第22話 夜闇を切り裂け、暁を灯せ
「あたしらってさ、火力足りてないよね」
十分だとは思うのですが。
「足りないよ! 今まではリーネの技量でなんとかなってるだけ。巨大な敵とかさ、大群を相手にする時とか苦労してるじゃんか」
聖剣以外を使うとなると、余計大変ですよ。
「そうなんだよねぇ……はぁ。せめてルクスが大剣だったらなぁ。こう、光の刃がぐーんって伸びて、一撃で大群を薙ぎ払ったり、巨大な敵を両断したり」
なるほど……
「って、冗談だけどね。ルクスにそんな機能はないって、ノアが解析してくれたわけだしさ」
いえ、カノンは本当に、すごいアイデアを思いついてくれますね。
それは、あたしの声だった。
だけど、この視点の主はあたしじゃない。
もっと柔らかくて、もっと優しくて―――それでいて、世界を背負った、強い意志を持つ声。
◇
今のは誰の記憶だろう。
主観的な視点で、あたしがルクスの機能不足にぼやいていた。
だから記憶の持ち主の顔は見えなかった。
でも、なんとなくわかる。
「……今のは、あなたの記憶?」
右手の中のレーヴァ=ルクスに問いかける。
ルクスはそれに応じるように、ぽっ、と光を明滅させた。
「リーネ。ルクスはなんて言ってる?」
リーネは聖剣の声をよりはっきりと聞くために、胸に手を当てて目を瞑った。
しばらくして、鞘をあたしに向けてこう言った。
「剣を、鞘へ」
リーネは穏やかな笑みを浮かべる。
ここが戦場なことなんて、忘れているみたいに。
「彼女はずっと探していました。自分とあの子、二人を救うための術を」
「二人を……?」
「はい。だから彼女は、その身を剣に捧げた。レーヴァ=ルクスが本来持つ、理を書き換える創世の力。それを制御し、掌握し、運命を切り開く……開闢の剣を成すために」
「開闢の……剣……」
同時に、胸の奥、剣の向こう側から―――
『きてください……カノン』
声が聞こえた。
あたしを信頼して、すべてを託す、真っ直ぐな声。
信じよう。あの子があたしを信じているんだ。あたしが信じなくて、どうすんだ。
剣の切っ先を向け、ゆっくりと突き刺す。
刃と鞘の隙間から、光が漏れ出る。拒んでいるみたいに、何かの壁を突き抜けようとしているみたいに、押し戻されそうになる。
「お願いルクス……力を貸して」
抵抗がどんどん強くなる。
ルクスの意志じゃない……これは、あたしが越えなきゃいけない壁なんだ。
……いや、違う。あたしが呼ぶべきはルクスじゃない。
聖剣レーヴァ=ルクスはただの器だ。あたしが呼び、願うべきなのはその先の―――
「そこにいるんでしょ……ねぇ」
あなたが一体、どれだけの喪失を経験してきたのかあたしにはわからない。
でも……その覚悟だけは伝わってくるよ。
あたしなんかを救うために、身体を捨てて、剣の中であたしを待ち続けていたんだもんね。
「……あたしを支えて、リーネフォルテ」
だめか。いや、そっか。
この呼び方は、今のところあたし限定だもんね。
「一緒に戦おう、リーネ」
その名を小さく呟いた瞬間に、鞘の抵抗が消えた。
あたしの手に、そっと白い手が添えられる。
『一緒に、運命を切り開きましょう、カノン』
気のせいじゃなく、確かにそう言っていた。
もう一度、直に聞こえた彼女の声。
それは―――精巧につくられた銀鈴のようだった。
なーんだ、やっぱりそうだったんだ。
正直さ、そんな気がしてたんだ。
だってあなた、あたしのこと大好きじゃん。
なんだよあの起動キー。伝説の聖剣が、自我出しすぎだって。
でも……ありがとう。
あなたはあたしを信じてくれた。だから今度は、あたしがあなたを信じる!
運命は、あたしたちが切り開いていくんだ……!!
鞘の縁と聖剣の鍔が触れる。
カチ―――と、何かの鍵が外れるような音がした。
「聞こえるか、運命……今この瞬間から、あたしが世界の鍵だ!!」
聖剣の柄を両手で掴み、思いっきり捻る。
錠を外すように、鍵を開けるように―――この扉を、こじ開ける。
鞘の表面に幾何学模様が走って、その形が変わっていく。
剣を覆い、鍔を覆い、柄を覆って―――あたしの右手の肘から先をガントレットのように覆う。
「カノン……どうか、その名を。暁を、灯してください」
頭の中に、その剣の名前が浮かんだ。
……へぇ―――いい名前じゃん。
深く息を吸って、吐く。
全身の痛みは消えていない。
でも、痛いことなんてどうでもいいくらい今は―――嬉しい。
誓うよ。
リーネも、世界も、あたしも―――誰も置いていかない!!
「聖剣解放―――夜闇を切り裂けっ!」
光が収まった剣を、思い切り振り抜く!
鞘が纏った聖剣レーヴァ=ルクスは、あたしの身体をゆうに超えるほどの巨大な刃を夜の闇に煌めかせた。
「暁星の大剣―――ッ!!」
あたしがその名前を叫ぶと同時に、建物の残骸を突き破って魔竜の肉の塊が襲いかかる。
そりゃ、新形態お披露目のカタルシスなんて、あんたには知ったこっちゃないよね。
でもさ……今ちょっといいところなんだよ。
「あたしとリーネの、邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一度、たった一度、大剣を横に振り抜いただけだった。
それだけで、光の刃が魔竜の肉を切り裂き、残った瓦礫を風圧で弾き飛ばす。
その断面が、焼き切られたみたいに赤熱していた。
アビスの核を覆いながら、ぶくぶくと肉が蠢く。
もう、それが竜だったことを証明する要素は何もない。
翼も、尻尾も、牙も、鱗も……すべて、泥と肉の塊に取り込まれてしまった。
残骸が邪魔で見えなかったけど、そんなことになってたんだ。
わかったよ。今……解放してあげるから。
残ったすべての魔力を込めて、ドーンブレイカーを両手で握る。
夜を照らすほどの眩い光が剣から放たれて、辺り一帯を白く染め上げた。
天高く、その剣先を掲げる。
剣が放つ光が一点に集束して、光の柱を形作る。
夜を貫け、天を切り裂け、この闇を、打ち払え。
あたしが剣に願えば願うほど、その輝きは増していく。
「もう、夜は終わり。目覚めの時だよ」
剣先が、空に触れた。
深淵領域が映し出す偽りの夜空に亀裂が走り、虚像が剥がれていく。
卵の殻のようにパラパラとテクスチャが剥がれた先から、本物の夜が覗いた。
無数の星々が瞬き、月が輝き、人々を苦しめることのない、本物の夜空。
夜空を切り裂いた光の柱を、あたしは目の前の核に向けて振り下ろす。
両腕が、引き千切れそうなほど軋む。
でも止まらない、止められない。
光の柱が、空から落ちてくるみたいに核へ吸い込まれて―――
「くらえぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――!!」
世界が……鳴った。
耳が痛い。目が痛い。肺が痛い。全身が痛い。
核を覆っていた肉の壁が、紙みたいに裂けて、剥がれて、吹き飛んでいく。
黒い泥が悲鳴を上げるみたいに泡立って、光に焼かれて、蒸発していく。
「――――――ッ!!」
刃が、核に触れた。
ドクン、と最後の鼓動と共に、声にならない悲鳴が響き渡る。
それが子供の断末魔みたいで、ちょっとだけ―――胸が痛んだ。
……ごめん。
あたしは、未来に進まなきゃいけないんだ。
「壊れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
光が、爆ぜた。
黒い核に走る亀裂が、蜘蛛の巣みたいに広がっていく。
―――割れて。
―――壊れて。
―――砕け散った。
その瞬間、魔竜だった肉の塊が、ぷつんと糸を切られたみたいに止まった。
止まった、というより―――意味を失った。
さっきまであたしを殺すために動いていた肉が、ただの泥に戻っていく。
黒い海に落ちて、形を失って、ただの汚れになっていく。
遅れて、空気が軽くなった。
あの嫌な圧。ぴりぴりする魔力。背中を這う虫みたいな感覚。鼻を腐らせるような臭い。
それが、すーっと引いていく。
「……おわっ、た」
言った瞬間、膝がガクッと笑った。
当たり前。身体、もう限界だもん。
さっきまでテンションで誤魔化していた痛みが一気に押し寄せてきて、視界が白く滲む。
レーヴァ=ルクスも魔力を使い果たして、ドーンブレイカーが崩れて、ただの鞘つきの聖剣になって地面に転がった。
疲れた。もう、身体がまともに動かない。
「カノンっ!」
目の前に倒れ込むあたしを、駆け寄ってきたリーネが支える。
声が聞こえる。息が聞こえる。鼓動が聞こえる。
あぁ、生きてる。
「っ……リーネ……」
喉が震えて、声が出ない。
あたし、今めちゃくちゃかっこよく決めたばっかなのに。
締まんねぇなぁ、ほんと。
「あ、あれっ?」
あたしを受け止めた拍子に、リーネがバランスを崩した。
石畳の上に、二人重なって倒れ込む。
リーネの顔が、文字通り目と鼻の先にある。
傷だらけだ。煤と泥と血と肉片まみれで、ひどい顔。
「……あったかい」
「すみません。私もどうやら、動けないみたいです」
「うそ、マジか。って、ごめん! 重くない?」
あたしの頬に片手を添えながら、リーネは首を横に振る。
「へーきです。だって、カノンなんですから」
リーネがふっと笑った。
いつもの、柔らかい笑顔。
ドクンと、心臓が高鳴る。
あたしの推し、可愛いな。うん、めっちゃ可愛い。
でも……今回のこれは、ちょっと違うような―――
「それはあたしがチビでちんちくりんって言いたいのかぁ?」
気持ちを誤魔化すように、リーネの頬を思いっきり摘まむ。
推しが可愛い、とは別の―――胸の奥が、変に熱い。
これは……この感情は、自覚しちゃ、いけない気がする。
「いふぁい、いふぁいれふよ、ふぁのん」
「へーんだ、そのうちリーネより大きくなってやるから!」
なんか胸がおかしくて、怖くなって、リーネの隣に倒れ込む。
空には星空が浮かんでいた。
深淵の夜とは違う、本物の夜空。
手を伸ばせば届きそうで、それでも星は掴めない。
「……終わったね」
「……はい」
感情をぶつけ合ったから、ちょっと気まずい。
リーネも何を話そうか迷っているみたいで、笑顔なのに、眉が下がっていた。
「―――あのさ」
「―――ところで」
同時に口を開く。
リーネは微笑みながら、あたしに「どうぞ」と言った。
「いつから?」
「いつから、とは?」
「あたしのいない未来の記憶。知ったのは、いつからだったのかなって」
リーネはどこか懐かしいものでも見るような目を、星空に向けた。
「最初にレーヴァ=ルクス―――彼女に触れた時です」
「えっそんな前!?」
「といっても、『カノンを助けたいから協力してくれ』と頼まれただけです。もっと具体的な記憶は、十年眠っていた時にもらいました」
道理で……あたしのオタク発言やメタ発言に反応しなかったわけだ。
全部知ってたなら、そりゃ「あぁ、またやってるよ」って、微笑ましい目で見てくるわな。
「……レーヴァ=ルクス―――あの子は、何回繰り返してるの?」
「さぁ……私は、五千から先は数えていません」
笑ってるのに、声が少し掠れていた。
途方もない数字に、背筋がゾッとした。
五千回以上、同じ結末を見続けてたってこと?
五千人のあたしが、リーネの前で消えてたってこと?
手を伸ばす、あの子を置いて―――
「最低だ、あたし」
「……そうですね。私も、最低です」
「どうして?」
「だって……カノンも同じなんでしょう?」
いや、あたしのはモニター越しの一回きりで―――
とはとてもじゃないが口が裂けても言えず、乾いた笑いを返す。
視界が、ぐらりと揺らいだ。
瞼が重い……疲れがどっと押し寄せてきて、もう、起きていられない。
「ね、ねぇ……リーネ」
「……はい」
あれ、あたし死ぬ? いや、死なない。死ぬわけにはいかない。
あたし自身も犠牲にしないって、誓ったばかりなんだから。
「あたしさ……リーネに伝えなきゃいけないことが、いっこあって」
「奇遇ですね、私もです」
「そ、そっか……じゃ、同時に言う?」
「そうですね。そうしましょう」
もう、リーネの声がよく聞こえない。
視界もぼやけて、星空が何重にも重なってる。
あぁ、この感覚、知ってる。
二徹でゲームした時と同じだ。ソルファリオ倒した時と、同じだ。
まさか、また十年寝たりなんて、しないよね。
風が吹いた。
あたしたちの息が、同じタイミングで止まった。
夜空に、流れ星が一筋、瞬いた。
あたしとリーネはその瞬間、お互いに口を開く。
「大好きだよ、リーネ」
「大好きです、カノン」
これからも、何があっても一生……リーネはあたしの最推しだ。
あぁ、わかってる。逃げだよ、これは。
だって、あたしは本来、この世界の人間じゃない。
一人の女の子を救おうとやってきた、外部の異物なんだ。
この世界で笑って、泣いて、怒ることができるのに、あたしの席はどこにもない。
あっちゃいけないんだ。
だから少しだけ、この感情を整理する時間が欲しい。
それまでは、逃げても……いいよね。




