第23話 Good END:推しが笑って暮らせる未来のために①
やり遂げた―――という達成感があるのに、胸の奥がまだざわついていた。
正直言うと、眠るのが怖かった。この物語は全て夢で、目が覚めたらあたしは、現実に帰っちゃうんじゃないかって、不安で。
でも、そんな不安は杞憂だった。
目が覚めたあたしの視界に飛び込んできたのは、烽火院の天井。
現実の自室とは段違いな柔らかさを誇るベッド。
あたしは……この世界に生きているんだ。
身体はまだ本調子じゃないけど、戦いの傷はほぼ塞がっていた。
砕けた左腕も、しっかり骨が繋がっている。
こればかりは、レーヴァ=ルクスの自己修復機能に感謝だね。
リーネは……どこかに行っているみたい。
ベッドの上に、丁寧に畳まれたパジャマが置いてあった。
朝の訓練か、それとも別な用事かな。
カタ、と、隣に立てかけられていた金色の剣が震えた。
あの一回きりで、声はもう聞こえない。だけどなんとなく、あたしに「おはよう」って言っている気配がした。
上体を起こすと、机の上に書置きが一枚あるのが見えた。
まだ痛みの残る身体をゆっくり動かしながら、確認する。
「げっ」
目が覚めたら、着替えて私の執務室に来い。
一文字一文字丁寧に書かれた文字に、所々怒りが滲んだ後がある。
名前はなかったけど……どう考えたって、アルミリアだ。
もう少し寝ていたかったけど、そういうわけにもいかないみたい。
パジャマ代わりにしている礼装の予備のインナーのまま、上着を羽織って外に出る。
ずっと暗く沈んだ空気の中にいたからか、やけに気分が心地良かった。
窓ガラスに反射したあたしの顔が目に入る。
傷一つなし、ニキビもなし、シミもシワもなし。
玉のようにすべすべな柔肌。桃髪の美少女、カノンの顔がそこにある。
うん、やっぱあたし可愛い!
奥底に眠っていたオタクを呼び覚まして、両手で頬を二回叩く。
ぺちぺちと、ぷるぷる弾む肌が、あたしはまだ子供なんだと痛感させる。
ま、中身は二十五歳のオタク女子なんですが。
ごめんね、カノン。いつかきっと返すから。
何言ってんだろうな、あたし。返せる保証なんてどこにもないのに。
「よし、いこっか、ルクス」
ごめんね、ほんとはリーネって呼んであげたいけど、誰かに聞かれたらまずいからさ。
友達の名前で犬呼ぶ人みたいでさ、誤解されたくないじゃん。
あたしの懸念を理解してか、剣帯の中で、ルクスが嬉しそうに淡く光った。まるで返事みたいに。
窓の外には、雲一つない青空が広がっている。
空気は美味しい。平和が戻ってきたんだって、実感する。
「……じゃ、今日も一日、頑張りますか!」
戦いは終わっても、あたしの二度目の人生はまだ続くんだ。
だってそうでしょ。
リーネを救うための戦いは、まだまだ始まったばかりなんだから!
◇
と、気合を十分にして、日常に戻ってきたわけですが―――
あたしは早速、ブチ殺されてしまいそうです。
「私が何を言いたいか、わかっているな……カノン」
心臓を貫く鋭利な長槍のような視線が、あたしを射抜く。
「……わかっているな?」
「全部わかってますので二度も言わないで!?」
烽火院の最上階、雷帝の執務室。
執務机に肘をつき、組んだ両手で口元を隠し、低い位置からあたしを睨みつけているのは他でもない、烽火院の主にして、あたしら残火守の長―――アルミリア・ヴァールゾルグ。
あたしの独断が、おそらく最も傷つけてしまったであろう相手。
アルミリアは呆れたようなため息をついて、あたしに一枚の紙を差し出す。
なんだこれ、フレアリスの地図? 所々に丸がついてて―――
「なんすか、これ?」
「この度の深淵の魔竜戦、それによって生じた被害だ」
中心街をはじめ、旧市街までの一本線に赤丸が集中している。
あぁ、そうだ。これ、あたしが魔竜を誘導するために使った最短ルートだ。
「中心街、特にカテドラル周辺は被害が深刻だが、復旧にさほど時間はかからないだろう。君の誘導による被害も、比較的軽微だ」
なら、あたしは一体何の責任を問われるんすかね?
だってもうこの空気がそれじゃん。校長室に呼び出されて説教、みたいな感じじゃん!
だけどアルミリアは、あたしを叱るでもなく深々と頭を下げた。
「ありがとう、カノン……この程度で済んだのは、君のおかげだ」
握られた右の拳が、小刻みに震えている。
声も、少し掠れているような気がした。
「な、なーんだ。叱られるわけじゃなかったんだ。ならあたしもう帰りますね、訓練あるんで」
正直この空気から早く脱したくて、部屋の入口に足を向ける。
アルミリアは一瞬目を瞑って沈黙すると「ただし―――」と続ける。
「それとこれとは話が別だ」
アルミリアは立ち上がって、あたしの頭頂部を右手でガシッ、と掴んだ。
心なしか、声のトーンも一段落ちている。
「ひっ……」
蛇に睨まれた気分だった。
恐怖で身体が石のように硬直して、指一本動かせない。
あたし……マジでブチ殺されそうな気がするんだけど。
「君はあの時、『何も聞かず、合理的な判断を下せ』と私に言ったな」
「そ、そう、なんすか?」
言ったっけ?
言ったような気がするなぁ。超必死だったから、覚えてないけど。
いや、言った。そんでもって、あたしはド最低だと自分に言い聞かせた。
「あぁ、確かに言った。そして、『何も聞かず』と前置きをしたのは、私の罪を知ってのことだろう? なぁ、カノン?」
バレてる――――――!!
全部バレてる! あたしがアルミリアの気持ち全部無視して、長としての合理を信じたこと見通されてる!
あ、だめだ、これ、あたし何返してもブチ殺されるわ。
見開かれた彼女の目が、そう言ってる。
「せ、せめて苦しめず一瞬で死なせてくださいっ!!」
「何を言っているんだ、君は」
アルミリアはあたしの背中に手を回すと、そっと抱き寄せる。
突然のことに、息が詰まった。
「もう二度と、あのような無理はするな」
頭に添えられたもう片方の手が、微かに震えている。
怖い、怖いのに……彼女から伝わってくる恐怖の方が、はるかに大きい。
「……ごめんなさい」
あたしの口は、考えるよりも先に動いていた。
あたしは最低だ。全てを知った上で大勢の地雷を踏み抜いて、みんなの消えない心の傷になろうとしていた。
「もう、しません」
必死だったから。あの時はそれしかないと思ったから。アルミリアを傷つける意図はなかった。だってあれが一番手っ取り早かったから。
っていくらそれらしい言い訳を並べても、みんなはきっと納得しない。
残される側の気持ちは、痛いほどわかっている。
文字通り、死ぬほどつらい。実際、衰弱で死んだわけだし。
わかっていたのに……本当に、何をやってんだろうな、あたし。
「……いいだろう」
アルミリアは少し惜しそうに、あたしの身体から手を離す。
そして、穏やかに笑いながらあたしの頭を、ぽん、と軽く撫でた。
「次同じ選択をしたら、私は決して私を許さない」
「……はい」
まだ塞がっていない心の傷をそっと撫でるような、痛そうな笑顔。
あたしを咎めるはずのその言葉が、アルミリア自身に向けられている。
痛みを堪え、今にも泣き出しそうな笑みがそう言っていた。
「安堵するな。君にはまだ仕事が残っている」
ふっと、アルミリアの目が切り替わる。
私情を切り捨てた、仕事モードの真剣な眼差しだ。
「仕事?」
間抜けそうにあたしが問うと、アルミリアは窓の外に視線を向けて、言った。
「後始末が、残っているだろう?」
「後始末……」
あたしがインコみたいにそっくり返すと、アルミリアは地図の中心街を指差す。
「復旧作業だ」
「復旧作業」
「傷をそのままにしては、いずれ膿み、爛れてしまう。それは国だろうと例外ではない。この聖都に、決して消えぬ傷痕はただ一つのみでいい。そうだろう? 剣の聖女」
はじめてその名前で呼ばれて、あたしはごくりと息を呑んだ。
剣の聖女―――それは本来リーネフォルテを示す、世界の英雄の称号。
きっと、アルミリアなりのメッセージだったんだろう。
お前は今から、世を背負う英雄になるのだと。
それをしっかり噛み締めろ、と。
いざ言われると……めちゃくちゃ胃が痛い。胃薬欲しい、強力なやつ。
でも、背負うって決めたのはあたしだ。あたしなんだ。
リーネも、世界も、ついでにあたしも、犠牲にしない。
自己犠牲エンドだけは、絶対に許せないからね。




