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第17話 残り火の楽園。あたしの大好きな――この世界

 ミナと別れ、孤児院を後にして、セナリアとカテドラルへの道を歩く。

 あたしたちの間に会話はない。何を喋っていいか、わからなかった。


 ふと、セナリアが足を止めた。


「少し、寄り道をしましょう」


 そう言って彼女が案内したのは、外壁と同じ高さの壁で区切ったある区画だった。

 錆びついた門に鎖が何重にも張られて「立入禁止」と書かれた札が下げられている。

 痛々しい焼け跡が門の向こうに見える。風に乗って、焦げた煤の匂いが漂ってきた。


 説明されなくてもわかる。

 ここが旧市街―――アルミリアが焼いた、聖都の傷痕だ。


 そう思っただけで、喉の奥がまた熱くなる。

 怒りの残り火が、まだ腹の底で燻っている。


「……入るんですか?」


 リーネが、鎖の向こうを見ながら小さく言った。


「いいえ。この先への立ち入りは、たとえわたくしといえど許されません」


 セナリアの声音からは、静かな後悔が滲んでくる。


「ですが、お二人にお見せするべきだと判断しました。これから、聖都にその剣を捧げてもらうお二人には、わたくしたちの罪を隠すわけにはいきません」


 セナリアの言葉が、鎖の軋む音より重く落ちる。


 錆びた門の向こう。黒く焦げた壁。崩れた屋根の影。焼けた木材の匂いが、風に混じって鼻の奥を刺す。


 もうそこにないはずの熱が、近寄るだけで喉を渇かす。


 この先にあるのはゲームの何もないエリア。

 でも今は、ちゃんとある。

 焼けた現実が、そこにある。


「……罪、って」


 リーネが小さく言った。

 声が震えているのに、門の向こうから決して目を逸らさない。

 あたしなら絶対、見ないふりしている。


「罪滅ぼしって、言ってたよね」


 孤児院で、ミナに言った言葉。

 あれの意味がなんとなくだけど、わかったような気がする。


「本来なら、旧市街を焼く必要はありませんでした。ですが、当時のフレアリスは穏健派と改革派が水面下で争いを続けていて、どちらがこの騒動を治めるかで揉めていました……」


 セナリアはそっと、錆びついた鎖に触れた。

 そして、小さな手で、強く握り締める。


「全軍を上げて鎮圧に動いていれば、ここまで被害が拡大することはなかったと言えるでしょう。でも……」


 そうはならなかった。

 フレアリスは、初動の対応を間違えた。

 たかだが派閥争いなんていう、大人連中の足の引っ張り合いのせいで。


「そこで動いたのが、アルミリアでした」


 セナリアが鎖を手放す。

 じゃら、と鎖同士がぶつかって、小さな音を鳴らした。


「穏健派の反対を押し切り、独断で壁上の火砲を操作し、旧市街を焼いた。今でも、その判断は間違っていなかったと思います」


 振り返ったセナリアの顔が、やけにやつれているように見えた。


「多くの批判があることは承知しています。だからわたくしとアルミリアは、この戦いで害を被ってしまった方々への支援は決して惜しまないと決めたのです」


 セナリアはそこで言葉を切り、錆びた門の向こうへ視線を落とした。


 その目は祈るでも、謝るでもなく―――ただ、見ているだけ。

 見過ごすことのできない現実と、背負い続けなきゃならない罪を、逃げずに見続けている目。


 あぁ……この子も、背負う側なんだ。


 セナリアは一つ息を吐き、鋭い目をこちらに向ける。


「……イルセナリア(あなた方の友人)ではなく、祈の聖女(罪を背負う者)として、お二人に問います」


 彼女の琥珀の目が、真っ直ぐにあたしたちを見た。


「この聖都はひどく穢れている。多くの屍と、それを生んだ決して消えない罪を孕んで成り立つ、最後の楽園です。それでもあなた方は、この残り火を守ると誓いますか」


 ドクン、と、心臓が強く跳ねた。

 わからない。あたしとしては、世界よりもリーネを優先したい。

 でもリーネは、世界が滅べば、自分を犠牲にしてしまう。


 究極の二択を突きつけられているような感覚だ。

 あたし、トロッコ問題とか苦手なんだよ。


 あたしが答えるよりも先に、リーネが口を開いた。


「はい」


 短く、それでいて芯のある力強い声。


「世界を取り戻し、民に故郷を返す。それが、私の為すべきことです」


 やめて。

 その正しい答えを、そんな真っ直ぐな目で言うな。


 心がぎゅっと縮んだ。

 喉の奥から、酸っぱいものが上がってくる。


 ゲームならこれ、選択肢が出るやつだ。

 しかもさ……状況からして、「いいえ」を選べばバッドエンド直行。

 どうしてって? 世界を救える聖剣は、今、あたしの手元にあるからだよ。


 あたしは、咄嗟にリーネの手を掴んでいた。

 強く、痛くない程度に。いや、ちょっと痛いかもしれない、ごめんね、リーネ。


「カノン……?」


 リーネが小さく瞬きをする。

 その声が、さっきまでの凛々しさから一段落ちて、十五歳の女の子に戻る。


 腹の底の怒りが、別の熱に変わった。

 恐怖、焦り、置いていかれる予感。


 セナリアは何も言わず、あたしの反応を待っていた。

 祈の聖女の目、問いかける目。

 逃げ道を……塞ぐ目。


 わかってるよ。

 ここで黙ったら、あたしの覚悟はその程度だ。


 頭が痛み、記憶が次々に押し寄せてくる。


 消えゆくリーネ。

 どれだけ手を伸ばしても届かなくて、あたしの指先は、そっと真っ白なモニターの画面を撫でるだけ。


 笑顔で消えていくリーネ。

 手を伸ばそうとしても身体は動かなくて、あたしの口からは、ただ赤い血が噴き出すだけで、さよならすら言えなかった。


 ……今の記憶は、なに?

 あたし自身の、知らないセーブデータ?


 指先が急に冷える。

 喉が勝手に痙攣した。


 その時の失意と後悔、怒りと憎悪があたしに言った。

 逃げるな。

 迷うな。

 前に進むことを、諦めるな。

 もう一度、やり直すチャンスを貰ったんだから。


 あたしは胸元を強く握り締めて、リーネに負けない気迫で力強くこう返した。


「守るよ。リーネも、この世界も」


 自分でもびっくりするくらい、芯の通った声だった。

 イルセナリアの問いかけに対する答えとしては、「リーネも」ってのはちょっと余計だったかもしれない。


 でも……嘘はつきたくなかったから。

 あたしが戦う理由は何よりも、リーネが犠牲にならない未来をつくるためだから。

 世界か、あの子。

 そんなセカイ系あるあるな二択の問いかけなんてぶっ壊してやる。


 セナリアはあたしの答えを一拍だけ受け止めてから、ゆっくりと目を伏せた。


「……ありがとうございます」


 それだけ。

 たったそれだけなのに、胸の奥に突き刺さった。

 だってその「ありがとう」が、聖女の祈りのように聞こえたから。


 錆びた鎖が風に揺れる。

 じゃら、じゃら、と。

 まるでこの街の罪が、未来永劫続くのだと言っているみたいに。


「カテドラルへ戻りましょう」


 セナリアはフードを深く被り直して、歩き出した。

 あたしたちも、その背中に続く。



     ◇



 夕暮れが、街の白い壁を橙色に染めている。

 平和だ。それなのに……旧市街の焦げた匂いが、鼻の奥にまだ残っていて―――


 それが薄い膜みたいに、張り付いて剥がれてくれない。


 セナリアは途中、ライノと合流して礼装から法衣に着替えた。 


 大通りを歩いてしばらくすれば、監視の目が戻ってくる。


 でも、さすがは用意周到なセナリア。

 まさに買い物帰りです、と言わんばかりの手荷物をライノから受け取り、両手に抱えてカモフラージュはバッチリだった。


 カテドラル前の広場に出た。

 セナリアは少し名残惜しそうにしながら振り返り、あたしたちに頭を下げる。


「今日はありがとうございます。おかげで、とても楽しい一日になりました」


 楽しい……というのは、表向きな友達ごっこの方便。

 でも、そうだね……少しだけ、有意義な一日だったかな。


 カテドラルの尖塔が、夕焼けの空を貫くようにそびえている。


 そこに―――ひとつ、影が差した。

 夕焼けの橙が、黒に染まる。

 墨汁をぶちまけたみたいに、じわっと……いや、違う。


 ―――ぱちん。


 誰かが、世界の照明を落としたみたいに、一瞬で。


「……え?」


 リーネが息を呑む。

 あたしも、無意識に足を止めた。


 空が、夜になった。


 まだ夕暮れだったはずなのに。

 夜が来たんじゃない。


 夜が、落ちてきた。


 その瞬間、あれだけ平静を保っていた街の音が、一気に崩れていく。


「な、なんだ!?」

「明かりを! 明かりを点けろ!!」

「深淵だ! 深淵が―――!!」


 叫び声が街中を跳ね回る。

 足音が忙しなく走っている。

 荷馬車が急に方向を変えて、車輪が石畳を引っ掻いて火花を散らした。


 どこかで子供が泣いた。

 誰かが「窓を閉めろ!」と怒鳴っていた。


 大人が叫んだ。

 五年前と同じだ、と。


 老人が嘆く。

 また、街が焼かれてしまう、と。


 最悪だ……あたしがブチギレたさっきの話が、すぐそこまで来ている。


 セナリアが、ぴたりと立ち止まった。


「……セナリア?」

「カテドラルへ戻ります」


 声が低い。薄い刃みたいな声。

 その声の裏に、無力を嘆く音が混ざって聞こえた。


 戦う力を持たない自分が嘆かわしい。

 唇を噛む彼女の顔が、そう言っているように見えた。



「お二人は至急、アルミリアへ連絡を―――」


 そこまで言いかけて、セナリアの言葉が途切れる。

 街の明かりが、一斉に揺れた。


 揺れたというか―――怯えた。


 街灯の炎が、風もないのに縮む。

 魔導灯の光が、掠れたみたいにちらつく。


 そして。


 遠くで、何かが壊れる音がした。


 ドン、じゃない。そんな軽くない。

 ガシャーン、でもない。そんな細かくもない。


 もっと重くて、もっと広くて―――そう。


 建物の骨が、折れる音。


 地面が、揺れた。


 頭上から風を感じた瞬間、あたしたちの足元に一瞬、巨大な影が差した。


 ばさり、と。

 空気が沈む。

 肺の中の酸素が、薄くなる感覚。

 冷たくて、全身の毛が逆立つような、根源的な恐怖。


「……来た」


 あたしの口が勝手に動いた。

 勘じゃない。これはもう、身体が覚えている。


 ボス戦前の、あの、嫌な予感。


 カテドラルの最上階で鐘が鳴った。

 けたたましく、緊急を告げている。

 人々が更に走り出す。押し合う。転ぶ。怒鳴る。泣く。

 色んな感情が、渦を巻く。


「……カノン」


 セナリアがあたしを呼んだ。

 さっきの旧市街の問いかけとは違う。

 これは、命令に近い声音。


「世界を救うと豪語した、その覚悟は本物ですね」


 こくりと頷く。

 握られたセナリアの拳が震えていた。伏せられた琥珀の瞳には、迷いの色が見える。


「わかりました」


 一つ息を吐いて、真っ直ぐな眼差しがあたしを貫く。


「あなたの剣とその意志を……ここで示してください」


 腰の聖剣が、じわっと熱を持つ。

 抜け、その時が来たんだ。そう言っているみたいに。


 また、あたしたちの足元に影が差した。


 闇夜の中に、夜より暗い影がある。

 それが、空を裂くみたいに、羽ばたきながらゆっくりと降りてくる。


 最初に見えたのは、角だった。

 次に、翼。

 そして……瞳。


 赤でも、金でも……ううん、何色でもない。

 底のない、深い―――闇。


 空気が腐る。

 泥の臭いだ。

 深淵領域アビスの、あの生臭い。命を溶かす、嫌な臭い。


 風圧で屋台の布が裂け、屋根のレンガが飛ぶ。

 人々の悲鳴が弾け、全貌が見えた。


 空を占領するほどの巨体。

 鱗は光を吸うみたいに漆黒で、ひび割れたような隙間から淡い紫の光が漏れ出ている。


 あたしはこいつを知っている。


 【深淵の魔竜】アビサル・ドラグライア―――


 ゲームなら、ここでBGMが変わる。

 画面が暗転して、ボス名が出て、戦闘開始。


 でも現実は暗転なんかしないし、戦闘開始の合図もない。

 ただ、世界が壊れていく。


 ドラグライアが口を開いた。

 喉の奥で、何かが鳴る。


 それが炎なのか、瘴気なのか、まだわからない。

 わからないのに、全身が逃げろって叫んでる。


 あたしはレーヴァ=ルクスの柄に手を添えて、息を吸う。

 腰の剣帯から鞘ごと外して、隣に立つリーネに差し出す。


 リーネはあたしの意図を汲んで、こくりと頷いて、鞘を両手で掴んだ。

 もう一度柄を握り直して、深呼吸。


「……お願いルクス、力を貸して」


 完全に街を呑み込んだ夜を切り裂いて、ただ一本の金色が眩く照らす。

 世界を救う鍵―――聖剣レーヴァ=ルクス。

 リーネと、この世界を守るための剣。


 あぁ……怖ぇ。

 手が震えてるし、膝も笑ってる。


 希望を背負う覚悟なんて、あたしにはない。

 それでも、あたしはリーネを救うため、この世界も救ってやるんだ。

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