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第16話 炎に葬られた聖都の傷

 あたしは年甲斐もなく、声を上げて泣いていた。

 この胸を苦しめる悲しみと、湧き上がってくる喜びは、この身体の元の持ち主、カノンのものだ。


 でも、それは今、あたしの感情でもあるわけで。

 要するに、あたしはちびっこたちの前で大泣きしちゃったんだよね。


 ひとしきり泣き止んでから、あたしたちはちびっこに「せんせー」と呼ばれていた眼鏡の少女―――ミナの案内で、木造の建物の中へ。


 廊下は狭く、床板がきゅ、と小さく鳴った。

 壁には子供の背丈に合わせた釘跡や、擦れた手の跡、それと、柱に背丈を測ったナイフの傷。


 ―――生活の匂いがする。毎日、ちゃんと積み上がった日常が、ここにある。


 通された部屋は、孤児院に似合わないくらいきちんとしていた。

 きっとミナが整理したんだな。


 背の高い棚。帳簿の束。角の擦れたインク壺。子供の落書きが残る壁だけが、どうしても消しきれずにそこにある。


 しばらく使われた跡を感じないのに、定期的に掃除はされているのか、埃一つ見当たらない。

 って、どこ見てんだよあたし。姑か。


「どうぞ、こちらへ」


 着席を促され、あたしたちはセナリアを挟んでソファに並んで腰を下ろした。


 セナリアはフードを外して、顔をさらしている。

 触れていないのにはっきりと顔が見える。……着脱が切り替えスイッチなのか。

 木箱はテーブルの上にひとまず置いておく。


 ミナは応接室を出ていくと、しばらく時間をおいて人数分のティーカップとポットを手に戻ってきた。

 慣れた手つきで紅茶を注いで、あたしたちに提供する。


 あたしたちの向かい側に座り、ミナはセナリアに向け深く頭を下げた。


「お久しぶりです、イルセナリア様。物資の支援、感謝いたします」

「顔を上げてください、エルミナ。これはわたくしの罪滅ぼしなのです。感謝など、必要ありません」


 名前を聞いた瞬間、胸が苦しくなる。

 ミナの本名……エルミナって言うんだ。

 あたしはこの子のねーちゃんだったはずなのに、何も知らないんだよな。


「お気遣い、痛み入ります」


 気まずそうに顔を上げたミナは、イルセナリアの隣に座るあたしとリーネを交互に見る。

 やっぱ気になるよね。あたしら、あの時から何も変わってないもんね。

 こうして大人になったミナを見ると、本当に十年が経ったんだって、改めて痛感する。


「中身を、確かめてもよろしいでしょうか?」

「構いませんよ。足りないものがあれば、遠慮なく言ってください」


 ミナは一言断りを入れて、あたしが持ってきた木箱を開ける。

 中に入っていたのは数冊の本と、薬の瓶。それと……カラフルな半透明の石。

 魔晶石―――あたしらの世界でいう、電池みたいなものだ。


 胸ポケットから取り出した手帳と木箱の中を交互に見て、声に出さずにテキパキと数えていく。


 ミナの指先は迷いがなかった。

 薬瓶のラベルを確かめ、魔晶石は欠けていないか光に透かし、最後に本の背表紙を揃えるみたいにすっと整えた。


 何度も同じことを繰り返した手つきだ。


「……ありがとうございます。今回も、過不足はありません」

「他に何か、欲しいものはありますか?」


 ミナは何かを言いかけて、言葉を飲んだ。

 何もズレていないのに、眼鏡を直す。

 あたしの中のカノンが言ってる。あの顔は、何かを我慢している時の顔だ。


「遠慮なくどうぞ。わたくしは、隠される方が悲しいです」

「す、すみません! では、その……抗侵蝕剤の数を増やしてはいただけないでしょうか」

「……そう、ですか」


 セナリアは顎に手を当て、険しそうな表情を浮かべた。

 抗侵蝕剤―――ゲームにはそんなアイテムは登場しなかった。

 セナリアの反応からして、二つ返事で了承できないほど高価な薬なのだろう。もしくは、そもそもの流通数が少ないか、どちらかだろう。


 しばらく考え込み、セナリアは決断を下したのか、小さく頷いた。


「わかりました。善処はしますが、確約はできません。それでも構いませんか?」

「……ありがとうございます」


 ミナの声が、僅かに震えていた。


「……あの、ごめん、抗侵蝕剤って何か、聞いてもいいかな?」


 なんか置いてけぼりな気がして、あたしは思わず手を挙げていた。


 ミナは紅茶のカップを持ち上げかけた手を止めた。

 一瞬だけ視線が泳いで、それから、ゆっくりとカップに皿を戻す。


「……知らないってことは、本当にカノンねーちゃんなんだね」

「そうだよ。あたしは、クレストリア・灯火の家出身のカノン・フィリア」


 ミナは窓の外を見た。

 庭先で走り回っていた子供が、転んで、泣いて、すぐまた笑っている。


「名の通り、深淵の侵蝕を遅らせる薬です」


 セナリアが淡々と言った。

 その声色は、さっきまでの友達ごっこの柔らかさじゃない。

 薄い刃みたいに、静かで硬い。


「……遅らせる?」


 リーネが小さく反復する。

 ミナは頷き、唇を噛んだ。噛み過ぎて血が出そうなほど。


深淵領域アビスの空気は、人々には毒です。その毒は時間をかけて人体を蝕み、やがて宿主を怪物へと変えてしまう。カノンも見たでしょう。化け物と化した人の成れの果てを」


 あたしの脳裏に、昨日の光景がフラッシュバックする。

 あたしたちを囲う泥を纏った怪物。颯爽と現れるシリウス。殲滅され、消えていく化け物の身体。


 やっぱ……そういうことなのか。

 ゲームじゃ明言はされてなかったけど、いざ知るとしんどいなぁ。


「アビスの瘴気への耐性は、人によって様々です。残火守は最前線で戦うため、その耐性が高い人物が選出されます」


 道理で……ゲームじゃ使った記憶がないわけだ。

 残火守のメンバーがメインキャラなんだから、そりゃ誰も侵蝕なんて受けないよね。


「ですが、耐性を超えて取り込んでしまうと、瘴気が毒となり、体内に残ってしまうんです。子供は……特に……」


 セナリアの端的な説明に、ミナがそう付け足した。

 続きは、言わなくてもわかる。わかりたくないけど、受け止めなきゃだめだ。


 あたしは、いつの間にか拳を強く握っていた。

 爪が食い込んで、皮が裂け、血が滴っている。

 痛みは、後から追いついてきた。


「あの子供たちは、何故、侵蝕を?」


 言葉を選びながら、リーネが問いかける。

 セナリアは無言で両手を差し出してきた。

 触れろ、ということらしい。


 あたしとリーネは同時にセナリアの手に触れる。


 目を瞑ると、瞼の裏に悲惨な光景が流れてきた。

 街中に突然発生したアビス。溢れるように生まれる怪物。人々を飲み込む泥。泣き叫ぶ赤子の声。老人の怒号。悲鳴。慟哭。


 そして―――本来、聖都の外へと向けられるはずの、壁上の火砲たち。


 街ごと怪物が焼き払われ、一帯は焦土と化す。

 爆炎が駆け抜けて、逃げ遅れた人も大勢……


 吐き気がした。


「ッ……!」


 この聖都が抱える凄惨な過去をこれ以上直視できず、リーネは手を離す。

 あたしは脳内マップの右端、施設が何も存在しない、広々としたエリアを思い浮かべた。


 旧市街―――ゲームでは、五年前の内戦によって戦場となり、それを終息させるためにアルミリアの手によって焼かれた、とだけ記されているエリア。


 その真相が……まさか、これ??


「……ざけんなよ」


 紅茶の香りが急に気持ち悪くなった。

 胃がひっくり返りそうだ。ちゃんと呼吸ができているかもわからない。


 ただ、腹の奥から込み上げてくる感情が、怒りだってことだけはわかる。


「なに考えてんだよ……アルミリアっ!!」


 怒鳴ったつもりはなかった。

 でも声は勝手に震えていて、喉の奥を引っ掻くみたいに漏れていた。


 応接室の空気が、一瞬で固まる。

 紅茶の湯気だけが、何も知らない顔でゆらゆら揺れていた。


 ミナは、カップを両手で包んだまま動かない。

 セナリアは、感情を押し殺したような目であたしを見ている。

 リーネは……唇を噛んで、息を整えようとしていた。肩が小さく震えている。


「……カノン」


 セナリアが、静かに呼ぶ。

 その声は叱責じゃない。ただ、刃物みたいに研がれた落ち着きがある。


「外の子供たちに聞こえてしまいます。どうか落ち着いて」

「わかってる……わかってるけど……」


 腹の底が、焼けるみたいに熱くて、この感情を処理できない。


「でも……でもさ、街ごと焼くって、それは、ダメでしょ……」


 テーブルの端に置いた拳が、微かに震えた。

 血が乾きかけて、皮膚が突っ張る。

 傷口がほんのりと温かい。

 ノアがぼそっと言っていた聖剣の自己修復が、あたしの傷を塞いでいる。


 あたしは思わず、腰の聖剣の柄を掴んだ。

 今だけは、これがあたし一人じゃ抜けないってことに感謝したい。


「逃げ遅れた人だっていた。それなのに……なんで」


 ミナが、ゆっくり顔を上げた。

 眼鏡の奥の目が、あたしを真っ直ぐ見てくる。


 その目は、泣きそうなのに泣かない。

 涙を見せないことが、日常的になった人の目だ。


「ねーちゃん。アルミリア様を、責めないであげて」


 ミナが呟く。

 呼び方だけで胸が痛くなる。


「ねーちゃんの言ってることは正しいよ。でも、それが最善だったの」


 言葉が、喉に引っかかった。


「溢れた怪物たちと、深淵領域。その両方を同時に破壊しなきゃ、被害はもっと拡がっていた。みんなはアルミリア様を恨んでいるけど、あたしは……あの人は正しいことをしたんだって、思うよ」


 さっき見せられた光景が、ミナの落ち着いた言葉に重なる。

 泥。怪物。泣き声。火砲。焦土。


 あたしは言い返そうとして、できなかった。

 正しさだけじゃ人が救えない瞬間があるって、知ってるから。

 ……でもさ、それを否定するために、あたしはこうして生きているんじゃないの?


 セナリアが、ゆっくりと息を吐いた。

 それから、淡々と続ける。


「アビスが街中で発生した場合、封鎖は間に合いません。怪物化の速度も個体差があり、混乱の中で誰が既に侵蝕されているのか判別も不可能」

「だからって……」


 口は反射で否定したのに、声が弱い。

 理屈はわかるんだよ。


「旧市街は表向き、内戦により戦場になった、ということになりました」

「……どうして、ですか?」


 リーネが言葉を探しながら問う。


「侵蝕の事実が公になれば、人々は疑心暗鬼に陥ってしまいます。隣にいる友人すらも、いずれ怪物になるのかもしれない。そうなれば人の世は混乱する。国は崩れ、人類は滅んでしまうでしょう」

「滅ぶ……ねぇ」


 滅んでしまう―――その言葉だけはゲームの字幕みたいに軽く聞こえてしまった。

 あたしの口から、乾いた笑いが漏れる。

 これは多分、自分自身への嘲笑だ。

 笑ったはずなのに、息が詰まった。


 ミナが、机の上の木箱をそっと閉めた。

 まるで、現実に蓋をするみたいに。


「ここには、あの戦いで親を亡くし、侵蝕の疑いがある戦災孤児たちが集まっているんだ。だから、抗侵蝕剤が切れると、あの子たちの命が縮む」


 ミナの声は小さかった。

 でも、はっきりと聞こえた。


「ねーちゃん」


 ミナがあたしを呼んだ。

 言葉が続かないみたいに、一度止まってから。


「死んだ人たちの代わりに、怒ってくれてありがとう」


 その一言で、胸の奥がぎゅっと潰れた。

 この怒りは正義でもなんでもなくて、ただの個人的な感情だ。

 ありがとうなんて、言われる資格はない。

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