幕間 side.L:喧しい聖剣とリーネフォルテ
一日はいつも、朝を告げるカテドラルの鐘楼の音と、『彼女』の声によって始まる。
『おはようございます、カノン! 本日の寝顔もとても可憐で素敵です! あぁ……ずっと眺めていたいというのに、この時間がもうすぐ終わってしまうと思うと私は非常に悲しい……こうしてはいられませんね。カノンが目覚める前に寝顔は今すぐ私のメモリスロットへと―――』
隣のベッドで小さな寝息を立てながら穏やかに眠る桃髪の幼馴染。
その寝顔について喧しいほど熱く語る彼女の声が、リーネフォルテ・エル・クレストリアにとっての目覚まし時計だった。
「……毎度飽きませんね、ルクス。カノンを起こしますよ」
『おや、あなたはカノンの寝顔を見なくてもいいのですか? 可憐にして勇猛、気丈にして勇壮な彼女の無防備な一面など、そう見れるものではありませんよ。今のうちに―――』
「うるさいですね……」
リーネフォルテは机の脇に立てかけられた剣に手を伸ばし、鞘を軽く小突く。
『あっ、ちょっ、やめっ! 私が動けないからって卑怯ですよリーネフォルテ! あなたはもう少し、その雑な私の扱いについて今一度省みるべきかと思いますが!!』
本当に喧しいな、この剣は。
耳を閉じても頭の内側で反響する自分と同じ声に辟易し、リーネフォルテは早朝から深いため息をついた。
この声は、リーネフォルテだけに聞こえている。
金色の刀身を持ち、純白の鞘にその刃を隠した直剣。
故郷クレストリアの伝承にて、世界の脅威を打ち払うと語られた創世の聖剣レーヴァ=ルクスの正体。
それがまさかこんなどうしようもない阿呆だと、誰が想像できただろう。
少なくとも、リーネフォルテにはわからなかった。
この剣は彼女の運命を切り開くもの、そう教えられてきたのだから。
「ん、ぅ……」
ふと、隣のベッドから幼馴染の唸り声が聞こえた。
毎日のように先に起きるリーネフォルテは、それが何であるかを知っている。
カノン・フィリアが目覚める予兆だ。
「ふぁ……おはよう、リーネ」
「おはようございます、カノン」
眠そうな目を擦りながら伸びをするカノンに、朝の挨拶。
それと同時に、頭の中が一気に騒々しくなる。
『おはようございます、カノン! あぁ、今日もとても素敵です。その寝ぼけた表情、蕩けた眼差し、欠伸と共に鳴る喉。何より寝癖でボサボサの髪の毛! 私はなんて幸せ者なのでしょう。世界は今、カノンのために回っている、そう強く実感します!!』
「……うるさい」
そう小さく悪態をついてリーネフォルテはベッドから立ち上がり、残火守の礼装に袖を通す。
白を基調とした生地に、黄金の刺繍。
カノンが撃滅した魔竜騒動からはや三週間。
聖都の英雄の象徴とも言うべきこの衣装は、リーネフォルテにとっては背負う重荷そのものだった。
日に日に、両肩に圧し掛かる重圧が増している気がする。
『あぁ……! カノンの寝起き! 寝ぼけ眼に潤んだ瞳。こうしてはいられませんね、ぜひともカメラを……どうしてカメラないんですかこの世界!』
うるさい。
着替えながら、カタカタと震え、淡く輝くレーヴァ=ルクスを見る。
本来であれば、リーネフォルテが引き抜くはずだったその聖剣は、未だに欠伸を続けるカノンのものとなってしまった。
リーネフォルテとしては、それもまた良きことではあるのだが。
正直な話「私が背負いたかった」というのがリーネフォルテの本音だ。
「どしたの、リーネ。なんか浮かない顔してるよ」
カノンに指摘されて、リーネフォルテは咄嗟に表情を取り繕う。
人々の希望の象徴である聖女の表情。穏やかで、柔らかな、慈愛に満ちた微笑み。
クレストリアの王女として、常日頃から相手に求められている自分を演じ続けてきたリーネフォルテにとっては、造作もないことだ。
「なんでもありませんよ、カノン」
リーネフォルテは笑顔を貼り付け、平然と返す。
しかしカノンは―――彼女は、人の表情の機微に敏感で繊細な心の持ち主だ。
リーネフォルテはそれを知っているからこそ、この応急処置にも似た対応はやはり間違っているのだと、心の中でため息をついた。
◇
創世の聖剣レーヴァ=ルクスの中には、確かに人の自我が存在する。
彼女が何者であるかについては、その実見当がついていた。
ただ、答えに触れた瞬間に世界が壊れる気がして、積極的に考えないようにしていた。
あの口調、影響されたような語彙、そして、カノンへの熱量。
まさか、あんな阿呆が自分と同じルーツを持つ者だとは、思いたくはない。
というのが、リーネフォルテの本音だ。
「やぁぁぁぁぁっ!!」
カノンが持ち前の敏捷性を活かして敵の攻撃を掻い潜り、金色に煌めく聖剣の一撃によって胴を両断する。
半身に分かたれ破壊されたゴーレムが爆ぜ、黒煙の中からカノンが姿を現す。
『くぅぅぅぅぅ! カノンかっけぇぇぇぇ!!』
レーヴァ=ルクスの声が、カノンの勇姿に歓喜の声を上げる。
悔しいが、その点については同意だ。
引っ込み思案で脆いメンタル。すぐ胃を痛めて、気まずそうな顔をする普段のカノンと異なり、戦場のカノンは一味違う。それは、たとえ訓練の場だとしても変わらない。
冷静に状況を分析し、相手の動作を読み、最短の一手で敵を仕留める。
カノンの強みは、超人的な身体能力と敏捷性。そこから繰り出される、聖剣レーヴァ=ルクスの重い一撃。仲間の皆はそう考えているが、リーネフォルテの考察は異なる。
何がカノン・フィリアを英雄たらしめるか。それは恐らく、敵の弱点を素早く見抜き、効率的な一手を繰り返す彼女の観察眼に他ならないだろう。
戦いの中で活躍するカノンを見て、何度胸を躍らせ、心臓が飛び跳ねたことか。数えるのも億劫になるほど繰り返しているから、もう覚えていない。
カノンの語彙を借りるとすれば、「ギャップ萌え」というものだろうか。
『ね、今の見ました? 銃弾を避けながら敵の死角に移動して、的確に弱点を潰し一撃で斬り伏せる。未来予知にも等しい予測は、まさにカノンにしかできない芸当です!』
悔しいが、それも同意だ。
だがリーネフォルテは、それがカノンの「経験」から来るものだと勘付いていた。
時折口にする「読めてんだよなぁ!」「はい、安全地帯はそこ!」「その予備動作は右の攻撃!」というセリフの数々。
カノンの膨大な経験と知識がもたらす戦果を見れば、誰だってその結論に至る。
ただ、カノンはあまりその「経験」について語ろうとはしない。
このカノン狂いに見せられた、数えきれないほどの繰り返しの記憶。
その最初の一ページで、カノンがリーネフォルテを失ったこと。そして、その失意と後悔、過去の自分への憎しみにも似た衝動が今のカノンを動かしていることは理解している。
その後悔が、彼女に「無限の自己犠牲」という最悪の選択をさせてしまったという、事実も。
◇
剣の聖女とは、世界の希望の象徴だ。
深淵の波の到来により、今や世界中が混沌とした闇の中に沈んだこのフォストリエでは、たかだか北の小国の伝承に縋るしかないほど「希望」が大きく不足している。
魔竜騒動で大きな爪痕を残した中心街に足を運べば、それをひしひしと実感する。
「本日もありがとうございます、リーネフォルテ」
中心街の復旧作業現場。
作業にあたるカテドラル兵たち視察に赴いていた、祈の聖女イルセナリア・アリステリアは、リーネフォルテが差し出した三段の巨大なランチボックスを受け取り、柔らかな笑みを浮かべた。
自分と瓜二つの顔を見るのは、あまり気分の良いものではない。
他人の空似と言うには細部のパーツまで非常に酷似している彼女が、リーネフォルテは少し苦手だった。
まるで自分の鏡を……運命的な出会いを果たせなかったもう一つの可能性を見ているようで。
笑っている顔が、自分の作り笑いと同じで、胸が冷える。
『こうしてみると、影武者みたいですよね。あー気持ち悪い』
「心を読むのやめてくれませんか」
『仕方ないじゃないですか。強いあなたの感情はこちらに漏れて伝わってくるんです』
「伝わっても無視してください」
自分の強い感情は、意図せず漏れてしまう。だから余計に質が悪い。
イルセナリアに聞こえないよう小声で呟き、勝手に喋る聖剣の声に抗議する。
カノンはその場にいない、聖剣もそこにない。それなのに、声だけはなおさら鮮明に届いてしまう。まるで、聖剣の意思そのものは、リーネフォルテに紐づいているみたいに。
「リーネフォルテ。どうかしましたか?」
「……いえ、なんでもありません」
聖剣が急に喋ったせいで、イルセナリアに気を遣わせてしまった。
自分も大概、カノンほどではないが繊細だなと、リーネフォルテは己に呆れて一つ息を吐く。
「では、聖女の務めを果たしましょうか」
イルセナリアはそう作り笑いを再び浮かべ、現場で兵士たちを監督していた大柄なカテドラル兵のもとへと、ランチボックスを手に歩いていく。
彼女が何かを告げると、大柄な兵士は深く息を吸い、大声を上げた。
「作業……やめぇぇぇぇい! リーネフォルテ様より食糧の差し入れを頂いた! よって、ただいまより休憩とする!!」
『相変わらず癖強いですよね、この人』
わかっているから少し黙って欲しい。
大柄な兵士が声を上げると、現場で作業中のカテドラル兵から歓声が上がった。
聖女とは―――ユスティア神の代弁者にして代行者。
信仰の対象であり、希望の象徴であり、そして……愛の偶像だ。
民に愛され、民を愛する。その点においてはイルセナリアとリーネフォルテ、二人の聖女にとってはとても適した役目だろう。
『しかしこうして見ると、聖女というよりアイドルですよね』
「あい、どる……?」
『歌って踊れるキュートな女の子、ってことです』
「そうですか……」
少なくとも、どうでもいい情報だった。
イルセナリアを見ると、ランチボックスを開いて中のサンドイッチを兵士たちに配っていた。
リーネフォルテの手製であることを知ると、兵士たちはまた歓喜の声を上げる。
『けっ、何が剣の聖女ですか。聖都を守ったのはカノンなんですよ! それなのにリーネリーネと、彼らは真に感謝をするべき相手をさっさと思い知るべきなんです!!』
同じ不満を抱いたことはあるが、カノン自身が表に出ることを望まないだろうし、元々、アルミリアと交わしたのは自分が旗印となる契約だったから、仕方のないことだ。
それにしてもこの剣、正直すぎやしないだろうか。
剣の中の―――彼女。
何が一体彼女をここまで変えてしまったのかはわからない。
彼女自身の性格というより、幼馴染の影響をとても受けている。
影響を受ける……なんてものじゃない。最早、中にいるのはカノンなのでは? と疑問を抱いたこともある。
ただ、冷静に、自分が中にいると想定したら、自分自身に担い手を任せるというのは少しばかり不安……いや、生理的に無理だ。
とすればやはり……言及は、控えよう。
「あなた……本当に、そうなのですか?」
『藪から棒にどうしたのですか。最初に説明したはずですよ。私の名前はリ―――』
「わぁぁぁぁぁぁ! 駄目! それを言ったら自覚してしまうからやめてくださいって言ったじゃないですか!!」
珍しく取り乱し声を上げたリーネフォルテに、兵士たちの視線が集中する。
顔の内側から、熱がジワリと広がっていくのがわかる。リーネフォルテは「なんでもありません!」と頭を下げて、路地の方へと逃げるように駆け出した。
『何を恥じる必要があるのですか。カノンを救うために世界を超え、時空を超え、人の身すら超越した。それはまさに愛の成せる業に他なりません』
「だから嫌なんですよ! 自分が、自分が……っ!!」
リーネフォルテは民家の壁に背を預け、膝を抱えて蹲る。
「こんな……阿呆になってしまうなんてぇぇ……」
『アホとは何ですか! あなた今、自身のカノン愛を否定しましたよ!?』
カノン愛とか言わないで欲しい、羞恥心で死んでしまう。
聖剣レーヴァ=ルクスは、カノンが好きだ。
いや、好きというシンプルな単語で片付けられないほど、彼女はカノンを愛している。
永劫にも及ぶ繰り返しの旅の中で、その愛は徐々に強まっていったのだろう。とはいえ、彼女は本当に「そう」なのだろうかと、疑いたくはなるが。
使用する単語のセンスや、話し方。カノンを前にしたテンションなどは、どちらかと言えばカノンに近い。
そう、なんというか、自覚したくはないが……レーヴァ=ルクスの中にいる人物は、カノンと彼女のハイブリッドのようなものだった。
まるでカノンと私の子供みたいですね―――
などと甘い考えが脳裏を過って、リーネフォルテは首を振る。
『浅はかな妄想ですね』
「心読むのやめてください」
『女の子同士では子供をつくることはできませんよ』
「やめてください、破廉恥な!」
『おや、別にえっちな話題ではなかったと思いますが、一体何を想像したんですか、リーネフォルテ』
「なっ」
頭の中に響く声が、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。
繋がっているせいで、たまに思考が読まれることがある。
元はと言えば、これはあなたのせいだ。と、リーネフォルテは剣の声に責任を押しつけ、壁にもたれて座り込んだ。
目を瞑れば、カノンの顔が瞼の裏に映る。
自分の固く閉ざされた口元が綻んでいくのがわかる。
胸の奥にぽっと炎が灯って、乱れた心が穏やかに落ち着いていく。
カノンが好きだ―――そう言ってしまえたら、どれだけ楽か。
『言えばいいじゃないですか』
「伝えられるわけないでしょう!?」
『私は常に叫んでいますよ。あぁカノン好き! 愛してる! 結婚して! と』
「そのせいでこうなってしまったんですよ……」
四六時中頭の中で、自分とそっくりな声が絶え間なくカノンへの愛を叫ぶ。彼女の一挙手一投足を魅力的に熱く語り、呼吸のように「カノン好き!」と連呼し続ける。
そんな生活を続けていれば、カノンのことしか考えられなくなるのは当然だ。
『……リーネフォルテ』
自分と同じ声が、今度は妙に静かに、真面目な温度で呼びかけてくる。
その落差が一番ズルい。
ふざけていたかと思えば、急に息を止めさせるような鋭い声で核心に触れてくる。
「何ですか」
『後悔だけは、してはいけませんよ』
「……わかっています」
リーネフォルテは唇を噛み、視線を落としたまま息を吐く。
その声だけは、リーネフォルテの心に深々と突き刺さった。
永久に続く記憶の海の中で、彼女が一体どれだけ悔やみ、嘆き続けてきたのかはわからない。リーネフォルテに与えられた記憶は、無限に等しい「失う瞬間」の記憶だけ。
戻ることはできないからこそ、二度と同じ轍を踏ませやしない。
という決意が、その声から滲んでいた。
『ではここで練習してみましょう! りぴーとあふたーみー! カノン、大好き!!』
「いやしませんよ!?」
『大丈夫、誰も聞いていません。さぁご一緒に、カノン大好き!!』
まぁ……誰も聞いていないのなら、想いを吐露しても構わないか。
胸の内に溜め込むくらいなら、吐き出してしまった方が楽だろうし。
「……カノン、だ、だいすき」
『声が小さーい!! はいもう一度、カノン大好き!!』
「カノン、大好き……」
『もっと! もぉぉぉっと愛を叫んで! はい、カノン大好き!!』
「カノン……大好きぃぃぃぃぃぃぃ!!」
いつになく、感情が爆発した。
これほどまで内心をあらわにしたのは、魔竜騒動で自己犠牲に走ったカノンを平手打ちして叱責した時以来だ。
だって、仕方がないじゃないか。
起きてから寝るまでずっと耳元でカノンへの愛を語られ続ければ、自然と彼女が魅力的に見えてしまう。
それがなくとも、リーネフォルテにとってカノン・フィリアは、自分の運命を壊すと宣言してくれた王子様……いや、英雄なわけで―――
ふと、路地の入口に影が差し、剣の声がぴたりと止まる。
「リー……ネ……?」
「え」
声がした。
この場にいないはずの、彼女の声が。
いやまさか、声が似ているだけの他人だろう。アルミリアと特訓中の彼女がここにいるはずがない。
自分を「リーネ」と呼ぶのは……彼女だけなのに。
「えっと……あー……あたしも、大好き、だよ?」
やられた。
カノンの腰に携えられた聖剣が光ったのを見て、すぐさま謀られたと理解する。
聞かれてしまった……それも、いちばん聞かれたくない相手に、聞かれたくない言葉を。
顔が、熱くなっていくのを感じる。
「い、いえ! これは、違うんです! ね、ねこ……猫の名前! そう、猫の名前なんです! 『カノン・ダイスケ』という名前の猫を探してて」
自分の心に蓋をするように、リーネフォルテは早口で捲し立てた。
何を必死に取り繕って言い訳をしているのだろう。カノンの観察眼なら、それが嘘であることはすぐに見抜かれてしまうのに。
「なーんだ、そうだったんだ。ごめん、早とちりしちゃったね」
カノンはその特徴的な桃色の髪をガシガシと掻くと、精一杯笑った。
気付いていないはずがないのに、カノンはあえて気付かないふりをしたのだ。その気遣いを察してしまったからこそ、リーネフォルテの心がわずかに軋んだ。
「セナリアから連絡が来てさ、突然リーネがいなくなったって言うから、探してたんだ。いやぁ、直感だったけど、一発で見つかってよかった」
「……ご心配を、おかけしました」
カノンの笑顔に痛みが見えて、胸が苦しい。
彼女は、気付かないふりが上手だ。その優しさが、刃みたいに胸を削った。
気付いていないわけではいのだ。だからこそ、ありがとうと言えない自分が、いちばん嫌だった。
カノンに気を遣わせてしまったという事実が自分を苛め、リーネフォルテはカノンから顔を逸らすように視線を落とす。
「リーネ、平気? 少し疲れたなら、休む? ここだと地面硬いから、あたしの膝貸すよ?」
あぁ、どうして彼女は、こうも内心を抉るような優しい言葉をかけてくるのか。
カノンの温もりが身に染みる。それと同時に、彼女に甘える自分に嫌気が差す。
「いえ、大丈夫です。戻ります」
リーネフォルテは本心を厚い布で覆い隠し、いつもの作り笑いを浮かべた。
「なら一緒に戻ろっか! ほら、手繋ご!」
そう言って差し出されたカノンの手を、リーネフォルテは躊躇いながらそっと握り返した。
リーネフォルテの脳裏を、過去の記憶が過った。
魔竜騒動の夜、脅威を共に打ち倒し、カノンと共に星空を見上げた。
感極まって、おかしな空気で互いに「大好き」だと伝えてしまったあの瞬間。
カノンの語る好きと、リーネフォルテの好きは違う。
カノンのそれは、憧れにも似た感情だ。決して届かない星に手を伸ばすような、叶わないと内心諦めているような、そんな想い。
対してリーネフォルテのそれは―――決して抱いてはならない禁忌の感情。
一人の少女の……淡い恋情。
わかっているのに、忘れてしまいたいのに……カノンがそうさせてくれない。
「……リーネ?」
気付けば、リーネフォルテはカノンの小さな手を強く握っていた。
もう失いたくない。離れたくない。ずっとそばにいて欲しい。
感情が渦を巻いて、心が煩雑に乱れていく。
あぁ……やはりだめだ、この感情は、封じなければ。
リーネフォルテは一つ息を吐き、聖女の仮面を自分の顔に貼り付けた。
「もう大丈夫です。行きましょう、カノン」
カノンから手を離して、いつもの柔らかな笑みをつくる。
いつか伝えられたら。そうは思うが、それがいつになるかはわからない。
カノンは英雄だ。この世界を救ってくれる勇者だ。だからこそ、こんなくだらない感情で彼女の手を煩わせるわけにはいかないのだ。
もし、本当に世界が平和になって。
聖剣が示した、無数の可能性が全て覆り。
カノンと共に、未来に歩き出すことができたのなら―――その時は、恥ずかしがらずにこの想いを打ち明けよう。
それまでは……胸の内に留めておこう。
リーネフォルテはそう小さく決意して、聖女としての自分の仕事に戻っていった。




