が収まらない。

 シリウスが前に出てユピテルの触腕と打ち合っているけど、実力が拮抗しているからどちらも決定打がない。

 その間に、空から降り注ぐ雷撃が、兵士たちを着実に減らしていく。


「させ……ないっ!!」


 シオンの指が震えながら、盾の基部を握り直した。

 降り注いでいた雷撃が、ドーム状の結界に阻まれて消えていく。

 攻撃が届かないことを悟ると、ユピテルは槍を呼び戻した。

 結界に穴を開けて、彼女の右手に武器が収まる。


「カノン……! 無事ですか!?」


 遅れて、塔の中から出てきたリーネがこっちに駆け寄ってきた。

 リーネは広場で暴れる一体の怪物を目にすると、眉をひそめてその名前を口にした。


「……ユピテル」

「リーネも知ってるんだ」

「愛する人の、仇でもありますから」


 リーネの持つ未来の記憶。あたしがリーネの代わりに死ぬ、バッドエンドの記録。

 その言い方からして、あたしがここで殺される未来もあったのかもしれない。


「カノン、聖剣を」


 そう言って、リーネはあたしに手を差し出した。


「ダメだよ。セナリアに抜くなって言われてる」

「ルクスがなければ勝てる相手じゃありません」

「わかってるけど……そうすると、リーネが偽物ってバレちゃう!」


 あたしはリーネを悪者にしたくない。

 みんなの信用を、裏切らせたくない。


「剣の聖女は何をやってるんだよ!!!!」

「リーネフォルテ様はまだなのか!!!!」

「あぁリーネフォルテ様……! どうか我々をお助けください!!!!」


 英雄を求める市民の声が、あたしたちの耳に届く。

 リーネは下唇を噛みながら、何かを決心するように頷いた。


「それでも……民の声を、裏切りたくはありません」


 あぁ……そうか、そうだよね、その通りだ。

 あたしの知るこの子は。

 あたしの愛したリーネフォルテは、そういう子だ。


 自分のことは後回しにして、ただ世界と人々を信じ、慈しみ、愛していた。

 だから―――迷いなく、自分が消える道を選べた。


「……わかった」


 あたしは、推しの信念を否定できない。

 リーネの想いを……拒むことなんてできない。


「リーネ、鞘を」

「……はい」


 あたしが聖剣を差し出すと、鞘にそっと、リーネの両手が添えられる。

 ルクスが淡く光を放つ。

 彼女も言っている。どうか私を抜いてくれ、って。


「……いくよ、ルクス」


 あたしがそう小さく呟くと、鞘と剣を繋ぎ止める抵抗がスッと消えた。

 黄金の残光を纏って、聖剣が純白の鞘から抜き放たれる。


 感覚が研ぎ澄まされて、必要な音以外が遠ざかっていく。

 周囲の魔力が震えているのがよくわかる。激戦を続けるシリウスとユピテルの動きが、すごく遅く見える。


 あたしが聖剣を抜き放つと同時に、戦場目がけて氷の壁が道を作る。

 なるべく人の目に触れないようにっていうノアの配慮だ、ありがたい。


 レーヴァ=ルクスを両手で握って、深呼吸を一つ。

 この場を乗り越える。ただそのためだけに、あたしは地面を踏み込んで駆け出した。

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