第19話 ごめん。これしか見つからなかった
「グゥゥゥゥゥゥ―――」
さっきの開戦の雄叫びとは違う。
低くて、腹に響いて、空気が腐るような音。
怒り? ううん、違う。
魔竜の腹の奥で、膨大な魔力が灯った。
「カノン!!」
リーネの声が飛んできた。
でも、その声が遠い。
さっきの衝撃で鼓膜がやられたのかな、片耳が聞こえないや。
「大丈夫、リーネ。まだ―――」
戦えるよ。
そう言い切る前に、魔竜が動いた。
翼を開いたと思った瞬間、地面が抉れた。
風圧で、石畳が剥がれて飛んだ。
「うわっ!?」
身体が持っていかれる。
踏ん張って、転がって、なんとか耐える。
でも、それで終わりじゃない。
魔竜が首を振った。
その動きに合わせて、空中に小火球が浮かぶ。
一つ、二つ、三つ―――もっと、はるかに多く。
赤い星が、夜空に瞬く。
「リーネ! 全力で魔力防御ッ!!」
あたしがリーネに指示を飛ばすと同時。
夜空に浮かんだ星が、雨のように―――落ちてきた。
あぁ、だめだ、リーネの防御、間に合ってない。
なんでこんな時、あたしのことを気にしてんだよ。
急いで自分に障壁張れば、自分くらい守れたじゃんか!!
流星が眼前に迫る。
先に落ちた火球が、石畳を打ち砕き、建物を倒壊させ、辺りを火の海に変えていく。
ほんと性格悪いなお前……ピンポイントで、あたしとリーネを外してる。
お前たちの弱さがこの惨状を招いたんだぞ。
これがお前たちの罪なんだぞ。
そう、言い聞かせるみたいに、黒い瞳があたしを見下ろす。
このままじゃ街が焼ける。
悲鳴は聞こえない。避難は……終わってるのかな。
あぁ、あたしのせいで……あたしが、つまんない慢心なんてするから。
あたしが―――
『……させない』
耳飾りが、ひやりと冷えた。
肌を突き刺すような冷気が、熱を押し戻すように辺り一帯を駆け抜ける。
魔竜が落とした流星、その炎が、一つ残らず掻き消えた。
この魔法……まさか。
『カノン、リーネフォルテ、生きてる?』
耳飾りの奥から、冷たく研がれた声がする。
ノアの魔法が、炎を掻き消してくれたんだ。
あたしとリーネを、氷のドームが包み込む。
今の状況に困惑しているようで、魔竜は不思議そうに首を振っていた。
「……なんとか、生きてる」
『辛うじて。援護、ありがとうございます』
あたしとリーネは耳飾りに魔力を通して、ノアの生存確認に応える。
向こうから、ほっ、と一息つくような音がした。
『使い魔を飛ばして偵察した結果を報告する』
ノア、偵察してくれたんだ。
ありがたい。でも……今更敵の規模がわかっても、どうしようも。
『端的に説明する。深淵領域は聖都南東部から中心街にかけてを包むように発生した。拡大速度はさほど早くない。発生した魔物は、シリウスを筆頭に残火守がほぼ殲滅している。市民への被害は軽微。負傷者はいるけど、死者はいない』
ノアの報告は、ルクスを解析した時や、工房で破壊耐性の実験をしていた時と同じように淡々と、必要な情報だけを告げていた。
犠牲者ゼロ。それを聞いただけで、絶望していたのが嘘みたいに、モチベがぐんぐん湧いてくる。
「じゃあ、あとはこいつを倒して、核を破壊するだけ?」
『うん。そうなんだけど、少し厄介なことになってる』
通信から聞こえる声のトーンが、一段落ちた。
『リーネフォルテはわからないと思うけど、説明している時間がないから結果だけ。その魔竜は、番人だよ』
番人―――ガーディアン。
その単語を聞いた瞬間、ズキリと頭が痛んで、情報がインストールされる。
知らないはずなのに、あたしはその言葉を知っている。
知っているという、記憶がある。
「アビスの核からエネルギーを得て、核を破壊しない限り再生を続ける魔物」
『その通り。きみたちがここでどれだけ削っても、核を壊さなきゃいずれ再生する。見たところ、カノンは一人で動けてるようだから、リーネフォルテ、きみが核の破壊に向かって』
それじゃだめだ。
リーネは確かにすごいよ。魔法の習得も早いし、センスが良い。
それでも……まだ、戦闘経験が浅すぎる。
「ノアが壊しにいけないの?」
『無理。さっきのでほぼ魔力切れ。すごく眠い』
こんにゃろ。
でも、助けてもらったわけだし、悪くは言えない。
核の破壊も、魔竜の討伐も、あたしたちでやるしかない。
「わかった、あたしらでなんとかする。で、核の場所は?」
『核の座標は―――旧市街、南東の外壁のすぐそば』
瞬間、一つの選択肢があたしの脳内に浮かんだ。
というか、それしかないように思えた。
『ねむい……じゃ、あとよろしく……』
それだけ告げて、耳飾りからの応答がなくなる。
ノアはすごいよ。これだけ悠長に話せるだけの猶予をつくってくれたんだから。
ドームの向こうでは、魔竜があたしらに向けてブレスを吐いている。
でも分厚い氷の壁は、ヒビ一つ入らない。
胸に手を当てて、深呼吸を一つ。
あたしは最低だ、最悪だ、バカだ、アホだ、クズだ、ゴミだ。
今からしようとしている行動を客観視して、出来得る限り自分を罵倒する。
よし、自虐完了。
……やるしかないんだ。
耳飾りに手を当てて、魔力を通す。
相手はもちろん―――この聖都で、最も冷静で、最も合理で動くことのできる彼女。
『……カノンか。戦況の報告はノアから聞いている。何だ?』
一つ、息を吐く。
罪悪感で胸がぎゅっと締めつけられる。
言うんだ、カノン。言え。
「何も聞かず、合理的な判断を下して」
あたしはそう前置きを入れた。
これはこの場を解決に導くための最も合理的な手段なのだと、自分と、アルミリアに言い聞かせるように。
通信の向こうで、アルミリアが小さく息を呑んだ。
『……わかった』
多分、アルミリアはあたしがやろうとしていることを、この前置きだけでなんとなく察したんだと思う。
でもそのうえで―――わかった。と首を縦に振ることができるのが、彼女なんだ。
「ガーディアンである魔竜と、アビスの核を同時に破壊する。壁の上の火砲を起動して。光の柱を合図にするから、あとは……任せる」
明言はしない。
詳細を語ってしまえば、きっとアルミリアは自分を責めるから。
また、消えない罪を抱えてしまうから。
『カノ―――』
アルミリアはあたしの名前を呼びかけて、また息を呑んだ。
そして―――
『……承知した。君の勇気に感謝する』
それだけ告げられて。
あたしはこれ以上、アルミリアの感情を押し殺したような声を聞きたくなくて、通信を切った。
感謝なんて……しなくていいんだよ。
あたしを包む氷のドーム、その壁にそっと触れる。
あ、これレーヴァ=ルクスで壊せる。
壊せなかったら諦めようと思ってたけど、壊せるならしょうがないよね。
……うん、しょうがない。
レーヴァ=ルクスが何かを訴えるみたいに明滅している。
ごめんね、もうちょっとだけ、力を貸して。
その後は……そうだな、リーネの力に、なってあげてよ。
あたしなんかじゃ、なくてさ。
金色の剣で氷を切り裂く。
パズルみたいにバラバラ崩れて、焼かれた石畳の嫌な臭いが鼻を突く。
『待ってくださいカノン、何をする気ですか!!』
耳飾り越しに、リーネの声が聞こえる。
あの氷はしばらく壊れない。あの中にいれば、リーネは安全だ。
「……ごめんね」
耳飾りから手を離し、聞こえないようにして小さく呟く。
目の前では、厄介な殻から飛び出した獲物を待ち侘びていたと言わんばかりに魔竜が大きく口を開いて咆哮を轟かせている。
随分あたしにご執心だ。愛されてんなぁ、あたし。
でもいいぜ……ラストダンスに付き合えよ、クソトカゲ。
『カノン待って! そんなことをしなくても、まだ―――』
もっと声を聞いていたいけど、もうおしまい。
あたしは耳飾りを左手で外して、振り払うように投げ捨てた。
焼けた石畳を、黄金の耳飾りが跳ねて転がる。
ごめんねリーネ、もう立ち止まれないんだ。
あたしバカだからさ、これしか方法、見つかんなかった。
一瞬、旧市街へ視線を向ける。
最短ルートを頭の中で構築。ごめん、聖都のみんな。今回はちょっと、屋根とか使わせてもらう。
視界の端にリーネが映っている。
これでもかってくらいに、氷を両手で叩いている。
「来なよドラグライア……!」
あぁ、怖ぇ。でも、もう後戻りはできないんだ……!!
「あたしがお前の、ラスボスになってやる!!」
あたしを嘲笑う深淵の魔竜。
そいつを精一杯挑発して、あたしは旧市街に向けて駆け出した。
◇
街と市民への被害を最小限に抑えるために、なるべく人気のない道を選択する。
狭い路地を駆け抜けて、建物の壁を足場に跳び、屋根を伝って旧市街へ。
あたしが導き出したこの最短距離と、あたし自身の身体能力。
この二つを合わせれば、旧市街なんて一瞬だ。
夜空を見上げる。
夜の闇に溶けて一瞬像が捉えられなかったけど、あたしの真後ろにあいつがいるって、耳に聞こえるこの羽ばたきの音が語っている。
あれだけ激しかった猛攻が、今は気持ち悪いくらいにぴたりと止んだ。
まるでそれが―――残された時間を自由に足掻けと、あたしを嘲笑っているみたいで、正直ちょっとムカつく。
「来てるか……来てるよね。まさか、最愛の子放って他の子に目移りとか、しないよね!!」
レーヴァ=ルクスを杖代わりにして、剣先から魔力の塊を発射する。
魔法という現象として練り上げるのは、魔法適正ゴミのあたしじゃ無理。でも、こうすれば牽制程度の飛び道具くらいにはなる。
魔竜が挑発に乗った。
あたしに向けて、拳大のブレスを三発。
また追尾か!
タイマンで相手に集中したいっていうのに、オールレンジからの攻撃に意識を割かせるだけ十分強力な攻撃だ。当たらなくても、本命の一撃を通しやすくなる。
おまけ要素の他プレイヤーとの対人機能……触っておけばよかったかな。
「でも……この狭さなら……!!」
ここは、さっきの平地で、多少の障害物があるだけの戦場とは違う。
壁、屋根、そして地面。三次元を活用しての軌道なら、追尾を躱すのは意外と楽なんだよねっ!!
「はーい、残念でし……たっ!!」
あたしを追いきれず、小火球が建物の壁に吸い込まれ、大きく爆ぜる。
石造りの壁に穴が開き、木造の内装が燃えていた。
「……ごめん、ここの家に住んでる人」
謝りたいけど……今はやるしかない。
追尾を一つ潰せば、一気に楽になる。
あいつがこっちを学習するからといっても、性格が終わってるだけでまだ頭は悪い。
馬鹿正直に挟み撃ちにするから、追尾の軌道は読みやすい。
「ほっ、と―――うわっ!?」
真正面からまた二つぶつけて相打ちにさせる。
とはいえ爆風は避けられないから、その辺に積まれていた木箱に飛び込んで、衝撃を逃がす。
残骸を跳ね除けて立ち上がる。
右脚から激痛……木片が太ももに刺さっていた。
「いったぁ……治るからって、痛みは消えないんだよっ!!」
勢いに任せて引き抜き、血に濡れた木片を投げ捨てる。
でもこれでようやく……目的地到着。
あたしの目の前には、ついさっき見たばかりの錆びた門が風に鎖を揺らして待っていた。
レーヴァ=ルクスで鎖を断ち切って、旧市街の中へ。
焼かれたのは五年前―――そのはずなのに、まだ大地が燻って、泣いているような気がした。
目を瞑れば、セナリアに見せられたあの光景が鮮明に思い出せる。
そして、罪悪感も、同時に浮かぶ。
「……もうあたしに、それを責める資格はない」
壁に沿って疾走。
少し遅れて、魔竜がわざわざ門を突き破って入場してきた。
ブレスが、喉奥から放たれる。
壁を蹴って一回転し、回避。
爆風が来ない。魔力を吸ってる? あ、そっか、都市外壁の防御機能、忘れてた。
南東……壁のそば。そこに、あたしが目指した目的地があった。
心臓のようにドクン、ドクンと鼓動を繰り返す、黒い泥の塊。
見えた―――深淵領域の核……!!
「こいつで壊れろっ!!」
あわよくば、そう思って魔力の塊を核に向けて発射した。
そう簡単に事は運ばず、高速で飛来した魔竜の翼が、あたしの攻撃から核を守る。
「やっぱ、そいつは守ろうとするよね」
でも、だからこそお前はここで負けるんだ。
防壁の上に視線を向けると、火砲の隣でちかちかと光が点滅を繰り返していた。
壁上火砲の、魔力充填完了を告げる信号。
カノン―――モールス信号とかじゃないけど、その光があたしの名前を呼んでいるような気がした。
準備オーケー。そう言うことだと思う。
レーヴァ=ルクスの柄を両手でしっかりと握って、乱れた息を整える。
手が震える。涙で視界も滲む。
あたしが……やるしかないんだ。
「……ここまでありがとう、ルクスたん……大好きだよ」
だからありったけ……力を貸してッ!!
金色の刃が夜を眩く照らす。
光を纏い、剣が天を貫かんと空に昇っていく。
―――光の柱を合図にするから。
アルミリアなら、これに気付いてくれる。
視界の端で、火砲が魔力を充填していくのが見えた。
これまでずっと馬鹿にされてきた分、あたしは魔竜の顔を精一杯睨んで、口角を上げ―――笑った。
ははっ、ざまぁみやがれ、クソトカゲ。
お前を倒すのはあたしじゃない。でも今だけは、あたしを見てろ。
ズキリ―――また、頭が痛む。
記憶が蘇る。あぁもうわかったって、今度は何を見せようって?
あれだけ思い知らされたら嫌でも理解するよ。あたし……やり直してるんでしょ?
この世界で、リーネを救えなかった最悪の物語があって。
あんたはその失意と後悔を、この二周目に連れてきた。
そうなんでしょ。カノン・フィリア。
だから見せなよ。あんたの記憶、全部……!!
記憶に映っていたのは、折れた剣、あたしの背中。
誰かの視点。あたしに手を伸ばす傷ついた白い肌。
息も絶え絶えになりながら、彼女はこう言った。
いかないで、カノン―――と。
あれは……誰の手……?
これは、あたしの記憶じゃない。
整理したいのに、詳細を知りたいのに、現実は非情に時を進める。
視界の端、外壁の火砲の砲口が赤く瞬き、十字に煌めく。
今にも、あたしを終わらせる一撃が放たれようとしている。
それとほぼ同時、魔竜の喉の奥から、炎が溢れそうになっていた。
あ、終わった―――あたし、死ぬんだ。
口にすれば本当にそうなってしまう気がして気にしないようにしていたけど、あたしはここで、この魔竜を倒すための囮になって死ぬんだ。
魔竜のブレスが、少しだけ早く放たれる。
これまでとは違う、確実にあたしを殺すという意志が込められた、紫色の炎。
あぁ、あたしを殺すのは火砲じゃなくて、あんたのブレスっすか。
死ぬ間際ですら満足できるほど、あたしは出来た人間じゃない。
後悔ばかりだ。もっといいやり方があったんじゃないかって、この瞬間にすら探そうとしている。見つかったところでもう遅いのに。現実は、変えられないのに。
あぁ、くそ。
後悔しても、遅いのになぁ。
いやだ、いやだよ。やっぱあたし死にたくないよ!
だってまだ子供じゃん。なんであたしみたいなちんちくりんの子供が世界背負ってんだよ、ふざけんなよ。
「死にたく、な―――」
「ソードビット・ペンタルクス―――障壁起動! 魔竜の口を縫い留めて!!」
風が吹いて―――凛とした、銀鈴の音色が聞こえた。




